山本貴嗣

果てしなきスカーレットの山本貴嗣のネタバレレビュー・内容・結末

果てしなきスカーレット(2025年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

海外での試写会で鑑賞

まさかまさかの.,.

ガールミーツガールだったとは!

5.0点!脚本がどうであれ、二人の“ガール・ミーツ・ガール”と細田演出だけで全部チャラ!!最高ゥ!!!

公式素材が提示するのは、父王を殺した叔父に復讐を誓う王女スカーレットが≪死者の国≫で目覚め、現代日本から迷い込んだ看護師の青年・聖(ひじり)と出会い、旅の中で心を変化させていく——という骨子だ。サイトのイントロや各種解説でも、スカーレットが聖への信頼と愛情を育むことが“生きるとは何か”を問う軸だと語られているし、キャストもスカーレット=芦田愛菜、聖=岡田将生と、明確に男女の相棒像を打ち出している。 
さらに本作は**シェイクスピア『ハムレット』**着想(復讐の循環を赦しへ反転できるか)を公言しており、ヴェネチア/トロントでの上映文脈でもその主題が語られている。 

だが本編は“ミスリード”だった——相棒はクールガール!

……と、ここまでは“見せ方”。本編の正体はまさかの“相棒は聖”ミスリード。聖は序盤の内にまさかの退場真にスカーレットの魂をつかみ、刃と歩幅を合わせるのは、リコリコの井ノ上たきなを思わせる、寡黙・合理主義で射線がブレない少女、オフェリアだ。
彼女は最初、死者の国で“虚無”に飲まれかけた生者の残滓として登場する。感情を節約し、余計な動きを嫌い、目的のために一直線。**「合理的で無駄を嫌う」**という“たきな”の性格設計(公式記述)をそのまま抽出して、スカーレットの対になる“陰”として置いたかのよう。 

この“クール・ガール”がスカーレットの剣筋を一瞥で読み、無言で背に回って敵の間合いを潰す——言葉より先に身体が会話する。細田演出がここで全開になる。地図流の“生理的なリズム感”で、2D×CGブレンドの画が呼吸をはじめ、赤黒い地表を駆ける二人の歩幅/呼吸/目線が一つに重なる。ヴィジュアル様式の挑戦(従来と異なるハイブリッド表現)は公式・取材筋でも強調されていたが、ここで“関係の成立”を運動で語るために使われるのが最高だ。 

百合映画としての“勝利”:手と手、剣と剣、視線と視線

本作を百合の観点で評価するなら、決め手は三つ。
対位法としての役割分担
 激情で前へ出るスカーレットに対し、“たきな風”の彼女は制動と補助輪を引き受ける。リコリコの陽(千束)×陰(たきな)ダイナミクスの転写で、二人の動作が補完関係に吸い込まれる快感は、もはや告白の代位表現だ。 
モチーフの直交:ハムレット×テンペスト経由“水星”
 ハムレット的復讐譚の上に、『水星の魔女』が汲み上げたシェイクスピア処理(『テンペスト』『ロミオとジュリエット』由来の名指し・構図)が薄く差し色として走る。とりわけ**“許す/赦さない”の二項が、“手を取る/取らない”**の身振りへ翻訳される瞬間は、G-Witchのテンペスト読解(Prospera/Aerial系譜)と見事に呼応する。細田は“復讐の輪を赦しで断てるか”を胸に据え、二人が手を取ることを、その解として位置づける。 

 クライマックス、クローディアスの“見果てぬ場所”に到る門前で、二人は言葉を捨てて頬を寄せる。音楽も台詞も引き算、カメラは視線の往復だけを見せる。ここで脚本がどれだけ粗くても関係ない。関係が成立している事実だけが残り、観客は“二人の世界”へ沈む。

「脚本がダメでもチャラ」理論、今回ばかりは完全勝利

粗探しをすれば、確かに説明の反復や世界観の語りすぎ/語らなさすぎのブレ、二幕での動機の跳躍など、脚本面の不整合は目に入る(ここはハムレット要素と“生死の境界”の新設定を両立させる難易度の高さゆえの歪み)。だが、細田の運動設計(“動きで語る”)と、二人の関係性が加速する見せ場の置き方が、すべてを観客の生理で“了解”させてしまう。
要は、関係性の熱量が脚本の綻びを熔かすのだ。『スカーレット』が“見せて”勝つ映画であることは、公式トレーラー段階から明白だったし(荒野に立つ花嫁ドレスのヒロイン像=“動きで切り拓く”宣言)、長尺の実写的カメラワークと手描きの質感をレイヤーする画作りは、感情のベクトルをまっすぐ運ぶ。 

“水星”との連射効果:シェイクスピアを介した“手を取る”物語

“水星”がテンペスト×ロミジュリを現代ロボ文法にマッピングしたように、本作もハムレットの反転(赦し)をGirls meet Girlで掴みにいく。テクスト外からの参照で言えば、G-Witchのシェイクスピア的引用や語彙(作中でも“ロミジュリったら”が流行語化)を通じて、観客の側の受容回路はすでに温まっている。そこで細田は、手を差し伸べること自体を結末の代わりにする——あの手のクローズアップだけで満点が確定。 

オフェリアは、復讐の熱で視界が狭くなったスカーレットの“視野”を拡張する媒体として機能する。陽(スカーレット)×陰(オフェリア)の並走が最適化されるほど、観客は二人の共犯性に酔う。これはまさに、公式が記す“たきな”の無駄を嫌う現実感覚を、恋の律動へ最短距離で繋ぎ直す妙味だ。 



結論!これは百合映画だ!!!細田守は“運動で恋を語る”という原点で還ってきた——5/5

公開前の宣材が強調した男女バディ像は、今年いちばん幸せなミスリード。本編の心臓は、ガール・ミーツ・ガールの連続運動と、その末に置かれた**“赦し=手を取る”という回答にある。脚本の粗さ? そんなもの、スカーレットとオフェリアの二人の歩幅の前では、どうでも良いのだあああ!!!
“ハムレット”を胸に抱きつつ、ポスト“水星”世代のシェイクスピア文法と、リコリコ的な陰陽バディの気持ちよさを一本に束ねた細田の最新作。“最高”の一言で押し切れる映画的熱狂**が、ここにはあった!!!

まあ何より言いたいのは...

スカオフェの尊さをみんな味わってくれええええええ!!!
0件

    いいね!したユーザー

    山本貴嗣

    山本貴嗣