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JICAホームタウン問題にロシアの介入はあったのか?

鳥海不二夫東京大学大学院工学系研究科教授
写真:アフロ

国際協力に関する情報操作

日経電子版にロシア「国際協力」で日本に情報操作 途上国支援、SNSで批判あおる(要登録)という記事が掲載されました。

政府の調査結果は、スプートニクの投稿をきっかけにJICAのウクライナ公共放送への支援に対する批判が急激に上昇したと結論づけた。JICAとウクライナ公共放送に関連するX(旧ツイッター)投稿の感情分析結果によると、ネガティブと判定された投稿は25年1月までが全体の8%だったのに対して、25年2〜4月は87%を占めた。

とのことです。

たまたまJICAのホームタウン問題についてはデータを収集していたので、スプートニクすなわちXのアカウント@sputnik_jpの影響がありそうなのかを分析してみました。

データ分析

ここでは、JICAまたはホームタウンが含まれるXの投稿を8月22日~9月30日までの期間で収集しています。日経新聞に書かれている期間とは異なることにはご注意ください。収集したデータには383,168ポスト、6,239,802回の拡散が含まれていました。

このポストをクラスタリングした結果、JICAを批判するクラスタが得られ、その中には20,703ポスト、3,956,948回の拡散が含まれていました。一方、JICAを擁護するクラスタも得られ、その中には2,325ポスト,92,119回の拡散が含まれています。

これらの中でスプートニクの影響があったのかどうかを確認するため、各種メディアの公式アカウントのフォロワーのうちどのくらいがJICA批判クラスタのポストを拡散していたのかを調べてみました。その結果がこちら。

各メディアアカウントのフォロワーがJICA批判クラスタの情報を拡散していた割合(筆者作成)
各メディアアカウントのフォロワーがJICA批判クラスタの情報を拡散していた割合(筆者作成)

この結果から,産経や週刊文春のフォロワーもある程度拡散を行っていたものの、スプートニクのアカウントをフォローしているアカウントは特にJICAを批判するようなポストを拡散していたことがわかりました。とはいえスプートニクのフォロワーのうちJICAに批判的なポストを拡散したかアカウントの割合は7%程度ですので、ずば抜けて多いという訳でもなさそうです。逆に、JICAに批判的なポストを拡散したアカウントのうちスプートニクのフォロワーの割合は4%程度でしたので、強い影響力があったとは言えそうもありません。

sputnik_jpの記事とJICA問題の拡散

次に、問題となるポストをRTしたアカウントに限定して、収集したポストを拡散した回数の平均値を算出してみました。

ちなみに、日経新聞で指摘されているのはおそらくこちらのポストだと思われます。

このポストを拡散したアカウントのうち取得できた1097アカウントを対象に、平均何回JICA問題のポストを拡散したかを算出しました。比較のために、問題となったポスト以降のsputnik_jpのポストを一度でも拡散したことのあるアカウントによる、JICA問題のポストの平均拡散回数も算出しました。その結果がこちら。

平均情報拡散回数(筆者作成)
平均情報拡散回数(筆者作成)

JICA問題のポストの平均拡散回数は、

・問題となっているポストを拡散したアカウント:93.5回
・単にsputnik_jpのポストを拡散したことがあるアカウント:33.9回
・JICA問題のポストを拡散したことのあるアカウント全体:19回
でした。

ここから、sputnik_jpの問題となっている記事を拡散したアカウントは他のアカウントに比べてJICA問題のポストをより多く拡散しているとは言えそうです。

とはいえ、この結果から必ずしも因果関係があるとは言えません。もともとJICAの問題に関心を持っていたアカウントが、たまたま両方の投稿を拡散しているだけの可能性もあります。
実際、今回のような事例において、明確な因果関係を明らかにするのは非常に難しく、日経新聞の記事(要登録)でも

政府関係者は「定量的にはロシアの動きはつかめていない」としている。

とあり、正確なところはわかっていません。ただ、スプートニクはロシア政府系メディアでEU加盟国では配信が禁止されているメディアです。そこから発信される内容を全面的に信じるべきかどうかは情報リテラシーの高い方であれば慎重になるところではないでしょうか。

いずれにせよ、JICAホームタウン問題への批判がロシアのプロパガンダであると言い切るだけの根拠は見つかりませんでしたが、完全に否定するだけの材料もなかったというところです。

役に立つバカ問題

ところで、先日「認知戦 悪意のSNS戦略」という本を読んだのですが、その中で認知戦を行う上で重要な要素として「役に立つバカ(useful idiot)」という言葉が出てきていました。Wikipediaの説明によれば、

良い活動をしていると信じているが実際にはそれと気付かずに悪事に荷担している者、プロパガンダに利用されている者をさす言葉

です。言葉としてはなかなか刺激的ですが、確かに気づかないうちに特定の勢力の情報操作に利用されてしまうということはありそうです。
例えば先日の参議院選挙において、ロシア政府系メディアの情報を大手アカウントが拡散していたことが話題となりました。これらのアカウントはロシアのプロパガンダに協力したわけではなく、単にアテンションエコノミー下で良かれと思っての行動が利用されただけだったのかもしれません。
同じように、JICA問題についてもsputnik_jpの記事を発端として気づかずにプロパガンダに利用されてしまった方が一定数いる可能性は否定できないように思います。

と書くと「役に立つバカをなんとかしないといけない」と考えてしまいがちですが、一般に「自分は大丈夫」と思っている人の多くが、あまり大丈夫ではない場合が多々あります。まずは何はともあれ「自分自身が役に立つバカになっていないか」注意しながら情報空間と向き合っていく必要があるのではないでしょうか。

特に、この言葉を特定の人々を非難するために使ってしまうと「善意で行動していても結果的にプロパガンダに利用されてしまう」という構造そのものが再現されてしまいかねません。そのような非難行為自体が社会的分断を加速させ、結果として「情報操作を行う側」が意図した方向に事態を進めてしまうおそれがあります。つまり、非難することによって自らが「役に立つバカ」になってしまう危険性には十分に注意すべきでしょう。

情報操作やプロパガンダは、特定の国や勢力だけでなく、どの社会にも潜む普遍的な現象です。重要なのは、他者を糾弾することではなく、そうした構造の中で自分がどう行動するかを意識し続けることだと思います。私たち一人ひとりが情報空間の構造を理解し慎重に行動することが、現代情報空間で「健康」でいるためには求められているのではないでしょうか。

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ありがとうございます。
東京大学大学院工学系研究科教授

2004年東京工業大学大学院理工学研究科機械制御システム工学専攻博士課程修了(博士(工学)),2012年より東京大学大学院工学系研究科准教授,2021年より現職.計算社会科学,人工知能技術の社会応用などの研究に従事.計算社会科学会副会長,情報法制研究所理事,人工知能学会前編集委員長.人工知能学会,電子情報通信学会,情報処理学会,日本社会情報学会,AAAI各会員.「科学技術への顕著な貢献2018(ナイスステップな研究者)」

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