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たまたま人を殺さなかった、とある宗教二世の話

わたしは宗教二世だった。とある「新宗教」の。

「新宗教」と聞いて、あなたはどのようなものを思い浮かべるだろうか。やはり今話題の統一協会だろうか。それとも創価学会、あるいはエホバの証人だろうか。

生長の家・幸福の科学・真光教・天理教・実践倫理宏正会……。さまざまな「新宗教」をあなたは思い浮かべるかもしれない。でも、あなたの推測が当たることはおそらく一生、ない。

この国には、メディアで取り沙汰されるよりも、もしかしたら政治家や宗教学者が把握しているよりも、はるかに多くの「新宗教」がある。土着の、場合によっては各家庭独自(!)の、知られざる「新宗教」が、この社会には無数にある。

わたしの母が帰依していた新宗教は、Wikipediaの「新宗教」の一覧にすら載っていない。わたしが二世として関わった新宗教は、そのような誰の目にもとまらぬささやかな信仰である。

とはいえ、その信仰はきっちりと過酷なものだった。「伝統宗教」とは一線を画した、非現実的な教義を持ち、理不尽としか言いようがない実践を持っていた。

物心がつくよりも前から、わたしは週末になると、車で片道2時間ほどかけて、はずれにある山へ連れて行かれた。そこでまた長い時間をかけて7つの社がある神社を丁寧に参拝し、その後80歳か90歳のイタコ婆さんの家に向かう。

婆さんの家にはいつも、10〜20人ほどの信者が集まっていて、お茶とお菓子を手に、雑談をしながらイタコ婆さんの登場をつ。そのうちに、よたよたと現れたイタコ婆さんが、よっこらしょと言って、「仏壇」の前に座る。

「仏壇」は、面積にして二畳分、二メートル以上もの高さがある。壁一面にみっちりと、さまざまな仏像・仏具、無数の蝋燭が並べられている。そんなクソでか仏壇の前で、イタコ婆さんはお経を唱えはじめる。続いて信者も唱える。わたしも唱える。

全員でお経を唱えているうちに、イタコ婆さんがトリップ状態になる。そのうち、婆さんは信者の中から一人を選んで前に呼び出し、背中をさすりながら、霊的な何かを通じて降りてきた「お告げ」を語る。「お告げ」をもらい、救いを得た信者たちは、全員もれなく泣いていた。母もわたしの隣で一心不乱にお経を唱え、涙を流す。

小学生のわたしはといえば、正座をしながら、ただ時間が過ぎるのをじっと待って耐えた。隣で自分の母親がお経を唱えながら号泣している姿は、シンプルに怖い。子ども心にドン引きだ。それに、本当は経など読まず、イタコ婆さんが飼っている大きなシェパードと遊びたい。というか、そもそもこんなところに来ず、家で本を読んでいたい。

だが、素直に同伴し、隣に座って経を読むほうが、母の機嫌が明らかにいい。わたしは、母の機嫌のためだけに、「新宗教」に従うふりをし続けた。母のために覚えたその経は、今でも空で暗唱することができる。

一時間ほどして、読経の時間が終わる。信者たちがご祝儀袋に入った3万円をイタコ婆さんに手渡して、会はお開きとなる。イタコ婆さんには、一度の会で30〜60万円の集金があるわけだ。それが毎週のように行われている。

わたしの週末はこのように退屈な宗教儀式によって奪われ続けた。友人と鬼ごっこで遊んだり、ゲームに興じたり、お出かけする時間なんてなかった。気がつくと、友人を作ることすらできなくなっていた。

加えて、年に何度か、大規模な修行イベントにも参加しなければならなかった。それらもまた、過酷で苦痛だった。

なかでも最悪だったのが、「火渡り」と言われる行事だ。文字通り、焚き火の上を裸足で歩く、という儀式である。

日本全国には、火を取り扱う伝統的な祭りがいろいろとある。それらは大抵、18歳以上の大人(主に男性)が、自由意志の下、参加するようにできている。しかし「新宗教」は、そしてこの行事に参加している我が親は、そんな良心は持ち合わせていない。

わたしは赤ん坊の頃から、母に背負われて火を渡るという「予行演習」を経て、6歳からは一人で「火渡り」をするようになった。一応は「子どもだから」ということで、順番は最後の方に、つまり焚き火がやや落ち着いた頃に渡ることを許されてはいた。それでもやはり、少女だったわたしの目の前に広がるのは、黒く、赤い、熱々の炭の道である。

母や他の信者は、わたしに「目をつぶったり走ったりしては、かえって危ない。安全のためにも、まっすぐ前を見て、ゆっくり渡りなさい」という助言を授ける。だが、そもそも渡らないのが最も安全だし、せめて靴を履かせてくれればよい。

当時のわたしには、信仰の自由も、拒否権もなかった。親に見捨てられれば命を失いかねない、そんな脆弱な地位にあった幼いわたしは、恐怖を抱きながらも教えに従い、言われるがままに火の上を渡った。当たり前だが、裸足で火の上を歩く行為は、とてつもなく熱く、痛い。真っ赤な炭が、足の裏で「ジュリ!」「ザリ!」「ビキ!」と音を立てる。渡り終える頃には、足の裏は火傷でただれていた。

わたしは「火渡り」の他にも、さまざまな宗教儀式に参加させられた。裸足で山を登らされたり、早朝から風呂場で冷水を浴びせられたり、白装束で滝に打たれたりした。

どうやら最近、滝行がレジャーとして人気と聞く。だが、滝行の経験者としては、まったくおすすめできない。友人が一度「滝行しようと思うんだ」と気軽な感じで言ってきた時、わたしは全力で止めた。GWの5月頃であっても、滝の水温は10度前後と冷たい。水の勢いは想像よりも強い。またたくまに体温は奪われ、首の損傷すら引き起こすこともある。

ついでに腹立たしいのは、少女がこんなにも身体を痛めつけ、儀式に参加したところで、「女は不浄の生き物」という教義に基づき、教団内では永遠に蔑まれるのである。教えに従順な母は、不満気なわたしに対して、女は「わきまえる」のが正しいのだと、熱心に説き続けた。

母はわたしに、「信仰は強制されてするものではない」と言う。その言葉を鵜呑みにするほどピュアで、それでいて勉強熱心で、年齢の割には賢かったわたしは、中学生になるタイミングで、無神論を唱えた。「神様なんて本当はいないんでしょう?」「こんなにつらい思いをして尽くしても、女だからというだけで神様に嫌われるなんておかしい」「教えの方が間違ってる」。そう口にした。

それを聞いた母は目をひん剥き、みるみる青ざめ、激怒した。

その日から母は、毎日のように、わたしに呪いの言葉を吐き続けた。「おまえがこの家を滅ぼす」「おまえのせいでこの家は終わる」「大人になったら不幸な自分に気がつくだろう」。親の呪いは、見事に効いた。おかげさまでわたしは今に至るまで、独身・子なしの反出生主義者である。

母がわたしに与えたのは、言語的な虐待だけではない。わたしの日常には、「しつけ」と称した暴言のほか、体罰が、そして性的暴行があった。

教えに背く不届きな輩は、子どもであっても「家」に仇なす「敵」となる。だから、どのような手段を用いても、「矯正」されなければならなかった。親にとっては、「信仰」がとにかく優先順位の一番にあり、それ以外の道徳とか倫理とか正義とか常識とか子どもの人権とかは存在していなかった。

宗教二世にとっての困難、その一つは「閉鎖性」にある。多くの非現実的な、あるいは反社会的な宗教は、信者に選民意識と優越感を植え付けて洗脳する。そして信者である親は、その手法を覚え、模倣し、自らの子どもにさえも手法を駆使し、囲い込む。

「ウチはウチ、よそはよそ」。親から、この言葉を何度も聞いた。「ウチ」では信仰が当たり前であり、疑う必要などない。なんなら信仰がない「よそ」は不幸な立場ですらあるのだ、と。

成長し、友人ができ、「よそ」の世界を知る年頃になれば、いやでも実家の異常性に気がつく。しかし、「ウチ」が異常であればあるほど、若き二世は、「よそ」との違いに羞恥心を抱く。家の宗教のことを誰かに話したらきっと「キモチワルイ」と言われて、嫌われしまう。SOSの発信はなかなか難しい。

加えて、週末などの時間を捧げたこと、偏った考えを訴えてきたこと、強引な勧誘活動を手伝ってきたこと。そのことで、よき友人や助言者となるべき人は、身近にはいない。違和感を抱いたとしても、自力で抜け出すことは相当に難しい。

「新宗教」は、自分の「実家」であり「故郷」であり「居場所」だった。それらの縁を切ることは、容易ではなかった。

わたしにとって運が良かったのは、わたしの大学進学前に、親が全財産を使い果たさなかったことだ。実家の屋内には、三つの神棚、一つの仏壇が、そして庭には、一つの社があった。「他にもお布施や仏具などにいくら使ったのか考えたくもないが、数百万から一千万は下らないだろう。それでも我が家の経済状態は保たれていた。おかげでわたしは教育と職業訓練の機会を得た。

イタコ婆さんは「女は不浄だ」と言っていた。しかし教育によって、イタコ婆さんとは異なる考えを知ることができた。

大学で学んだ法学は、わたしに、基本的人権、子どもの権利、信条の自由などを教えてくれた。フェミニズムは、わたしに、「女は不浄、ではない」と教えてくれた。さまざまな学問は、実家から自立し、縁を切ることを叶えてくれるだけの、市場価値のあるスキルをわたしに与えてくれた。わたしを自由にしてくれたのは、信仰ではなく、学問だった。

わたしの「新宗教」そのものはマイナーであり、「あの火、マジ熱かったよねー」などと分かち合えるようなものではない。しかし、「宗教二世問題」が世間に知れわたり、当事者が少しずつでもつらさを吐きだし、共有し、社会全体で解決策を探っていく動きが生まれつつあることには、希望を感じている。入っている宗教が違えど、さまざまな「二世のしんどさ」に、共感を覚える。

わたしの人生には、無数の分かれ道があった。

高校生の時、話を聞いてくれる教師が身近にいなかったら。父が倒れた時、母が祈りにさらなる救いを求めていたら。大学進学前に、実家の貯金が使い果たされていたら。司法試験だけでなく、就活にも失敗していたら。支えてくれるパートナーがいなかったら。就職氷河期が自分の世代にも続いていたら。「わたしは宗教二世だった」と過去形で語ることができずに、今でも戒律の檻に閉じ込められ、「不浄な女」として火の上を歩いていたかもしれない。

新宗教から脱出できたわたしには、恵まれた条件があった。自分の「神」を手放せたこと。親を嫌い、距離を取ること。わたしにとって、これらは大事な、平穏への入り口だった。しかし、より悪くなる可能性など、いくらでもあったのだ。

想像してしまう。親が財産を全て宗教に注ぎ込んでいたら。私が10年早く生まれていたために、就職氷河期に直面していたら。恋愛や友情に恵まれず、孤独状態であったら。そんな時、親の信じる宗教のイベントに、著名人や政治家が応援メッセージを送り、「お墨付き」を与えていたら。そして、もしもわたしの手元に銃があったなら。

わたしは暴力には絶対反対だ。暴力をふるうこと、それはかつてわたしに暴力をふるい、抑圧した母に負けることを意味する。実際、99.9%の宗教二世は、あのような蛮行はしない。とはいっても、誰もがほんの一瞬、心が弱くなるときがある。闇が、隙間に入り込む瞬間がある。誰もがその闇に、抗えるわけではない。

そんな時、引き金を引く指を止めるだけの、ささやかな力がほしい。そのために、ほんの少し、ほんの少し、誰かに助けてほしい。それだけなのだ。だからこそわたしは、人を頼る。友人を、恋人を、そして社会を頼って生きている。

今、あちこちで上がっている脱会者の声や二世の声に、お願いだから耳を貸してほしい。セキュリティ対策とか国葬とかそうした議論に割くリソースと同じかそれ以上に、新宗教の問題にも取り組んでほしい。今日もどこかの家の子どもが、「信仰」の名の下に、親から暴言や暴力を受け、経済的基盤を失い、友人も失い、孤独に苛まれているかもしれないことに、思いを馳せてほしい。

わたしにも具体的で明確な殺意があった。もちろん親に好かれたい、愛されたいという気持ちはあったが、それと同じくらい、親に死んでほしい、なんなら親をこの手で殺したいと思った。教祖や協力者にも、やはり殺意がよぎった。ただ、わたしは人を殺すことは経済的な後ろ盾や社会的な地位を失うことだと理解していた。だからわたしは我慢した。お金と地位のために、我慢しただけだ。

最後に、「人殺しの宗教二世」になりたくない、という若い人が、もしこれを読んでいたら、その人に呼びかけたい。

どんなに時間をかけてでも、逃げる備えをしてほしい。「逃げることなど無理だ」と、諦めないでほしい。実家を出て、家族や信者以外の人と話をして、友だちを作ってほしい。友だちがいないから相談ができない、ということはない。相談をすることから友だちになることだってあるし、カウンセリングでも、弁護士でも、NPOでもいい。もがいてもがいて、いずれ誰かに「あの時つらかった」と言えることを目指して、生きてほしい。

信仰以外の考えを頭に入れ、あんなものはクソだったと言えるようになろう。自分の人生を少しでもマシにすることに集中しよう。自由と権利の行使に怯えず、豊かな生を全うしよう。

そして神無き世界で、誇りを持って、それぞれの静かな死を迎えよう。わたしたちは、あの世で再会することはない。だが、それでよい。祈らねば断られる「天国」など、こちらから願い下げなのだから。


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コメント

1

>その日から母は、毎日のように、わたしに呪いの言葉を吐き続けた。

完全に魔女狩りですね。
権威を批判すれば最低の身分に落とされて弾圧を受け続ける。

こうした環境で、自分の思考を持ち続けられた貴方の精神力には驚嘆させられるものです。
色々辛いことが多かったと思いますが、今後はお幸せに生きてください。

結局、宗教は教義という観念を妄信するだけの権威主義であって、上が唱えた妄言を実体を確認して疑えない愚か者を造る。
自分で実体を観察する科学的意識や、自分で実体を工夫して動かす技術的意欲は、徹底的に棄損される。

人間のあらゆる活動は、自分で実体を視て自分で実体を動かすことであって、科学的意識と技術的意欲がなければ、権威に洗脳されて奴隷のように動く亡者だけが生まれますね。

親に殺されずに今まで生きてくれた貴方に、「ありがとう」と言わせてください。

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ライター・編集者✍️連載▷晶文社スクラップブック「ポリアモリー編集見習いの憂鬱な備忘録」/寄稿▷「図書新聞」/「かがみよかがみ」山崎ナオコーラ賞大賞
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