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発達障害の続き(12周年記事)





この記事は以前に更新した【発達障害】の続きになります。

非常に重い話になりますので閲覧注意⚠️































あれから12年経ったってマジ?

てなわけで前回の続きであるリアル話をしようか。



以前の記事で自分が発達障害だって話をしたと思うけど、

今回はその後の話になります。





まともに仕事を始めたのが専門学校の4年の頃だったのですが、

この時点で既に自分は孤独でした。

これは現在も続いてます。

入学間もない頃は友達とかを作るタイミングはあったのだろうが、

その時点ではまだ発達障害を自覚しておりませんでした。

だけど今思うとあそこが人生の区切りだったかもしれません。




まず最初に、

自分の高校時代は黒歴史と言いましたが、

別に最初からそうだったわけではありません。

少なくとも2年頃までは友達と言える存在がいましたし、

クラス内でもムードはそこそこ良かったと思います。

進学コースとして入学し、学力のほうも最初の頃はそこそこの結果を出してたと思います。


けどいつの間にかそれを失いました。

単純な話、それは自分が自ら放棄したものだというのは大人になってから理解しておりますが、

高校に入っても小中時代の自分ワールドから抜け出せないままであって、

思い込みが激しく自分から周りをそうさせた。

自分に都合の良いように解釈していた。


そして2年間全て成績は赤点補修。

欠勤数を60日超えて、

卒業式にすら参加できない人生を送り、

校長室で親同伴で卒業証書を受ける孤独な結果を自ら作った。

本当は卒業式までの期間補修授業を真面目に受けることで、

皆んなと一緒に卒業できるようにしてくれていたにも関わらず自らそれを放棄した。


※ぶっちゃけこれだけであとは高校名記載したら同級生だと100%特定されるほど印象に残ってるんじゃないか?


この日の帰り、卒業証書を手にして電車の中で自分が考えていたことは今でも覚えてる。



本当にこの高校時代、

自分は何のために在籍していたのだろう。




そして専門学校時代。

何故もっと早く自覚できなかったのだろう。

もはやこの頃は他人への意識はほとんどなくなっており、

高校時代まで覚えてたクラスメイトの名前すら、

専門学校でのクラスメイトは一切覚えていなかった。


恐らくコミニュケーション能力が一番出来ていなかった頃だった。

担任に話しかけられても返事ができず、

ひたすら担任の顔を見つめることで抵抗感を出していた。


卒業後の進路なんて殆ど考えておらず、

とっとと家に帰ってメイプルしたいと考えていたほうが多かったと思う。


卒業後は1年間残って進路のためと建前上だけど、

実はPC使ってゲームばかりやっていた気がする。

それを他の教師にもバレていたし、

最後に自分が学校を行くのを辞めた時に言われた言葉は決して忘れないと思う。




いや、これ書いてるとぶっちゃけ、

ここまで生きた23年間って本当何だったんだと思う。

そして気づくの遅すぎる。




自分がこれに気づけたのは理由が3つある。

一つは仕事を始めたから。

最初こそ日雇いの単発をちょこちょこやるだけだったが、

次第に長時間や長期の仕事を行い、

怒鳴られたり指示されたり日課を日々こなすことが普通ということを教えてもらったから。




二つ目はメイプルをプレイすることが困難になった結果、

現実を向き合う時間が増えてきたこと。



今までは帰宅後=PCに直帰する期間が多く、

それ以外はゲームセンターに行ってメダルゲームに籠る人生でしかなかった。



しかしこの頃からPCが落ちてとてもプレイする環境でなくなった結果、

家族と話す機会や自身の現状を把握していった。

実はこのころニコニコ動画のホラーゲームにハマっていた時期でもあるのですが、

ホラーゲームって展開はアレですが、

基本は常識人で構成された主人公+メンバーで模索するシナリオが多いじゃないですか?

んで中には狂った人が出たりするんだけど、

これを見てたら自分がそれにそっくりだと気づいたんですよね。

会話とかもそうだけどグループの輪として自分ができていなかった部分が殆ど当てはまっていたと思って、

気づけた理由の発火点の1つだったと感じます。

ちなみに何のゲームかは多すぎて分かりませんが、結構死亡者が出まくるジャンルが多かったです。





三つ目は他でもなく家族からの助言でした。

以前にも黒歴史で教室着替え中に居座って保護者を呼ばれるなどとか言いましたが、

親は小学校時代の頃から発達障害ということを真剣に向き合っておりました。

そして自身にこのことを何百回と告げられてましたが、

自分はこれを認めようとしてませんでした。

これに関してはプライドとかではなく、

純粋にそのものを理解せずいたからだと思います。



まぁ今考えたら当時の自分の脳ってどんな構造になってんだって話なんですが、

これに気づけたのは、

恥ずかしいことに仕事の面接で何十回挑んでも、

全て不採用になったことで、

何が駄目なのかを少しずつ自覚し始めたからであります。

それから家族からその話を段々と受け入れることになったのですが、

それまでが本当長かったです。






その後発達障害に気づいてから、

何故仕事で失敗するのか?

何故面接で不採用になるのか?

何故人と目を見て会話ができないのか?

何故白い目で見られるのか?


答えは明白でした。


それから数年ようやく進歩できました。


社会的ルールやマナー常識など、

人との接し方など、

仕事でも殆ど失敗することなく、

自分のやりたかった仕事もできるようになり、

ようやく人として当たり前であるスタートラインに着いたんだと思います(故)。




しかしまだまだ改良しないといけない部分が多すぎる。

特に孤独である部分を何とか克服したい。

仕事での人との関わりは所詮マナー。

ネットでの友達なら腐るほどいるが互いに顔も知らない世界だからね。


流石にこの歳になるとあまり期待はできないけどね。







ちなみに自分の長所なんだけど、

昔はブログ書くことが才能と思ってた。

けどそれは違った。

ただの自己満足の延長線だった。

確かに昔はセンスある記事を書いてたのは自分で思うけど、

今同じことなんて出来ないんだなって思うと、

自分の長所なんて大したことないんだなって思う。











という自虐なんだよね。

面白かったかね?

周年イベってリアル話のほうがなんか人気あるみたいだから更新してみたけど、

こう考えたらある意味どこかのマンガの主人公みたいに見えなくもないな。

現時点で隠している重要な問題がまだ1つ公表してないけど、

もしかしたら13周年の時に‥かも。




あとこれだけは1つ言っておくけど、

この人生を引き起こしたのは自分自身であり

他人のせいでは一切ない。

確かにあの時⚪︎⚪︎してくれたら何かが変わっていたのかもしれないがそれは結果論だし、

逆に言うとこのような人生を歩めたおかげでこれまでの記事を書けた。

それだけは本当に感謝している。










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