「白人のいる風景」
http://ibrahim.blog49.fc2.com/
これはココログ「日付のある紙片」から(ニフティさんに)追い出された部分を載せているだけなので、別に面白いブログではないし、このブログと2重投稿になっているところもあります。
しかしこれにちょっと目を通すだけでも、白人がなぜアジアで嫌われるのか、軽蔑の目で扱われることがあるのか、十分わかると思うんだけど。どうでしょう。
むしろ、白人の多くがこんなふうに振舞っているのに、白人が歓待される、最優遇される、へつらわれる、というところのほうが異常ではないでしょうか。そういう国、地域は、精神的植民地、精神的奴隷国家というほかはないでしょう。
これも見てください。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/10/20071027_a2e6.html
「白人といって一括りにするな」というのはしばしば聞く抗弁です。
日本人にもそういう抗弁に迎合して媚びた言論を垂れ流す者がいる。
しかし、日本人もこれまでさんざん「日本人」として一括りにされて不当な評価を受け十分苦労してきましたが、そういうハンディを背負いながらいろんな努力をして何とかやってきたわけであり、いまもやっているわけです。
たとえば、貧しい国で金持ちそうに振舞ったり地元の人に偉そうな態度をとったりしないようにとか、日本人旅行者ほど現地感情に神経を使っている外国人は東南アジアの国々で見る限り他にいない。
中国人が嫌われている場所では日本人も気をつけなければならないことがある。多くの日本人はそういうこともやむをえないこととして受け入れている。
そういう場合に、嫌われる振る舞いをしている中国人の愚痴を言うことはあっても、中国人と一緒にする現地人を非難する日本人は少ないと思う。
そういう「括り」は人間の世界では避けて通れないものだからです。
われわれはそういう「括り」によって損をすることもあれば、得をしていることもある。
白人なら、「白人」として扱われることによって損をすることより得をすることのほうがはるかに多い。これは今のこの世界の現実です。
ところが白人は、白人たちが今までやってきたこと、現にやっていることごとによって、自分が嫌われたり不当に扱われたりすることは絶対に嫌だという。
それでは白人ゆえに得をするのも嫌だと拒否するのかというと決してそんなことはしない。白人ゆえの優遇を拒否する白人を見たことがない。
白人は「白人」という括りによって得をしている分には頬かむりをしたまま、「白人」で損をしたと思い込むと最大限に大声でがなりたてて抗議する。「人種差別だ」などという。
非白人で唯一先進国を築くことに成功した日本人が相手ならなおさら憎悪が加わる。
自分たちは有色人種やらアジア人やら日本人やらを十分一括りに処理していながら、自分だけは「白人」ではなく「個人」として扱われなければ許さないと迫る。それもそれが自分に有利な場合に限ってである。
こういうのは完全に、「俺たちは貴族だから」「俺たちは有色人種とは違う上位の人種だから」、という以外に理由はないと思う。