大手予備校「河合塾」の男性講師が雇い止めされた問題で、最高裁は今年9月、河合塾の上告を受理しない決定を下した。これによって、河合塾の不当労働行為を認定した二審・東京高裁判決が確定した。
男性は復職が認められるとともに、2014年4月から2024年3月まで10年分の賃金が全額支払われる「バックペイ」も確定した。
業務委託の講師だった男性が雇い止めを通告されたのは2013年11月。最終的な解決まで、約12年の歳月が流れた。これまでの経緯と思いを改めて聞いた。(ジャーナリスト・田中圭太郎)
●河合塾と「業務委託契約」を結んでいた
復職を勝ち取ったのは、河合塾で数学や理科全般を教える佐々木信吾さん(63)。
東京大学理学部を1989年に卒業後、順天堂大学の付属病院で論文の基礎データを作成するなどの業務を経て、1990年12月から河合塾の講師として働き始めた。当時は契約書もないまま、1コマあたりの単価で給与が支払われていたという。
別の講師がコマ数を減らされて起こした裁判がきっかけで、河合塾では2009年に就業規則を作成し、講師が雇用契約と業務委託契約を選べるようになった。
一部の部署の雇用条件が不当だと考えたことから、河合塾ユニオンとして抗議したところ、佐々木さんは雇用契約ではなく業務委託契約となったという。
河合塾ユニオン関係者。左から佐々木さん、竹中達二委員長、藤原朋弘弁護士、久保木亮介弁護士(2025年9月25日/厚生労働記者会)
●厚労省作成リーフレットを配布して「雇い止め」
雇い止めの発端は2013年8月、佐々木さんが出講先の校舎で、有期契約の事務職員に厚生労働省のリーフレットを渡したことだった。
その内容は、改正労働契約法で新設された「5年を超えた勤務で無期転換できる」制度を説明するもので、河合塾の批判する記述などは一切なかった。
ところが、河合塾は「許可なく施設内で文書を配布した」などとして佐々木さんに厳重注意を出す。「河合塾ユニオン」が注意の撤回を求めると、同年11月に「翌年度の契約は結ばない」と通告。翌2014年3月で佐々木さんは雇い止めとなった。
佐々木さんが配布した厚労省のリーフレット
2013年は改正労働契約法が施行されて、5年以上勤務する有期雇用労働者は、無期雇用に転換する権利が得られるようになった。しかし、河合塾はこれに合わせて、長年勤務していた有期雇用の事務職員180人の雇い止めを決めた。
2010年から河合塾ユニオンの書記長をつとめていた佐々木さんは、事務職員たちから相談を受けて、この雇い止めは「無期転換逃れ」の可能性があるとみて、出講した校舎で事務職員2人にリーフレットを手渡したのだった。
「180人の事務員はほとんどが女性です。女性差別も背景にあったのではないかと思います。いろいろな校舎の事務職員から相談を受け、たまたま出講した校舎でリーフレットを渡しました。ところが、河合塾にそのことが見つかって、私も契約を解除されたんです」
●両親の「終の住処」を手放すことに
当時、佐々木さんは週最大14コマの授業を担当し、教室長代行をつとめるなど、ベテラン講師として信頼を得ていた。契約解除を告げられたのは51歳。当然ながら、生活は一変した。
「14コマすべてがゼロになって、さすがに困り果てました。なんて強引なことをするんだという怒りを感じると同時に、組合活動をすればこうなるという"見せしめ"を自らの身で作ってしまったことに忸怩たる思いでした」
2014年1月、河合塾ユニオンは愛知県労働委員会に救済を申し立てた。2016年に不当労働行為と認定されたが、河合塾が中央労働委員会に再審査を請求。これが退けられるまでさらに5年を要した。
その間、再就職は困難を極めた。雇い止めと救済申し立てが知られていたため、塾講師の仕事はなかなか見つからず、個別指導塾で働いたものの年収は半分以下に。さらにコロナ禍で仕事が激減した。
「コロナで収入はほぼゼロになりました。50歳を過ぎての失業を両親に伝え、生活費を送れなくなったこと、そのことで終の住処になるはずだった実家を手放すことになったのは本当に辛かった」
佐々木信吾さん
●河合塾「必要な対応をおこなってまいります」
その後、河合塾はさらに国を相手取り、中央労働委員会の命令の取り消しを求める訴訟を起こした。
一審の東京地裁と二審の東京高裁はいずれも請求を棄却。河合塾は上告したものの、今年9月18日に上告の不受理が決定した。佐々木さんは昨年に復職していたが、それまでの賃金全額が支払われることになった。
河合塾は取材に対して「当塾の主張が認められなかったことは誠に遺憾でありますが、最高裁への上告が不受理になったことを受け止め、必要な対応をおこなってまいります」と回答した。
また、佐々木さんの雇い止めなど不当労働行為について「今後、このような行為を繰り返さないようにいたします」と記した文書を河合塾ユニオンに送付した。文書は9月30日付。ただ、結論が出るまでの12年間はあまりにも長かった。
●12年間の闘争で勝ち取った「労働者性」
労働委員会制度や裁判を頼りにたたかったが、その過程で佐々木さんが痛感したのは「制度の遅さ」だった。
2014年1月の救済申し立てから、愛知県労働委員会が不当労働行為と認定するまで2年7カ月。中央労働委員会の認定までは、さらに5年近く。そのうえ河合塾が訴訟を起こしたことで、さらに4年以上を費やした。
「厚労省のリーフレットを封筒に入れて渡したことでクビにされた。普通なら3秒でおかしいとわかる話ですよね。でも実際には10年以上かかりました。河合塾側は同じ主張を何度も繰り返し、審査制度や司法制度を"時間稼ぎ"の武器にしているように見えました」
復職を目指した佐々木さんにとって、労働委員会制度は適した制度ではあったが、長期化することで費用などがかさみ、組合が疲弊するケースも少なくない。佐々木さんは制度の改善が必要だと感じたと話す。
「お金も時間もかかる。都道府県労働委員会から最高裁まで実質5審制をたたかうのは大変です。幸い、私の場合はみんなの団結が固かったのでユニオンも維持できましたが、簡単なことではありませんでした。今回の経験を踏まえ、救済までの時間を短縮する仕組みが必要だと思います」
●「労働者性」をめぐる議論を当初は理解できなかった
佐々木さんの法廷闘争では、画期的な判断も出た。業務委託契約の講師にも「労働者性」が認められ、その判断基準も具体的に示されたことだ。
中央労働委員会は、河合塾の業務委託契約の勤務実態を審査した結果、こう指摘している。
「法人の事業遂行に不可欠かつ恒常的な労働供給者として事業組織に組み入れられている。報酬は、法人に対する労働供給に対する対価であると認められる。広い意味での指揮監督下の労務提供と一定の時間的場所的拘束が認められる。委託契約講師について、顕著な事業者性は認められない」
この判断は、佐々木さん個人だけでなく、河合塾の業務委託講師全員にも及んでいる。河合塾ユニオンによると、河合塾では、講師の4割程度が業務委託契約だという。
他の大手予備校などでも、業務委託のケースが圧倒的に多いとされる。労働者性が認められたことで、業務委託でも組合を作ることができ、団体交渉やストライキもできるようになる。
佐々木さんは、こうした「労働者性」をめぐる議論を当初は理解できなかったと笑う。
「相手側の弁護士も、組合の弁護士も、労働委員会の委員も、裁判官も、誰も私の働き方を見ていないのに『労働者か否か』を語っているのは不思議でした。でも途中から、これは"大きな壁"なんだと気づいた。自分が労働者性を確立する責任を負っていると思うようになりました」
結果的に、労働委員会から裁判所まですべての段階でユニオン側の主張が認められた。
●「非正規の蔓延は日本が衰退した原因の一つ」
佐々木さんは現在、河合塾ユニオンの上部団体である「横浜地区労働組合協議会」の議長として、塾や予備校の講師だけでなく、大学非常勤講師などの非正規労働者とも連携している。
「業務委託では交渉できないと労働者自身が諦めてしまっていたのが現状でした。それに慣れ、権利も放棄し、やりがい搾取もされてきた。非正規の蔓延は日本が衰退した原因の一つです。
でも、今回の判断で、業務委託であっても、労働組合法上の『労働者』にあてはめやすい状況は作れたと思います。ただ、使っていただかないと何の意味もありません。
労働運動の到達点は、みんなで少しずつ進めるものです。たとえ少数でも構いません。右でも、左でもなく、みんなでバトンをつないでいきたい」