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主体性と悪意とハンロンの剃刀

自己や他人の主体性について、悪意とハンロンの剃刀の話題をネタにして整理してみます。世界モデルの恣意性も合わせて考えることで、問題の在り処がだいぶはっきりすると思います。
(2022-07-09 読みやすさ向上のため、主旨が変わらない範囲内で少し書き直しました。)

ハンロンの剃刀とは

事例1:前から来た男がすれ違いざまに水たまりにばちゃーっと足を突っ込んだせいで自分のズボンが泥をかぶり、相手から「あーーっゴメンナサイーッ」と謝られた。

事例2:同じ会社の新入社員から送られてきた電子メールの文面が、超絶に失礼なものだった。

これらの事例を自分への悪意ある攻撃と解釈するか、相手の能力不足によるドジと解釈するかで、自分の感情的な反応も異なるし対応も違うものになる。

ハンロンの剃刀とは「無能でじゅうぶんに説明できる言動の裏に悪意を読み取るべきでない」とする状況判断の一般原則のことである。オッカムの剃刀の応用例の一種であるとされる。

ハンロンの剃刀を身につければ、相手に悪意が有るとも無いとも、どちらにもとれるような状況であれば、敢えて悪意などなかったと解釈しよう、という考え方に偏る。もう少し言えば、こういう「傾向」「偏見(バイアス)」を意図的に自分のなかに埋め込んでおこう、という提案のことをハンロンの剃刀と呼ぶ。ハンロンの剃刀の原則に従えば、泥はね男に対して「おっと大丈夫ですか」と言ってあげられたり、新入社員のメールに対して「はい了解。ありがとう。ところで、それを言いたいならこういう言葉遣いも有るよ、次はちょっと注意ね。」と軽い対応ができたりするだろう。

自分はハンロンの剃刀を身につけたことによって、世の中でいちいち怒らねばならないことが減り、だいぶ心が平和になった。

以下、ハンロンの剃刀の原則の裏にある構造をもう少し明確化してみたい。そのために「悪意とはなにか?」ということを、もう少し突き詰めてみたい。この話題は主体性と世界モデルの関係について、最近書いた記事の応用編もしくは落ち穂拾いという位置づけになる。

主体性と悪意

主体性 (agency) とは、判断する主体 (agent) が自分自身の責任で他の誰かから命令されることなく行っていることを意味する言葉である。 

僕らが他人の言動に悪意を感じる前提として、僕らはそこに主体性を感じ取っている。そうでなければ、悪意を感じることはないし、悪意に対して怒りの反応を向けることもない。

ハンロンの剃刀が「悪意ではなく無能だ」と言うとき、この無能性の本質は、主体性の欠如だと言える。

- 知覚能力が低いせいで水たまりに気付かずに足を突っ込んでしまった男
- 目の前の水たまりに気づいていたが、状況把握能力が低いせいで水たまりに足を突っ込んでしまった男
- 状況把握はできていたが、運動能力が低いせいで水たまりに足を突っ込んでしまった男
- 語彙力が低いせいで失礼なメールを私に送ってきた新入社員

こいつらは、自分に対して攻撃意図を向けていない。主体的な害意がみられない。だから、こちらとしても怒りの感情を向ける理由がない。攻撃が意図的であるか?つまり、主体性があるか否かが本質であり、主体性が悪意と呼ばれ、この悪意が怒りの矛先になるわけだ。

ではこんな状況が想定される場合はどうか?

事例2’:僕のライバルになっている社員Bが、件の新入社員Aにコソコソと耳打ちして、新入社員Aは「はい。はい。」と頷いていて、そしてAから失礼なメールが自分宛に飛んでくる。

このとき、悪意の源は僕のライバル社員であって、新入社員君はその走狗である。この構造が見えているとき、僕の怒りの矛先はライバル社員に向く。新入社員には向かない。主体性が悪意の必要条件であるからだ。

いや、新入社員Aも悪いじゃないか、Bの悪意を拒否しなかったのはA自身ではないか。そう思うことができた場合はどうか?

この場合、僕の怒りの矛先はライバル社員Bだけでなく、新入社員Aにも向くことになる。なぜなら、この場合、僕は新入社員Aの主体性を認めたことになるからだ。すなわち、Aは僕に対するBの悪意の輸送を拒否することもできた。そういう能力があった。僕への攻撃行動を拒否するオプション(行動選択肢)がAにあったか、否かが悪意の有無に直結しているわけだ。能力の有無が主体性の有無そして悪意の有無と直結しているわけだ。

確率と主体性

可能性がある/ないを説明するさいに、確率を導入するのは別の自然な考え方だ。これは主体性による説明と真っ向から対立する。

「悪意ではなかった、偶然だったんだよ」

同じことを「一時の気の迷い」「魔が差した」と表現する場合がある。要するに悪意はなかった、主体的な意思決定ではなかった、したがって責任は無いので許してくれ、という理屈だ。

すると、新入社員Aは僕への攻撃要請を拒否する可能性があったというだけでは、怒りの矛先を向ける理由にならない。Aは、拒否行動をとる/とらないを、意図的に選択することができた、しかし意図的に拒否しなかった。ここまできて、はじめて僕の怒りの矛先が向くのだ。

agency の行動オプションを定式化するさい、一般の確率変数とは別に特殊な扱いをするべきだろう。反実仮想モデリングの話題とか、統計的因果推論における do 演算子の話題に関係しそうだが、おそらくちょっと別の何かを入れてゆく必要があると思う。

(この節は 2022-07-09 に大きく書き直した。)

世界モデルと主体性

この話題はすでに別記事で展開済みであるので、重要な点だけを繰り返す。

各人の脳内にあるであろう、世界を認識しその将来予測を行い続ける計算装置を、世界モデル (world model) と呼ぶ。

世界モデルは脳内計算装置であるので、世界そのものをただ写し取るわけではなく、計算効率化の都合で、多少なりとも世界を歪めて見ている。

僕らは主客未分の混沌とした環境世界に関する知覚情報を、多数の対象 (object) に切り分けて認識している。切り分けることで、対象毎にその将来の時間発展を予測したり、また複数の対象の相互作用に関する予測を統合して、全体の時間発展を予測したりする計算を、効率的に行うことができる。

世界モデルを構成する多数の対象 (object) のうち、少数を選び出して主体性 (agency) を持つ主体 (agent) として特別扱いするのは、もう一つの合理的な工夫である。

world model = objects + interactions + prediction
agents = objects with agency

Barandiaran ら (2009) は主体性を構成する3つの要因を提案した。

第一の要因は、さきにのべた対象性。環境から切り出されたひとまとまりの対象であるということ。

第二の要因は、行動オプションを持っていることである。主体が、行動オプションA, B, C のどれかを選ぶことで、世界全体の未来の様子は大きく変わってゆく。逆に言えば、その対象の行動の違いが、世界全体の未来の様子に大きな影響を与えるだろうと思われる場合に、その対象を世界モデル内で特別扱いするのは妥当だろう。Barandiaran ら (2009) はこの特別性を「非対称性」と呼んだ。主体が環境を決める、その逆(環境が主体を決める)ではない。ということだ。

第三の要因は、特定の行動オプションを選び取るうえで、なんらかの規範を持っているということである。規範でなく目的と言ってもよい。世界モデルのなかに主体を置いて、時間発展シミュレーションするうえで主体の行動を予測するうえで大事な要因だ。Barandiaran ら (2009) はこの特別性を「規範性」と呼んだ。

サバンナで生きる動物が環境世界のモデルを持つなら、草木などの植物と、チーターやガゼルなどの動物とでは、取り扱いを異にするのは当然で、草木などは単なる対象とし、動物は主体扱いするのが合理的であろう。また動物のなかでも、肉食獣と草食獣は主体性において別扱いにすべきかもしれないし、動物の群れがあればそのリーダー格個体と、フォロワーたちとはさらに別扱いとするのがふさわしい。全ては世界モデルによる未来予測や将来計画の精度向上のための効率性に基づく。

怒りはなぜ悪意に対して向くのか

こうして世界モデルを構成する要因としての主体の位置づけを見てみると、僕らの怒りが「悪意を持つと思われる主体」に向くのは、至極合理的である。僕らが環境世界すべてを制するためには、主体性を持つ対象さえ制すればよい。そうすればほかの全てを制したことになるからだ。もっと言えば、主体のオプションを制することができればよい。

そのために、世界モデルという計算装置には、対象 (object) の一部に対して主体 (agent) であるかないかを判定してラベルをつけて特別扱いする機能がついているのである。

所有、支配などの大事な概念も、世界モデルおよびその構成要素としての主体性を中心に置いて整理することができるだろう。

世界モデルの恣意性:とくに主体性の恣意性

さて、最後に言いたかったトピックにようやくたどり着いた。

世界モデルは恣意的なものである。主客未分の混沌した環境世界から世界を構成する対象をどのように切り出すか、対象の動作をどのように予測するか、どのような相互作用を想定するか。さまざまなバリエーションが可能であり、自由に選ぶことができる。もちろん、環境世界の時間発展をうまいこと予測できなければ世界モデルの価値は無いが、同程度の予測性能を持つようなじゅうぶんに良い世界モデルには大きなバリエーションがあり得る。(ということは機械学習の世界では常識である。)

特に、どの対象に主体性を付与するか?は、恣意性の中にある。

世界モデルの中で、どの対象に主体性を付与して取り扱うか?は、恣意的に決めてよい。

(これこそが言いたかったことなので、太字にして二度書いた。)

失礼なメールを送ってきた新入社員の行動オプションに主体性を認めず、裏で手を引くライバル社員に主体性を認める、という世界モデルを採用することは自分が恣意的に行ってよいことだ。

自分の営業成績の良さに嫉妬したライバル社員は、自分に対して嫌がらせをする他に自分の心をどうしようもなかったのだ、という世界モデルを採用すれば、なんと、主体性の源泉は自分であり、その他の登場人物は全員が自分自身のアクションに対して受動的に動かされる自動人形だったということになる。

違うんだ、悪いのは営業成績だけで社員の価値を決めてしまう会社だ、いや収入で価値が決まる社会が悪い、いや時代が悪いのだ、とかいう世界モデルを採用するのもいかにもあり得るものの見方である。こうなると、主体性の置き場が人間ではなくなってしまう。

逆にミクロに見て、ライバル社員が自分に対して抱く敵意に対応する、脳神経系や内分泌系の状態に思いを馳せて世界モデルを計算すれば、彼が前日に飲みすぎて胃の調子を壊して苛ついていることが最大の原因であることに思い至るかもしれない。

あらゆる世界モデルはフィクションであり、恣意性のなかにある。したがって、主体性をどの対象に付与するかも恣意的、それ以前になにを対象化するかも恣意的であれば、そもそも主体性なるものの存在も計算の都合であり恣意的なのだ。予測と制御の計算効率と計算精度さえ十分であれば、世界モデルは世界モデルとしての機能を果たしていると言える。対象化や主体性付与などの仕組みは、機能向上のための合理的な工夫ではあるが、決して必須のものではない。恣意性のなかにある構造の一種に過ぎない。

世界モデルの恣意性に関する認識がここに至ってしまうと、もう、ハンロンの剃刀どころの話ではない。いかなる悪意も恣意的なモデルに依存しているのが当然。複数のモデルを瞬時に行ったり来たり切り替えるようになれば、対象が主体的である場合、そうでない場合を想定してしまうし、いや、さらに、対象が対象ですらない場合まで想定できてしまう。怒りの向き先が無くなってしまう。

そして、(あえてここまで触れずに来たが)「自己」という主体すら、世界モデルの恣意性のなかに明滅することになる。どのモデルを恣意的に選択してもよいのであるから、自分の意図的なオプション選択が環境に影響を与えたり、世界の動きに受動的に流されるのみであったり、上半身と下半身が別の意図を持っていたり、細胞ひとつひとつが意思を持っていたり、さまざまなバリエーションを持つ世界モデルがどれもこれも等しく可能なのだ。また、同時に複数のモデルを採択することすら許されるのである。

大体の問題は世界モデルの恣意性のなかに

こうして、大体の問題は世界モデルの恣意性のなかにある、ということが、分かる。

もちろん、世界モデルは単独で存在しているわけではなく、知覚を与えてくれる外部環境の時間発展をうまいこと予測・制御する機能を果たすべし、という制限がある。しかし、こんな制限はユルユルである。進化論的な過程で発展してきた生理的要件とか、言語・文化的要件が制約となって、自意識とか他者agencyなどの装置が組み込まれているのだろうが、こんなものはユルユルにしか制限されていない空間に無理やり組み込んだレガシーである。可能な世界モデルの空間は本来はもっとずっと広い。ユルユルにしか制限されていない。

恣意的ながらレガシーとなっている標準的な世界モデルは、疑う余地だらけなのだ。サバンナで進化して獲得した怒り生成回路など、軽くハックすれば、いちいち目の前の敵意のようなものに怒ったりしない人になれるわけなのだ。ハンロンの剃刀はそのための便利な道具だったわけ。レガシーでしかないとはいえ、人類を挙げて依存してしまっているシステムではあるので、うまいことハックして乗りこなしてゆきたいものだ。


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