
先日の「マニ教の宇宙図発見」の新聞記事から、マニ教のことをもう少し知りたくなりました。
マニ教と聞くと、あれこれといろいろなことを連想するのですが、
まずは山本由美子さんの「マニ教とゾロアスター教」という本を見てみました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
マニはどのような信仰を説いたのであろうか?
マニによれば世界は対立する二つの原理から成り立っているという。
一方は光で、他方は闇である。
光は霊的なものであり、闇は物質的なものである。
マニ教の物質や肉体に対する嫌悪感は極めて強く、その現世否定は仏教の影響だと考えさせるほどである。
はじめに「光明の父」と呼ばれる存在が「光の王国」にあり、「闇の王子」と呼ばれる存在が「闇の王国」にあった。
「闇の王子」は「光の王国」を見た時、それを手に入れたいと欲した。
「光明の父」は「生命の母」を呼びだし、この「生命の母」が最初の人である「原人」を呼びだした。(産んだ)
「原人」は闘いのために「闇の王国」に降りていくが、闘いに敗れ、闇にのみ込まれてしまう。
これが第一の創造の物語である。
次に「光明の父」が第2の創造を始める。
捕虜にされた「原人」は闇の底から助けを求める。
そこで「光の友」が呼び出され、新しい天国をつくることになる。
その後「生ける霊(ミフルヤズド=古来の偉大な契約の神ミスラの中世ペルシア語形で、この頃は太陽神と同一化されるようになった)」が呼び出される。
「生ける霊」は闇に横たわる「原人」を引き上げて、「新しい天国」に連れて行く。
「原人」は救われたが、彼と共にとらわれの身となった「光の元素」は小さく砕け散って、救い出せない。
その後とらわれの身の「光の元素」を救うために、「生ける霊」たちは大戦争を起こす。
この時倒された闇の悪魔たちの死体から、現世界が作られた。
悪魔からはぎとられた皮から「十天(十層の天)」が作られ、骨が山となり、身体や排泄物は大地となった。
救い出された「光の元素」のうちまだ汚されていないものから太陽と月が作られ、少し汚されたものから星が作られた。
さてこの残された「光の元素」を救いだすために、宇宙には動きが与えられ、第3の創造が行われた。
「光明の父」はまず「第三の使者」を呼びだした。
「第三の使者」は輝くばかりに美しく、その使命は男女の闇の「アルコーン」を誘惑して、彼らがのみ込んでいる「光の元素」を吐き出させることにある。
「第三の使者」は「光の舟(月)」に乗って誘惑する。
闇の側では、せっかく虜にした「光の元素」を取り戻されないように「物質」が「肉欲」の姿をとって、すべての男の悪魔をのみ込んで大悪魔を作り、すべての女の悪魔からも大魔女をつくり、その両者によって、あこがれの的である「第三の使者」に似せてアダムとイブが作られた。
その形を作った物質には「光の元素」がのみ込まれている。
したがってアダムは闇の創造物でありながら、大量の「光の要素」をもっていることになる。
悪魔たちに守られて眠っているアダムは自分が「光の本質」を持っていることを知らない。
このアダムに自らの「光の本質」の存在を知らせるために「第三の使者」の化身であるイエスが送られ、アダムにグノーシス「知識」を与えて覚せいさせる。
これがマニ教信仰の根幹をなす救世主の顕現、現世の救いの物語である。
この世界は物質であるかぎり、闇の力の支配下にある。
しかしグノーシスを得た人々が少しでも「光の元素」を救いだそうとするので、闘いは続いている。
とらわれの「光の粒子」は、閉じ込めている物質が壊されると解放される。
それはまず「光の柱」を通って月に集められ、月が満ちると太陽に移され、その後新しい天国に呼び集められるという。
いずれ光と闇の間に最終戦争がおき、その時、イエスが正邪を分ける判事として現れる。
世界の終わりには神が支えることをやめるので天地は崩れ落ち、大火によってすべて物質的なものは消滅する。
イエスは「光の王国」と合体した新しい天国に戻り、光と闇の二つの原理は最早混じり合うことはない。
(引用ここまで・続く)
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自分で書いておいて、なんですが、読み返すと、ほんとうに強い厭世の気分を感じます。
しかし、これでも、当時の中近東世界においては、“ゆるい二元論”だったらしいです。
登場するものたちは、アダム、グノーシス、ミスラ(ミトラ・マイトレーヤ)、光の王国、月と太陽、悪魔たち。。
この教説の中心概念は何なのか、どう考えても分かりづらいように思います。
続けます。
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