「子どもを産みたい、医師にもなりたい」結婚・出産・子育てしながら7浪で医学部合格→53歳で医師になった彼女の“学びなおし”の人生
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 【写真を見る】両親は不仲…10代の時に地元島根を離れたい一心で上京。30代で結婚・出産を経験しながら学びなおしの時間を過ごした新開さんは両親と向き合い医師を目指すことにした。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 ■結婚と出産を経験しながら7浪→53歳で医師になる 今回は、32歳から7浪して藤田保健衛生大学医学部(現:藤田医科大学)に入学した新開貴子さんにお話を伺いました。 短大を出てから企業で働き、26歳で島根大学教育学部に入り、30歳で卒業した新開さんは、32歳で医学部に行く決断をします。 結婚と出産を経験しながら7浪した新開さんは、大学に入ってからも4年の留年を経験。医師国家試験に合格するまでも2年を要し、ようやく医師になったときには53歳になっていました。
それでも彼女は今、医師として診療をする日々の中で、「浪人時代に抱いていた気持ちが役立っている」と自信を持って答えます。 どうして医師になろうと思ったのか、なぜここまで長い時間をかけても諦めなかったのか。お話を伺いました。 新開さんは島根県の松江市に生まれ、18歳までそこで育ちました。 小さい頃の新開さんは、母親が自営業だったので忙しく、祖母に子守りをしてもらい育ちました。 「両親が不和であったことから、幼少期から自分の居場所がないと感じていました。家庭の不和は高校まで続いて、将来のことなどとても考えられませんでした」
母親は結婚まで看護師をしていましたが、経営者の父と結婚してからは一緒に高級クラブ、薬局を経営するようになったそうです。 彼女は、「人を救いたい」という気持ちを小さい頃からずっと持っていました。 「子どもの頃、金魚を夜店で買ったのですが、病気になってしまい、自分では助けられませんでした。それは小さかった自分としてはものすごくショックなことでした。それから小さな動物や、いろいろなものを自分が助けなければいけないという気持ちがあって、小学校の頃からボランティアなどをやっていました。医療をしたいという気持ちはあったものの、肝心の学業はできませんでした」