かごめかごめと火水の神話― 二元を超えてカミに還る物語 ―
はじめに
日本のわらべ歌「かごめかごめ」。
子どもの遊び歌として知られているが、その歌詞には不思議な象徴が散りばめられている。
かごめ かごめ
籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ
この短い歌の中に、「魂と肉体」「二元と超越」「人間と神」「この世界の成り立ち」の秘密が隠されている。
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🕊️ 籠の中の鳥 ― 魂の囚われ
鳥は本来、空を自由に飛ぶ存在。
それが籠に閉じ込められている姿は、魂が肉体という牢獄に囚われた状態 を象徴している。
プラトンは「肉体は魂の牢獄」と述べた。
肉体は魂を守る器であると同時に制約でもある。
時間や空間、五感のフィルターに縛られることで、魂は大空を飛ぶような自由を失う。
だが同時に、その制約があるからこそ魂は「学び」を深めることができる。
人間の存在そのものが、魂があえて不自由を引き受けて体験する「籠の鳥」なのだ。
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⏳ いついつ出やる ― 魂の解放のとき
「いついつ出やる」という問いは、魂がいつ籠から出られるのか、いつ自由を取り戻せるのかを問うている。
その解放には二つの道がある。
• 死としての解放
肉体の終わりを迎えたとき、魂は自然と肉体という籠から放たれる。
それは時間や空間、善悪のジャッジという制約をすべて脱ぎ捨て、ただ存在そのものに戻る瞬間。
• 内観による解放
生きながらにしても、深い内観や瞑想によって魂はすでに自由を取り戻せる。
「何をしてはならない」「何をしなければならない」という思考の檻がほどけたとき、魂は肉体の内側にありながらも大空に舞い上がる。
魂が解放されるとき、そこには境界も制限もなく、自由に羽ばたく世界が広がる。
「いついつ出やる」とは、死後に訪れる外的な解放だけではなく、今この瞬間にでも到達できる内的な解放をも示しているのだ。
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🌗 夜明けの晩 ― 二元を超える境界
「夜明け」と「晩」は本来同時に成立しない。
だが「夜明けの晩」という言葉は、4次元的な時間を超えた矛盾の世界 を示している。
• 生と死の境界
• 夢と現実の狭間
• 陰と陽が同時に存在する場所
ここには「良い/悪い」というジャッジがなく、ただ存在そのものが在る。
仏教でいう「空」、神智学でいう「ワンネス」に近い領域だ。
つまり「夜明けの晩」とは、高次元の境界であり、二元を超えた統合の場である。
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🐢 鶴と亀が滑った ― 火と水の分離と統合
鶴は「火=魂」を象徴する。
頭の赤は太陽の光、霊性、天に昇る意志の力。
亀は「水=肉体」を象徴する。
大地に根ざし、母性や潜在意識、生命の基盤を表している。
火と水がひとつになったとき、それは「火水=カミ」。
神とは、火と水の完全な調和 を意味していた。
しかし「夜明けの晩」という高次元の境界で、鶴と亀は「滑った」。
つまり火と水が分離し、ワンネスから二元性が生じた。
ここで二つの出来事が起きる。
• 火と水の分離は人間界を産んだ
魂(火)と肉体(水)が切り離されることで、精神と物質が二つに割れ、二元性に満ちた「この世界=人間界」という舞台が誕生した。
• 火と水の統合により人間を産んだ
分かたれた魂(火)と肉体(水)が再び結びつくことで、「人」という存在が生まれた。
つまり、分離によって舞台が生まれ、統合によって役者が生まれた。
その役者こそが人間であり、人間はカミの断片でありながら、純粋な神ではない存在 として二元の舞台に立つことになったのだ。
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👁️ 後ろの正面 ― 自己同一化と超越
「後ろの正面だあれ」――この言葉は最大のパラドックスを孕んでいる。
• 「後ろ」=潜在意識・無意識・魂
• 「正面」=顕在意識・エゴ・個別意識
本来なら矛盾するはずの両者が「同時に在る」とされている。
これは 自己同一化と自己超越の同時成立 を象徴している。
人間は日常ではエゴと同一化して生きている。
しかし背後には常に観測者=ハイヤーセルフがいて、人間を見守っている。
その存在に気づいたとき、魂は再び火と水を統合し、カミへと還っていく道が開かれる。
「後ろの正面」とは、分離した人間が再び神に回帰するポータル なのだ。
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✨ 統合のサイクル
こうして歌を読み解くと、一つの神話的サイクルが浮かび上がる。
1. 火と水の統合=カミ
ワンネスとしての純粋な神性。
2. 火と水の分離=人間界の誕生
高次元での分離が、この世界という二元の舞台を産んだ。
3. 魂(火)と肉体(水)の統合=人間の誕生
舞台に立つ役者としての人間が誕生した。
4. 後ろの正面=カミへの回帰
観測者に気づき、二元を超えて再び統合へ。
これは「魂の学び」そのものであり、
生と死を繰り返しながら人間が本質に戻っていく壮大な物語である。
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おわりに
「かごめかごめ」は、子どもの遊び歌に見えて、その奥に 魂の神話 が隠されている。
• 籠の鳥=肉体に囚われた魂
• いつ出てくる?=死と内観による二つの解放
• 夜明けの晩=二元を超えた高次元の境界
• 鶴と亀=魂(火)と肉体(水)の分離と統合
• 分離=この世界(人間界)の誕生
• 統合=人間の誕生
• 後ろの正面=観測者に出会い、再びカミへ
人間はカミでありながら純粋な神ではなく、二元の舞台で揺れ動く存在。
だがその経験こそが、再び魂と肉体を調和させ、カミへと還る道となる。
私たちが生きることそのものが、この歌に込められた物語の続きなのかもしれない。
そして、この童歌をある種の教典のように後世へ引き継いでいくこと――
その深い意味を想像しながら、子どもたちに歌い伝えていくことが、これからも必要なのかもしれない。


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