中西太さん(5月11日に90歳で死去)と安部和春さん(3月25日に82歳で死去)。相次いでこの世を去った、1963年西鉄ライオンズリーグ優勝時の監督と主力投手。2人をしのぶ会が、福岡時代のライオンズを顕彰するNPO法人西鉄ライオンズ研究会が主宰して開催された。
2人への思い出を語ったのは西鉄ライオンズOB会長の竹之内雅史氏。西鉄、太平洋、クラウンの「九州のライオンズ」3球団でプレーした竹之内会長は「私も入団時は『中西二世』と新聞に書かれて、少しうれしくて。でも、全然、足元にも及ばなかった」とエピソードを披露しつつ、偉大な大先輩をしのんだ。
そんな会だったが、竹之内会長に場違い? な質問が飛んだ。
ーー岡田阪神、好調ですね? このまま、行きそうですね?
すると、阪神OBでもある竹之内さんは全く表情を崩さずに。
「まだ、ここから。暑い夏場を頑張って乗り切った投手陣が、ラストスパートの9月に入ってどれだけ踏ん張るか。まだまだ、分かりません」
意外なほど、厳しい言葉だった。もちろん、その裏には、岡田監督への思いがこもっていたことを、数時間後に知る。しのぶ会が終わった後には、「一緒に戦った岡田には頑張ってほしいなぁ。絶好のチャンス。優勝を願ってますよ」-。
今なお九州のヒーロー竹之内会長だが、阪神ファンにとっては1985年、タイガース唯一の日本一のときの打撃コーチとしての印象は強い。当時のV戦士の多くが感謝する。横浜ベイスターズのコーチ時代には1998年横浜のV戦士、鈴木尚典、佐伯貴弘らを指導。彼らは「竹之内さんのおかげで…」とメッセージを残して引退していった。名伯楽でもある。78歳になっても羽衣国際大総監督として、学生の指導に携わっている。