ただ、「阪神の竹之内さん」といえば〝職場放棄〟。1987年6月の大洋戦。逆転機にベテラン柏原純一、田尾安志を起用せず、八木裕、嶋田宗彦をそのまま打席に送って、結果は「×」。采配に不満を抱いた竹之内コーチは監督室に向かい、吉田監督に思いをぶつけた。
「並木コーチも交えて話そう」となったが、並木コーチの戻る時間が遅く、竹之内コーチはチームを離れてしまい、そのまま退団。「一蓮托生」を合言葉に組閣され、日本一にまで昇りつめた吉田阪神の崩壊の瞬間でもあった。それまでに、たまりにたまった思いが爆発したともいわれた。
ちなみに、マスコミの間では〝職場放棄〟の竹之内さんより、求心力急落の吉田監督へのバッシングが吹き荒れることに。世にいう「吉田おろし」だ。
ーー関西のスポーツ新聞記者は全員、竹之内さんを探せ! と指示されました。
「あのときはねぇ…。私もどうかしていたねぇ…」
しのぶ会から移動した2次会の宴席。禁断の質問をすると、懐かしそうに、笑顔で振り返っていた。
そうは言いながらも、「指導者は決して上から目線になってはいけない。自分の手柄なんて、どうでもいいこと。頑張っている選手が結果を残せること、選手のためになることだけを考えてやらなければ。ふんぞり返っているヤツはダメ」という指導者像も話してくださった。
自身が定めた枠からはみ出る存在が現れたら、竹之内さんはキレるのかも。何となく、遠い昔の事件の真相も感じたような気がした。
そんな硬派のライオンズOB会長までもが願う、岡田阪神の「アレ」-。いよいよカウントダウン!
■上田 雅昭(うえだ・まさあき) 1962(昭和37)年8月24日生まれ、京都市出身。86年入社。近鉄、オリックス、阪神を担当。30年近くプロ野球を見てきたが、担当球団が一度も優勝していないのが自慢(?)