私たちの目の前に現われる出来事には、私たちを不幸に陥れる力もなければ、幸せにしたり、迷わせたり、成功させる目的や力もありません。私たちの前に現われる事柄は、何の意図も力も持っていない無色透明の出来事なのであります。その目の前に現われる無色透明に色をつけたり、味をつけたり、力を与えるのは、私たち一人一人の意識であり、私たち一人一人の意識、意図、心があって初めて、それらの事柄に色や味や力が与えられるのであります。肉体人間である限り、愛の心だけの人、消えてゆく姿に執着してしまう心だけの人という人はいません。私たちは両方の姿を持っており、無色透明の物事をどれくらいの愛の心、どれくらいそれらに執着する心で受け取るかは、私たち一人一人が自分で決めるていることなのです。
悪いことをしたから神様からの罰として不幸が起きたという人がたまにいますが、神様が罰を与えているわけではなく、自分の中に内在する自分を罰する思いが、自分を罰しているのです。自分が自分を罰するからその出来事を自分の心は罰として受け止めているのであります。自分にとってちょうどいい課題が目の前に常に現われていると理解し、祈り心でそれらと向き合えば、自分の中の消えてゆく姿に執着する心が解き放たれ、目の前の出来事を神からの罰として捉えるのではなく、自分をより高い次元へと導く愛の現われと捉えることが出来、そのように思えた時、それは消えてゆく姿として自分の前から消え去っていくのであります。
自分が過去から現在まで与えられつづけてきた人生の課題を見直すと、自分は確実に我即神也の階段を上へ上へと登っていることに気が付きます。祈り心を忘れず、祈り心で物事や出来事と向き合うことで、自分の中のバランスが自然と愛の心に傾き、そうすることで消えてゆく姿に執着する心を開放し、それを自然と手放すことが出来るのです。執着の心を手放そう手放そうと意識すればするほど、そこに意識が向きそれに執着してしまいます。その結果、手放すどころかより強くその事柄を摑んでしまっているのが多くの人々の消えてゆく姿への向き合い方です。消えてゆく姿を消すためには、祈り心を通して愛の心を引き出すことが一番大切で、それを行なうことで、自分の中の執着の心が無理なく解放され、その姿が自分の目の前から自然と消え去っていくのだと思うのです。
世界人類が平和でありますように
我即神也
人類即神也
(2013年11月 「白光」 『人生の課題との向き合い方』 より抜粋 副会長 西園寺真妃著)
・今日は長い文なので、色は付けませんでした。
世界人類が平和でありますように
日本(祖国)が平和でありますように
私たちの天命が完とうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
今日の曲
昨日参加させて頂いた集会で開始前に流して下さった曲です。
とても癒されます。
無限なる感謝