「具体」になれなかった「具体」 連載第2回 金木義男《見せヘン》
正方形の安っぽいベニヤ板が、なにかに釘づけにされている。釘の列は乱雑で無造作な印象を与える一方、おびただしい本数はあるものを「念入りに」隠蔽しようとする意志を物語っている。それは台風で雨戸がとぶのを防ぐ時のように、いかにも急場しのぎの感じである。極めつきは、中央やや右寄りにマジックペンで大書された縦書きの文字だ。平仮名とカタカナが奇妙に混在する(「ヘン」がカタカナなのか、「ン」だけなのか?)筆跡には躊躇がなく、やはり無造作な感覚と透徹した意志とが同居している。作者の金木義男は梅香中学時代の嶋本昭三の教え子で、その縁で後に具体に出入りするようになった。初期の具体に数回出品しただけで、その後は制作活動とは無縁な人生を歩んでいる。
具体の活動が活発であった頃、その登竜門である芦屋市展にも様々な問題作が現れた。《見せヘン》は第9回展(1956年)の応募作品である。審査は紛糾した。全審査員が落選を主張するなか、ひとり吉原治良のみが入選を主張したという。一日がかりの議論の末、結局は数の論理で落選が決定したものの、吉原が責任をとるかたちで参考出品された、あるいは全く陳列されなかったなど諸説がある。
当初私には、この作品は一種の切札だと思えた。一回使ってしまうと、これ以上の手札はあり得ない。確かに着想は面白いが、後に展開のしようがないではないか。いや、息長く作家活動を続けることなど端から考えてもいないのだろう。むしろ、思いついたらすぐやってしまうという、軽いノリの産物に違いない。
その後、縁あって作者本人と会うことができた。その第一印象は今でも鮮明である。トライアスロンをやっているとかで、小柄ながら引締った精悍な体つきに、眼の輝きが何とも印象的だった。まるで、ワクワクするようなことで頭がはち切れそうな、子供のそれなのである。
もちろん《見せヘン》についても根掘り葉掘り話を聞いた。もし河原温の日付絵画のように、キャンバスに"You are not allowed to see this painting"などとレタリングしたらどうだろう。それでは「見せヘン」という絵を描いたことになってしまう。そうではなくて、絵を「見せヘン」というコンセプトを伝えるにはどうすればよいのか。支持体として、安価な紙質のボードがまず用意された。次に額縁として、いわゆる仮縁のように周囲に垂木が取り付けられた。丁寧にカンナをかけて凹みを作り、支持体がピッタリはまるように注意深く仕上げたという。肝心のフタだが、あまりきれいに仕上げると全体が箱のオブジェになってしまう。それでは意図が歪曲されてしまうので、サブロク(約90×180㎝)のベニヤ板を半分に荒く切断し、戸締まりするかのように乱雑に打ち付けたのである。
当初はこれで完成の予定だった。しかしフタをする直前、あることが気にかかった。どうせ隠すのだからいいようなものの、何も描いていない、ということが後ろめたくなったのだ。結局、片手をあげた人物の後ろ姿に、「さいならー」というひらがなを書き添えた。当時好きだった馬場のぼるのマンガに、どこか似ていたという。
誠実に受け答えしながらも、彼は美術に対してもはや興味がない、と釘を刺すのを忘れなかった。彼は「世界観」ということばを使うのだが、もっと広汎な概念構築に熱中しており、美術はその一構成要素に過ぎないというのだ。それは一種の倫理上の問題である。今の世の中に欠けている何かを補える「世界観」を求めて、常識的には犯罪とされる行為すら肯定しかねないほど、ノイローゼ寸前の状態に陥ったこともあった。哲学、科学など様々な文献を読みあさり、独学というか我流というか、近年ようやく形をなしてきたという論文を手渡された。
論文に対する感想を、私は軽々しく口にすることができなかった。誰しもその真剣さには圧倒されるだろう。何十年もの時間は、おそらく「ごまかさない」ことのために費やされたのだ。彼が生涯を賭けようとしているものに対して、この限られた小文で、いや、いくら字数を費やそうとも妥協となれ合って生きている自分が向き合うのはキツイ。
かつてアラン・カプローは、具体のことを「なんの役にも立たないことに必死になっている」と評した。純粋さは、しばしば無償性につながる。エスタブリッシュされた具体が、その引き換えに何かを失ったのだとしたら、彼はそれをずっと背負い続ける道を選んだ。「人のまねをしない」ということは、そのまま「ごまかさない」ことへとシフトしたのである。しかし殉教者の悲愴さはみじんもない。なんともサバサバしているのだ。むしろ我々の方が、要らないものを引きずりながら、奴隷の人生を歩んでいるのかもしれない。
(やまもと・あつお/本館学芸員)
『なりひら』第35号 芦屋市立美術博物館(1999)


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