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野生動物 ペットへの道

MARCH 2011


 1958年、大学院生のリュドミラ・トルートに与えられた最初の仕事は、毛皮用のキツネ飼育場をあちこち訪ねて、おとなしいギンギツネを集めることだった。これがベリャーエフの実験の基礎集団となった。スターリンが1953年に死んだあとは遺伝学の研究規制もゆるやかになったので、ベリャーエフはシベリアに新しくできたばかりの細胞学遺伝学研究所に研究室を持った。それでも用心のために、あくまで表看板は生理学の研究ということにしていた。トルートによると、最高指導者ニキータ・フルシチョフが研究所を視察に訪れたとき、こんなことをつぶやいたという。「遺伝学者なんて連中が、まだうろちょろしていたのか。とっくに根絶やしになったと思っていたのに」

人間にしっぽを振るキツネ

 ベリャーエフによるキツネの実験は、1964年に4世代目が誕生するころになると、狙い通りの結果が出るようになった。キツネが人間を見てしっぽを振ったときのことを、トルートは今もよく覚えている。やがて、いちばん人なつこいキツネは、研究者の腕に飛びこんで顔をなめるまでになった。1970年代には、研究所の職員がキツネを一時的に自宅に連れて帰り、ペットとして飼っていたことがある。トルートが訪ねてみると、職員はひもや鎖でつなぎもせずに、キツネを散歩に連れ出した。「私はあわてて叫びました。『やめてちょうだい、そんなことをしたらどこかへ行っちゃう。キツネは研究所のものなんだから』と。でも職員が『ちょっと待って』と言って口笛を吹き、『コカ!』と名前を呼ぶと、キツネはたちまち戻ってきたんです」

 家畜化の表現型も現れはじめた。成長過程で耳がぴんと立つ時期が遅くなり、毛皮には白いぶちが見られるようになった。「1980年代の初めには、外見に劇的な変化が現れました」とトルートは説明する。1972年にはラットでも研究が始まり、さらにミンクも追加された。短期間で終わったものの、カワウソでも実験が行われた。カワウソは繁殖が難しすぎて続行を断念したものの、ラットとミンクでは、キツネと同様の行動を観察することができた。

 やがて時代が進み、遺伝子研究の手段も出そろってきた。家畜化の仕組みをDNAレベルまで解き明かすというベリャーエフの最終目標が、いよいよ達成できるかと思われたが、ここでプロジェクトは壁に突き当たった。ソ連が崩壊して研究資金が減り、キツネを生かしておくのが精一杯という窮地に追いこまれたのだ。ベリャーエフは1985年に世を去り、研究を引き継いだトルートは必死に資金を集めた。

 そのころ、米国のコーネル大学で分子遺伝学専攻の研究生(ポスドク)だったアンナ・クケコヴァが、プロジェクトの苦難を伝える記事を読んだ。ロシア生まれのクケコヴァはこれを自分の研究テーマに据えようと決め、ユタ大学のゴードン・ラークの協力のもと、米国立衛生研究所の助成金を取りつけて、トルートとともにベリャーエフの遺志を継ぐことになった。

 ノボシビルスクの実験場で飼育されているキツネが、みんなマヴリクのように人なつこいわけではない。マヴリクがいる飼育場から細い道路を一本隔てたところには、やはりケージが並んだ同じような飼育場があって、「攻撃的なキツネ」と呼ばれるグループが飼われている。家畜化の仕組みを理解するためには、まったく逆の基準で、人になれないキツネを選抜育種することも必要なのだ。こちらのグループは、敵意をむきだしにすればするほど高評価を受け、そうした個体を選んで交配している。尾を振ってなつくマヴリクとは対照的に、ここのキツネたちは人間が近づくと歯をむきだして威嚇(いかく)し、ケージに飛びついてかみつくのだ。

 「注目してほしいのは、このキツネです」。トルートは、うなり声を上げている1頭を指さした。

 「ほら、ものすごく攻撃的でしょう。このキツネは攻撃的な母親から生まれて、人になれた雌に育てられたんです」。この偶然のなりゆきのおかげで興味深い事実が判明した。キツネが人になれるかどうかには、育ちかたよりも生まれつきの性質が重要だということだ。「つまり、行動を左右するのは遺伝子だということです」

 とはいえ、遺伝子のどんな働きが人になれる性質をもたらすのか、正確に突きとめるのは容易なことではない。まずは友好的、攻撃的な行動につながる遺伝子を見つける必要がある。こうした行動は、恐れ、大胆さ、受動性、好奇心といったさまざまな反応が融合した結果なので、まず反応の一つひとつを個別に測定して、個々の遺伝子や複数の遺伝子の組み合わせについて追跡しなければならない。行動にかかわる遺伝子が特定できたら、今度はその遺伝子が、たれ耳やまだら模様といった家畜化のほかの特徴にも関与しているかどうかを調べるのだ。

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