第八幕 諸君、狂奔せよ

「あれ……」


 美濃狐春は気配の変化に気づいていた。

 坂東城を目指し駆けていたが、敵の猛攻──警視局造反部隊に阻まれて進軍を送らされ、とうとう、女神・海鳴水凪喪姫の現出を許した。

 戦ったということは、あれは荒御魂と見ていい。そして、そこに繋がる複数の御霊が連携し、戦っていた──のだろうが、戦闘音が止まっている。


「常識的に考えれば海鳴水凪喪姫様が勝ったと見ていい」

 秋唯はそう言い、しかし、手指を曲げる。

「だとしたらなんだ、この異様な……胸の悪くなる空気は」


「……穢れってやつじゃないかな」シアがそう言い、目を細めた。「言いたくないけど……」


 狐春は下唇を噛んだ。

「まずいな……なつめは、天慈颶雅之姫あまじくがのひめ様はこれを防ぐために……」


 その時である。

 空に、空間のひずみが生じた──いや、違う。光を捻じ曲げて、「見えなくする結界」を張っていた軍艦が姿を現したのだ。


 それは、空を飛ぶ、カラクリの超大型軍艦。


 舳先にぐにゃりと空間の歪みが一つ生じ、そこに赤い九尾が現れた。

 真っ直ぐに突き出した禍々しい妖刀鋒には、──信じたくないことに、女神・海鳴水凪喪姫の御首みぐしがぶら下がっている。

 だらりと舌を垂らし、左右でばらばらの方向を向いた虚ろな瞳。鼻と耳から、脳味噌のかけらをこぼし、それが、あの美しく気高い女神だとは──到底思えない。


 尊厳を踏み躙るような……。──なんて、ことを。


「愚昧なる神は敗れたり! 俺の名は暁星嶺慈、影法師の頭領である。此度の騒乱における目標は達した。俺は見掛け倒しの張子の虎に過ぎぬ神を討ち、野望を一歩前進させた!

 火の時代は終わりを迎え、これより、“修羅の時代”の幕開けである! 俺たちが真に生の充足を得られる世界を築いてやった。

 ──をな!」


 嶺慈が村正を薙ぎ、首を捨てた。


「さあ、戦え、闘え! 俺が憎ければ、首を奪りに来い! ここにあるぞ、元凶の首がな!」


 周囲から地をどよもすような悲鳴と、怒号と、怨嗟の阿鼻叫喚が上がる。あるいは、そこに勝鬨が混じる。


「その御霊みたまたけ狂奔きょうほんせよ! 俺たちこそが、御霊猛疾ミタマタケハヤなのだ!」


 空に浮かぶ軍艦は、まだ増える。十、二十──。

 あきらかにカラクリ技術──西条地域の技術供与があったことが伺える。

 影法師は、決してぽっと出のチンピラ集団などではない。


 その時だった。狐春の耳は、ふと異音を聞き分ける。


「なんだ……」


 ぐにゃり、と空間が捩れる。秋唯とシアは、それが光屈折結界ではないと気づいた。

 文字通り、空間に門が作り出され、開いたのである。


 そこから飛び出してきたのは、一人──いや、二人の、鬼と妖狐であった。




「柊、どこだここ!? どこに飛ばしたんだ!?」

「親玉のところだ! 妾は自身は妖力がデカ過ぎて門をくぐれん、お主らを通すので一杯一杯だ!」

「──いくわよ燈真!」


 燈真と椿姫──この二人は、澄鉄郷から南下してきていた鬼と妖狐であった。本来は稲尾竜胆を連れ戻すはずが、柊の「予知夢」によって、強引な方法でここへ飛ばされたのである。


渡空門戸とくうもんこの術〉──文字通り、空間を渡る門を開く術。九尾をして初めて可能な、超絶技巧。

 燈真と椿姫はあらかたの状況は、「異界越しに」見ていたので知っているが……。


 この嶺慈という男、燈真にとっては妙な親近感を抱く相手だ。

(なんだこいつ……他人、だよな)


 嶺慈が嬉しそうに笑う。

「飛び入りか。悪くない」

「それ、村正でしょ」


 椿姫が三尺刀をするりと抜刀。腰の捻りと腕の湾曲を全活用し、滑らかに抜き放つ。

 狐腋の構えから、袈裟懸け斬り。嶺慈は刃先で斬撃を逸らし、続く太刀筋をやはり刃先で逸らす。

 刀を使った石火流しである。

 三合目で鍔迫り合い。


「欲しいか、村正が」

「別に。酷く臭いからさ。手入れしてんのかなって」


 嶺慈が前蹴りを椿姫に叩き込む。入れ替わる形で燈真が肉薄。拳打で妖刀を弾くという神業を見せ、周囲にいた嶺慈の手下が「やるなあ」などと、呑気に笑う。


「お前……口説いたことあったか?」嶺慈が聞いてきた。

「お釜を掘る趣味はない」

「じゃあ金を借りたっけかな?」

「どうせ返ってこねえから金は貸さねえよ」

「だろうな、真面目そうなツラしてる」


 嶺慈が妖刀を天高く放った。風に流されたそれを、オオワシ天狗の男──妖怪としての本性を見せた高杉晋一が掴み取り、船橋の上に着地する。

 燈真は左の拳を打ち込む。狙いは肝臓。ここを打たれて立っていられる者は、妖怪の中にもまずいない。

 拳はしかし、空を切る。嶺慈は右手で燈真の左拳、その手首を掴んで捻り、思い切り燈真を跳ね上げて背中からずがんと甲板に叩きつける。


「ぎっ──」

 激痛。喘ぐ暇もなく、燈真は強引に意識を戦闘へ集中。

 振りかぶった嶺慈の拳が見え、燈真は慌てて右に転がった。嶺慈の鉄拳が、鋼鉄の甲板を抉るほどの打撃を震わせる。


 首のバネを利用して肩甲骨を軸に回転、燈真は両足をぶん回して嶺慈を打ち据えつつ、遠心力を使って跳ね起きる。

 さらに椿姫が太刀で切り掛かるが、そこへ円禍が割って入った。毛皮の覆われたオオカミの腕──その毛を硬化し、さらに〈超振壊ちょうしんかい〉を発動し、防いでいる。


「邪魔をするな、嶺慈様がお楽しみだ」

「こっちは遊びじゃあねえんだよバカ犬が。躾けてやる」

 椿姫が牙を剥いて唸り、超至近から──思い切り、頭突きを決める。


 鼻血を噴いてたたらを踏む円禍、椿姫が首を刈る斬撃を放ったところへ、慈闇の短剣が割って入り、刃を防ぐ。

「第一婦人の座を奪える機会はありたいけどさあ。……円禍と本気で交尾るのも気持ちいいから勘弁してよ」

「いかれ女どもが」

 椿姫はこの状況が、気に食わない。

 ──ひと様の平和を蹂躙して、にへら顔をしやがって!


 燈真は帆柱まで嶺慈を追い詰め、鋼鉄の帆柱と己の拳で挟むように、右の打撃を繰り出す。

 しかし嶺慈はぎりぎりまで引きつけつつ屈んで避けると、燈真の脇に頭を差し込み突進。

 そのまま軍艦の欄干に叩きつけ、燈真はしめたとばかりに、嶺慈の脇に腕を入れ、後ろ──空へ持ち上げて、放り投げる。

 嶺慈は咄嗟に欄干に指を引っ掛けて、整備用の梯子に足を固定。そして、腕力だけで跳ね飛んで、甲板へ戻る。


「危ねえあぶねえ……しっかし、やっぱり素手喧嘩ステゴロに限るな。楽しさが違うよ」

「お前……自分が何したか、わかってるのか」

「さっき演説を一席打っただろう。あれでわからんやつに合わせる気はねえな……俺はただ、戦える場所を一つ用意しただけだぜ」


 嶺慈は己の尻尾で拳の血を拭い、袂から煙草入れを取り出すと、傍の男に「巻いてくれ」と命じる。

 男は恭しくタバコ草を紙で巻き、咥えさせると、火術で着火してやる。


「お前もるか」

「うちは子供がいる環境でな」

「真面目だねえ……息が詰まるだろ」

「時々な」


 喉を引くように、嶺慈が静かに笑う。

「そこは、『僕は正義の味方だから秩序を守るんだにゃん!』くらい言ってくれよ」

「正義の味方じゃねえよ。そんなものに興味はないし、むしろ、俺は人殺しの側だ」


 タバコを吸い、嶺慈は煙で輪を作る。


「なあ、知ってるか。どういう理屈か、どういうふうな育ちか知らんがな、この世界には奪い戦い、喰らうことでしか生きられん奴が、意外なほど多く存在する」

「…………」

「俺の両親は、食事にうるさくてな。……残さずにたべる子がいい子だと常日頃言っていた。俺は食が細いからいっつも残して、折檻されてな」


 タバコを根元まで吸い、指で揉み消す。


「骨と皮になるまで餓えさせりゃあ、きっとお残ししねえだろうって。閉じ込められた。……ああ、そうさ。俺は残さなかった」


 嶺慈は、言う。


「城下の連中も、両親も、弟も、残さず喰ってやった。家庭の味ってのは過大評価の産物だと気づいた。人も妖も。神さえも変わらず、皆、鉄の味だ」

「これ以上、何を、……何をたべたいんだ。充分だろ、これだけやって──」

「おいおい、酒宴は七の膳まであるんだぜ。まだまだ、二の膳ってとこだろ。菓子の膳もつけなきゃあな。お楽しみはむしろこれからだ」


 つかつかと、嶺慈がそばにくる。


「俺の手下になれ。殺す快楽を教えてやる。奪う楽しさを、女を犯す喜びを教えてやる。男同士でやりてえなら俺が教えてやる。……俺と来い。貧困以外の全てをくれてやる」

「……俺にとっては、いずれも、無意味だ」


 燈真は、地鳴りのような声ではきと拒絶する。


「つまらない駄洒落を聞かされて、凶暴な狐にケツ蹴られながらこき使われて、可愛い弟妹に癒されてたら、俺はそれで充分だ。それ以上を望む気はない」

「……欲のねえ野郎だ。……改めて名乗る。影法師頭領、東雲嶺慈」

「……稲尾家懐刀、漆宮燈真」


 先ほど村正を掴んだオオワシ天狗が、嶺慈にその一振りを投げ返す。

 椿姫は追い詰められつつも、燈真のそばまで退き、二人は警戒を共にする。


「嶺慈様……? なぜ始末しないのです」

 円禍が問う。

「刈り取ってしまうには青いと思ってな……。どうせ喰うなら、実り、熟してからの方が美味いかもしれん」

「嶺慈様、私あの狐ペットにしたいです。あれ、鳴かせたら面白いですよ」

「いらん、噛まれても困る」


 椿姫は怒りと恥辱で今にも斬りかからんとするが、多勢に無勢。

 嶺慈はすう、と刀印を横に薙いだ。空間に亀裂が入る。


「俺たち相手にカチコミに来た度胸を讃え、地上まで無事に帰してやる。嫌と言うのなら、俺の手下になるか、仲良く飛び降りて心中するんだな。

 ……いくぞ。京にし、俺たちの城を築く」


 嶺慈らは、特段燈真たちを気にするでもなく、堂々たる歩みで艦内へ戻っていく。

 その振る舞いは、お前たちがどう足掻いてもこの状況を打破できないという自信の現れだった。


「畜生」


 ──背に腹はかえられぬ。

 燈真は椿姫の手を握る。


「行こう。……負けだ」

「くそ」


 二人は奥歯を砕けんばかりに噛み締め、嶺慈が作り出した渡空門戸を潜った。


     〓


 大久保利明を乗せた馬車が麹町区を出たのは、すっかり暗くなってからだった。

 和真となつめが護衛する装甲馬車は、多勢では敵に同行を知られるという危険を見越し、そしてこれから向かう隠れ家は人に知られてはならない政府の地下壕であるということもあり、和真らは泣く泣く、彼らと別れる運びとなった。


 砲撃音は未だ続いている。

 敵の軍艦が空を飛んでいる──地獄のような絵図に、府民は恐慌に陥りかけていた。加えて、海鳴水凪喪姫様の敗北と、敵の勝利宣言。


 装甲馬車を曳くのは化獣──一頭の陸竜。その陸竜が何やら嗅ぎ慣れぬものを嗅ぎ取り、やや、体をくねらせた。

 御者の中村多郎が慌てて手綱を掴み直し、「卿、荒い運転になります」と告げた。


 馬車が坂を下り、大区を覆う巨大な水堀へ。

 その水堀は色が真っ赤に変質し、腐った、血のにおいを発している。

「う……っ」

 中村はその激臭に吐き気を堪えた。

 府民が不気味そうに堀を見たり騒いだりするが、避難誘導の軍兵が「下がりなさい! 下がるんだ!」と怒鳴っている。


 一行は人混みの中に紛れるわけにはいかぬと、辻を左へ、それから右へ、右へ折れる。

 人気が失せた並木の脇にある、周囲には政府公用の自然公園としているところに入る。


「卿、着きました。……卿?」


 装甲馬車の窓を叩くが、返答がない。

 中村は訝しみ、その扉をゆっくりと開いた。


 するといかなるカラクリか──。


「大久保卿ッ!」


 大久保利明は、まるで鋸で弾かれたかの如き、悍ましい傷を身体中に刻まれ、息を引き取っていた。

 馬車の中には円盤状のカラクリが転がっている。中村はよくみれば向かいの窓硝子が砕けていることに気づき、おそらく砲撃音に紛れ、このカラクリが突っ込んできたものと思えた。


 中村は己の無力を抱き、そして、吐き気を催す。

 これがこの世の醜悪なのかと嘆き苦しみ、そして、もうこのような修羅の時世に、己がいる意味はないと、ピストルの銃口を咥えた。

「────」

 撃発。


 弾丸が、一人の若者の延髄を撃ち抜き、その人生を終わらせる。

 転がり落ちたピストルの筒先から、まるでこれからの混沌を告げるかのように、狼煙の如き白煙が立ち上っていく。



 ──この日、火の時代は終わりを迎えることとなった。


 ひとつの女神の落日は瞬く間に龍脈の異変を招き、大陸規模の異変を少しずつ起こし始める。

 暁星嶺慈が語ったように、それは一月ひとつきも経てば顕著となり、各地で化獣ばけものの異常活性と、それに伴う生活と人心の荒廃を招き、穢れを増長した。


 これより、和深の地は。

 修羅の時代の、幕開けとなる──。




【第一部】落日 ──完

【第二部】龍玉 ──へ続く

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ミタマタケハヤ ─ 神ノ跫蹤 ─【セルフリメイク中】 夢河蕾舟 @YRaisyu89

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