第七幕 弑虐

 豪、と腹の底を揺すり上げるような激震と轟音を伴わせながら、御寝所の海水がぐるりと渦を巻き始める。

 海水の竜巻は瞬く間に御神域の坂東城を真下から突き上げるようにして、城をぶち抜いた。

 復興途中の天守を巻き込む形で竜巻が城を飲み込み、一瞬でそれを瓦礫に変える。


「ははっ、ヒトの世をなんとも思わぬ、これが神の本質よ!」


 怒鳴るように笑い、渦を巻く海水の中、流れる石材や木材を足場に嶺慈は円禍を姫のように横抱きにして移動。

「嶺慈様、いささかばかり、気恥ずかしいです」

「すまんな」


 嶺慈、海流を滑る木板に飛び移りつつ円禍を上へ投げる。円禍は宙に投げ出されつつ、渦の上方から流れてきた丸太へ着地した。

 嶺慈は接近してくる二十尺──六メートルを超す海の女神を見据え、獰猛に笑む。

 背後へ宙返り。嶺慈は海水竜巻を泳ぐ海鳴水凪喪姫うなりみなもひめの背鰭を、空中で村正を振るって切り裂いた。


 真っ白な血が吹き出し、次の瞬間、海鳴りが響き渡った。

「ハハッ、ハンガミになれば、神気へ攻撃が通じるってのは、勘があたったな!」

「神気は神気でのみ傷つけられますからね。我らなら弑虐も容易い!」

 円禍は海鳴水凪喪姫の退路を塞ぐように宙に躍り出ると、送り狼神本来の姿である人狼形態へ以降。鋭い爪で、顔面を打つ。


 のけぞった海鳴水凪喪姫が海水竜巻に突っ込み、姿勢を立て直した。

 その時。海鳴水凪喪姫が何やら印相を結ぶ。

 海流の中を何かが泳ぐ──巨大なダルマザメだ。


「式神か? せっかくいいツラに生まれたのに穴ボコだらけにされたら困るな……」

「私が止めます」


 円禍が尾を奮い立てる。彼女の術は溜めが長いが、その溜め自体は、事前に済ませている。


「〈超振壊ちょうしんかい〉」


 八本の尾が脈打ち、可視化されるほどに超圧縮された振動波が発生。轟音と共に海流竜巻が四方八方に弾け飛んだ。

 坂東城を飲み込むほどのそれが、ただ一人の妖怪の術で内側から四散──並々ならぬ威力。

 海水が滝雨の如く篠突く。それとともに、ダルマザメの式神もボトボト落下していく。

 二人は落下軌道を描きつつ、同じく落ちていく足場を踏み、何度もそれを繰り返しつつ半壊した城の塀に着地。

 海鳴水凪喪姫は海流を水堀から呼び寄せて再び飲み込もうとするが、嶺慈が口元をなぞりつつ、〈発声〉した。


「“沈め”」


 海流が突然、重力にねじ伏せられたように押しつぶされ、地面に叩きつけられて爆ぜた。


「神様よ、大人しく海水を引っ込めな。可愛い臣民が死ぬぜ」


 そんな警告に耳を貸すはずもない。海鳴水凪喪姫はなおも海水を御そうと抵抗。

 嶺慈が突入してからというもの、今度は凶賊を出すまいと閉じられた城門に暴走する海水が叩きつけられて、樫板と鉄板を十重に重ねた頑丈な門が粉砕される。

 水流が城内に叩き込まれて、城兵が悲鳴を上げた。


「くく……神様が人殺しとは」

〈あの者らも幸せだろうよ。主君に殺されるのだから。案ずるな、妾がまた、胎の中で産みなおしてやる。今度は海の生命としてな〉


 円禍のこめかみに青筋が浮かぶ。嶺慈の赤い目が、明らかな侮蔑を孕んだ。


「……だから気に食わねえ……。“ぶっ飛べ”!」


 空気がはぜる音。海鳴水凪喪姫を“ぶっ飛ばす”ための「絶対的不可抗力」が働き、あろうことか女神であるその御神体が、目に見えない手に殴りつけられたかのように吹っ飛んだ。

 八重洲町、銀座、築地をぶち抜いて恵戸湾──いや、坂東湾に叩きつけられて一際巨大な水柱を上げる。


「ごぽっ、ごほっ」


 嶺慈が術の反動で、胃の中身をひっくり返したかのように嘔吐。さらに大量の血を吐いた。べしゃりと大量の血が、半ば肉と臓器を伴いながら溢れて地面に落ちていく。


「ははっ……死なねえだけ、安い」

 喉を抑える嶺慈に、円禍があわてて寄り添う。

「嶺慈様!」

「いい……あと、二回は撃てる」


 どろりとねばつく血。内臓のいくばくかが破裂し、そのすり潰された肉片がボトリボトリと口から垂れていく。

 嶺慈は妖力治癒で失った臓器を再生。胃、肺腑、脾臓、肝臓を再生。半ば腐った腸を敢えて一度破壊し、その上で再生。

 尻から無様に糞便を垂らす前に脇差で腹を裂き、「ごみ」と化した臓器を抉り捨てる。

 やっていることはどう考えても正気の沙汰ではない。だが、神を弑虐しいぎゃくする以上、この程度の代償で済むのは安い。


「切腹には気が早いんじゃないんですか」

「その割に介錯をしてくれねえんだな」

「要らないでしょう。その程度で死ぬタマでもないでしょうし」


 海が渦巻いた。視界の向こう、縦一文字に裂けた大地に海水が流れ込んでくる。その、大河と化した、“ぶっ飛んだ痕”を泳いで海鳴水凪喪姫が迫る。

 飛び跳ねるのはダルマザメの式神。当たれば肉を抉られる──。


〈あまり舐めるなよ、小僧──〈海游塁軍かいゆうるいぐん〉〉


 海鳴水凪喪姫が宙を舞った。波飛沫が、次々式神に変わっていく。

 クラゲ、海鳥、ワニ、エイ──。なるほど、海の生物にまつわる式神術。


「実質無限に生み出せるんだろう。とはいえ、妖力に事実上の終わりがねえのはこちらも同じ」

「問題は肉体の強度でしょう。妖力は使用の都度、肉体に負荷をかけます」


 迫る海鳥を嶺慈は村正で斬り飛ばし、ワニを踏みつけて因幡兎よろしく、そいつらを足場に跳躍していく。

 宙に身を投げた嶺慈は、水の通路を空中に渡し、そこを刃の如きヒレを突き出しえ回遊するエイを叩き斬る。

 円禍が両手両足に〈超振壊ちょうしんかい〉を纏わせて、原子結合を強化活性、超振動の打撃でそれらを粉砕していく。


 ──妖力の使用と肉体への負荷は不可分である。

 両手を擦り合わせると熱が生じるように、妖力を流せば同じだけ、熱が生じる。すなわち、妖力と肉体──妖力の通り道である「経絡」の間で摩擦が生じていることに他ならない。

 故に妖術師は肉体を鍛える。多くの術師が武技に優れるのは、術が効かない相手への対抗はもちろん、妖術に耐えるため、そもそもの肉体の強度を上げる目的があるからだ。


 そう。つまりは、先ほど嶺慈の内臓が破裂したのは、その「摩擦」のせいだ。

 女神をぶっ飛ばすほどの術を使うに際し、妖力が半ば暴走気味に肉体を駆け、ああなった。


 そして重要なのは──。

 


 ぐらり、と嶺慈の視界が左右に二つ三つと重なる。

 円禍は瞬時に己の左腕を自切。嶺慈に投げ渡した。彼女はすでに治癒を開始している。


 この局面で嶺慈様を失うわけにはいかない!」

「……ああ」


 嶺慈は円禍の白い左腕に喰らいつき、大口を開け、ほとんど丸呑みに近い喰べ方で捕食する。

 失った血液の、最も手っ取り早い補給方法──即ち、捕食行動。


(〈雫天言霊だてんことだま〉は使えても二回。できるなら一度でけりをつけてえが……)


 式神の勢いは衰えていない。

 海鳴水凪喪姫が戦闘に参加していないことに気づく──。やつは海水に浸り、それを飲み込んでいた。肉体の治癒を図っているのか。


「しゃらくせえ──出し惜しみは無しだ! “天雷、迸りて、地へ打ち下ろさん!”」


 突如空から雷が降り注いだ。まさしく青天の霹靂。砲撃で真っ赤に燃える昼の空から、煉獄の如く紅蓮緋色ぐれんひいろの雷が数十発、炸裂。

 海水にそれは激突し、想像を絶する大電撃を通電せしめる。


 海水に、赤いものが滲んだ。


 ……ボッ──ォオオオオオオオオオオ!!


 海鳴水凪喪姫の悲鳴とも雄叫びともつかない怒号が上がり、嶺慈はにやりと嗤う。

 またしても吐血──だが、潰れたのは肺一つ。安い。


 海鳴水凪喪姫が陸に打ち上げられ、身を捩りながら、全身から血を吹き出させて懇願するような目でこちらを見上げる。


〈がっ──がぁ……妾が死ぬる……なぜ……貴様は、わかっておるのか。土地を鎮守する神が死ねば、何が、起ころうか!〉

「知ってるさ。龍脈の暴走に伴う様々な異変。穢れの誘発。穢獣けだものの氾濫に、化獣ばけものの異常活性。それに伴うヒトの世の荒廃……世界が一つ、あるべき姿に戻るだけだ」


 式神の勢いが死に絶え、円禍がそれらを祓い切り、嶺慈のそばに来た。


「嶺慈様、慈闇と凛も無事のようです」

「知っている。奴らがあの程度で死ぬとは思えん。……神、とやら。殺すぞ。お前は多くを貪りすぎた」

〈待っ、待て! 妾は──あぁ……死にとうない……──お前、お前が、……猛疾たけはやか……!〉

「さあな」


 村正を高く掲げ、嶺慈は、焼けこげて出血の止まらない異相の神の、その額を断ち割った。


「さっきの近衛の方が、まだ潔く散ったんだがな」

 嶺慈はそう言って、計画の第一歩──神の弑虐を果たすのだった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る