第五幕 決戦の裾野で

 火の暦八四九年、九月十九日 稲葉朔夜 生誕

 重量、およそ一貫と百匁。大柄な子であった。

 妖狐であった祖父の血を色濃く引いた彼は、生まれた当初は狐に近い姿であった。人しかいない里であれば騒ぎの一つでもあっただろう。しかし、術師の名門である稲葉家の子として生を受け、なにより妖怪が多く暮らしている故郷であるから、先祖妖怪に近い姿はいっそ誉とすらされた。

 朔夜はたいそう祝福され、愛され、育った。


 上に兄が一人、姉が一人、下に弟と妹が一人。朔夜を入れ、三男二女。稲葉家の二十七代目世代は子宝に恵まれた。

 兄の逸朔は当主としての器を磨くため、元服と同時に天海郷へ行き従軍。朔夜が住む花山郷は戦自体がないゆえ、軍という体裁の、自警の組織こそあれど──軍隊は存在していない。


「行ってくる」


 従軍のため家を出ていく兄を、家族は誇らしげに見送っていた。

 朔夜は弱気にも、後ろ向きな言葉を言ってしまった。

「なんで、兄上が行くのさ」という弱虫が、口をついて出てきた。

 兄は「一族を率いて上に立つためだ」と言い、それから朔夜の目を見て、言った。

「俺がいない間、お前が家族を守れ。良いな」


 そして兄は、のちに討幕の戦に参加する。

 姉は美濃家の次男と結婚。

 余談であるが朔夜はのちに、美濃源流から分家した、美濃郷の長の、さらに傍流の美濃狐春と知り合うのだが、──奇妙な因縁にひとの世の狭さを感じた。


 妹は火湖神社の巫女としてお役目を果たし、弟は郷一番の作刀師に弟子入り。


 そして己は──。

 兄の背中を追うように、軍に入った。


 己がしていることといえば不平士族の巻き起こす動乱の鎮圧。兄の足跡を、五歩も六歩も遅れて追いかけるような真似だった。

 その兄も、西郷の乱の折、労咳(今で言う結核)で死亡。戦地で血を吐いて、最後は焙烙玉ほうろくだま──炸裂弾を抱いて、敵陣に突っ込んで果てたと聞く。

 同じ部隊で戦っていたわけではない。兄の死は、人伝に聞いた。

 兄は突貫する直前に手にしていた刀で髪を斬り、遺髪として弟に託せと言っていたらしい──。


 斬った、斬った、斬りまくった。

 術で殺した、銃で殺した、殴り殺した。本来術師の役目は、戦場の穢れが成す穢獣けだものを祓うこと。

 だが己は──。



 一年前──八七七年九月二十四日。

 ──午前五時五十四分。


 稲葉朔夜が廣島鎮台第四工兵中隊第一術師小隊から派兵された、軍属妖術師として城山総攻撃に参加していた。

 激甚な砲弾幕が城山を襲った。

 国賊として葬られる男たちの悲鳴と怒号があちこちから上がる。


 朔夜は彼らに対し、何の感情もなかった。

 憐れみも憎しみもない。己共々、望まぬ形で後世には美化されるのやもしれぬ──と呆れるだけだ。


(暴力振るって人様を殺した俺らが、美しいわけあるかよ。英雄なんてのは、まやかしだ。ゲロクソの、ごみくずだ)


 堡塁に斬り込む。

 式神の〈赤狼〉が砲台に組みついて炸裂し、爆音と共に砲台を吹っ飛ばす。

 飛び散る手足、血飛沫、目玉と脳漿。朔夜は血の塊を浴びながら、爆風を逃れて狂ったような奇声を上げる敵を睨み、太刀を抜刀。

 敵を上回る怒号をあげて切り掛かる。


 轟音、爆音、悲鳴、銃声、怒号、怒号、怒号──誰かの、あるいは己の訳もわからぬ雄叫び。


 その中で一人、赤い羽織の鬼がいる。左の角が半ばから欠け落ちた、骨ばった四角い顔の、粒々とした鬼──。

 左手にぶら下がるのは味方の将兵の首であり、男はそれをぽいと放り捨てて、こちらへ突っ込んできた。


 朔夜は紙筒を抜いて投擲、素早く真言を唱え、女体とハクビシンを掛け合わせたような式神──〈金心〉を二体呼びつける。


 撃剣──刃鳴りが甲高く響く。鬼は眉のない、柳眉がごつく出っ張ったせいで、深く髑髏のように落ち窪んだ目をしている。それが、嫌に不気味だった。

 腕力で押し飛ばされた朔夜をハクビシンの式神の一体……〈金心・壱〉が受け止めて、〈弐〉が雷撃を迸らせながら、黒曜石のような爪で、抉るように下段からかち上げんとした。


 男は刀の一振りで爪を弾き、脇差を抜くと、〈弐〉の腕を駆け上がって側頭部、首筋、背後に回って頸を掻き切り、そのまま背骨に沿って肉を真下まで切り開き、腰椎に壮絶な刺突の連打を加えて消滅させる。


(獣の仕留め方に熟知している……? あいつ、元獣狩ししがりか!)


 獣狩ししがりは獣との戦い方に詳しい。当たり前である。獣を狩ることが仕事なのだ。

 往々にして獣狩ししがりは式神の処理がうまく、朔夜のような術法とはめっぽう相性が悪い。


 考えるな、手札を、

「反応が遅いぞ」


 男が言い、脇差を投擲。朔夜が太刀を旋回させつつそれを弾いた時には、男は隙をついて朔夜の脇を抜けて〈壱〉の喉に刀が抉り込み、刺し入れている。

 鬼男、そのまま喉、胸、腹まで切り裂き、丹田に刺突を三回。〈金心・壱〉が消滅し、朔夜はゾッとするほどの殺意を浴びて、本能的に飛び退った。


「悪くない反応だ」


 目の前に鬼男の雷めいた、左拳の打ち下ろしが迫る。握りしめた脇差の柄がばきりと音を立てて捻り潰れ、男は緩んだなかごの具合から刀として振るえないと判断、峰を掴みつつ朔夜へ投擲する。

 弾く動作で隙を作る手法は、今見た。朔夜は右に体を逸らしつつ敵へ肉薄し、表切上に切り上げる。

 鬼男は刀で太刀の切り上げを逸らし、膝蹴りをこちらの脾腹に打ち、さらに、顎へ掌底。

 眩暈がする──視界に星が散り、まずいと思った、そのとき。


「稲葉伍長に当てるなよ! 撃てぃ!」


 銃兵が鬼男に狙いを定め、発報。舌を打つ相手は、銃弾を刀で弾き飛ばしつつ、一歩退く。


「俺は苦十歪摘くとおひづめ。お前たちにありし日の平和を奪われた、澄鉄ちょうてつの鬼だ」


 羽織を翻し、苦十歪摘と名乗った男は跳躍。山城とは別方向へ逃亡し、駆け抜けていった。

 やつは西郷とは別の目的で動いていたように思え、朔夜はあの歪で悍ましい殺意を思い出すと、鳥肌が立つのを禁じ得なかった。


     〓


 庁舎での激闘は、佳境を迎えていた。

 朔夜は満身創痍、銀乃は、突入してきた甲禍衆を都合十七名殺害し、肩で息をしている。

 一方、歪摘には目立った傷さえなく、小さなかすり傷がいくつかある程度。


 だが、圧倒的に有利であるはずの歪摘が後ろに飛び退いた。そうして、ふと何か思い出したように、割れた硝子の向こうを睨む。


「澄鉄郷を元の豊かな土地に戻すには膨大な資金が必要でな」

 先ほどから、砲撃とは比にならない超常現象が起きていた。いくばくもの大波と、海流、衝撃と、轟音。


「戦は巨額が動く商機だ。俺はそのことに気づいた。故に、俺は大戦おおいくさを起こし、小銭を稼がせてもらう」

「何を……それで、どれだけが犠牲になるかわかっているのか」

 朔夜は怒りを通り越し、呆れさえも過ぎ去り、奇妙な虚しさを感じていた。

 金のために戦を起こす──? 歪摘よ、お前があの乱を経験したのは、そんなことに気づくための資金石とするためなのか。


「朔夜、甲禍衆はやった! うちらも逃げんとまずい! 建物に、嫌な気配が溢れよる!」

「穢れ──お前っ、何した!?」


 歪摘は喉を低く鳴らす。


「弑虐の儀は成った。……この郷は終わりだよ」

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