■ ハンドとグリッパ、それは似て非なるもの
多指ハンドと2指グリッパ──
この二つは「エンドエフェクタ」という同じカテゴリに分類される。
だが、その目的も構造も、必要とされる能力も、根本から違う。
グリッパは“物を掴む”ことに特化しており、対象物と接触することが完了点だ。
対してハンドは“対象物と関与する”ことを目指す。
それは単に掴むのではなく、形状を把握し、滑らせ、支え、操作し、時に指先でそっと感じることさえ含む。
関与するからこそ、冗長性が必要で、柔軟性が必要で、センサと制御の相互性が問われる。
つまり、ハンドとグリッパは機能的にも哲学的にも別種の存在であり、
「同じように制御できるはず」という前提こそが、過去の多くの失敗を生んできた。
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■ アクチュエータの限界──トルク密度という物理の壁
この問題を語る上で、避けて通れないのがアクチュエータのトルク密度の限界である。
電動モータは、未だに人間の筋肉のトルク密度を超えることができていない。
それどころか、人間の指先を動かす筋肉でさえ、その多くが前腕に集約されている。
つまり自然界ですら、「手のひらにトルク源を内蔵する」設計は成立していないのだ。
にもかかわらず、過去の多指ハンド研究の多くは、
手の中や指の中にモータを詰め込もうとし、結果としてトルク不足・冷却不能・重量過多・寸法オーバーといった現実に直面した。
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■ ワイヤ駆動という妥協、そしてその落とし穴
ではどうしたか? 次に選ばれたのがワイヤ駆動だった。
腱のように前腕からトルクを伝えることで、サイズや質量の問題を回避しようとした。
だが、そこにも重大な落とし穴がある。
人間の体内には、潤滑され、再生可能な柔軟組織があり、神経フィードバックがある。
だがロボットは違う。潤滑油は漏れ、ワイヤは切れ、ガイドの摩耗や伸びが積もって制御できないヒステリシスと摩擦損失になる。
つまり、“生体模倣”は構造の真似だけでは成立しない。
構造が似ていても、性能を支えている「素材」も「仕組み」も「自己修復」も違う。
これこそが、多くのワイヤ駆動ハンドが「それっぽく動いて終わった」理由だ。
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■ なぜアームは普及したのに、ハンドは未だに夢の中か
ロボットアームは、今や世界中で実用化されている。
工場で、物流で、より広範な領域でも使われ始めている。
では、なぜハンドはその舞台に立てないのか。
答えはシンプルで、**「でかくてもいいから」**だ。
ロボットアームは、人間より太くても長くても許される。
関節からモータや減速機がはみ出していても、誰も困らない。
アームのサイズは、精度や剛性、コストとのトレードオフにすぎない。ごまかしが効く。
だが、ハンドは違う。
手はとても小さいのに、複雑な運動をこなさなければならない。
しかも、指と指は隣接し、自由度が密集している。
人間と同じような意匠・寸法でなければ受け入れられない。人間と同じ道具が使えない。
ごまかしが効かない。
つまり、ロボットハンドとは「究極のコンパクトメカニズム」であり、しかも「機能が極めて密集しているメカニクスと制御の極地」なのだ。