以前に理論経済学の人とパリコレの話になった際、「あの奇妙な服はどこで着るんだ?」と、不快感を示すような言い方をしていたので、「いやあ、それはマズいですよ、先生」という話になりまして。
Sakamoto Shin-ichi
Sakamoto Shin-ichi
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Sakamoto Shin-ichi
@SakamotoIchi
博士(経済学)。儒学、仏教、神道などの日本思想史、経済学、科学哲学(20世紀初頭の数学と物理学)、ドイツ学を研究してきました。学際畑ゆえ文理どちらにも首を突っ込みますのでお許しを。
近著に『西田哲学の仏教と科学』(春秋社)。
※主に若手研究者と連絡をとるための個人アカです。
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20代半ばで大学院にいたとき、60歳を過ぎた「同級生」がいました。大手企業の役員を退職して老後に入学した人でした。ある時その人がゼミで研究発表をして「〇〇がどの資料に載っているか分からない」と言うから、私が「それならどこそこに載っていますよ」と言ったんです。そうしたらすごい剣幕で、「
日本の学者が海外の学会で話して非常に驚かれる鉄板ネタは漢文の訓読だそうですね。ヨーロッパ人がラテン語を読んできたように、日本人は中国の古典を読んできましたが、日本語と中国語では語順が違うので、レ点とか一二三と番号を振って上下に行き来しながら読む、ということを1000年以上続けてきたと
いま60代の学者さんで、知り合いに悲しい感じの人が何人かいます。どのように悲しいかと言うと、彼らは30~40代の頃から「俺より若い学者は一切認めない。俺と同年代では俺が一番」という態度を取っていました。自分より若い研究者の論文や著作は参考文献に一切上げないという謎ルールを貫いてきました
老婆心ながら若手の研究者に言っておきたいことをもう一つ。独学やそれに近い人に、特に気を付けて欲しいと思うのは、大家の先生が書く「晩節の奇矯本」とか「冥土の土産本」とか言われる書籍(あるいは学説)です。それまで真っ当に研究してきて、めでたく大家と呼ばれるようになった学者なのに、なぜ
これはもう時効だろうと思うので書きますが、私が博士号を取得して今の職場に決まる前、ある大学の先生が「採用するから履歴書と業績表を送れ」と言ってきました。送ってしばらくすると返事は「不採用」。あとで分かったのは以下のようなことです。
大学院生だったころ、私が先生に「どういう論文がいい論文なんですか」と質問したら、先生はこう言いました。
「いい論文というのはね、考えてるなぁっていう論文なんだよ」
これに対して私は、
「それじゃあ分かりませんよ」
と述べたら、先生も説明できない感じのまま、それっきりでした。
哲学で言う「言語論的転回」はこれなんですよね。名前を付けることで概念が固まる。
歴史学で言っている「言語論的転回」はただ「ものは言いようで如何ようにも言える」と主張しているだけの相対主義であって誤用が広まったものだと思うんです。
大学院生の時に、やたらと剽窃する癖のある先生がいました。議論の中で私が何かアイディアを出すと「大学院生の身分でそんなことを言うものではない」とたしなめるのに、しばらくすると商業誌に私のアイディアを書いていました。私の気のせいではなく、他の人でもその「被害」を陰で述べている人がいま
国会図書館も昔は「お役人様が愚民どもに閲覧を許可してやる」という雰囲気が満載でした。とにかく本を見せたくない、使わせたくない、という姿勢でした。この使いにくい図書館を使いこなせるようになって研究者として一人前、という感じもありました。
私の場合をご紹介しますと、私の修士論文について京都大学の指導教授は「こんなものは研究とは言わない」と、かたくなに否定しました。博士課程は他の大学へ行くという条件で、修士論文は通してもらいました。
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鴨川を徘徊する魔女
@Kamohai_
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わたしは、アカハラを受けて研究できなかったんだけど、その当時にしてた研究を「価値がない」「数字ばかり扱うのは研究ではない(元指導教官は人文9割社会科学1割の人)」などと言われて、研究を妨害されたり、人格を否定されたり、論文を書くことですら否定された。
Show moreこれは学会の懇親会で聞いた話なので、詳しく知っている人がいたら教えてください。二十数年ほど前(?)国際的な哲学の学会で、日本からも何か発表してほしいという要望があったそうです。ところが日本人研究者はドイツ哲学ばっかりやっているから、国文学の方にお鉢が回って来て、ある先生が吉田兼好
博士号を持って民間で長年働いてきて実感するのは、博士号取得者に対する差別ですね。差別と偏見は明白に感じます。というより、あまりに多いので慣れてしまったというのが実情です。
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Tsuyoshi Miyakawa
@tsuyomiyakawa
Replying to @tsuyomiyakawa
「コミュ力」を定量するのが難しいこともおそらくあって、「博士はコミュ力ないことを証明できるデータ」というのは私が知る限りないのですが、このスレッドの3番目のポストのデータは「博士はコミュ力がない傾向にあると多くの人が思っている」ことを示すエビデンスかと。
x.com/molecule_PandC
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10万行ったので追加します。老婆心ながら若い研究者に伝えたいのは、自分より若い人の面倒を見るということは、若いうちからやって欲しいということです。年を取ってから若い人の面倒を見る、というのでは遅いのです。何ごとも若いうちからやっておかないと、年を取ってから急に始めようとしてもできま
西田幾多郎なんて100年前の哲学者を研究して意味があるんですか?
と若い物理学者が問うので、
物理学だって「量子力学と一般相対性理論を統一しよう!」と100年前から言っていますけど、まだできてないですよね
と答えておきました。
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「同人誌」で読んだことがあると言ったら、そんなエロい雑誌を読んでるのかと言われたことがあります。
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24時間たたないうちに200万超えてしまって、一部しか読めていません。すいません。
話がF1やコンセプトカーに似ているという指摘が多いですね。基礎研究がいかに大事かを説明するときに、今後はこの例えも使っていこうと思います。
学者修行中、つまり大学院生の時に先生にしつこいくらいに言われたのは、自分を捨てなさいということでした。「俺の研究を聞け」「俺の考えを読め」とか、「俺、俺、俺」は要らんということです。学者は人類の知の増進に貢献するとか、国のためでも地域のためでもいいですが、何か公共に貢献するのが本
廃仏毀釈で一番の問題は、寺や地蔵を物理的に壊したことではなくて(それも問題なんですけど)、上知令で政府が寺の土地を取り上げたことなんですよね。
文系と理系の溝よりも時としてもっと大きな溝だなと感じるのは、人文と社会科学の溝です。経済学で科学志向の強い人は人文的内容を「悪」のように排除したがる傾向すらあります。自身も権力志向の強い政治学者とか多くの経営学者にも同じものを感じます。一方では社会論的な観点で哲学や宗教を語ると、
西尾幹二さんは私がまだ20代の時にお話ししたことがあります。せっかくの機会なので「先生は私たち若い世代に何を望みますか」と聞いてみたんです。予想としては「日本の伝統と正しい歴史を継承して未来の世代につなぎなさい」とか、その種のことを言うと思っていました。
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日本経済新聞 電子版(日経電子版)
@nikkei
西尾幹二さん死去、89歳 保守派論客「新しい歴史教科書をつくる会」初代会長
nikkei.com/article/DGXZQO
仏像が「かわちい」問題は、和辻哲郎の『古寺巡礼』とその批判(誤解)を思い出しました。和辻の態度も、仏像を美術品としてしか見ていない、信仰心がない、と批判されてきました。しかし、『古寺巡礼』をよく読むと、当時の奈良仏教はそれどころじゃなかったことが記されています。
同様の話で思い出すのは『日本のいちばん長い日』です。この本はもちろん良い本なんですが、一つ重大な問題があるんです。基本的にはこの本は下村海南『終戦記』『終戦秘史』を下敷きにした改訂版です。基本線は下村が作ってその上に乗っかって調査しています。
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松下哲也
@pinetree1981
歴史学の訓練を受けた人は「人間はかならず嘘をつく」「記録もたいてい嘘をつく」という揺るぎない前提を一年生の一学期の1日目に徹底して叩き込まれているので、一次史料ふくめあらゆる史料には「どっかに嘘が書いてあるんじゃねーの?」という態度で臨みます。
大学が貧乏になって職員が意地悪になったと主張する人がいますが、いやいや、昔の方が圧倒的に意地悪でしたよ。昔の京都大学附属図書館の司書なんて、カウンターに座っているのに「俺はいま機嫌が悪いんだから話しかけるな」という感じで眉間にしわを寄せていました。で、話しかけると「あぁ!!?」と
湯川秀樹は科学と哲学の間にははっきりした線が引けないと主張しました。哲学の欠如した科学のことを「骨と皮だけだ」という意味で「骨皮理論」と呼びました。
自然科学偏重で人文学を軽視するような現代の教育研究行政を湯川が見たら厳しく批判するでしょう。
大学院生のころ、私が日本の古典を読んでいると注意する先生がいました。「そんなものは引退した老人が読むものだ」と言うのです。日本人が日本の古典を読んでいいのは引退後だという、謎の人生設計を主張する先生でした。
自由経済の本場であるアメリカで、競争に負けた人たちが団結してトランプ氏を大統領に担ぎ上げ、いま自由貿易をぶっ壊しているなら、これこそマルクスが夢想した「資本主義的私有財産、葬送の鐘が鳴る」でしょうか。
「初詣」は鉄道の発達によって作られた伝統だというポストを見て、それならもっと作られた感じのあるのは「おせち料理」じゃないかと以前から思っています。メディア史の観点から婦人雑誌の存在を指摘する研究はありますが、私はデパートが本丸だと思っています。
また老婆心ながら若い研究者に向けて勝手なことを言いますが、独学で学問をして、ひと通り基礎を学ぶまでは可能だとしても、そこから新機軸や新説を出していくには、もう一段工夫がいると思います。その際、特に重要だと思うのは「論文未満の通説」でしょう。しばしば学問には「論文未満の通説」と呼ぶ
私の学部の時のゼミの先生は、私が大学院に進学したいと言ったら「おやめなさい」と言われました。「どうしてですか?」と質問したら、大学院は金銭的にも精神的にもいろいろ大変だから、「おやめなさい」と言っても食い下がってくるくらいの人じゃないと続かないからだと言われました。だからどの人に
そういえば先日、研究者でない人に「資料操作」という言葉を使ったら、「資料の内容を改ざんする」という意味に解釈していて驚きました。普通に研究者の世界で、資料を正確に読んで、重要な情報を集めて構造的に組み立てつつ、その資料そのものも丁寧に扱って整理しておく、ということを「資料操作」と
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ひかりん@婚活菩薩
@hikarin22
婚活で「交際相手にすぐに嘘を付かれることに疲れました」と言って女性からお断りするケースにおいて、お相手の男性の職業が決まってエンジニアなのが不思議で調べたら、どうやらエンジニアには自分が間違った発言をしたときに「ごめん、嘘を付きました」と言う文化があるらしい。
Show moreスピノザがレンズ磨き職人であったことは知られていますが、國分功一郎先生『スピノザ』岩波新書は、レンズ磨きとは当時の最先端技術であって今で言えばIT技術である、とたとえておられます。非常に興味深く感じました。
2008年に『ラジオの戦争責任』を出版した際に「当時の国民は戦争に熱心に協力した」と書きました。一番多かった批判は「大多数の国民は戦争には反対だったのに何を言っているのか」という主張でした。
私も学者同士の殴り合いを見たことがありますね。30年くらい前、学者の飲み会の席でした。私は他の人と話していたので、衝突にいたる会話は聞いていなかったのですが、気がついたら大きな音がして殴り合っていました。すぐに近くにいた人が止めに入り、ケンカしたうちの一人は顔から血を流していました
前にも書きましたけど、「選択と集中」の元祖はピーター・ドラッカー『マネジメント』だとされています。しかしドラッカーは何でもかんでも「選択と集中」をしろなどと主張していません。「サービス組織体」はこれに向いていないとしていて、病院、大学、政府を例に挙げています。大学を「選択と集中」
西田幾多郎の魅力の一つは、彼がエリートコースを歩んでこなかったことにあると思います。高等学校は中退し、東京帝大は正規の本科生ではなく選科生として通いました。西田は「人生の落伍者となった様に感じた」と後に述べています。大学を出ても半年ほど職がなく、七尾中学校の先生になると啓発活動の
研究者にとって「いい研究テーマとは何か?」という問題は重要ですよね。私が学生時代に各先生から受けたご指導は、以下のようなものです。
まず、ドイツ語学のA先生はこう言いました。
西田幾多郎の哲学は真言密教に類似するという指摘は、これまで真言密教の側から何度となくありました。しかし哲学研究はこの指摘を数十年にわたって無視し続けてきました。これには二つの「中心観」が邪魔をしていたといえます。
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昭和43年ごろ京都市があの小川にふたをして道路にしようと計画したところ地元住民が反対運動を起こし、あの道を何て呼ぼうかと急いでつけた名前が「哲学の道」
歴史的考証なんてする暇はなく
でもおかげでこの地域の景観は守られました
阪神が無事に優勝したので、ようやく書けるんですが、なぜ「優勝」と言わずに「アレ」と言っていたのか、文化人類学的に非常に興味深いなと思っていました。「阪神優勝」と毎年のように言っていたので、本当に優勝しそうになると「アレ」という呼び名が広まる。面白い現象です。
これともう一つ語られていないと思うのは、戦争が終わって南方の病気が帰還兵と共に日本に持ち込まれた問題です。昭和17年に帰還兵がデング熱を持ち込んだことは医学の教科書には必ず書いてあるのですが、それなら昭和20年8月以降はもっと多くの病原体が東南アジアのジャングルから日本に持ち込まれた x.com/tv_asahi_news/
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大学院生の時に仏教とキリスト教の違いについて少し言及したら「キリスト教について論じるならヘブライ語とアラム語と古代ギリシャ語とラテン語ができないとダメだ。仏教ならサンスクリット語、パーリ語、チベット語と仏教漢文に精通していなきゃダメだ。これらを全部マスターしてからにしろ」と言う先
西田幾多郎を理解するのに『善の研究』の熟読から入ってしまうとかえって遠回りになるというのが私の持論です。これは彼がまだ第四高等学校の先生をしている時に書いたものなので、かなり遠慮しているというのが私の見方です。いわゆる「大人の事情」が入りすぎていて本音で書いていないわけです。
どうでもいいことですが「ベルリンの壁」って誤訳なんですよね。Mauerだから「ベルリンの塀」と訳さないといけない。Wand(壁)は天井があるものです。未だにこれが直っていない所に日本におけるドイツ学の低迷がある。(恩師・岩崎英二郎先生の受け売り) x.com/0o_6y/status/1
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哲学・思想研究者3大やめとけ
・哲学・思想で院進
・哲学・思想で博士号に挑戦
・哲学・思想で食べていこうとすること
Quote
ドクターK@眼科医パパ
@doctorK1991
眼科3大やめとけ
・喫煙
・スマホの長時間使用
・格安量販店でのカラコン購入
他の科にもこういうのありますよね?
昭和の文系の学者って、生涯に書籍を1冊しか書かないことが多くて、その1冊が忘れられるとせっかくいい研究をしていても、現代では誰も知らなかったりする。そういう人を1人でも多く再発見して現代によみがえらせるのも、大事な研究だと思います。
学者の研究発表は自分が天才だと思わないとできないと考えている人もいるようですね。私自身は研究発表を何十回としてきた中で「我ながら天才だ」と思ったことなんて一度もないです。私のイメージで言えば、みんなで掃除をしている際に、「あ、ここが汚れているのに誰も掃除していない」と思ったら率先
西田幾多郎が密教と密接な関係にあったことは従来の研究で完全に見落とされてきました。これは「西田には知られざるエピソードがあった」というレベルの話ではありません。西田が「悪戦苦闘のドッキュメント」をへて「場所」の論理を見出す過程で頻繁に通ったのは京都の智積院です。つまり西田の思想が
廃仏毀釈で上知令が重要なのは、戦後につながる面もあると思います。近代に入って住友財閥や寺田財閥などの関西財閥は、寺院に土地を寄付しました(寄付先は主に鎌倉新仏教)。しかし太平洋戦争で負けて「農地解放」が行われると、寺院はまた土地を取り上げられます(二束三文で強制的に買い上げ)。
伊藤清先生は、ご自身の理論を金融に応用するのはやめてくれと訴えていたのに、今や世界中の金融市場がAIを使って、これを応用しています。金融工学の専門家に、これについて質問しても無視するんですよね。
ノートルダム女子大学の件は研究者界隈にはかなりショックなニュースだったようで。学生が集まらないことで学者の食い扶持が減ること自体も問題ですが、大学の閉鎖が続くと日本の知性が全体的に地盤沈下するでしょう。
先日出席した研究会で、鈴木大拙の研究が爆速で進展しているのを目の当たりにし、目が点になりました。最新の研究状況を知らないまま、大拙について語っている人は自分も含めて非常に多いことを知りました。最先端の研究の進展は、想像以上に速いです。近代仏教史研究は、少し気を抜くともう別世界に進
網野善彦氏を今の学生が知らないことに驚く声もありますが、私の実感だとむしろかつて妙な持ち上げ方だったことを考え直すべきかと思います。
天理大学図書館の人が「最近の本は貴重書扱いにしていない」と説明していて、その「最近」が江戸時代以降だったことを思い出しました。中世の本が「貴重書」だそうで。
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chloeyuki
@chloeyuki
NHKの地震の専門家の人、地震の研究しすぎて「連続で地震が…といっても2年とか3年とか空くんですけど、連続で地震が起きる可能性があり」とか悠久の時を生きるエルフが人間の感覚に合わせてやってるような話し方してて良かった