1974年6月22日公開のATG映画「キャロル」ってその後、VHSやDVDにもならず、衛星放送でもオン・エアされてないようで‘幻のドキュメンタリー映画’になってるんですなぁ。1974年と言えば私が大学を出てレコードの販促紙「レコード新聞」の編集部で業界生活をスタートさせた年ですが、映画は観てませんでした。

以来、44年の歳月を経てようやく7月21日(土)公開初日に鑑賞することが出来ました♪「シネ・ヌーヴォ」(大阪市西区:大阪メトロ中央線「九条」駅下車)でこの7月21日から始まった「ATG大全集」(~9月14日)の初っ端にこの幻の作品が陽の目を見たわけなんですが(7月24日~27日にも上映)、リマスターなんぞ一切施されず当時のまんま、フィルムは劣化が激しく(?)画面は赤茶けて音声もズタボロ。。。でしたが、それがやっぱり生々しくて。

ドキュメンタリーですんで当時の文化状況もまざまざと。キャロルに興味を持った山本寛斎(ごっつ若い!)がパリで開催するファッション・ショー(1974年3月28日)に彼らを呼ぶっちゅうことで撮影班が同行したり。山口小夜子(映画公開の3年後にスティーリー・ダンのアルバム「Aja」のジャケットに登場)も登場してます♪
オフ・ステージの彼らの様子や一時失踪したジョニー大倉。。。などなど。当初は監督(龍村仁)が所属するNHKのドキュメンタリー番組として制作されたものの内容的なこともあって放映が拒否され(当時、マスコミを賑わせましたなぁ)、結局‘普通のヤング向け音楽番組’として放送(1973年10月28日夕方4時~)。しかし、ドキュメンタリーにこだわった龍村監督は新たに資金を集めて作り直し、ATGからドキュメンタリー映画(101分)として世に問うたわけでして。
観ながら気が付きました。この映画がDVDになって復刻されない(出来ない?)理由の一つが。劇中ではビートルズの「ビコーズ」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」が当時ならでは、というか平気で(?)流されてたんですな。他にもビル・ヘイリー~の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」とか。で、エンド・ロールにはそれらのクレジットも何もなく。放送番組でならまだしも映画では。。。そら復刻でけんやろなぁ、と(著作権料を支払うとなれば莫大なことに?)。
もひとつ、気が付きました。キャロル解散直後、ワタクシ、永ちゃんに会うてました。そのまた1年後にも。思い出がよみがえりまして。
1975年9月21日に初ソロ・アルバム「I Love You、OK」(CBSソニー)のリリースを控えた矢沢永吉っつぁんと原宿の喫茶店「スプレンドール」にて1975年9月9日(火)、制作担当の高久さん(CBSソニー)が同席されてたと思いますが、永ちゃんと二人でしゃべり倒してました。ていうか『何かをやりそうな矢沢のしゃべりは迫力があった。急に会うことになったけど、1時間半もしゃべっていて、かなり打ち解けて内輪のハナシもし合ったりして良かった』(当日の日記より)。

4月13日に「日比谷野音」で‘燃え尽きて’からまだ半年も経ってない時期。世間的にはまだまだ‘キャロルの矢沢’。9月1日に出た同名のソロ・シングルはオリコンで最高43位。ソロ歌手としてはブレイクもしていない時期(「時間よとまれ」のNo.1ヒットで一気に昇り詰めるのは3年後の1978年)。取材もやりやすかったですわ(あれこれ制限もなく)♪
1年後の翌1976年10月28日(木)、今度は大阪で会いました。ていうか、「レコード新聞」の事務所(印刷会社のビル5階の一角にある狭~いスペース)に永ちゃんがひょっこりやって来たんですわ。ソロとしてはまだ‘売れて’はいない時期。媒体としては新参もののマイナーな業界紙でしかない販促紙のちっぽけな事務所の応接室(というかレコード棚とプレイヤーとソファ2つを置いただけの3畳もないようなルーム)にプロモーションで来てくれた‘大スター’の永ちゃん。

初回同様にこの時も気さくながらも信念と自信を持って唾を飛ばさんばかりに熱弁を振るってくれました。年も近いし(永ちゃんは私より学年で2つ上)、正面切っての音楽話やら何やらたっぷりあれしてたようで『とっても‘オモロイやつ!!』(当日の日記より)。私の中ではすごく好印象♪(映画「キャロル」での永ちゃんもおんなじような感じに思えました)。
そんなことを思い出しながら映画を観ていて、さらにもひとつ気が付きました。永ちゃんとツー・ショット写真を撮ったり、サイン色紙をもらうのを忘れてた(その後、あそこまで国民的な大スターになるとは思わんかった。。。永ちゃんも気さく過ぎたんやなぁ)。