作戦から帰還して二時間後──。
軍本部へ向かうヘリの内部。
プロペラの振動で機体が揺れ、窓の外を流れる景色がかすむ。
「……何事」
予定では基地に戻ってデブリーフィングをして、そのまま祝賀会という流れだった。
なのに到着と同時に『急遽、本部へ向かえ』と告げられ、理由を聞く暇もなくヘリに押し込まれた。
やらかした? と考えてみても、思い当たる節はない。
いや、ホントにない。
なのに心の奥がざわつく。
ウォルターに黙ってエアと探索に出かけて、後で呼び出されたあの時と同じ胸騒ぎ。
《私は何も悪くありません》
いきなり予防線を張るエアに、思わず内心で苦笑する。
『大丈夫。今回はエアは何もやってないよ』
だからこそ分からない。
今回の呼び出しの理由は……?
まさか、タイラント級を一人で仕留めたご褒美とか?
いや、それなら歓迎なんだけど。
この前“大尉”っていう新しい階級が手に入ったばかりだけど、この階級制度は結構すごい。
正直バカにしてたけど、意外と便利。
階級が上がるたびに出来ることが増えて、実績と権限が直結していくのは悪くない。
ウォルターが口すっぱく「実績を積め」って言ってたのも、なるほどって感じ。
勲章は……正直いらない。
オールマインドみたいに色違いだけじゃなく、ちゃんとデザインを変えてるのは評価するけど……私は見せびらかしたいんじゃなくて、そのエンブレムに隠された【権限】だけが欲しいんだよなぁ。
ミシガン総長が「投げるだけの代物だ」っていう意味もここに来て分かった。
試しに隊員たちの前で投げたら想像以上に遠くまで飛んでいった。
フェリーに思いっきり怒られた。
ついでに司令官にも怒られた。
……二度とやらない。
話が逸れた。
結局、何の呼び出しなんだろう。
まあ、今回はさすがに怒られる線は薄いはず……。
◇◇◇◇◇◇
そうこうしていると搭乗者の人から「軍本部に到着しました」と伝えられた。
荒れた風に機体を揺らしながらゆっくりと降下していく。
窓から見下ろした光景に、思わず息を飲んだ。
滑走路は何本も並び、軍用機や戦闘ヘリが途切れることなく発着を繰り返す。
巨大な管制塔には無数のアンテナが立ち並び、周囲を囲むのは要塞のような分厚い外壁。
その内側には、整然と並ぶ格納庫や兵装庫、医療施設らしき白い建物の群れが広がっている。
まるでひとつの都市そのもの。
『……でっかい基地、って言葉で済ませていいのかなこれ』
《規模的には第08観測基地の11.25倍以上。
居住区画を含めれば十万人規模の都市機能を備えています》
『わぁ……ザイレムとどっちがデカいんだろ……』
《……比較対象がザイレムになってしまうと小規模ですが、情報による周辺基地と比べると最大級ですね》
着陸した瞬間、整列していた兵士とニケたちが一斉に敬礼を送ってきた。
カシャン、と揃う靴音。
その無機質な統一感に、毎度の事だが感心する。
どのタイミングで行うべきか分からないため、こちらも適当に敬礼してみる。
……でもさ、やっぱりこれ必要?
《気を引き締める、という意味では【必要】だと思います》
『……で、本音は?』
《普通に会話で挨拶すれば十分だと思います》
だよねぇ。
敬礼を下ろしたところで、兵士たちは一斉に姿勢を戻した。
案内役らしき男が近づく。
「任務終了直後の招集に応じていただき、ありがとうございます」
形式ばった礼を述べてきたので、思わず肩をすくめる。
「うん……まあ、問答無用って感じだったけど」
私のそっけない回答に苦笑と咳払いで返された。
第08観測基地に来た頃と違い、今は実績を積んだ分、周囲の目も変わってきている。
恐怖の色は消え、代わりに畏怖と奇異の視線。
まあ、そこは相変わらずだ。
だが、その背後にいたニケたちは違った。
敬礼の姿勢のまま、視線だけが熱を帯びていた。
「あれが……」「本物……」「一人でタイラント級を落としたって……」
抑えきれなかった声が、列の隙間から零れた。
その目は恐怖でも忌避でもない。
憧れと羨望、そして「自分もああなりたい」という強い意志。
熱に浮かされたような眼差しが、いくつも突き刺さってくる。
……こんな視線、あまり浴びたことはない。
胸の奥が温かくなり、自然と機嫌もよくなる。
「ではこちらへ」
私は言われるがまま、その人についてゆく。
奥の待機室。
やたら広く、やたら小綺麗な部屋に通されて「待て」と言われたきり。
椅子に腰を下ろしても落ち着かない。
机の上には整列した書類と花瓶だけ。
整いすぎていて、逆に息苦しい。
暇つぶしに備え付けのモニターをいじり倒していたら──突然、勝手に画面が切り替わった。
映し出されたのは、さっきまでの戦闘の“ダイジェスト”。
……ただし、明らかに“盛って”ある。
ラプチャーに押されて悲鳴が飛び交っていたはずの場面は、勇ましいBGMに差し替えられ、
銃撃はハリウッド映画さながらにド派手に加工されていた。
爆炎がドラマチックにスローで広がる。
挙げ句の果てに──
話している内容だって、言ったことすらない発言がちらほらある。
私の声まで、知らない言葉を喋っていた。
……なにこれ?
《恐らく、ディープフェイク音声を駆使したのでしょう。
聞く分には違和感が無いのは流石と言わざるを得えません》
『いやいやいや!
偽りの自分を目の前で見るとか凄く気持ち悪いんだけど!?』
見ているだけで鳥肌が立つ。
体の芯がむず痒くて、座っていられない。
自分じゃない“誰か”が私の皮をかぶって勝手に格好つけている。
まあ?
そもそも私だって“レイヴン”って偽りの名前を借りて生きていたけど!
ご本人から許諾を得たので私自身に返ってくることはない!
《それにしても、すごくカッコよく編集されてますね。
民衆にとっては、これが“事実”になるのでしょう》
『便利だな、プロパガンダって!』
呆れながらも、どこか笑ってしまう。
この部屋に流れる“勇壮な我らが軍の勝利”の映像。
軍は、こうやって“都合のいい物語”を紡ぎ、人々を安心させる。
……それにしても、我ながら。
リバーブ付きで「英雄の名言集」みたいに垂れ流される自分の声、
こんなにも恥ずかしいとは思わなかった。
羞恥心で脳内がバグりそうだ。
心臓がドクドクして、椅子の背に体を預けていられない。
「やめよう……なんだか見てて恥ずかしくなってきた……」
思わず口から漏れた声がかすれる。
リモコンをがちゃがちゃといじりながら、
「他のチャンネルとかないかな……天気予報とかでもいいんだけど……」
とぼやいた、その時。
ふと、画面の隅に浮かんだ文字が目に入った。
【新型ニケ:レイヴンがゴッテス部隊の新たな隊員へ──】
「…………は?」
思わず声が漏れた。
一瞬、脳が処理を拒否して、数秒遅れて意味が理解できた。
まさかの告知。
しかも本人に一切説明もなく、勝手に全国ネットで大々的に。
映像の中では白い影が勇ましく戦場を駆け抜け、テロップは「人類の希望、新たな仲間」とキラキラしている。
モニターから目を逸らし天を仰ぐ。
プロパガンダの映像音声のみが鼓膜に木霊する。
久々の頭痛にこめかみを押えて一度深呼吸をする。
《……なるほど。
これで“呼び出された理由”が、判明しましたね》
思考を巡らせる中聞こえるエアの声。
整理すると……今回の作戦完遂の過程でタイラント級のラプチャーを私一人で撃破したことによりゴッテス部隊への配属となったってことなんだろうけど……
何でこんなにも急なんだよぉ!!
『テレビで初めて知るってどういうことなの!?』
リモコンを連打する手が震える。
チャンネルを変えても同じ映像が流れ続け、逃げ場はない。
《……レイヴン。これは全局同時放送、いわゆる緊急広報というやつです》
『そういう冷静な解説いらない!!!』
画面のナレーションは勇ましく続く。
『新型ニケ・レイヴン大尉。圧倒的な力でタイラント級を撃破し、英雄の名を刻む! その力を、ゴッテス部隊へ──』
当てつけか?
当てつけなのか?
いつも自由に行動することに対する軍からの嫌がらせか?
恐らくそういう事ではないのであろうが、思考が別の方へ去ってゆく。
画面内の私は、普段取らないであろうポーズと決め顔を晒していた。
多分、隊員の子たちが見たら恐らく笑い転げて数週間はネタにされる。
ん……?
ちょっと待って……
『ねぇ……これって全局で放送されているんだよね?』
《??? 。えぇ、まあ、そうですね》
……じゃあ、もう見られてるじゃん。
私は、綺麗な待機室内で頭を抱えてうずくまる。
早速、基地に戻りたくない気持ちも出てきた。
『あぁ、もうめちゃくちゃだよ……!』
声が震える。
『エアが勝手に名前借りて決起を煽った時よりタチ悪い……!』
《……冷静に考えれば、効果は絶大でしたので、ある意味正攻法という事ですね》
うるさい!
黙ってほしい。
これを作った奴と企画した連中を抹殺する依頼が来てほしい。
無償であってもやる。
こういう感情を芽生えさせてくれた事を報酬にしてやろう。
思考がカオスになり、目が据わる。
口元だけ引き攣った笑い顔でモニターを睨む。
その時、廊下の向こうからノック音が響いた。
「レイヴン大尉、準備はよろ……」
入ってきた兵士と目が合う。
……次の瞬間、彼の顔は蒼白に染まった。
まるで怪物でも見たように。
「準備? なんの?」
「メ、メディア向け……の、式典……で、す」
……あぁ。なるほど。
なんだか、軍のお偉いさん方の手のひらの上で踊らされている感じがして無性にムカついてきた。
私は深く息を吸い込んで──
「絶対に! やだ!!」
……子供みたいに、駄々をこねた。
しかし、現実は非常のようで……
駄々をこねる私に「ここで中止となれば、ゴッテス部隊の信頼が──」や「ほかのニケ達の示しが──」と言われ押し黙るしかなかった……
ちくしょう。
軍の権益とか威厳とか言われたら、問答無用で「じゃあ帰ります」って言えたのに。
よりにもよって、仲間とか示しとか……ずるいカードを切ってくる。
それを出されたら行くしかないじゃん……!
ゴッテス部隊に入る事は元々の目標だったしね!
それに高機動部隊って言うの作っちゃって部下もできちゃったから!
仕方なく!
出てやるんだよ!
これが、雇う側──いや、部下を持つ者の苦悩ってやつなのかな……
ここに来て色々学べるのはいいけど……
こういうのは学びたくない!!
そして始まった式典。
眩いライト、花々しく飾られた壇上。
並ぶのは軍上層部とメディア関係者ばかり。
司会進行役が、これでもかと大げさな声で私を紹介する。
「本日、我ら人類連合軍は新たな戦力をここに迎え入れる!」
「先の作戦において、タイラント級ラプチャーを単独で撃破した新型ニケ──」
「その名も、《レイヴン》!」
やめてくれ……
なんだよその白々しい間は……もっと淡々としたものでいいじゃないか……
会場に拍手が響く。
壇上に立つ白い影。
軍服に似せた正装を纏い、胸には無理やり押し付けられた勲章。
カメラのフラッシュを浴びながら、私は無言で敬礼を返す。
……その顔は。
笑っているようで笑っていない。
引き攣った笑みと無表情の狭間に固定された、凍りついた仮面だった。
ナレーションは勇壮に続く。
「この瞬間をもって、レイヴン大尉は《ゴッテス部隊》へ正式に配属される!」
「人類の希望の灯火、そして未来を切り拓く刃として!」
大講堂に再び拍手が響く。
フラッシュが瞬き、映像が編集され、数時間後には世界中へ流される。
その場に立つ本人だけが──
死んだ魚のような目で、頭の中で絶叫していた。
◇◇◇◇◇◇
式典終了後、精神的ダメージを負った私は、休む暇もなく別の場所へ誘導された。
どうやら、司令本部の参謀総長との面談らしい。
よかった。
このまま使い古された操り人形みたいに捨てられるのかと思ってたよ。
……呪うけど。
着いた先は重厚な扉。
軽くノックすると「入りたまえ」と声が返り、仕方なく開ける。
中は余計な装飾のない執務室。
壁には作戦地図と軍旗、机の上には最小限の書類だけ。
中央に立っていたのは痩身の老人──軍総司令参謀長。
背筋は棒のように伸び、眼光は鋭く、影が落ちてなお突き刺す。
「……来たか、レイヴン大尉」
低く、渋い声が部屋に染み渡る。
彼は椅子に深く腰掛けるでもなく、机越しに私を真っ直ぐ見据えていた。
重たい沈黙のあと、乾いた吐息が落ちる。
「式典、ご苦労だったな。……顔が引き攣っていたぞ」
苦味を含んだ皮肉か、ただの事実か。
どちらとも取れる言葉に、私は肩を竦めて返す。
「……マスコットには適正がないもので」
参謀長は鼻で笑った。
抑揚は少ないが、底冷えするような響きがあった。
「掛けたまえ」
促され、素直に腰掛ける。
軍の頂点に近い人間の周囲に、護衛の影が一つも見えない。
その異様さに思わず周囲へ視線を巡らせると、参謀長もようやく椅子に腰を下ろした。
「そうだろうな。……だが、あれが現実だ。
民衆は“作られた英雄”を欲する。
貴官のような異物であろうとね」
「その異物を前にして護衛が見当たらないようだけど……信頼してる、って解釈でいいの?」
下の階級が敬語を使わない──本来なら言語道断。
処罰されてもおかしくない。
だが参謀長は一瞬だけ肩をすくめ、淡々と答える。
「あぁ。そう捉えてもらって構わん。
もっとも、貴官から見れば護衛など在っても意味は為さないだろうが」
軽口を叩きながらも、表情は仮面のように読めない。
笑っているのか、威圧しているのか、判別できなかった。
「さて、本題に入ろう。
察していると思うが、貴官の処遇が決まった。
追加として……専任技師がつく」
「分からないんだけど……」
私は口を尖らせる。
「私の思ってた“軍”って、もっと事前に告知とかあるものだと思ってた。
規律正しく……なんて教え込む割には、こういうとこ大雑把だよね」
嫌味を吐きながらも、正直イライラしていた。
参謀長の鋭い視線を前にしても、口が止まらない。
「どうなってるのか、教えてほしいんだけど」
先ほどの件といい、そろそろ説明責任を果たしてほしい。
そう思い参謀長を睨む。
「ふむ」
参謀長は机の上の書類に一瞥を落とし、まるで判決を読み上げるように淡々と口を開いた。
その声音には余計な感情がなく、ただ事実を告げるだけの冷たさがあった。
「大尉。
貴官は、ニケがいかなる存在か、分かるかね」
試すような眼差し。
わざと問いかけるまでもない事実を言わせるあたり、まるで正答率を確認するテストみたいだ。
「ラプチャーを唯一倒せる存在」
既存兵器では傷すらつけられない。
……エアと一緒に情報を漁った時、嫌というほど記載されていた内容。
「そうだ。
ニケは人類にとって唯一の戦力だ。
ニケとニケの持つ武器が、かのラプチャーを撃破することができる。
まさに“人類にとっての希望”だ」
希望、ね。
取って付けた様な、その言葉に熱はなかった。
賞賛でも鼓舞でもない。ただの事実。
「──だが、ニケの製造権は三大企業とV.T.Cの独占下にある。
我々軍は顧客に過ぎん。……供給を止められれば、それで終わりだ」
その言葉に思わず眉が動く。
……なら、最初から軍が製造権を握ればよかったのでは?
そんな素朴な疑問が頭に浮かんだ瞬間、参謀長の言葉がそれを遮った。
「我々軍が、ニケ製造を行わなかったのは企業の開発競争が激化される為だ」
参謀長の声が一段と低くなる。
「企業は、どこまで行っても企業だ。
資本主義の体現者でもある。
顧客が政府及び軍となれば、莫大な金と権力が動く」
他社よりも良い性能を。
他社よりも優れた技術を。
「その過程があり、今がある。
確かに……企業側が政治や軍の作戦に口出ししてくる可能性もあったが、ラプチャーの侵攻具合を見れば、こちら側に力を注ぐ余裕はない」
「そうして各企業のニケ製造が落ち着いた頃を見計らって極秘裏に軍主導によるニケ製造を行って行けばよい」
「……そう考えていた」
そこで一拍置き、参謀長の鋭い眼差しがこちらに突き刺さる。
「だが──大尉。貴官が生まれたことで、事態は変わった」
……そうか。
私が“異物”である理由は、そこか。
本来なら量産型ニケを造るだけで十分だった。
結局は企業が軍を見限る可能性を考慮しての戦力だ。
企業側と正面切って戦争する必要はない。
だが、ネームドと呼ばれる特別なニケが製造されたらどうなる。
それも既存戦力をすべて足しても敵わない可能性のあるイレギュラー(ネームド)。
核保有国が核を持たぬ国に“核保有をさせない圧力”をかけていたのに
気づけば同等かそれ以上の兵器開発をしてしまった。
──まさに、それと同じ状況。
企業と同等の戦力を用いて鯉口を切る行為だ。
参謀長は深く吐息をつき、重苦しい声で結んだ。
「貴官の存在は、軍と企業の均衡を崩す“証拠”だ。
そしてそれは……抑止力であり、同時に火種でもある」
なるほど……火種ね……
《どこへ行っても火種なのは変わらないのですね》
『いや、今回は私自身が火種って感じだから……なんとも……』
《ではこれで分かりましたか? 火種扱いされる気持ち》
はい。
心に染みて分かりました。
参謀長は椅子に深く腰を掛け直し、指先で机を軽く叩いた。
その音は、部屋の静けさに妙に大きく響く。
「本来ならば、大尉のような存在は極秘裏に保管し、徹底的に調査・解剖するべきだった。
だが……そうはならなかった。いや、できなかったが正しいな」
声色は冷徹そのもの。
まるで過去の歴史書を前にして語っているような調子で、私を見る。
「現在の戦況は極めて悪い。
そんな状況で出し惜しみをして全滅なんてことは避けねばならない」
まあ、戦況が悪い状況で当たりを引いたら使いたくなるよね。
とにかく実戦投入したくなるのは私だってそう。
「だが……大尉。
やりすぎだ。
貴官は“戦果”を挙げすぎた」
言葉の端に、皮肉と苦味が混ざっている。
「タイラント級を単独で撃破。しかも──」
参謀長は目を細め、私の背部を指で示すように動かした。
「あの爆発。あれがすべてを変えた」
あぁー……
なんだか、すべてを察した気がする。
「既存の量産型に、あんな広範囲の熱量放出機構など存在しない。
企業側からすれば、“改修型”で済む話ではないとすぐに見抜くだろう」
参謀長が私を見据える。
なんか、ごめん。
……でも、悪気があったわけじゃないんだよ。
参謀長がすっと息を吐く。
「だからこそ、今すぐにでも企業側の追及が始まる。
その前に軍としては先手を打つ必要があった。
──お前を《ゴッテス部隊》に組み込み、“正規の戦力”として位置付ける」
参謀長は淡々と語るが、その裏にある緊迫感は隠しようがなかった。
「軍が勝手に異物を造り出した、そう糾弾されれば我々は孤立する。
だが“英雄レイヴン”としてゴッテス部隊に加えたと世に示せば……
世論的にも企業も安易に手は出せん。少なくとも、今はな」
彼は静かに目を細める。
「……わかるだろう、大尉。
貴官は軍の“抑止力”であると同時に、均衡を揺るがす“火種”だ。
だからこそ──利用させてもらう」
利用させてもらう……ねぇ……
私は片眉を上げ、口角だけで皮肉を浮かべる。
「それ、私に言っていいの?
……企業側に寝返っちゃう可能性だって、あるんだよ?」
参謀長はわずかに目を細め、低く喉を鳴らした。
「愚問だな、大尉」
声は冷たく、それでいて確信に満ちていた。
「大尉のコレまでの行動を見ればその可能性は限りなくゼロに近いだろう」
その言葉に眉がピクリと動く。
同時に何を言いたいのかが分かり参謀長を睨む。
その態度に参謀長は臆するどころか愉快に笑みを浮かべる。
伊達に参謀総長をやっている訳ではないようだ。
「大尉。
キミは強く実力もあるようだが、政治や組織内での立ち回りに弱いようだ」
レイヴンはわざとらしく肩を竦め、口を尖らせた。
「……褒めてんのか、脅してんのか分からないんだけど」
「両方だ」
参謀長は即答する。
「褒めている。だからこそ、抑止力として利用する。
“脅し”に関してはあまり意味を為さない。むしろ悪手だ。
それに私はキミを評価している側の人間だ」
その言葉に私は項垂れるように背もたれに寄り掛かる。
「私はあなたが嫌いだ」
「それは残念だ。
……さて、話が長くなったが、そういうことだ」
思った通りの会話が出来て満足したのか、参謀長は仮面のような笑みを浮かべる。
無表情に貼り付けたその笑顔は、やっぱり気持ち悪い。
「大体分かったよ。
でも、そうなると私の部下たちはどうなるの?」
気がかりなのはそこだった。
私がどう扱われるかなんてどうでもいい。問題は、残していく子たちだ。
確かに前よりは強くなっている。アリーナの基準でいえばBランク以上。
でも本音を言えば──Aランク帯くらいには育ってほしい。
……せめてフロイトくらい。
いや、あいつはトップランカーのくせに弱いからな。
正直ヴォルタの方が強いまである。
「私の部下はまだ編成途中。
一か月前に編成した子たちは満足行ったけど、残りの55人はまだランカーとしては弱い」
「自身の部下に対してそれはあまりに辛辣な評価だな」
参謀長は眉をわざとらしくひそめる。
「つまり……今すぐに離れるのは御免被ると?」
「そういうこと……できれば、あと二か月ほしい」
そうすれば私の満足できる部隊ができる。
アリーナ基準でAランク帯の部隊が計16部隊80人が完成できる。
私がそう言うと参謀長は静かに目を細めた。
「残念だが、それは許容できない」
参謀長の目が静かに細められる。
「それに我々から見れば、すでに実戦投入は問題ないと踏んでいる。これ以上待つわけにもいかん」
むぅ……これは折れそうにないな。
軍のトップがここまで頑ななら、どうしようもない。
……まあ、あとはフェリーたちに任せるしかないか。
諦めを察したのか、参謀長が切り出す。
「貴官は高機動部隊を離れることになるが、部隊としては存続される。
指揮官はフェリー軍曹を少尉へ昇進させ、委任する」
「……了解」
少し考えたのち、了承の言葉を返す。
「さて、話を戻そう。
貴官をゴッテス部隊に配属させるにあたり、専任技師を付ける。
本来、量産型に専任技師を付けることは無いが……貴官は未知が多い」
「わかった。
でも私に付くってことは、高機動部隊の子たちには?」
「もちろん付ける予定だ。
その人材も確保してある」
その言葉に、私は思わず顔をしかめる。
得体の知れない誰かに任せていいのか……どうにも不安が残る。
その表情を見て、参謀長は苦笑を漏らした。
「大尉……。
巣立ちを止めるのはいかがなものかと思うが、安心していい。
貴官も知る人物を当てる予定だ」
「……私の知る?」思わず眉をひそめる。
「大尉が信頼する人間を当てる。そうすれば部下の不安も最小限に抑えられるだろう」
嫌な予感が走った。
この世界において私の知り合いなんて1人しかいない。
でも……
「……あの人って、研究員じゃなかった?」
「あぁ、そう聞いているよ」
参謀長は薄く笑い、淡々と答える。
「最近、異動があってね。類まれなる指導力と管理力を見込んで新人研修員兼顧問という肩書を得た。……まあ、彼なら難なくこなすだろう」
一拍置き、声の調子を少し落とす。
「なんたって──君の監視役を、勝って出た人間だからね」
あぁ……監督官。
あの人、過労で死ぬんじゃないかな。
でも確かに、任せるならあの人しかいない。
多分。
「納得してくれたようだな。
さて、貴官の専任技師だが……」
参謀長の言葉に合わせるように、扉を叩く音が響いた。
「ちょうど来たようだな。入りたまえ」
低い声が命じると、扉が静かに開く。
私は椅子越しに振り替えると、それはどこかで見覚えがある人物だった。
「貴官の専任技師として、V.T.C主席研究員のエイブを宛がうことにする」
基地で一度出会ったことのあるエイブという女性は私を一度見るとすぐに参謀長の方を向きなおした。
顔合わせは済んだと判断した参謀長は視線を落とし、机上の書類を整えながら淡々と告げる。
「まず──これからは周期的にメンテナンスを行うことになる。
貴官のような特異個体は、通常の検査項目では到底足りん。
そのため専任技師の下、定期的に全身を調べる」
「えぇ……」
めんどくさい。
メンテナンスが必要なのは認めるけど、毎回バラされるのは勘弁してほしい。
私の声を無視して続ける。
「それとは別に、今から全面的かつ詳細な検査を行う。
外見や挙動だけでは判別できない要素が多すぎからな。
大尉自身にも未知の点があるはずだ。時間は取るが、受けてもらう」
まあ、でしょうね。
でも、自分自身の詳細を知れるのはありがたい。
受けれるのなら受けときたい。
参謀長は書類から目を離し、再び私を射抜くように見据える。
「一応、別の研究員から“個別に検査を行いたい”との要望も出ている。
だがそれについては……君の判断に任せよう」
……大体予想がついた。
丁重に断りたいが、近接武器は気になるので受けましょう……うん。
「最後に──ゴッテス部隊への正式配備は一週間後と決定した」
その一言で、室内の空気が区切られた。
猶予は一週間。
短いようで、意外と長いようで……でも間違いなく、気を抜けばあっという間だ。
じゃあこの一週間で残りの子たちを仕上げるのか……。
みんなから批判を浴びそうだけど、すべては軍が悪い。私は悪くない。
参謀長は椅子に深く腰を預け、無機質な声で締めくくった。
「以上だ。貴官には期待している」
「あーい」
気の抜けた返事を残して部屋を出ようとしたところで、参謀長の声が再び背中を打った。
「大尉。……精密検査の前に、専任技師との面談を済ませておけ。
場所は検査所に隣接した区画を用意してある」
仕方なく振り返ると、白衣姿の女性が静かに立っていた。
金髪を後ろで束ね、眼鏡の奥の目は眠たげで──けれど妙に鋭い。
「こっちだ」
短く言って、彼女は踵を返す。
私は肩をすくめてその背を追った。
気だるそうな歩き方なのに、足取りは妙に正確で、迷いがない。
◇◇◇◇◇◇
検査所の隣にある小さな区画に案内される。
簡素な机と椅子、最低限の照明だけの殺風景な部屋だ。
座るよう促され、私は渋々腰を下ろす。
エイブは椅子に背を預け、面倒そうに眼鏡を押し上げると、ようやくこちらを正面から見た。
「さて、すでに一度会っているが、面と向かっての会話は初めてだからな」
低めの女性声。淡々としていて、どこか命令口調。
「専任技師のエイブだ。これから周期的にメンテナンスを行う。
念のため言っておくが……嫌でも受けてもらう」
「……はーい」
ため息混じりに答える。
正直なところ、
私はこのエイブというニケをあまり信用していない……。
というか素性が分からな過ぎて怖いというのが本音だ。
《メンテナンス中は私が監視する予定ですが……確かに得体の知らない人物に身を預けるというのは、中々嫌なものですね》
そう。
そこなのだ。
そもそも私は軍も企業も信用していないが、何より研究員という言葉があまり信頼性が無い。
コーラルの研究をされるのも困るところではある。
まあ正直なところ、無人C兵器作りまくってラプチャーに宛がう方がすごく効率がいい。
ただ問題は後処理だ……。
ヘリアンサスとか言う殺意マシマシの兵器を片付けるの結構怖いんだからね?
私の怪訝そうな顔で察したのかエイブは肩を竦める。
「何か勘違いをしているようだが、私はあのムラクモのような狂った科学者とは違う。
そもそも、アレと一緒にされることが気に食わんが……」
そう溜息をつきながら話す。
「気休め程度と思うが……。
そうだな……せっかくだ、本音で言わせてもらおう。
研究員としてもお前の機体を無下に壊したり分解することは愚の骨頂だ。
安心しろとは言わないが、まあ任せてほしい」
刺々しい口調の割には物腰柔らかい言い方に警戒心が少し薄れる。
「んじゃ……今から面談?」
軽く首をかしげてみせる。
「面談というよりは──お前自身について、だ」
エイブは眠たげな目を細め、手元のペンを指先で弄びながら答えた。
「私?」
「なんだ。病院のように診断に基づいた質問攻めでもすると思ったか?」
「うん……」
思わず即答すると、彼女は大きくため息をついた。
「……はぁ。初陣での戦闘ログは確認済みだ。
どうせ今までで被弾などは、ほとんど無いのだろう?」
「まあ、そうだね」
肩を竦めると、エイブは小さく頷いた。
「なら聞いたところで無駄な時間だ。時間の浪費ですらある」
ぴしゃりと言い切る。
机にペンを置き、無表情で私を見据えるその様子は、どう見ても冷たい研究者だ。
「……」
沈黙。
でも、不思議と責められてる感じはしなかった。
エイブはやがて椅子の背に身を預け、視線を外す。
「他に質問はないようだな……」
エイブは一度目を伏せ、次の書類に目を通す。
「では、こちらから聞く。
お前にとっての“使命”は何だ?」
「使命?」
使命……そう言えば以前監督官からも同じようなこと言われたな……
戦う理由……
あの時は答えられなかったけど、今ならできる。
「私の使命は……私が大事だと思った人物を守ること」
言い切ると、エイブの手が一瞬だけ止まった。
しかし顔には出さず、無表情のまま次の問いを投げてくる。
「では──軍や企業に対しての印象は?」
「んー……」
私は顎に手を当てて、軽く天井を見上げる。
「信用はしない。
仕事はするし内容によっては命令も聞くけど、裏切られる前提でいる。
……筋が通ってるなら従うけどね」
「……なるほど」
ペン先が紙を滑る音だけが響く。
エイブは黙ってメモを取っていたが、やがて眉間に皺を寄せてペンを止めた。
「……お前な。私がV.T.Cの関係者と分かっていてその発言をしているのなら、もう少し言い方を考えろ」
眠たげな目に、今はわずかな苛立ちと心配が混じっていた。
「処分される可能性を考慮しないのか」
「???」
首を傾げる。
「処分されそうになったら──正当防衛で相手を潰すまでじゃない?」
エイブは額に手を当て、しばし言葉を失った。
「はぁ……。
今の言葉は聞かなかったことにする」
「そもそもだが──ニケは人間を攻撃できない。正当防衛など無理だ」
……え。
まじ?
ニケって人間攻撃できないの!?
いや、流石に一方的に攻撃されたら反撃ぐらいできるんじゃ……
《……おそらく、あのエイブという人物の発言的に、それすらも無理かと》
エアの冷静な声が頭に響く。
……えぇ。
そんなの、体のいい奴隷じゃん……。
「……それって解除できないの?」
恐る恐るエイブに聞いてみる。
口に出した瞬間、エイブの目がじろりとこちらを射抜いた。
「何を言い出すかと思えば……」
彼女は眼鏡を押し上げ、気だるげにため息をひとつ。
「人間よりはるかに強いニケに、オンオフの機能など付けられるはずがない。
……と言うより、やる意味が無い」
机に書類を置く音が妙に響く。
その口調は冷たいが、どこか“絶対にありえない”と断じる確信に満ちていた。
「……」
私は今
恐らく唖然とした顔でエイブを見ている事だろう。
これは由々しき事態だ……
まさか反撃できないとは思わなかった……
私は……私はどうなんだろ……? できるのだろうか?
《おそらく、その機能は、以前話したナノマシンに由来すると推察されます》
『あぁ、じゃあ私は大丈夫か』
良かった……
エアがいなかったら気づかないまま、いい様に利用されて捨てられるところだったよ。
エア様様ですな。
《……。いえ、それほどでも……》
エアが照れている中、考える。
あのナノマシン……案外使い勝手がいいと思ってたけど……ダメだね。
エイブは眉ひとつ動かさずに言った。
「なんだ。今初めて知ったのか? ニケの間でも当たり前の常識のはずだが……」
……あぁ!
そうか、だからか!
あの子たちが上官に対して怯えてた理由!
意識的にビビってるんだと思ってたけど……まさかそこまでとは!
となると……どうしよう。
やっぱり、あの子たちのナノマシンも解除させてあげるべきだよね。
もうメリットに対するデメリットの方が大きすぎる……
管理される傭兵って……なんだよそれ……
まあ、そもそもできるかどうかの問題だけど……
そう思っていると真っ先にエアが反応する。
《レイヴン。私が解除しましょうか? 80人となると時間がかかりますが……逆に言えば、時間さえあればハッキング可能です》
……え?
マジで?
そんな簡単に言うけど、それって本当にできちゃうやつ!?
『……エアって何でも出来て凄いよね。私すら要らないんじゃとすら思うよ……』
《い、いえ。レイヴンが居てこそ、私は実力を発揮できるという……ところもありますし》
そんなものなのか……
なら私は要るのか……?
ひとまず、この件は基地に戻り次第実行していこう。
部隊の子達への対応が早々に決まり自然と表情が緩む。
「いきなり落ち込んだかと思えば、今度は笑顔になるとは……気味が悪いぞ」
エイブは眉をひそめ、面倒そうにため息をついた。
「え、ひどくない? 今いいこと思いついたから笑っただけなのに」
「理由はどうでもいい。……集中力が乱れている証拠だ」
眠たげな目のまま、淡々と断じる。
「はいはい……」
私は肩を竦めて返す。
──冷たい言い方のくせに、やっぱり“気にしてくれてる”んだよな、この人。
「まあ、ニケたちにとってはデメリットも多かろうが……その分、感情の抑制ができる。
結果としてPTSD発症率は、ほぼゼロに近い」
エイブは眠たげな目で書類に記録を走らせながら淡々と告げた。
……まあ、そこはたしかにメリットだけどさ。
でもデメリットの方が大きくない?
「ちなみに──人間に対して銃口を向けたニケはいたの?」
私の問いに、エイブの手が一瞬止まった。
鋭い視線が突き刺さる。
「……なんだと? そんな事例はない。
あったとしても即刻処分だろうな。そして──反抗した事実は徹底的に隠蔽される」
『エア。私がゴッテス部隊にいる間、フェリーたちの見守りもできる?』
《レイヴンへのサポートは減りますが……それでも良ければ可能です》
『なら、そうしてくれると助かる』
短いやり取り。
けれど胸の中が少し軽くなった気がした。
「何を考えているのかは知らんが、あまり変なことは考えるなよ」
エイブは眠たげな目を細め、手元の書類を閉じる。
「……はーい」
私はわざと気の抜けた声で返した。
……言い方は冷たいんだよな。
でもこれ、完全に“心配してる大人”の口ぶりなんだよなぁ。
軍本部の精密検査室。
壁一面に並ぶ端末、天井から吊られた無数のケーブル。
まるで人間を診る医療施設というより、兵器を分解して解析するための格納庫。
レイヴンを寝かせ装置を起動する。
途端に詳細なデータが自動ではじき出された。
早速確認しようと端末に走る数値を追っていた指が止まった。
……これは、予想以上に異常だ。
表示されたデータを二度、三度と見直し、眼鏡の位置を押し上げる。
……パルス爆発のトリガーが、まだ生きている。
あれだけの威力を出しておきながら、再び使用可能な状態に戻っている。
唇を結び、ボールペンを回していた手を静かに机上へ置いた。
次の項目を開く。
兵装欄。
記載されているはずのない「スキャン機能」の文字に視線が釘付けになる。
スキャンと言ってもデータを取り込むものではない。
一番近い技術で言うなら潜水艦で用いられるアクティブソナーとパッシブソナーを掛け合わせた様な代物だ。
問題は……そのスキャン機能で静止物以外の人間・動物・機械それらを事細かに判別し敵影だけをシルエット化し眼球のHUDに表示されるシステムが組み込まれている事だろう……。
画面をスクロールしながら眉間を押さえる。
さらに下層のシステム。
自動姿勢制御。
従来の制御システムであれば、そんなに驚くことは無いのだが……このシステムはまるで違う。
戦車の避弾経始を思わせるアルゴリズムが、360度全周にわたって常時自動展開されている。
無意識に背筋が強張り、深く息を吐いた。
……致命傷を免れる仕組み。
次。HUD。
眼球に直接走る演算ログが映し出される。
視線で捕らえた対象に対し、両腕を自動同期させ、偏差まで補正する計算式。
移動射撃時ですら精度を落とさない。
合点がいった。
戦闘ログで嫌というほど見た回避しながらの射撃。
ローリング・ステップ・最高速で移動しても衰えることのない命中精度。
指先に汗が滲み、無意識に膝を組み替える。
そして、最大の項目に差し掛かる。
神経接続から脳、コア供給まで。
すべてが──未知の物質……コーラルと呼ばれる物を利用することを前提に機体構成がされている。
脳。ニケ唯一の臓器であるそれもまた、コーラルで構成されている。
正直、意味が分からない。
科学者をやってきて長いが、未知の情報量の多さに項垂れて思考停止するとは思わなかった。
現代科学で再現できない構成。
この機体のすべてを理解するのにどれほどの年月がかかるか。
そして再現できるのか……
パンドラの箱を開けてしまったような錯覚にうなされる。
無意識に指先で机をとんとんと叩き、深く椅子に沈み込む。
しばし無音。
端末の冷たい光に照らされながら、私はペンを静かに置いた。
わずかに開いた唇を閉じ、表情を整える。
机上の書類を一枚ずつ揃え、端にきっちりと重ねていく。
そして深く、静かに眼鏡を外し、目を閉じた。
……無音の区画に、かすかな吐息が漏れた。
「……これをどうまとめろと……」
誰に聞かせるでもない独り言。
だがその声の奥には科学者としての探求心が燻っていた。
検査終了後──
「……検査は終了だ」
エイブは端末を閉じ、白衣の袖で軽く眼鏡の縁を整える。
「大尉の機能に、現状問題は見当たらない」
一拍置いて、視線が揺れる。
言葉を選ぶように、口が一度閉じられた。
「……一つだけ、確認しておきたい」
低い声。だが、いつもの命令口調とは違う、わずかな逡巡。
「悪用はしない。……その前提で──
お前の構成を、新型の開発に利用してもいいか?」
淡々とした言葉の中に、わずかな躊躇いが滲んでいた。
「コーラル以外ならいいよ? ……っていうか、なんで私に聞くの?」
思わず首を傾げる。
エイブは静かに机を叩き、眠たげな目を細めた。
「お前が“覚醒”した段階で、構成が変わったと報告されている。
つまり……お前に許可を取らねば、技術の盗用だろう?」
淡々とした口調。
だが、そこには確かに“筋を通す”科学者の矜持があった。
【おまけ:引くも地獄、進むも地獄】
検査が無事終わり、レイヴンが基地へ送り返されたその日の夜──。
執務室はランプの明かりだけが机を照らし、他は暗がりに沈んでいた。
参謀長は書類データを開き、無言でページをスクロールさせる。
指先が時折止まり、眉間に深い皺が寄る。
エイブからの調査報告書。
やはりというべきか。いや、想像以上というべきか。
「……」
深く息を吐き、胸の奥の空気を押し出す。
震える吐息は長く、机上の紙がわずかに揺れた。
煙草を一本取り出し、火をつける。
オレンジ色の火が揺らめき、煙が天井へと昇っていく。
紫煙に紛れるように、参謀長はようやく重い声を落とした。
「……」
「珍しいな。お前がそんなに長いため息をつくとは」
低く響く声。扉の前に立つ影──総司令官だった。
「総司令……」
参謀長は背筋を伸ばし、軽く会釈する。
「溜息を付きたくもなるものだ。……こんなものを見せられてはな」
参謀長は報告書を机に押し出した。
総司令官が近づき、端末を覗き込む。画面に浮かぶ“存在してはならない数値”に、皺だらけの額がさらに深く沈む。
「直に合った感想は?」
「一言で言うなら……行動力の化身だな」
煙を吐き出しながら、参謀長は椅子に背を預けた。
「軍とは相いれないと報告にあったが、いやはやここまでとは」
「軍に組み込み、人類の守護者とするのは……?」
「無理だな」
即答だった。灰皿に落ちる火の粉がぱちりと弾ける。
「そもそも奴に“人類を守る”などという正義感はゼロだ。
己が認めた人物にのみ庇護の傘を差す……そんな類だ」
「戦争に勝つための布石にはできない、と」
「あぁ」
煙を吐き出す仕草は淡々としているが、瞳だけは鋭く光っていた。
「そもそも、この戦争は負ける。局所的に勝っても意味はない。根源を潰すまでな」
「アーク……」
総司令がぽつりとつぶやく。
その発言に参謀長は深くうなずく。
「だが、そのアークに奴を入れることは出来ない」
参謀長は机に肘を置き、指先でこめかみを押さえる。
「我々がこの計画で最も危惧していることを……奴は平気でやるだろう」
「分断・派閥……秩序を崩す。例の基地での事案を思ってのことか?」
「それ以外あるまい」
声に重みが増す。
「ニケが人間の命令を無視するなど、あってはならない。
NIMPHにより、その可能性はゼロだと思われていた。
だが、奴は別の角度からこれを打ち破り、結果として基地の統制は皆無となった。
そして奴の起こした思想は、もうすでに基地の外にまで染み出している。
これをアークに持ち込んでみろ。行きつく先は……破綻だ」
参謀長の言い分はもっともだった。
村社会となるアークに絶大なカリスマ性を持ち秩序を壊しかねない思想を振りまく。
そんな人物を入れればどうなるか。
結果は火を見るよりも明らかだ。
「しかし、排除は得策ではない。いや、愚策に近かろうな」
「然り」
参謀長は煙草を灰皿に押しつけ、じわりと火を消す。
排除を案に入れるという事は、倒せる可能性があってのことだ。
しかし、現時点では奴を排除できるだけの策が無い。
もし排除に失敗し奴が銃口をこちら側に向ければどうなるか。
NIMPHがあっても、奴はそれをものともせず突っ込んで来る。
「まったく……質の悪い邪神でも呼び起こしてしまったような感覚だ」
重い沈黙が落ちる。
暗い室内には、焦げた煙草の匂いだけが残った。
総司令官はしばらく黙していたが、やがて低く口を開いた。
「だが、放っておくこともできん。あれは既に存在自体が影響を及ぼしている。
扱いを誤れば──敵対は即ち、死を意味する」
参謀長はゆっくりと頷く。
「しかし味方に組み込んでも制御は利かん。
距離を詰めすぎれば牙を剥かれ、離しすぎれば思想を拡散される」
総司令官は顎に手を当て、机上の報告書を睨む。
「まるで、猛獣を檻にも鎖にも繋がず飼うようなものだな」
参謀長はわずかに口角を歪めた。
「檻も鎖も通用しないのだ。残されるのは……ただ奴がこちらに敵意を向けない事を祈るだけだ」
重苦しい空気が部屋を満たす。
二人の沈黙の間、灰皿の上で細い煙だけがゆらりと揺れていた。
私個人としてなんですが…
ニケの軍組織ってそこまで無能って言う感じしないんですよね…
これは、実際にストーリーに関わるのでネタバレ厳禁ですが…
というか、小説でほぼネタバレな気もするんですが
まあ、いいでしょう(スネイル感)
感想!
お気に入り!
評価!!
ありがとうございます!!
アンケートもありがとうございます!!
みんなAFに対する殺意が凄いという事が良く分かった。
皆さまのご声援が励みです…
こんなに伸びるとは思っていなかったこともありうれしい限りだぜ…
ニケ知ってる?AC知ってる?
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ニケ知っている!ACも分かる!
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エンター――テイメント!!(AC知らぬ)
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地上?…汚染されてるもんね(ニケ知らない