失われていく文化
我々人類は先人たちの知恵によって生まれた文化を受け継ぎ営みを継続している。先祖代々などと言うように、その家系だけが受け継いできた文化もあるだろう。そして、時代の中で消えていった文化も数多く存在する。
祭りも文化のひとつだ。
しかし、近年は地方では若者が都会に出て行ったり、そもそも若者がいなかったりで、祭りの開催がなくなった地域もあると聞く。近い将来には我々は遠い時代に書かれた書物でしか、見ることのできない文化が多々生まれるのではないかと思っている。
きっとそれは前から起きていたことだ。
私が今の時代に消えていく文化がある、と言っているけれど、前の時代の人たちも、その時代の流れがあり、「消えていく文化がある」と言っていたのではないだろうか。技術の進化や人の流出などはどの時代にも程度の差はあれど存在し、その中で消えて行った文化があり、消えたことで我々が知らない文化になっているわけだ。
文化はどこで消えるのだろうか。
それはやる人がいなくなるからだ。いなくなる理由は先にも書いたように、人の流出や技術の進化。たとえば天気予報もそうだ。その昔は川の流れる音がよく聞こえるから明日は雨とか、お寺の鐘の音がよく聞こえるから明日は晴れるとか、地域によって天気を予想する様々な術を持っていた。今は気象レーダーや人工衛星によって、正確な天気を知ることができる。
これからなくなる文化もある。
石鹸がなくなりかけた時に、新しい石鹸に小さくなった石鹸をくっつけて使う、がそれではないかと思う。どの家庭でも昔はやっていたのではないだろうか。もしやっていないのだとすれば、地主家で受け継がれてきた文化だ。
最近は石鹸を使うことも少なくなってきているので、消えつつある文化だと思う。ボトル式のものが増えてきて、石鹸を使う機会が減れば、自然と新しい石鹸に小さくなった石鹸をくっつけて使う必要がなくなる。
あとシャンプーがなくなりかけたら、ボトルに水を入れて振って使う、もなくなるかもしれない。誰もがやっていると思うけれど、もしやっていないとすれば、地主家では昔から受け継がれてきた文化だ。
昔は詰め替え用があんまりなかったので、あるいはあったけれどそこまで浸透していなかったのか、そのボトルのものを使い切る感じだった。今は詰め替え用が普通に売っているので、水など入れなくても、ストックしてある詰め替え用を入れればいいので、水を入れて振って使うをしなくてもいいわけだ。
詰め替え用のシャンプーを詰め替えた後に、詰め替え用にまだシャンプーが残っているので、そちらに水を入れると3回くらい使える、もなくなるかもしれない。誰もがやっていることだと思うけれど、もしやっていないとすれば、それは私だけということになる。
これは地主家ではなくて、私が始めたこと。その文化の継承を誰にもしていないので、文化がここで終わってしまう。私が始めたことを文化というのはどうかと思うけれど、一人暮らしを始めた時からやっているので、もう20年くらい経つ。もう文化と言っても問題ないはずだ。
このように今もなくなりつつ文化がある。文化というか、生活の知恵な気がするけれど。
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