7年越しの横浜流星担降りブログ

 ふと懐かしくなって、昔のTwitterや画像を最近ずっと漁っていた。今では超国民的俳優になってしまった横浜流星さん。私が人生で一番大好きで、今でも忘れられなくて、もはや心の中で神格化されちゃってる元推し。
 若かった頃のちょっとした思い出と暴走を振り返ってみる。

 忘れもしない2014年4月6日、「烈車戦隊トッキュウジャー」第7駅(トッキュウジャーは◯話のことを◯駅と呼ぶ)放送日。
 バイト先のテレビでその放送を偶然見ていた私は、オープニングで流星くんが演じているヒカリが列車の窓際でもたれかかっているカットに衝撃を受けた。
「……何だこのかっこいい人……!」
 当時、私は16歳、横浜くんは17歳。高2と高3であった。その頃私は嵐・二宮担を降りて、セクバ(死語)についていた中村嶺亜くんを追っかけるお金を貯めるためにバイトを始めた直後の衝撃の出会いである。
 すぐに猛スピードで情報を調べた。スターダストプロモーションに所属している俳優であること。ブログをやっていること。ジャニオタだった私にとってはそもそもブログがあるのが新鮮だったし、特撮雑誌の値段の高さにも地味に驚きながら横浜くんのオタクを始めた。
 なぜか謎の行動力があったので、人脈を駆使してコネでエキストラにも潜入。「夏祭り回」とか「銭湯回」には地味に私が映っていたりする。
 若手俳優にハマるのも、戦隊番組を見るのも生まれて初めて。毎週日曜朝はテレビにかじりつき、ブログの更新に一喜一憂した。
 戦隊には夏の舞台挨拶現場や「テレ朝夏祭り」がある。当時高2でクレカも持っていなかったのに、無謀にも関西や福岡まで遠征した。横浜くんは夢みたいにかっこよかったので、会うたびにメロメロになっており友達には「頭がお花畑」とも言われていた。その頃横浜くんは「ニコラ」のメンズモデルもしていたので、女子中学生に揉まれながら最前を死守してニコラの謎のイベントなども見た。
 シアターGロッソでヒーローショーが始まり、土日になると1日6回公演があった。当時秋から冬にかけて行われていた「4期公演」では客席に上からフライングで降りてくる演出があり、その立ち位置の「L列」にむちゃくちゃ執着していた。
 トッキュウジャーで横浜くんの演じている「ヒカリ」という役が好きすぎて、完全なるリアコ状態であった。
 写真集イベントやDVDイベントなるものもあったが、最初はそこまで積んでいなかった。ジャニヲタ上がりだったので、接触が苦手な自覚があったからだ。案の定全然話せなかった。ちなみに当時、DVDを3枚(12000円)買うと「頭ポンポン」と「好きな言葉をささやいてもらえる」というとんでもない特典があり、めちゃくちゃこじらせたのを覚えている。
 何を言ったらいいかわからないので、「大好きでいてもいいですか?」とジャニヲタのカンペみたいなことを聞いた記憶がある。横浜くんは笑って「もちろんです、ありがとうございます」とかなんとか言ってくれた。
 割とコツコツ情報を集めるのは得意だったので、「SASUKE」の観覧にも行ったが、横浜くんが序盤であっさり沼に呑まれ本放送で全カットされるという悲劇も起きた。
 「スポーツ男子No.1決定戦」ではうっかり「主催者」という設定になっている観月ありさの真後ろに座ってしまったので全国に顔を晒された。隣の席になった佐野岳のオタクとは一瞬で意気投合しその後度々会う気のおけない友達になった。余談だが、金田朋子はめちゃくちゃ良い人である。あと、メンディーの応援にメンディーのグループ(名前を忘れた)のメンバーがサプライズで駆けつけていたのだが、なぜかその情報が流出しており、観覧席はメンディーのグループのオタクだらけだった。
 年が明け、シアターGロッソの5期公演(ちなみに全部で90公演あった)とファイナルライブツアーのチケ発が始まり、財布に常に100枚以上のチケットが入っているという狂気の状態。
 この頃、映画(いわゆる「VS」)の舞台挨拶なんかもあったりして、Gロッソではカンペが出せなかったが(当時)映画館では出せたので、セクバ担のノリで巻物みたいなカンペを見せまくっていた。……なんと、横浜くんは全部消化してくれた。隣にいた友達にも感心されたのを覚えている。
 私はジャニヲタ上がりだったので、「固定ファンサ」に憧れがあった。松竹座とかで関ジュがよくやっているアレだ。最近だと(最近でもないが)北川拓実の「7!2!3!」とか、そういうのが欲しかった。
 しかし基本的に戦隊の現場は「横浜流星」ではなく「ヒカリ」として登壇しているので、役に全然関係ないファンサをさせるのは気が引ける。苦肉の策に編み出したのが、毎回「見つけたら指さし確認して」というカンペを持つことであった。トッキュウジャーのOPの歌詞に「指さし確認」というものが含まれており、これなら「ヒカリ」としてでもセーフであろうと勝手に判断したからである。
 東京国際フォーラムホールAで、「超英雄祭」というイベントがあった。普段のGロッソからするとありえないレベルのデカい箱だったが最前を買って入った。ちなみに、当時松岡充が特撮の何かの主題歌(確か)をしていたので、横にいるのはみんな松岡充のバンギャであり、私のカンペとうちわを見て若干ギョッとされたのを覚えている。
 横浜くんは、なんと東京国際フォーラムホールAでもファンサをくれた。見つけてくれただけでも泣くほど嬉しかったが、共演者(芸能界引退済み)がわざわざ横浜くんの肩を叩いて私を指さし「あそこにオタクいるぞ!」と教えてくれてまたファンサをくれた。生涯あの恩は忘れない。
 「指さし確認」カンペを見せまくる日々が終わり、カンペ禁止のGロッソが始まった。横浜くんと目が合い、指さし確認のポーズをすると普通に笑って同じように返してくれた。
 ……せ、戦隊俳優でも固定ファンサって作れるんだ!
 固定ができることが発覚し、横浜くんの立ち位置である「A列26番」にむちゃくちゃ執着した。2公演連続で入った時もあった。怖かったと思う。申し訳ない。
 いろいろと友達もできた、毎週末楽しかった。一人一人との思い出を語っていくとキリがないので省略するが、今でもずっとあの恩は忘れていない。みんなありがとう。
 基本的に横浜くんは前列にいると「出席確認」してくれたので嬉しかったが、最前列に「ヒカリ」が好きな子供がいるとむちゃくちゃ構うので大きなお友達は全員干され、ギャンブル性が高かった。
 Gロッソが終わり、ファイナルライブツアーが始まった。浜松公演で立ち位置ドンピ最前に入り、幕が締まるまでずっと手を振ってくれたことは死ぬまで忘れないだろう。横浜くんがこの頃のことを覚えているかは定かではないが。
 全国を駆け巡りながら、終盤は完全に「これが終わったらヒカリくんへの恋も終わるんだ……」と思って病んでいた。仙台で公演前に突如泣き出し友達を心配させることもあった。大千秋楽、大阪オリックス劇場を終え、帰りの夜行バスの中ではマジでずっと泣いていた。今でもオリックス劇場に行くと少々憂鬱な気持ちになる。
 というわけで戦隊オタクの人生は終了し、俳優・横浜流星のファンの人生が始まった。たま〜に雑誌に掲載されているのを買ったり、「スカッとジャパン」の「胸キュンスカッと」(懐かしい)に出演しているのを眺めたりする日々。
 なぜか横浜くんがヤマハの電動自転車「PAS」のイメージモデルになり、イオンモールで電動自転車に試乗するとトークショーの整理券がもらえる珍イベントもあったりした。飯豊まりえのサイン入りポスターが当たったので、その場にいる女オタにあげた。元気にしてるかな。
 認知があることも発覚した。誇張抜きで現場に160回とか行っていたので今思うと覚えていないほうがおかしいのだが、当時スマートボーイズ(死語)の「キャラフルSTARS」という謎のイメージDVD発売イベントがあり、チェキ会と全員握手会があったので恐る恐る「私……わかりますか……」と聞いたら普通に「めりいさん!」と言われた。腰を抜かしてその次にいた平牧仁さんとの握手を忘れそうになり引き留められてウケた。
 これも余談だが、戦隊ガッツの宿命故、なぜか他のメンバーからも認知があった。森高愛ちゃんは卒業後偶然会った時覚えていてくれてかなり嬉しかった。卒業後数年経ってから長濱慎さんと話した時には「最近流星と会ってないの?」と言われた。私は横浜さんのなんなんだ。
 最近のオタクは知らないと思うのだが、「アメスタ」という配信コンテンツがあり、若手俳優がよく出演していた。有料課金アイテムを投げた量によってオタクに順位がつけられ、上位10人だけが「アフタートーク」と称したおまけ配信を見られるシステムである。内輪では平面ホストクラブというあだ名で呼ばれていた。
 「1本5000円の薔薇」などの謎のアイテムを投げまくり、2回か3回あったと思うが、毎回4〜5万使って1位を死守した。「伝説のキャプテン」みたいな称号がアメスタによってつけられた気がするがよく覚えていない。ちなみに、アメブロには思いっきり私の名前の付箋を貼られた薔薇の花束を抱えた横浜くんの写真が上がっていたが、アメブロごと削除されてしまったので今では見られない。
 横浜くんが舞台に出ることになり、舞台俳優オタクの友達を結構作った。当時俳優オタクの間で推しにプレゼントにあげるとき流行っていたのがルミネエスト新宿5階にある「STUDIOUS」。ときどき「Lui's」。たまに「HARE」にも行ったがちょっと安いので数着まとめてあげるのが定番だった。若手俳優がみんなロングコートを着て女優帽を被っていた時代である。STUDIOUSの担当とはかなり仲良しになり、横浜くんのブログの写真を全部見せて「これを持ってるならこれが合わせやすい」とアドバイスしてくれ(営業だが)身長体重がほぼ同じだったので着せ替え人形にしていた。Kくん、上海だか香港だかに赴任した店長のNさん、元気ですか。
 人生初めて全通した舞台が西田大輔演出の「もののふ白き虎」。これは普通にかなり面白かった。プレゼントを毎日プレボに突っ込みながら銀河劇場で観劇していた。
 大阪・梅田芸術劇場シアタードラマシティ公演でまさかの事件が起こる。朝、安西慎太郎のオタクと一緒にホテルをチェックアウトして、駅の方に向かいながら「キャリーどこに預けようか」とか話していたら、ファミマの前で思いっきり横浜くんに遭遇した。え!? と思ったが、……普通に立ち話してくれた。男性マネージャー・Dさんもいたがなぜかずっと聖母のような微笑みで見守ってくれた。横浜くんの歴代マネージャーの中で一番好きなのがDさんです。元気にしてますか。(Dさんは本当に優しかったので、事務所宛にお礼のプレゼントまで送ったことがある。あの今治タオルは使ってくれましたか?)
 混乱していたので何を話していたのかもよく覚えていないが、なんかいろいろと感謝されたような気もする。
 そして冷静になってはっとした。「あれ……もしかして入り待ちだと思われていたのでは?」偶然であるとはいえ思わぬ気づきである。
 横浜くんは、自分で言うのもなんだがあげたプレゼントの使用打率がかなり高かった。スマホケースもニットもコートもなんでも使ってくれた。オシャレのつもりで渡したYohji YamamotoのTシャツでボルダリングしていた時は脱力したが。14万だか15万だか忘れたが、なんかすごいライダースを買って渡したこともある。しばらく使ってくれていたが、今や国民的俳優となった彼はDiorのアンバサダーまでしているのであれらがどうなったのかは謎だ。まあ、いい感じに誰かの手に渡っているか、実家に眠っていれば嬉しい。
 カレンダーイベントがあり、かなりハイになっていたので100冊買った。確か1冊2400円くらいだった気がするので、しめて24万円である。令和で言うと大した事ない金額だが、当時はけっこうレアだった。
 このときは横浜くんとまあまあ喋れていた気がする。ちなみに、鍵開けも私であり鍵閉めも私であった。最後に50枚くらい券が余ったのでどうするんだと思ったら、パルコブックセンター(当時まだ渋谷PARCOは改装前で、本屋があったのだ)の人が椅子を2席持ってきて「5分座って話してください」……と言われたので5分間手を握りながら喋った。メロメロになった。
 冬になり、舞台「ダンガンロンパ2」が始まった。……が、脚本と演出があまり自分に向いていなかったのと、今は無きブルーシアターで3時間半公演のマチソワをぶっ通し11日間やられたこともあり、高熱を出して最後の2日間は寝ていた。初めての挫折である。
 この頃はまだ出待ちしていなかったが、なぜか終演後にブルーシアターのスタッフが鳥居坂の下まで私を追っかけてきたりしていた。何だったのだろう。ちなみにいつも六本木の磯丸水産のランチに行っていたため、店長から認知があった。
 「シュウカツ」という謎の映画に出ることになり、試写会に行った。このとき声をかけてくれたのが当時大手事務所Aに所属していたTという俳優(後に寸借詐欺で一部を騒がせることになる)のオタクをしていたRさんである。ちなみに、シュウカツは私が見た中でもかなり虚無の部類に入る映画であった。
 Rさんにかなり軽いノリで「え? 町厨じゃないの?」と言われたので、人生初・出待ちデビュー。渋谷ユーロライブでの一夜である。ちなみに、初の出待ちはなぜか没った。Rさんには「出待ち」のいろはを叩き込んでいただき、今でも感謝している。
 2016年、「ミュージカル神様はじめました」になぜかゲスト出演することになり、祝い花デビュー。指定花屋があり、ゲスト出演なのに一番高い5万の設定にしたら、かなり目立っており若干申し訳なかった。あと、私のプレゼントを着て登壇していたのでそれはどうなんだと思った。
 今は無きアイアシアターで公演があり、私は友達に「アイアってどこで待つの?」と聞きまくったら「目の前に立ってりゃ来るよ」としか言われず、不安になったがとりあえず待った。横浜くん、かなり普通に話してくれた。ちなみになぜか特撮おじさんのサイン厨もおり、サインを求められていたが「事務所の決まりで……」と断っていたので律儀だなと思った。
 一応許可を取ろうと思い、出待ちしてもいいか聞くと普通に「いいですよ」と言われて拍子抜け。というわけで、町厨人生が始まってしまうのである。

 「闇狩人」という舞台があり、これにも通った。出待ちの友達が複数人おり、徒党を組んで行動していたのでかなり楽しかった。今でもみんな友達である。舞台自体の内容はちょっとツッコミどころ満載だが。ちなみに、映像化されていないので今では見られない。
 これで人生初・稽古場デビュー。だが前半の稽古場が商業施設の中にあり、かなり攻略が難しく、数回凸れたが挫折して撤退。ちなみに、エレベーターにカップヌードル・カレー味を持って乗り込んでくる杉江大志、上下ねずみ色のスウェットで歩いてくる東啓介などとも遭遇し、なかなか愉快であった。
 スタッフ・キャスト・アンサンブルに至るまですべての関係者にツイート通知をつけて監視していたので、稽古場が移動した気配を察知してふたたび後半の稽古場へ。そこは2階建てになっており、もう片方の階でジャニーズの出演する舞台の稽古をやっていて、オリキのお姉さんと仲良くなる珍事(過去note(https://note.com/13weekslaterep/n/n79fde64b1f83?from=notice)参照)なども発生しながら、それなりに毎日凸れていた。
 銀河劇場の攻略情報にも詳しくなり、当時はなぜか地獄耳だったので2階の椅子に座っていたら1階に人の気配がしたので素早く走って螺旋階段を降りたら横浜くんがいるという奇跡もあり、もはや完全なるストーカー化。
 友達と徒党を組んでいたので、サバゲーのように各所に分かれて張り込み、LINEグループで連絡を取り合って各々の推しの動向を探るのは楽しかった。「闇狩人」は制作がめちゃくちゃ適当で、報連相不足で二段スタンド花を勝手に解体される事件が起きたり、なぜか大阪公演の入りが当日だったりした。アンサンブルがTwitterに新幹線の切符を載せたのを発見した瞬間の新大阪駅での盛り上がりは未だに忘れられない。新大阪でもちろん凸り、劇場まで追っタクしたのだが、なぜかオタクの車の方が先に着いてしまい、どうせなので二度凸った。
 市瀬秀和が出演していたのだが、出待ちでロビーにファンを集めて演説しているため、宣教師のようであることから「ザビエル」というあだ名で呼ばれていた。
 ちなみにこの頃出現した女性マネージャーが通称「貞子」。黒髪ロングで無表情、何も喋らないので内輪で貞子というあだ名をつけられていた(ごめん)。名前は忘れた。横浜くんに「凸っちゃダメなときある?」と聞いたら、「(貞子)さんがいる時は……」と言われたので貞子が出現すると凸れない日もありハンカチを噛みしめたりもしていた。
 余談だが、高杉真宙くんは本当に良い子である。ひょんなことから話したのだが、本当に良い子であった。横浜くんにあげた服と全く同じ服を真宙くんが着ており、「別にあげてもいいけど……あげた?」と聞いたところ、本当に偶然一緒だったらしく(真相は不明)横浜くんはわざわざ真宙くんまで引っ張り出してきて弁明してくれた。付き合わせてしまい申し訳ない。ちなみに闇狩人から数年後、「高杉真宙のマネージャーが過保護」という週刊誌記事が出たことがあるが、当時から一人だけ地方でも別行動だったり基本的に車で出入りしたりしていたので、わりと本当なんじゃないかと思っている。
 自分で言うのもアレだが、この頃はかなり精神状態がクライマックスに達していた。とある映画の舞台挨拶終わり、渋谷TOEIから原宿駅まで追っタクして山手線に乗り込むところをリアスト。上野駅で貞子と解散したところを見計らって日比谷線・不忍池改札前で横浜くんに凸るという暴挙に出た。(当時横浜くん、埼玉県某所に住んでいたのである)
 ……が、めちゃくちゃ優しかった。「好きすぎてどうしよう」とか「顔が好きで困る」とか言う私のことをかなり優しく宥めてくれた。プレゼントをあげまくりどこの現場にも現れる私の生活実態のことも心配してくれた。15分にわたるその音源は鍵垢で人から人へ回され、一時期「横浜流星伝説」として出回っていたらしい。すみません。
 ちなみに、「世界には同じ顔の人が3人いるって言うので、その残り2人を見つけるのはどうですか?」という名言を横浜くんが放ったのもこのときである。
 「でぶせん」というドラマがあったので、執念で学校セットの撮影スタジオを特定し、立川まで行っていた。禁断の行為にも手を染めた。そのスタジオは一応一般人も入れる場所があったのだが、廊下に普通にゴロゴロ小道具や割本が放置されていたのである。……割本を盗んで素早くトイレに入り(犯罪です)全部写メってそっと元に戻し、スケジュールを完全に掴んで効率よく横浜くんがいる時だけスタジオに行っていた。窃盗罪の公訴時効は7年なのでもういいだろう。制作からすると横浜くんがいる時にだけ来るので不気味だったと思う。
 毎日暇さえあれば「横浜流星」でパブサしていたので、解禁前の映像の情報なんかも遭遇から割と掴んでいた。その頃撮っていたのがご存知・撮影中に群馬のホテルで高畑裕太がフロントの女性を襲って逮捕された藤井道人監督の映画「青の帰り道」。解禁前から情報を掴んでいたので、「Seventeen夏の学園祭」最中に高畑裕太が捕まったという一報を受けた時は頭が真っ白になった。横浜くんもクランクイン時に嬉しそうにしていたのでガチで泣いた。ちなみに、事件時は横浜くんは「Seventeen夏の学園祭」のために群馬にいなかったので難を(?)逃れている。お蔵入りも覚悟したが、結局代役が戸塚純貴になり、2年越しに公開されたので良かった。その頃、藤井監督にDMを返してもらったことがある。後に日本アカデミー賞監督になるとも知らず……。
 今でも忘れられない楽しかったドラマが「潜入捜査アイドル・刑事ダンス」。これ、配信されていないので知名度は低いが隠れた名作なのである。ちなみに、今や刀ミュ「豊前江」でお馴染み立花裕大も出演している。横浜流星くん演じる「ショウ」は元引きこもりのネットオタクで、お天気お姉さんの出待ちをしていたという衝撃の過去があり、横浜くんはインタビューで「まとめサイトを見て勉強しました」と答えていた。後に接触で「本当に見たの?」と聞いたら「うん、アレでしょ?『草生えた』とか……」と言われて抱腹絶倒した。「出待ちする側の気持ちわかった?」と聞いたら「いろいろわかった」と真剣な顔で言われた。
 刑事ダンスのエキストラにもちょいちょい行っていたので、地味に私が映っていたりする……かもしれない。
 カレンダーイベントは200冊積んだので、3時間にわたる死闘を繰り広げた。やっぱり最後はまとめ出しになり、横浜くんと椅子に座って向き合って話した。この頃から、夢や目標を聞くと「ゴールデンのドラマに出たい」と言っていた気がする。
 実は人生で一番嬉しかったのが2016年の誕生日だ。私は11月22日生まれである。今はもうアメブロがないので見られないが、横浜くんは毎月最初に「◯月誕生日の人、おめでとうございます」と書いてくれる。だが11月はその更新がなく、私の誕生月だから無視してるのか〜?(笑)と冗談を言っていたら、なんと11月22日に「おめでとうございます」更新をしてくれた。偶然だとは思っているが、今でも誕生日になると思い出す。
 2017年、GReeeeNの結成秘話を描いた映画「キセキ -あの日のソビト-」に出演。菅田将暉がいたので絶対に相場が高いことが予想されたため、渋谷のタワレコ前で徹夜して試写会のチケットを取った(当時はまだぴあの店舗があったのだ)。「グリーンボーイズ」としてCDデビューする珍事が起き、Mステに出演することになった。軽い気持ちでスターダストモバイルだかスターダストWEBだかから観覧募集に応募した。
 ……まさかの自名義で当選した。しかも整理番号3番。ストーカーなのに垢BANにならない、スターダストの怪奇現象である。
 テレ朝の駐車場で「ダッシュでスタジオに出入りする練習」などをやらされたのは今でも心に残っている。
 しかし、この頃メンタルがわりと限界に。なんやかんやで入院していたのもあり、ちょっとオタクを休もう……と思い、舞台「バイオハザード」と「ダンガンロンパ2」再演にはそれぞれ何回かしか行っていない。横浜くん、このあたりから車移動になり(というかそれまで電車移動だったのが謎なのだが)出待ちとしての自我も失いつつあった。

 一時期、半分オタクを降りかけていたものの、2017年5月・岩手県平泉で開催された「藤原まつり」で現場に復帰。
 ……めちゃくちゃレスが来た。嬉しかった。
 だが、なぜかその頃横浜くんは全然現場が無かった。夏も「私の頭の中の消しゴム」と「Seventeen夏の学園祭」のみ。Seventeen夏の学園祭には「イケメン☆ハイタッチコーナー」というものがあり、若手俳優10人くらいと一気にハイタッチするという忙しいイベントがある。これの整理券をかき集め、横浜くんの前3人、後ろ3人くらいを無視して横浜くんにずっと話しかけていた。
 この頃2推しはいたものの、あくまでも一番好きなのは横浜くんだな〜という認識。しかし全然やることがなかったのである。
 2018年、映画「honey」に出た。これが大変だった。当時キンプリとしてデビュー直前だった平野紫耀が主演。オタクもデビュー直前なので謎に張り切っている。試写会ハガキが20万円で出品される始末。かなり困ったが、舞台挨拶に結構がんばって通った。
 実は「出待ち」末期がこの頃。マネージャー陣も入れ替わり、Dさんも貞子もいつの間にかいなくなり、通称「天使ちゃん」という優しい女性に変わっていた。「彼氏をローンで買いました」というこちらも隠れた名作のドラマがあり、試写会があったのである。移動車のナンバーは覚えていたので、駐車場で待っていたら結構普通に話してくれた。
 以前ブログ(https://plus14.hateblo.jp/entry/2018/06/02/131144)にも書いたが、このあたりで突然の「ドイツ行き」が決まる。「青の帰り道」がやっと公開されることになり、ドイツ・フランクフルトの映画祭で舞台挨拶があったのだ。2週間前告知だったが迷わず行った。
 「兄友」というよくわからない映画にも出たので、チケ発しまくって舞台挨拶に通った。Tジョイプリンス品川で舞台挨拶があった。しかし当時、ドイツの試写会が2回あったが、2回両方に横浜くんが出るのかわからなかったので「天使ちゃん」を捕まえて聞いてみた。
「あの、ドイツに行くんですけど……」
「え!? ドイツに行くんですか!?」
 なぜか天使ちゃんの方がビックリしていた。なんでだよ。
「この日の舞台挨拶には横浜くん出るって書いてあるんですけど、この日にも出ますか?」
「あ、両方出ますよ!」
「(天使)さんもドイツにいらっしゃるんですか?」
「いえ、私は行かないです。楽しんできてください!」
 ……というわけで横浜くんは実はマネージャーなしでドイツに行っていたのである。
 品川プリンスホテルの中を彷徨い、"野生の勘"で駐車場を探したら移動車が止まっていた。勝ち確である。待っていたら横浜くんが来たので「ドイツ行くよ!」と言ったら全く動揺せずに「スリに気をつけてね」と言われた。ちなみに、これが最後に横浜くんと出待ちで交わした会話である。

 ドイツ行きについては以前ブログに書いたが、ちょっとした裏話もある。
 実は現地でもストーキングしようかと思っていた……のだが、初日の試写会後、外の広場みたいなところでドイツ人が大挙して横浜くんにサインを求め始めた。普通に応じていた。え!? サイン書けるの!?
 そう、2016年「神様はじめました」の伏線がここに繋がってくる。事務所の方針でサインを断っていたはずの横浜くんがドイツに行った途端記憶喪失になり映画祭のパンフレットにサインを書きまくり始めたのだ。
 ちなみに、日本から来ているオタクは私1人だった。おいしすぎた。
 万が一のこともあろうと日本から持参していたマッキーを取り出し、iPhoneの裏にサインしてもらった。「名前書いて!」と言ったら何も聞かずに「めりいさんへ」と書いてくれた。
「前にサインダメって言ってなかったっけ」
「あー、そうだっけ? じゃあ内緒ね」
 ……人生で言われて一番メロメロになった一言である。内緒のはずなのにインターネットに書いてごめん。
 ドイツ人のサイン攻勢が止まらない。横浜くんと結構いろいろ話したが、それでもまたドイツ人に対応しているので近くにあった喫煙所でタバコに火をつけたら藤井監督がいたので挨拶した。確かマルボロのメンソを吸っており、「いや〜飛行機が長旅で……吸えなくてね……」と言っていた。
 横浜くんは挙句の果てに「これがめりいさんです」と映画の関係者に私のことを紹介していた。日本からついてきた珍人物として紹介されていたのだろうか。
 むちゃくちゃ対応してくれたので、現地でストーキングすることはやめ、自分でも普通に観光して過ごした。2回目の舞台挨拶後に至っては、横浜くんは私から借りたマッキーでドイツ人にサインを書きまくっていた。今でも大切に取っておいてある。

 さて、日本に帰ってきて映画「虹色デイズ」のキャンペーン期間が始まったのだが……共演が佐野玲於・中川大志・高杉真宙と高レート揃い。だんだん舞台挨拶だらけで疲れてきた。しかも、正直ドイツが楽しすぎた。もうあのドイツの楽しさに勝てる現場はそうそう無いだろう。
 しかもこの辺りで決定的なことが起きてしまう。
 突如として発表された「アーティストデビュー」。デビューシングルの題名は「今日もいい天気」。……これが、申し訳ないが絶望的にダサい曲だった。
 ダサい曲で絶望していたところに、たまたま6月、大阪で地震が起きて「虹色デイズ」の舞台挨拶が中止になる事件も発生。うっすら行きたくないな……と思っていたところに本当に中止になってしまい、安堵した自分の感情に気づいて「もうやめるか……」と決意したのであった。

 とはいえ、ちょくちょく現場にも顔を出していた。
 時期は前後するが、映画「L♡DK」の撮影をしていた時にたまたまエキストラで居合わせた友達から連絡があり、千葉県・柏にある某高校にしれっと潜入。文化祭のシーンだったので結構な数のエキストラが集められており、控室に混じっても誰にもバレなかったが、横浜くんにだけはきちんと驚かれた。ロケ弁まで食べて帰りは柏駅まで送ってもらった。不正参加なのに。
 ちなみに、「愛唄」のエキストラにも行っている。少し映っている……かもしれない。見ていないが。
 「今日もいい天気」リリースイベントにも、「青の帰り道」初日舞台挨拶にも顔は出したし、2018年11月のカレンダーイベントにも行った。結果的に、これが最後の会話になっている。

 横浜くん、実は戦隊に出ていた頃から4年くらいずっと「ネクストブレイク」と呼ばれていた。私は「売れてほしい」「夢を叶えてほしい」と「売れないで……」の狭間で葛藤していたのだが、友達には「戦隊の緑は売れないから大丈夫だよ」と励まされていた。
 だが、2019年冬。かの有名なドラマ「初めて恋をした日に読む話」で状況が一変する。深キョンの相手役・通称「ゆりゆり」で大当たりしたのだ。私は当時はてなブログを書いていたのだが、明らかにアクセスも急上昇。当時現役でオタクしていた友達も、「古参」としてフォロワーが増える始末。
 その後、どんどんどんどん売れていった。ものすごい勢いで有名人になった。正直びっくりした……が、同時に「よかった」とも思ったり……今でもその感情は複雑でよくわからない。
 たまにインスタのコメントを覗くと、昔と明らかに毛色が違う。なんか、紫のハートに埋め尽くされている。しかもちょっとパブサしてみると、なんか「ドS」と言われていたりして困惑した。インスタライブで機嫌悪そうにしている切り抜きが出回ったりとかもした。
 自分で言うのもアレだが、私は本当に何をしても横浜くんに怒られたことが一回もない。ずっと、ものすごく優しい人だと思っていた。ストーカーだったが、いわゆる"夜遊び""女遊び"みたいなボロは出したことがない。(実は一度だけちょっとそれっぽいものはあるのだが……2017年の話なので、まあ気になる人だけ調べてみてほしい)
 隣を歩いて、笑って話してくれる横浜くんが好きだった。……雑誌の表紙を飾り、CMに出まくり、広告代理店の商品として消費される横浜くんと、私の知っている横浜くんがどうにも一致しない。正直、今でも不可思議な気分だ。
 横浜くんはお父さんが大工なので(確かお父さん21歳の時に出来た子供である)幼少期に余った染め粉で金髪だか茶髪にされたり深夜に遭遇情報が出たと思ったら春日部のドンキだったりと、ちょっとマイルドヤンキー的な価値観もあり、結婚はまあまあ早いだろうと覚悟していたのだが、今のところまだ結婚していない。売れすぎて結婚できないのかもしれないが。
 売れた後の仕事、実はほとんど見ていない。だが、「国宝」は見に行った。
 ……ぶっちゃけ驚いた。横浜くんを追っている時に、芝居が上手いと思ったことは本当のことを言うとあんまりなかったのだ。でも「国宝」の横浜くんは、魂を削って、ぶつかり合って、全力で歌舞伎の世界を生きていた。
 ああ、本当に"俳優"になったんだ……。
 国宝のあらすじとは全く関係なく、走馬灯のように横浜くんと私の思い出が甦る3時間だった。こんな見方をしているのは日本に私だけだと思うが。そして、"何か"が成仏した気がした。未練でも恋でもない、何か、である。大金と時間を注ぎ込んだことを全く後悔させてくれなくてすごいなと思った。そう思わせてくれる芝居だった。

 「元気?」と聞いてみたい気持ちはあるが、売れすぎて気軽に行ける接触もなく、最後に会話したのが2018年11月11日で今に至る。
 ちなみに、今もインスタはフォローしているが、実は今の横浜くんの顔はそれほど好きではない。めちゃくちゃ顔がコケている(11年前比)のである。昔はもっと顔のフォルムが丸っこくて可愛らしかった。男性の成長とは切ない。
 下積み時代を支えていたと言うと聞こえはいいかもしれないが……当時はそんな意識もなく、いつの間にかこうなってしまっていた。まさか大河の主演俳優になるとは夢にも思っていなかったのである。
 覚えていてほしい気持ち半分、忘れていてほしい気持ち半分である。ただ、本当に感謝しているのは、人生で最初に推した"俳優"が横浜くんで本当に良かったということ。後悔していることはひとつもないこと。(トッキュウジャーのヒーローショー、あれだけ見に行ったのにもっと頑張ればよかったと反省はしているが)思い出のすべてが大切だ。横浜くんきっかけで出来た友達も未だに多いし。
 幸せで生きていてほしい。今では普通にそう思っている。
 ……というわけで、これが7年越しの"担降りブログ"というやつだ。願わくば死ぬまでに一度はトッキュウジャーに再集結してもらい、「ヒカリくん」にまた会いたいが、あまりにも横浜くんが売れすぎなのでちょっと諦めている。トッキュウジャーの◯◯years afterが作られた場合にも「ヒカリは医者になってアメリカに旅立ったんだ」とかの雑な説明で済まされても驚かない自信がある。
 ありがとう、楽しい思い出を、そして青春を。いろいろとごめんなさい、でもあるが。横浜くんの良い俳優人生を祈るばかりである。

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7年越しの横浜流星担降りブログ|めりぴょん/山野萌絵
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