救いのための聖書の言葉 (新約聖書)
マタイの福音書と
ローマ書からヨハネの黙示録まで
口語訳聖書
救いのための聖書の言葉
○
(マタイ1:23)
「見よ,
おとめがみごもって
男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと
呼ばれるであろう」。
これは,
「神われらと共にいます」
という意味である。
○
(マタイ3:11)
「わたしは悔改めのために,
水でおまえたちに
バプテスマを授けている。
しかし,
わたしのあとから来る人は
わたしよりも力のあるかたで,
わたしはそのくつを
ぬがせてあげる値うちもない。
このかたは,
聖霊と火とによっておまえたちに
バプテスマをお授けになるであろう。」
○
(マタイ4:16)
「暗黒の中に住んでいる民は
大いなる光を見,
死の地,死の陰に住んでいる人々に,
光がのぼった」。
この時から
イエスは教を宣べはじめて言われた,
「悔い改めよ,天国は近づいた」。
○
(マタイ8:16,17)
「夕暮になると,
人々は悪霊につかれた者を大ぜい,
みもとに連れてきたので,
イエスは
み言葉をもって霊どもを追い出し,
病人をことごとくおいやしになった。
これは,預言者イザヤによって
『彼は,
わたしたちのわずらいを身に受け,
わたしたちの病を負うた』
と言われた言葉が
成就するためである。」
○
(マタイ9:1,2)
「さて,イエスは舟に乗って海を渡り,
自分の町に帰られた。
すると,
人々が中風の者を床の上に
寝かせたままでみもとに運んできた。
イエスは彼らの信仰を見て,
中風の者に,
『子よ,しっかりしなさい。
あなたの罪はゆるされたのだ』
と言われた。」
○
(マタイ9:6)
「人の子は地上で罪をゆるす権威を
もっていることが,
あなたがたにわかるために」と言い,
中風の者にむかって,
「起きよ,床を取りあげて家に帰れ」
と言われた。
○
(マタイ9:12,13)
イエスはこれを聞いて言われた,
「丈夫な人には医者はいらない。
いるのは病人である。
『わたしが好むのは,
あわれみであって,
いけにえではない』
とはどういう意味か,
学んできなさい。
わたしがきたのは,
義人を招くためではなく,
罪人を招くためである」。
○
(マタイ9:27-30前)
そこから進んで行かれると,
ふたりの盲人が,
「ダビデの子よ,
わたしたちをあわれんで下さい」
と叫びながら,
イエスについてきた。
そしてイエスが家にはいられると,
盲人たちがみもとにきたので,
彼らに
「わたしにそれができると信じるか」
と言われた。
彼らは言った,
「主よ,信じます」。
そこで,
イエスは彼らの目にさわって言われた,
「あなたがたの信仰どおり,
あなたがたの身になるように」。
すると彼らの目が開かれた。
○
(マタイ10:40-42)
「あなたがたを受けいれる者は,
わたしを受けいれるのである。
わたしを受けいれる者は,
わたしをおつかわしになったかたを
受けいれるのである。
預言者の名のゆえに
預言者を受けいれる者は,
預言者の報いを受け,
義人の名のゆえに義人を受けいれる者は,
義人の報いを受けるであろう。
わたしの弟子であるという名のゆえに,
この小さい者のひとりに
冷たい水一杯でも
飲ませてくれる者は,
よく言っておくが,
決してその報いから
もれることはない。」
○
(マタイ11:28-30)
「すべて重荷を負うて
苦労している者は,
わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で
心のへりくだった者であるから,
わたしのくびきを負うて,
わたしに学びなさい。
そうすれば,
あなたがたの魂に
休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく,
わたしの荷は軽いからである」。
○
(マタイ12:15-21)
イエスはこれを知って,
そこを去って行かれた。
ところが多くの人々がついてきたので,
彼らを皆いやし,
そして自分のことを
人々にあらわさないようにと,
彼らを戒められた。
これは預言者イザヤの言った言葉が,
成就するためである,
「見よ,わたしが選んだ僕,
わたしの心にかなう,愛する者。
わたしは彼にわたしの霊を授け,
そして彼は正義を
異邦人に宣べ伝えるであろう。
彼は争わず,叫ばず,
またその声を大路で聞く者はない。
彼が正義に勝ちを得させる時まで,
いためられた葦を折ることがなく,
煙っている燈心を消すこともない。
異邦人は
彼の名に望みを置くであろう」。
○
(マタイ16:24)
それからイエスは弟子たちに言われた,
「だれでも
わたしについてきたいと思うなら,
自分を捨て,自分の十字架を負うて,
わたしに従ってきなさい。
自分の命を救おうと思う者は
それを失い,
わたしのために自分の命を失う者は,
それを見いだすであろう。」
○
(マタイ27:54)
「百卒長,および彼と一緒に
イエスの番をしていた人々は,
地震や,
いろいろのできごとを見て非常に恐れ,
『まことに,この人は神の子であった』
と言った。」
○
(マタイ28:18)
イエスは彼らに近づいてきて言われた,
「わたしは,
天においても地においても,
いっさいの権威を授けられた。
それゆえに,あなたがたは行って,
すべての国民を弟子として,
父と子と聖霊との名によって,
彼らにバプテスマを施し,
あなたがたに命じておいた
いっさいのことを守るように教えよ。
見よ,わたしは世の終りまで,
いつもあなたがたと
共にいるのである」。
○
(ローマ1:16,17)
わたしは福音を恥としない。
それは,ユダヤ人をはじめ,
ギリシヤ人にも,
すべて信じる者に,
救を得させる神の力である。
神の義は,その福音の中に啓示され,
信仰に始まり信仰に至らせる。
これは,「信仰による義人は生きる」
と書いてあるとおりである。
○
(ローマ3:21-23)
しかし今や,神の義が,律法とは別に,
しかも律法と預言者とによって
あかしされて,現された。
それは,イエス・キリストを信じる
信仰による神の義であって,
すべて信じる人に
与えられるものである。
そこにはなんらの差別もない。
すなわち,
すべての人は罪を犯したため,
神の栄光を受けられなくなっており,
彼らは,価なしに,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる
あがないによって義とされるのである。
○
(ローマ4:24,25)
わたしたちのためでもあって,
わたしたちの主イエスを死人の中から
よみがえらせたかたを
信じるわたしたちも,
義と認められるのである。
主は,
わたしたちの罪過のために死に渡され,
わたしたちが義とされるために,
よみがえらされたのである。
○
(ローマ5:1-5)
このように,
わたしたちは,
信仰によって義とされたのだから,
わたしたちの
主イエス・キリストにより,
神に対して平和を得ている。
わたしたちは,さらに彼により,
いま立っているこの恵みに
信仰によって導き入れられ,
そして,神の栄光にあずかる
希望をもって喜んでいる。
それだけではなく,
患難をも喜んでいる。
なぜなら,患難は忍耐を生み出し,
忍耐は錬達を生み出し,
錬達は希望を生み出すことを,
知っているからである。
そして,希望は失望に終ることはない。
なぜなら,
わたしたちに賜わっている
聖霊によって,
神の愛がわたしたちの心に
注がれているからである。
○
(ローマ6:6-8)
「わたしたちは,この事を知っている。
わたしたちの内の古き人は
キリストと共に十字架につけられた。
それは,この罪のからだが滅び,
わたしたちがもはや,
罪の奴隷となることがないためである。
それは,すでに死んだ者は,
罪から解放されているからである。
もしわたしたちが,
キリストと共に死んだなら,
また彼と共に生きることを信じる。」
○
(ローマ8:9-11)
神の御霊が
あなたがたの内に宿っているなら,
あなたがたは肉におるのではなく,
霊におるのである。
もし,キリストの霊を
持たない人がいるなら,
その人はキリストのものではない。
もし,キリストが
あなたがたの内におられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊は義のゆえに生きているのである。
もし,イエスを死人の中から
よみがえらせたかたの御霊が,
あなたがたの内に宿っているなら,
キリスト・イエスを死人の中から
よみがえらせたかたは,
あなたがたの内に宿っている
御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも,
生かしてくださるであろう。
○
(ローマ8:28-30)
神は,神を愛する者たち,
すなわち,
ご計画に従って
召された者たちと共に働いて,
万事を益となるように
して下さることを,
わたしたちは知っている。
神はあらかじめ知っておられる者たちを,
更に御子のかたちに
似たものとしようとして,
あらかじめ定めて下さった。
それは,御子を多くの兄弟の中で
長子とならせるためであった。
そして,
あらかじめ定めた者たちを更に召し,
召した者たちを更に義とし,
義とした者たちには,
更に栄光を与えて下さったのである。
○
(ローマ10:9,10)
「すなわち,自分の口で,
イエスは主であると告白し,
自分の心で,
神が死人の中から
イエスをよみがえらせたと信じるなら,
あなたは救われる。
なぜなら,人は心に信じて義とされ,
口で告白して救われるからである。」
○
(1コリント1:27,28)
それだのに神は,
知者をはずかしめるために,
この世の愚かな者を選び,
強い者をはずかしめるために,
この世の弱い者を選び,
有力な者を無力な者にするために,
この世で身分の低い者や
軽んじられている者,
すなわち,無きに等しい者を,
あえて選ばれたのである。
○
(1コリント3:11)
すでにすえられている
土台以外のものをすえることは,
だれにもできない。
そして,
この土台はイエス・キリストである。
○
(1コリント6:19)
あなたがたは知らないのか。
自分のからだは,
神から受けて
自分の内に宿っている
聖霊の宮であって,
あなたがたは,
もはや自分自身の
ものではないのである。
○
(1コリント10:16,17)
わたしたちが祝福する祝福の杯,
それはキリストの血に
あずかることではないか。
わたしたちがさくパン,
それはキリストのからだに
あずかることではないか。
パンが一つであるから,
わたしたちは多くいても,
一つのからだなのである。
みんなの者が一つのパンを
共にいただくからである。
○
(1コリント12:3)
あなたがたに言っておくが,
神の霊によって語る者はだれも
「イエスはのろわれよ」
とは言わないし,
また,聖霊によらなければ,
だれも「イエスは主である」
と言うことができない。
○
(1コリント15:50-52)
兄弟たちよ。
わたしはこの事を言っておく。
肉と血とは
神の国を継ぐことができないし,
朽ちるものは
朽ちないものを継ぐことがない。
ここで,あなたがたに奥義を告げよう。
わたしたちすべては,
眠り続けるのではない。
終りのラッパの響きと共に,
またたく間に,一瞬にして変えられる。
というのは,ラッパが響いて,
死人は朽ちない者によみがえらされ,
わたしたちは変えられるのである。
○
(2コリント4:6)
「やみの中から光が照りいでよ」
と仰せになった神は,
キリストの顔に輝く
神の栄光の知識を明らかにするために,
わたしたちの心を
照して下さったのである。
○
(2コリント5:17)
だれでもキリストにあるならば,
その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った,見よ,
すべてが新しくなったのである。
○
(ガラテヤ2:19,20)
わたしは,神に生きるために,
律法によって律法に死んだ。
わたしはキリストと共に
十字架につけられた。
生きているのは,もはや,
わたしではない。
キリストが,
わたしのうちに
生きておられるのである。
しかし,
わたしがいま肉にあって
生きているのは,
わたしを愛し,
わたしのために
ご自身をささげられた神の御子を
信じる信仰によって,
生きているのである。
○
(ガラテヤ3:2)
わたしは,ただこの一つの事を,
あなたがたに聞いてみたい。
あなたがたが御霊を受けたのは,
律法を行ったからか,
それとも,聞いて信じたからか。
○
(ガラテヤ4:6,7)
このように,
あなたがたは子であるのだから,
神はわたしたちの心の中に,
「アバ,父よ」と呼ぶ御子の霊を
送って下さったのである。
したがって,
あなたがたはもはや僕ではなく,
子である。
子である以上,
また神による相続人である。
○
(ガラテヤ5:22,23)
御霊の実は,
愛,喜び,平和,
寛容,慈愛,善意,
忠実,柔和,自制であって,
これらを否定する律法はない。
○
(エペソ1:7)
わたしたちは,
御子にあって,
神の豊かな恵みのゆえに,
その血によるあがない,
すなわち,
罪過のゆるしを受けたのである。
○
(エペソ:1:13,14)
あなたがたもまた,
キリストにあって,真理の言葉,
すなわち,
あなたがたの救の福音を聞き,
また,彼を信じた結果,
約束された聖霊の証印を
おされたのである。
この聖霊は,
わたしたちが
神の国をつぐことの保証であって,
やがて神につける者が全くあがなわれ,
神の栄光を
ほめたたえるに至るためである。
○
(エペソ2:4-8)
しかるに,
あわれみに富む神は,
わたしたちを愛して下さった
その大きな愛をもって,
罪過によって死んでいたわたしたちを,
キリストと共に生かし
―あなたがたの救われたのは,
恵みによるのである―
キリスト・イエスにあって,
共によみがえらせ,
共に天上で
座につかせて下さったのである。
それは,
キリスト・イエスにあって
わたしたちに賜わった
慈愛による神の恵みの絶大な富を,
きたるべき世々に示すためであった。
あなたがたの救われたのは,
実に,恵みにより,
信仰によるのである。
それは,あなたがた自身から
出たものではなく,
神の賜物である。
○
(エペソ3:11,12)
わたしたちの
主キリスト・イエスにあって
実現された神の永遠の目的に
そうものである。
この主キリストにあって,
わたしたちは,
彼に対する信仰によって,
確信をもって
大胆に神に近づくことが
できるのである。
○
(エペソ3:17ー20)
また,信仰によって,
キリストが
あなたがたの心のうちに住み,
あなたがたが愛に根ざし
愛を基として生活することにより,
すべての聖徒と共に,
その広さ,長さ,高さ,深さを
理解することができ,
また人知をはるかに越えた
キリストの愛を知って,
神に満ちているもののすべてをもって,
あなたがたが満たされるように,
と祈る。
どうか,
わたしたちのうちに働く力によって,
わたしたちが求め
また思うところのいっさいを,
はるかに越えて
かなえて下さることができるかたに,
○
(エペソ4:12,13)
それは,聖徒たちをととのえて
奉仕のわざをさせ,
キリストのからだを建てさせ,
わたしたちすべての者が,
神の子を信じる信仰の一致と
彼を知る知識の一致とに到達し,
全き人となり,
ついに,キリストの満ちみちた
徳の高さにまで至るためである。
○
(ピリピ1:9-11)
「わたしはこう祈る。
あなたがたの愛が,
深い知識において,
するどい感覚において,
いよいよ増し加わり,
それによって,あなたがたが,
何が重要であるかを
判別することができ,
キリストの日に備えて,
純真で責められるところの
ないものとなり,
イエス・キリストによる
義の実に満たされて,
神の栄光とほまれとを
あらわすに至るように。」
○
(ピリピ3:9-12)
「律法による自分の義ではなく,
キリストを信じる信仰による義,
すなわち,
信仰に基く神からの義を受けて,
キリストのうちに
自分を見いだすようになるためである。
すなわち,
キリストとその復活の力とを知り,
その苦難にあずかって,
その死のさまとひとしくなり,
なんとかして死人のうちからの復活に
達したいのである。
わたしがすでにそれを得たとか,
すでに完全な者になっているとか
言うのではなく,
ただ捕えようとして
追い求めているのである。
そうするのは,
キリスト・イエスによって
捕えられているからである。」
○
(コロサイ1:20)
そして,
その十字架の血によって平和をつくり,
万物,すなわち,地にあるもの,
天にあるものを,ことごとく,
彼によって
ご自分と和解させて下さったのである
○
(コロサイ3:1-4)
このように,あなたがたは
キリストと共に
よみがえらされたのだから,
上にあるものを求めなさい。
そこでは
キリストが
神の右に座しておられるのである。
あなたがたは上にあるものを
思うべきであって,
地上のものに心を引かれてはならない。
あなたがたは
すでに死んだものであって,
あなたがたのいのちは,
キリストと共に
神のうちに隠されているのである。
わたしたちのいのちなる
キリストが現れる時には,
あなたがたも,
キリストと共に
栄光のうちに現れるであろう。
○
(1テサロニケ4:15-18)
わたしたちは主の言葉によって言うが,
生きながらえて
主の来臨の時まで残るわたしたちが,
眠った人々より先になることは,
決してないであろう。
すなわち,
主ご自身が天使のかしらの声と
神のラッパの鳴り響くうちに,
合図の声で,天から下ってこられる。
その時,
キリストにあって死んだ人々が,
まず最初によみがえり,
それから生き残っているわたしたちが,
彼らと共に雲に包まれて引き上げられ,
空中で主に会い,
こうして,
いつも主と共にいるであろう。
だから,あなたがたは,
これらの言葉をもって
互に慰め合いなさい。
○
(1テモテ1:12-16)
わたしは,
自分を強くして下さった
わたしたちの主キリスト・イエスに
感謝する。
主はわたしを忠実な者と見て,
この務に任じて下さったのである。
わたしは以前には,
神をそしる者,迫害する者,
不遜な者であった。
しかしわたしは,これらの事を,
信仰がなかったとき,
無知なためにしたのだから,
あわれみをこうむったのである。
その上,わたしたちの主の恵みが,
キリスト・イエスにある
信仰と愛とに伴い,
ますます増し加わってきた。
「キリスト・イエスは,
罪人を救うためにこの世にきて下さった」
という言葉は,
確実で,
そのまま受けいれるに足るものである。
わたしは,
その罪人のかしらなのである。
しかし,
わたしがあわれみをこうむったのは,
キリスト・イエスが,
まずわたしに対して
限りない寛容を示し,
そして,わたしが今後,
彼を信じて永遠のいのちを受ける者の
模範となるためである。
○
(へブル2:14,15)
このように,
子たちは血と肉とに共に
あずかっているので,
イエスもまた同様に,
それらをそなえておられる。
それは,死の力を持つ者,
すなわち悪魔を,
ご自分の死によって滅ぼし,
死の恐怖のために一生涯,
奴隷となっていた者たちを,
解き放つためである。
○
(へブル7:25)
そこでまた,彼は,
いつも生きていて彼らのために
とりなしておられるので,
彼によって神に来る人々を,
いつも救うことができるのである。
○
(へブル9:28)
キリストもまた,
多くの人の罪を負うために,
一度だけご自身をささげられた後,
彼を待ち望んでいる人々に,
罪を負うためではなしに
二度目に現れて,
救を与えられるのである。
○
(ヤコブ1:20)
人の怒りは,
神の義を全うするものでは
ないからである。
○
(1ペテロ1:8,9)
あなたがたは,
イエス・キリストを見たことはないが,
彼を愛している。
現在,見てはいないけれども,
信じて,言葉につくせない,
輝きにみちた喜びにあふれている。
それは,信仰の結果なる
たましいの救を得ているからである。
○
(1ペテロ1:18,19)
あなたがたのよく知っているとおり,
あなたがたが先祖伝来の空疎な生活から
あがない出されたのは,
銀や金のような
朽ちる物によったのではなく,
きずも,しみもない小羊のような
キリストの尊い血によったのである。
○
(1ペテロ2:24)
さらに,わたしたちが罪に死に,
義に生きるために,十字架にかかって,
わたしたちの罪を
ご自分の身に負われた。
その傷によって,
あなたがたは,いやされたのである。
○
(1ヨハネ1:8,9)
「もし,罪がないと言うなら,
それは自分を欺くことであって,
真理はわたしたちのうちにない。
もし,わたしたちが
自分の罪を告白するならば,
神は真実で正しいかたであるから,
その罪をゆるし,
すべての不義から
わたしたちをきよめて下さる。
主イエスの血,
全ての罪より我らを潔む。」
○
(1ヨハネ4:10)
「わたしたちが神を愛したのではなく,
神がわたしたちを愛して下さって,
わたしたちの罪のために
あがないの供え物として,
御子をおつかわしになった。
ここに愛がある。」
○
(1ヨハネ4:16)
「わたしたちは,
神がわたしたちに対して
持っておられる愛を知り,
かつ信じている。
神は愛である。
愛のうちにいる者は,
神におり,神も彼にいます。」
○
(ヨハネの黙示録21:1-4)
わたしはまた,
新しい天と新しい地とを見た。
先の天と地とは消え去り,
海もなくなってしまった。
また,聖なる都,新しいエルサレムが,
夫のために着飾った
花嫁のように用意をととのえて,
神のもとを出て,
天から下って来るのを見た。
また,御座から大きな声が
叫ぶのを聞いた,
「見よ,神の幕屋が人と共にあり,
神が人と共に住み,
人は神の民となり,
神自ら人と共にいまして,
人の目から
涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや,死もなく,悲しみも,
叫びも,痛みもない。
先のものが,
すでに過ぎ去ったからである」。
2019-07-07






