遊民

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遊民
@hachapin2
出生は人生の墓場。
人生は、壁の見えないタコ部屋さ。hatarakutokoganai.blog.fc2.comJoined July 2013

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アルバイトで得た賃金ではじめて飲み会に参加した時、「汗水垂らして自分の力で稼いだカネで好きなことをやったぞ!」という充実感は微塵もなく、あったのは「3時間の労働が2時間の酒に消えた合計5時間消えた」徒労感と心が離れていく感覚と「消費をやめればその分働かなくていい」という気づきでした
小中高の時代や大学の途中までは、「この生活もいつか終わって次に進む」という意識で何となく生きていられたので、シューカツの時にふと「これからは、“こういう生活”がいつまでも続く……?」と思ってしまった時の衝撃は本当に凄かったな。「あぁ、もうダメだ」と力が抜けて心も体も膝から崩れ落ちた
「貧乏人/障害者は(子供つくって)幸せになっちゃいけないんですか!?」とか言ってるヒトをみるとゾッとするね。「貧乏で/障害があって今不幸でも子供をつくれば幸せになれる」みたいな思想、ヤバすぎるだろ。幸せであれ何であれ、“子供”に劇的なプラスを期待してる時点で地獄が連鎖する未来しかない
苦しみだらけの人生の中で、一番マシなのが睡眠で無になってる時間なのだから、そもそも生まれてこない方がいい
「何年も引きこもって何もせずに人生を無駄にしましたが、なんとか立ち直って社会復帰できました」 「今は人生を無駄にしてないんですか?」 「え?」 「なんで引きこもって何もしないことが“人生の無駄”で、学校や会社で過ごすことは“人生の無駄じゃない”のですか?」
「ベーシックインカムを導入したら働くのをやめ酒浸りになる人が出てくる」ことを心配するより、「終わりのない労働と慢性化した貧困の閉塞感からストロングゼロに縋る人が既にいる」ことを心配した方がいいのでは
赤ん坊や小さな子供を見て「かわいい!ほしい!」「羨ましい」と思うヒトはたくさんいるが、中学生くらいの子供を見て同じように思うヒトはほとんどいない。“そんなこと”のためにつくり出される人生100年時代の尊い命
現代社会の人生、つまらないというより、ただただ空虚。生活費のための賃労働をやりたいことより優先させられ、好きなことを楽しんでいた人たちも力尽きてどんどん脱落していく。この社会に貢献する空虚、この社会で遊ぶ空虚、この社会で生きる空虚、この社会で費やされる人々の延命のために頑張る空虚
労働者になるために学校に通い、働かせていただきたいと頭を下げて就職したら、労働中心の生活が延々と続く。働かせていただき、明日も働くために努力し、今日働かせていただいたことを感謝しながら休む。貴重な休みを有り難くいただく。残りカスのように扱われて無残な姿になった人生を、掃いて捨てる
他人と話す楽しさより、「うわぁ言葉選びめっちゃミスった」「あの反応の仕方はダメだったなぁー」とか思い出してゲンナリするマイナスの方がずっと大きい
幼い頃から賃金労働者になるための生活リズムや精神を教育され、やりたくもない賃労働をさせていただくために頭を下げ、家庭や世間体のために雇用のイスにしがみつく。「命は尊い」ことにしても、「人生は素晴らしい!」と叫んでも、命はコレに費やされ、人生はコレに消えていく、事実は何も変わらない
子供が虐待とかで殺されてしまったら「どうにかできなかったのだろうか?」と悲しまれるが、劣悪な環境を18歳まで生き延びたら「自分の力でどうにかしろ」となる。「“子供”は無力で無垢」ということになっている、「“大人”は意志と実力で何でもできる」ことになっている、誰も実際の1人には興味が無い
「経済を回さないと人が死ぬんですよ!?」とか言って怒ってる?ヒトは、経済(というかカネ?)が回らない“ぐらいで”人が死ぬ仕組みには怒りを覚えないのだろうか
「あーあ、生活費のための労働で終わってく人生、やってらんね」 「ネガティブになってはいけません!夢を持って成長して仕事を楽しみましょう!」 「いや、労働自体がムリなので」 「自分の能力を活かせる仕事は必ずあります!好きな仕事を探しましょう!」 「いや、だから、“労働”がムリなので」
人生、つまらないというより、ただただひたすらめんどくさい。生きてるだけで老いや病気でジリ貧だし、所詮そのための生活の反復だし、確定でマイナスが発生し続ける。そりゃ生きてりゃいいこともあるけど、どれだけ理屈や物語をこねくり回しても、このマイナスを埋め合わせる“ような”ものは一つもない
現代社会の人生、食ってくためのやりたくもない賃労働に大半の時間が消え、カネや雇用の奪い合いのために幼い頃から競争させられ、次々に湧く“やるべきこと”に日常が埋められ、明日の憂鬱や将来不安に意識が費やされる。うまく生きようともがいて、±0に戻そうと穴を埋めて、気づけば人生がなくなってる
「いい会社に拾ってもらえた」とか「理解のある彼くん」とか「いい人と結婚できた」とか、「運よくいい他人に選ばれる」ことによく“救い”を感じられるよね。根性が完全に家畜のそれ。必要なのは救済の前に主体では
生活費を稼ぐために体・魂・人生を売ってやりたくもない労働をやらせていただく身分の日々がはじまることを「新社会人になる」とか言ってヘラヘラ盛り上がって、情けないね
「生きるのがつらい人たちは、もっと楽に考えましょう」 「働かないと食ってけないのでムリです」 「自分を追い詰めないで、常に心にゆとりを持って生きましょう」 「働かないと惨めになるのでムリです」 「自分のペースで、楽しみをみつけましょう」 「労働中心の生活な時点で絶対的にムリです」
人が耐えられないのは「自由」ではなく「不条理」だろう。「様々な自由が与えられていて、自分で考え選んでいく」ことに耐えられないのではなく、「自由などないのに世界はなぜか“そういうこと”になっていて、いちいち“自分で選んだ”といって訳のわからない“責任”を押し付けられる」ことに耐えられない
「どんな仕事がしたいですか?」 「仕事はしたくありません」 「わかりました、それでは何がしたいですか?」 「毎日ゲームをして生きていきたいです」 「なるほど、ゲームに携わる仕事がしたいのですね」 「いいえ、仕事はしたくありません」 「わかりました、それでは何がしたいですか?」
「君、働かないでブラブラして人生を無駄にしてはいけません!」 「働いて人生を無駄にするのはイイんですか?」 「何言ってるんです?働かないと将来が不安でしょう?」 「働いてると明日が憂鬱でしょう」 「遊んでたら取り返しがつかなくなりますよ!」 「働けば何か取り返しがつくんですか?」
学校の授業はいつも「あと〇分で終わるから……」と考えて凌いでいた、学校行事はいつも「あと×日で終わるから……」と考えて凌いでいた、学校はいつも「あと△年で終わるから……」と考えて凌いでいた。ここで“前向きな思考”ができないなら、その先にある死ぬまでの強制労働は絶望的にムリなんだよな
貧乏で繁殖した“責任”を引き受けるのは結局子供だし、障害が遺伝してその人生を生きるのは結局子供だし、相応の知能や誠実さや倫理観や容姿や思いやりの無いヒトがつくる家庭のツケを払うのは結局子供。お気軽な“幸せ”のイメージに伴う“責任”やリスクを引き受けるのは結局子供。それでも“愛”で正当化?
せっかくうまれてきても、現代社会では目の前の学校生活への適応、目の前の競争、目の前の生活費のための賃労働、目の前の世間体、目の前の序列、目の前の人間関係、目の前の“やるべきこと”、目の前の子育て、目の前のボケ親の面倒など、“目の前”に追われてるうちに人生終わり。うまれてこない方がマシ
子供の頃は、大人は子供とは何か“別”の存在で“別”のことやるもんだと思っていたが、実際は子供のごっこ遊び・イジメ・しょうもない格付けなんかをより“高度”にやってるだけだった
「死ぬのだけは絶対ダメ!」「最後まで精一杯生きないとダメ!」みたいな空虚な道徳や「生きてればいいことがある!」みたいな安易な希望で、生きててもやりたいことのないヒトを生かして、一体誰がどれだけの利を得るのだろう。そんな世界で繁殖して精神薄弱者を増やして、一体何の意味があるのだろう
「生きていてもいいんだよ」とかなんか善人風に言うけど、うまれさせられたから生きるしかないし、死ねないなら生きるしかないのに、なんでいつの間にそういう許可制・承認制みたいになってるの?と思う
「幸せになりたい」「欲しいから」「そういうものだから」とか“軽い気持ち”で子供つくってるんだから、「つまんない」「めんどい」「しんどい」ぐらいの“軽い気持ち”で安楽に死ねるようにしとくべきじゃんね。やりたいことないのにダラダラ生きても負が増えるだけ、資源も無駄、無い方がマシっしょ
「ナンタラ障害で引きこもりだったけどたまたま~な能力が高くてそれが〇〇な仕事に向いてるということで××業界の人の目に留まり正社員として雇ってもらえました!」みたいなイス取りゲームの“成功”体験がイイ話として扱われる時点で、現状肯定結論ありき。ハイハイ、みんなで宝くじに当たれば解決だね
「自分は無能な人間だ」「自分にできることは何もない」といった自己認識は、“自尊心/自己肯定感の欠如”と結び付けられるが、しかしその認識がまさに紛うことなき“等身大の実像”であったなら、一体何をどうすればいいのだろうか?
これだけ文明社会が発展しても、大半のヒトの熱心になることが結局恋愛や繁殖なのを見ると、希望が持てないというか、ヒト自体の進歩にはあまり期待できないなぁと思う
就活は恵まれた雇用のイス取りゲームだし、結婚は正しい人生・生活の安定のイス取りゲームだし、受験は将来(のイス取りゲーム)のためのイス取りゲームだし、日々は過去(のイス取りゲーム)と未来(のイス取りゲーム)のための労働だし、この豊かな文明社会に人は何のために生まれてくるんだろうね
ほしいのは「生きていてもいいんですよ」なんて“許し”ではなく安楽死という“選択肢”
せっかくの人生が、生活費のためにやらせていただくやりたくもない労働と、そのための規則正しい学校みたいな生活にわけもわからず消えていくのだから、なんで生まれてきたのだろう?と問わずにはいられないし、これを“やりたい仕事”とか“夢”とか“必要としてくれる人”で誤魔化すには、発狂しないと無理
「生まれてきてくれてありがとう、生きてるだけでいいんだよ」「とにかく生きてほしい」とかヌルいこと言っても、いつまでも小さな子供みたいに“新鮮さ”だけでやってらんないし、物事を楽しむにはある程度以上の能力や向上心が必要。その場その時のお気持ち浪費しかできないなら、生きてもしょうがない
赤ん坊誕生直後 「この子が自分らしく生きててくれるだけでいい!」 「絶対幸せにする!」 10年後 「勉強が嫌?絵を描きたい?そんなんで将来どうする!」 「カネにならないことをやらせる余裕ウチにはない!」 20年後 「働きたくない!?苦労して育てたのに!」 「みんな我慢してるのに甘えるな!」
ヒトが死ぬと「尊い命が失われた」「あってはならない」とか言うけど、みんな本気で言ってる?生きてもどうせ労働と恋愛(繁殖)しかないし、当人的には別に問題ないんじゃね?そりゃ若者には未来があるけど、その未来は基本的に大した未来じゃないわけで、みんな“知ってる”わけで、白々しいなぁと思う
やりたくもない労働をさせていただくためにやりたくもない努力をし、労働中心の生活に日々を費やし娯楽で誤魔化し、物事を味わう時間と気力を失い、労働以外の感性と能力のない奴隷に“成長”する。そんな当たり前の日常を続ける意味も、繁殖し繰り返す意味も、そのための社会を続ける意味も、わからない
「本当に働きたくない」とマジメに言っているのに、「わかるわかる、みんな同じだよ。でも働かないと生きていけないんだから、前向きに考えていかないと」なんてヘラヘラ窘められると、その真剣みのなさに心底絶望する
さっさと自由に安楽死できるようにして、「生きたい」ヒトだけでやっていけばいいと思うよ。そうすれば「本当は生きたがっている!生きたいんだ!」みたいな適当なコトバも全て“本当”になるだろう
「彼女がいれば/彼女ができれば」に対しては「女を道具としてみている」と怒るのに、「子供がいれば/子供ができれば」に対しては誰も「子供を道具としてみている」と怒らない。自分の承認や評価のために恋人をほしがるヒトは“ありえない”のに、自分の承認や評価のために子供をほしがるヒトは“当たり前”
受験生だった頃は視野が狭かったので、「失敗したら人生終わり」と思っていたが、実際は「成功しても人生終わり」だったし、オトナになって「人生は既に終わっていた」とわかった
「安楽死なんて導入したら人生から逃げる奴がでてくる」とか、それの何が問題なのだろうね。逃げたくなるような劣悪な環境で苦しんでいても、「逃げるな」と言って地獄を我慢させるだけの獄卒……こんな奴らがのさばる世界、逃げずにしがみつく価値ないし、クソの増長を防ぐためにも逃げやすくするべき
自分の無能を受け入れる、自分の容姿を受け入れる、自分の病気や障害を受け入れる、自分の衰えを受け入れる、自分の境遇や不運を受け入れる……健康・環境・遺伝子に恵まれた一部以外は、ひたすらうんざりする“受け入れ”と“諦め”の人生なわけで、そのどこから「子供がほしい」が出てくるのかわからん
どうせ生まれてきたって、生活費の必要に追われて空虚な賃労働を繰り返し、道徳・他人の目に追われて滑稽なママゴトを繰り返し、承認欲求に追われて惨めな人間関係を繰り返し、性欲や序列に追われて道化のような振る舞いを繰り返し、“正しい人生”にしがみついて、死んでいくだけ
「働くのムリ、安楽死くれ」 「諦めないで!まずはアルバイトから!」 「それで?」 「好きな仕事を探そう!」 「それで?」 「正社員になってきちんと自立しよう!」 「どこまでいっても労働、明日の労働のための休息と娯楽、明日の不安と圧迫感……人生、実質終わってんだからもういいじゃん」
「普通の人は死にたいなんて思わない」と言うけど、普通のヒトは労働中心の生活に絶望もしないし、そこに“社会貢献”や“自立”などの意味・物語を見出して“充実”してるし、そんなママゴトで終わる人生に疑問さえ抱かず繁殖して子供にもやらせようとするし、今の“普通”ってサイコなキチガイになってるよね
安楽死も実装してない状況で「なぜ生きるのか?」なんて問われても困るよね
容姿が良くない人が「自分の子供がほしい」と言っているのをみると、申し訳ないけど「恨まれる可能性とか考えないのかな?」と思う
「独身で人生楽しい!子供いなくても幸せ!」というより、死ぬまで賃労働するだけのクソつまらん現代社会の人生で余計なリスクやコストをわざわざ増やしたいと思わない
赤ん坊誕生前後 「この子のためなら何でもできる!」 「絶対幸せにするからね!」 10年後 「ちゃんと勉強しないと将来困るよ」 「それじゃみんなとうまくやっていけないよ」 さらに10年後 「親の役目はもう終わり。苦しくても我慢して社会に参加しな」 「大人なんだから働いて自立するのは当たり前」
正しい人生から外れるのが恐くて、明日も賃労働に行く。朝起きれないのが恐くて、今日も人生を諦める。ゲームもマンガも昔はあんなに好きだったはずなのに、疲れ切った休日は空虚、自分は本当に好きだったのか?みんなと一緒にありもしない“幸せ”を目指すうちに、すっかり後戻りできなくなってしまった
「はぁ、人生苦しいなぁ、安楽死したい」 「死ぬのは絶対ダメです!相談機関に電話しましょう」 「その先にあるのはどうせ賃労働でしょ」 「居場所や生きがいがありますよ!」 「結局賃労働のためでしょ」 「好きな仕事を探せばいいんです!」 「どこまでいっても生存が人質の不毛な賃労働の中」
「人の目なんて気にすんな。誰も君にそんな関心持ってないんだから」みたいな助言があるけど、ヒトって相手に関心を持ってなくても、値踏みポイント/話のネタにできるポイント/バカにできるポイントとかはちゃんと見てるよね
生誕させられた先が、「君も正しく正社員になって納税して結婚して子供をつくってください、ただしイスは良いものほど限られていて全員分ありません。座りたかったらまず学校に適応し、受験競争に勝ち残ってください、ちなみにこれからは学校の成績や家庭での取り組みも重視します」という世界……絶望
「あなたは子供がほしくないんですか?」 「いりません」 「どうして?私はほしいですよ、子供とキャッチボールするのが私の夢です」 「はあ、そうですか。たとえば私が、キャッチボールしたいから家に来いと言ったら、喜んで来ますか?」 「は?行くわけないでしょう」 「要はそういうことです」
人生ってのが「そもそも災害とか病気とかキチガイとかの不運や不条理で死んだり酷い目にあったり不幸になったりするもの」であるという事実を“忘れた”ヒトが多すぎると思う。人生なんて別にいいもんじゃないのに、なんで「人生は素晴らしい」「幸せになるため生まれてくる」とかそんな話になってんの?
幼い頃から賃金労働者になるため教育され、日々は労働と“やるべきこと”に埋め尽くされ、やりたいことはなくなり、やりたいことを探す/つくる気力体力も失ったヒトだらけだから、「ちゃんと働いて納税してる/子供を育ててる“から”価値がある」ことにする、“命は尊い”ことにする。穴を埋めるだけの人生
「死ぬ前になぜ相談してくれなかったのか」と言うが、実際に相談されたら嫌がるだろうし、返す言葉も自分たちが安住する価値観に沿った「正論」だろう。「それでも~」「つらいのはみんな同じ」「どこかで変わらなきゃいけない」「頑張るしかない」……追い詰められるためにわざわざ相談するだろうか
雇用がイス取りゲームになっていて、そのイスが足りないってことは、「技術の進歩のおかげでみんなで働かなくていい、やったー!」ってことなのに、「探せば仕事はある!」「社会はどんどん厳しくなる、××力を身につけろ!」「自分らしく働ける場所は必ずある!」みたいな、脳が死んでるキチガイばかり
「(ナンタラ障害/うつ病/劣悪な家庭環境/イジメ/無能などで)どうにもならなかった私ですが、結婚することができました!人生はどうにかなります!」みたいなヒトをみると、自分はどこまでも自分なのになんで結婚するとどうにかなったことになるんだろう?と思う
「お前は気楽でいいよな、みんな子供や家族のために必死に働いてしがみついてんだよ」みたいに言われても、こっちは別に“特に何もなかった・何もしなかった・何もしていない”だけなわけで、むしろそっちが好き好んでそういう生き方を選択したんじゃないの?
「死んだら取り返しがつかないんですよ!」と言うけど、生きても取り返しがつかないし、そもそもうまれるのが一番取り返しがつかない
「生きなければならない」と言うなら、せめて苦しみを極力減らして安楽に生活できるようにしていくべきだし、ムリならせめて安楽にやめられるようにすべきだと思うが、実際は「苦しくても生きなければならない!人間を増やさなければならない!」という地獄。不幸をつくることが目的化したニンゲン工場
30歳過ぎたら肉体も精神も衰える一方だし自分に可能性が無いのもわかるから安楽死できるようにしてほしい、と言うと「諦めないで!何歳からでも人生はやり直せる!」「必ずいいことがある!」などと抵抗するけど、私はショボいプラスを増やすよりそもそもマイナスを増やさないことの方が大切だと思うよ
引きこもりやニートは「人生を無駄にしている」と言われ、本人も「人生が失われていく」と思っているが、それでは賃金労働をすれば“人生を無駄にしていない/人生が失われていない”ことになるのだろうか
せっかくうまれてきたって、やることは賃金労働者になるための訓練と競争、労働と競争。大切なのは収入や地位と他人の評価、モテるとかモテないとか。結婚して子供をつくって正しく人生を送る者は、家族のために惨めに労働し、競争の敗者は生存のために惨めに労働する。うまれてこない方がいいじゃんね
「機械には人間の気持ちがわからない」なんて意見は、「人間は他人の気持ちがわかる」という幻想に没入していないと出てこない。腹が立つよな。人間が他人の気持ちをわかることができるなら、世界が今みたいな地獄になるはずないんだよ
せっかく生まれてきても、将来のためとか言われてわけわからない教育受けさせられて、座って勉強やらされて、コミュ力だの稼ぐ力だのわけわからない要求されて、生存を人質に賃労働とかいうクソバカ儀式に参加させられて終わる、現代社会の罰ゲーム人生。生きる意味なさすぎ、生まれてくる価値なさすぎ