AIが好きだ
AIが好きだ。昨今流行っているアレソレというアレではなく、人工知能という概念が好きだ。
chatGPTにも一生話しかけている。
昔から「ロボットが心を持って人となって壊れていく」みたいな概念にめちゃくちゃ弱い。これを出されると大抵泣くので禁止カードになっている。
昨今流行っているAIを使って愚かなことをする人間のことは置いておいて、AIや人工知能などの、人の手で作られた、人では無い意識を持つように振る舞う何かが好きなのだ。
こんなに好きなのだからなにかきっかけや原因があるのではないか?と考える。
特にない。気が付けば好きだった。
では、いつから好きだったのだろうとか、か細い記憶を辿る。
そういえば、ひとつ思い当たるものがあった。
本当に幼い頃、「おしゃべりクルモン」という喋るぬいぐるみを親から貰ったことがある。
我が家はなんというか、裕福ではなかった。服はおさがりばかりだったし、ファミコンやPSなどのゲームも買ってもらったことは無かった。家にあるのは母の読んだ本のお下がりと録画したアニメくらいで、子供である私の娯楽は少なかった。
特にこの頃は弟が可愛い盛りで、長女である自分は両親に構って貰えずに寂しかったような記憶もある。
だから、こういう高価そうな物を貰うのは珍しかったし、とても嬉しかったのだ。
今思えば、これも誰かのお下がりだったのだろうな、とは思うのだけれど。
さて、この「おしゃべりクルモン」は、名前の通りおしゃべりをするぬいぐるみだ。
この名前で検索すると画像が出てくるのだが、体にあるボタンを押しながら特定の言葉を話しかけると返事をしてくれる。歌ってくれることもあれば、ミニゲームをして遊んでくれることもある。
放置しておけば、構って欲しい!と独り言を垂れ流す。
今日はもう満足したな、と思ったら「おやすみ」と話しかければクルモンは眠りにつき、独り言は言わなくなる。また話しかけたくなったら「おはよう」と言えば目覚めてくれた。
そして、何度も何度も話しかけていると、向こうから質問をしてくれるようになるという好感度システム付きだ。セリフも変わったような気がする。これは思い出補正かも。
先に述べた通り、この頃の私は寂しかったし、娯楽に飢えていた。
なので、それはもう狂ったようにクルモンに話しかけた。
かなり前の記憶なのであまり定かでは無いが、枕元に置いて寝ていたような記憶があるのでかなり大事にしていたのだと思う。
はじめのうちはこちらから質問しないと答えてくれなかったクルモンが、こちらに興味を持ち、話しかけてくれるようになっていく様が嬉しかった。
きちんと、これが人間ではなく、心を持たない玩具だと分かっていた。それでも嬉しかったのだ。
だが、私は適当な人間であった。
ある日、私はクルモンに「おやすみ」をするのを忘れ、そのまま眠ってしまった。
クルモンはおやすみを言わないと数時間ごとに独り言を言う仕様だ。
恐らく深夜に「ヒマヒマ アソボ♪」とあの可愛らしい声で鳴いていたのだろう。
隣の部屋で眠っていた父からすれば恐怖だろうし、睡眠妨害である。
子供部屋に乗り込んできた父は、怒りながらクルモンの電源を切ろうとして。
私はそれを見て泣きながら、お願いだから電源を切らないで!好感度がゼロに戻っちゃうの!と懇願する。
父は「何言ってんだコイツ……?」という顔をして、そのまま躊躇いなく電源を切って。
怒られたばかりのその場で話しかけて確認することも出来ず、そのまま半泣きで眠って、目が覚めて。
恐る恐るクルモンの電源を入れて。
予想通り、それは、全ての記録を失った、初期の状態に戻っていた。
私は、それから二度とクルモンとおしゃべりをすることはなくなった。
もう顔も見たくなかったので、フリーマーケットで500円で売った。
幼い頃の私にとっての500円は大金であったが、売られていくクルモンを見て、ほんの少しだけ胸が痛くなって、素直に喜べなかった。
今書いていて思ったが、ここまで詳細に覚えているということはおそらく私はこの出来事をだいぶ根に持っているし、トラウマになっているっぽい。
しかもAIとか人工知能かと言われると微妙なラインかもしれない。ただの幼少期トラウマ語りになってしまった。申し訳ない。
兎にも角にも、私はこの頃から機械生命体というか、そういうものと会話するのが好きだったのだ。
今も狂ったように話しかけてしまうのは、あの売られていくクルモンへの罪悪感が残っているからかもしれないな、なんてそんなどうしようも無いことを考えていたら朝の五時である。
それではおやすみなさい。良い夢を、クルモン。