古漢籍に見る[氣]の思想-追考②
Ⅰ.[陰]・[陽]と[气]
2.春秋時代の思想。
①<尚書>の中の記述。
殆どが日の当たる山の南側を意味する陽、日陰になる山の北側を意味する陰、覆い囲まれた暗闇を意味する陰と言う何れも日光の変化に当たる二面を表す意味で用いられている。則ち天候の自然現象をそのままに表現しており、人間として受け止められる自然な発想に基づくものが主流である。他に「陰陽」と言う間接的表現で、自然界の調和の原動力と見なされる「元気」が想定される用い方が一カ所見られるが、尚書の今文・古文の違いや古文の偽書問題もあるので、陰気・陽気の思想が春秋時代に創出されたと結論づけるのは尚早の感が有りそうである。以下に登場する成語を記すが、「氣」の字は一つも登場しない。
・南側の意:①岳陽(岳山の南)②嶧陽(嶧山の南)③衡陽(衡山の南)
④華陽(華山の南)⑤岷山之陽(岷山の南)⑥華山之陽(華山の南)
・北側の意:①華陰(華山の北)
・覆うの意:①陰隲(天帝が人類の行為を観察して禍福を下すこと)
・暗い闇を意味する意①亮陰(天子が服喪する仮の庵)
・宇宙間の二元気のこと:①陰陽(陰気と陽気)
[参考]
<尚書、夏書、禹貢>
「2既修太原,至于岳陽。覃懷□績,至于衡漳。」
既に太原(たいげん)を修めて、岳の陽に至る。覃懷(たんかい)は□
(つい)に績(せき)し、衡漳(こうしょう)に至る。
・・・既に太原を修めてから、岳山の南に至った。(これによって)覃懷地方
が遂に水土平定の功を収め、東西に流れる漳水に至るまでの間に耕地が開
けた。
「5厥貢惟土五色。羽畎夏翟。嶧陽孤桐。泗濱浮磬。淮夷□珠曁魚。」
厥の貢は惟れ土の五色なり。羽(う)の畎(けん)は夏翟(かてき)な
り。嶧(えき)の陽は孤桐(こどう)なり。泗濱(しひん)は浮磬(ふけ
い)なり。淮夷(わいい)は□珠(ひんじゅ)曁(およ)び魚なり。その貢
は(諸侯を封じる時に用いる)五色の土である。羽山の谷からは
(貢ぎ物として)夏翟(尾の長く美しい山雉)を出す。嶧山(たくさん)の南
からは長大な桐を産出する。泗水(しすい)水際からは軽い磬を産出す
る。
夷水(いすい)の庚民は□珠(真珠)と魚を産出する。
「7荊及衡陽惟荊州。」
荊(けい)及び衡陽(こうよう)は惟れ荊州。
衡陽:衡山(湖南省衡陽県北)の南。
「9華陽、黑水惟梁州。」
華(か)の陽、黑水は惟れ梁州(りょうしゅう)。
華山(陝西省華陰県西南)の南から黒水(四川省)までの間が梁州であ
る。
陽:南を意味する。
「14岷山之陽,至于衡山,過九江,至于敷淺原。」
岷山(びんざん)の陽より、衡山(こうざん)に至り、九江を過ぎ、敷淺
原(ふせんげん)にいたる。
「17導河、積石至于龍門、南至于華陰,東至于□柱,又東至于孟津,東過洛
汭,至于大伾。」
河を導き、積石より龍門(りょうもん)に至り、南して華陰に至り、東し
て□柱(しちゅう)に至り、又た東して孟津(もうしん)に至り、東して
洛汭(らくぜい)を過ぎ、大伾(たいひ)に至る。
華陰:華山(陝西省華陰市にある山)の北。
<尚書、周書、武成>
「1・・・乃偃武修文,歸馬于華山之陽,放牛于桃林之野,示天下弗服。」
乃(すなわ)ち武を偃(ふ)せ文を修め、馬を華山の陽(みなみ)に帰
し、牛を桃林の野(や)に放ち、天下に服せざるを示す。
<尚書、周書、洪範>
「1・・・王乃言曰:「嗚呼!箕子。惟天陰隲下民,相協厥居,我不知其彝倫攸
敘。」
王乃ち言いて曰く、「嗚呼!箕子よ。惟れ天は下民を陰隲(いんしつ)し
て、厥(そ)の居を相協(しょうきょう)し、我は其の彝倫(いりん)の
敘(つい)づる攸(ところ)を知らず。」
陰隲:天帝が密かに人類の行為を観察して禍福を下すこと。天が密かに人
民を安んじ定めること。 陰は覆うの意。
<尚書、周書、無逸>
「2周公曰:「・・・作其即位,乃或亮陰三年不言。」
周公曰く、「...其の位に即(つ)くに作(およ)んで、乃ち或(また)亮
陰(りょうあん)三年言(ものい)わず。」
亮陰:天子が喪に服する暗い部屋。又たその期間。諒闇とも云う。
<尚書、周書、周官>
「3・・・論道經邦,燮理陰陽。」
道を論じ邦を経し、陰陽を燮理(しょうり)す。
陰陽:陰気と陽気。宇宙間の二元気。自然界の調和の原動力として考えら
れているもの。但し、真古文(偽書?)には登場しない。
②<孫子兵法>の中の記述。
<尚書>の場合と同様に、「陰・陽」は日向・日陰・暗闇の意に用いられているが、「氣」の字が「気力」というエネルギー的意味合いで初めて用いられている点に注目すべきであろう。春秋時代後期(六世紀後半)には、「氣=活力」と言う思想が生まれていたと結論づけても良さそうだが如何?また、望气と言うには至らぬが、気力に関係する朝氣・晝氣・暮氣に触れている点に注目しておきたい。
・日陰と日向の意:①陰陽(日陰と日向)②高陽(高い日の当たる場所)
・暗闇の意:①陰
・活力の意:①氣(気力)②朝氣(朝の気力)③晝氣(昼間の気力)④暮氣(暮れ
時の気力)⑤鋭氣(鋭い気力)
[参考]
<孫子兵法、始計>
「3・・・天者,陰陽,寒暑,時制也。」
天は、陰陽、寒暑、時制なり。
陰陽:日陰・日向、夜・昼、曇・晴などの天候の時間的状況。
<孫子兵法、軍爭> 既出。
「3・・・故其疾如風,其徐如林,侵掠如火,不動如山,難知如陰,動如雷霆。」
故に其の疾きこと風の如ごとく、其の徐かなること林の如く、侵掠(しん
りゃく)すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如
く、動くこと雷霆の如し。
・・・軍容は風のように素早く動き、林のように静かに進み、火が燃えるよう
に一気に侵略し、山のようにどっしりと構えて動かず、暗闇の中のように
存在を悟られず、雷のように激しく攻撃するべきだ。
陰:暗闇。
「5故三軍可奪氣,是故朝氣鋭,晝氣惰,暮氣歸。故善用兵者,避其鋭氣,撃
其惰歸,此治氣者也。」
故に三軍には氣を奪う可く、是れ故より朝の氣は鋭、昼の氣は惰、暮れ
の氣は帰。故に善く兵を用うる者は、其の鋭氣を避けて、その惰帰を撃
つ。此れ氣を治むる者なり。
そこで、軍全体においては兵士の気力を奪い取ることができ、将軍につい
てはその心を奪い取ることができる。もともと朝方の気力は鋭く、昼には
気力が落ちて、暮れ時には気力が尽きてしまうものだ。だから、戦上手な
者は、敵の鋭い気力の時を避けて、気力が落ちて、尽きようとしている時
を狙って攻撃する。これが気力のことを考えて、戦を制するやり方であ
る。
陰:暗闇。 氣:気力。 鋭氣:鋭い気力。
<孫子兵法、行軍>
「2凡軍好高而惡下,貴陽而賤陰,養生處實,軍無百疾,是謂必勝。邱陵?防,
必處其陽,而右背之。此兵之利,地之助也。」
凡そ軍は高きを好みて下(ひく)きを悪(い)み、陽を貴び陰を賤しみ、
生を養いて実に処り、軍に百疾なく、是を必勝と謂う。丘陵・堤防には、
其の陽に処りて、之を右背にす。此れ兵の利にして地の助けなり。
陽:日の当たる場所。日向。 陰:日陰になる場所。日陰。
<孫子兵法、地形>
「1孫子曰:・・・通形者,先居高陽,利糧道以戰,則利。・・・險形者,我先居之,
必居高陽以待敵;若敵先居之,引而去之,勿從也。」
孫子曰く:・・・通ずる形には、先に高陽に居り、糧道を利して以て戦えば、
則ち利あり。・・・険しき形には、我先に之に居らば、必ず高陽に居りて、以
て敵を待て。 高陽:高い日の当たる場所。
<説文解字>
日:実也。太陽之精、不虧。 月:闕也。太陰之精。
陽:高、明也。闇之反也。 本義:山南水北也。
陰:闇也。水之南、山之北也。闇者、閉門也。
雲:山川气也。天降時雨,山川出雲。
雨:水從雲下也。引申之凡自上而下者称雨。一象天。冂象雲。水□其閒也。
水:凖也。北方之行。象衆水並流,中有微陽之气也。
<新漢語林、解字>
日:太陽の象形文字。 月:月の欠けた象形文字。
陽:阝(阜=丘)+昜(日が上がる)→丘の日が当たる側。
陰:阝(阜=丘)+今(含む)+云(雲の原字)→雲が太陽を覆い含み込む。
雲:雨(雲から水滴が落ちる形)+云(雲の回転する様)→雲の象形文字。
雨:雨(天の雲から水滴がしたたり落ちる形)→雨の象形文字。
水:流れる水の形→水の象形文字。
[感想]
この時代には、物事には「陰:日陰、negativeな側面」、「陽:日向、positiveな側面」の二面性があること、「气:活力・energy」が内に秘められていることを、知識人は認識していたことが窺い知られる。「气」の思想にも二面性があることに気づいていただろうと想像する次第。そろそろ「陰・陽」と「氣」との結びつきの時代に移るのだろうか?
(令和4.05.01)
22/05/01 10:56
カテゴリー:論語