生命を考える:そして流れは海へと巡る①
小さい頃、積み木をしたことがあるだろうか。
様々な形の積み木を組み合わせて形にし、つくったそばからバラバラに戻す。
積み木は一度バラバラになっても、同じ形、元通りに復元することができる。
同じように、世の中の多くの物事は、要素に分解し、再統合するプロセスを経て、その成り立ちを知り、改良していくことができる。
では、生命はどうだろうか。
生きている人が「仮に」一度パーツごとにバラバラになったとしよう。あくまで倫理的に仮に、だ。
その後、身体を元の通りに再統合し直したら、どうなるかというと、当然だが、生き返ることはない。バラバラになった時点で死に至り、残るのは元通りに再統合された、人の身体だけである。
じゃあ、生命って一体何なんだろうと、考えてみる。
わかりやすいように、回路の図を見ながら考えてみよう。
そして次の図
さて、大切なのはここからだ。
死んでしまったことによって、生命は、魂は、どうなったのか、無に還ったのか、消えてしまったのか、と、この時点では確かにそう思っても不思議はない。過去に魂は物質なのか別のものなのかという議論もなされてきたが、それはこの視点から生命を考えた時だ。
しかし、私はそれをこの時点で論じるのは早いと思う。なぜなら上記のような考え方は、重要な「問い」を一つ飛ばしているからだ。
それは「別の状態へと移行した」というもう一つの前提だ。
「あったものが、無くなった」と、考えてしまうと、では「何が」「無くなった」のかに囚われてしまう。人間の錯覚の妙というか、当然あり得るもう一つの可能性が、見えにくくなる。
なので図にしてみる
そして、「状態が変化した」ということは、変化する前とひとつづきのものである。
つまり、私なりに生命にそれらしい存在の言葉をあてがうとすれば「循環している状態そのもの」が生命であって、身体から独立してあるものではない。というよりも、いわゆる「魂」や「命」は状態のことなのではないかと思う。
絶えず身体の機能が循環する状態を指して「生きている」
その循環が、別の流れに切り替わる状態を指して「死んでいる」
こう考えた方が、色々なことに説明がつく。
この話は長くなる。いつものことだけど。
なので、3つに分けて、日を開けて投稿しよう。最後は小さなミニマガジンにでも、まとめよう。
それでは、良い土曜日を😊
©心瑠華へべれけ
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ゆるり空さんへ 楽しみにしてもらえるって、やっぱり嬉しいね😊 記事10本書くより嬉しい!笑 それくらいの喜んでるのが伝わってほしい(笑)
このるかさん、今回の記事もじっくり読ませてもらいました〜! 積み木から生命の循環のお話にスッと広がっていく流れ、すごく面白かったです✨ 「循環している状態そのものが生命」って…