下校中の小1女児はなぜ殺害されたのか? 発生から20年、冤罪の声もある栃木女児殺害事件を再追跡した(上)

遺体発見現場前に立つ地蔵=2024年7月、茨城県常陸大宮市

 今年、発生から20年を迎える“今市事件”こと、栃木小1女児殺害事件。2005年末に下校中の女児が誘拐されて殺害された凶悪事件だが、捜査は難航した。ようやく容疑者の男が逮捕されたのは、およそ8年後の2014年のことだ。だが犯行を示す直接証拠はなく、当初から「冤罪ではないか」と疑問視する声が根強くあった。さらに男の裁判では、違法な取り調べの存在も明らかになった。結局、無期懲役が確定したものの、男は今でも獄中から冤罪を訴え続けているという。その事実を知った私たちは、真相を求めて事件をたどりなおすことにした。(共同通信=武田惇志、片山歩)

有希ちゃんが同級生と別れた三叉路=2024年7月、栃木県日光市

▽複数の目撃証言
 2005年12月1日午後2時15分ごろ。栃木県今市市(現・日光市)で、大沢小1年の吉田有希ちゃん(7)が友達と下校を始めた。その日は木曜日で、1年生だけ4時限目で授業を終え、帰宅する日だった。
 午後2時40分ごろ、小学校近くの三叉路で友達3人と別れた。付近は雑木林が生い茂り、人通りが少ないエリア。寒々とした通学路だった。
 午後5時ごろ、有希ちゃんが帰宅していないことに母親が気づき、駐在所に捜索願を出した。そして栃木県警が公開捜査に踏み切った翌2日、現場から60キロ近く離れた茨城県常陸大宮市のヒノキ林で、地元住民が遺体を発見した。胸を12カ所刺されていたことから殺人と断定され、栃木・茨城両県警の合同捜査本部が設置されることになった。
 この日たまたま、公開捜査中だった有希ちゃんの写真を見た郵便局員の男性がいる。県内の食堂に昼食のため立ち寄った際、カウンターに写真が置かれていたのだという。
 「営業の仕事中にいつも見る、1人で帰っている女の子だ」
 そう気づいた男性は「昨日も午後3時ごろに目撃した」と警察に名乗り出た。男性はバイクで有希ちゃんを追い抜いた後、着信したメールをチェックするため携帯電話を確認。時刻もしっかり記録されている。その直後、「(トヨタ自動車のセダン車)ビスタみたいな白い車が猛スピードで走るのを見た。20代か30代の男性が運転していた」
 私たちの取材に応じた男性は、こう振り返った。
 「自分にも小1の娘がいたので、気になっていました。一人で帰っていて、危ないなっていうのは感じていました」
 三叉路で別れた友達も警察にこう供述していた。有希ちゃんと三叉路に至るまでの間に「若い感じの男が乗った、泥のついた白い車が追い抜いていった」
 有希ちゃんはおばあちゃん子で、かなり人見知りをするタイプの女の子だったという。

有希ちゃんが拉致されたとみられる現場の近辺=2024年7月、栃木県日光市

▽DNA捜査で手痛いミス
 警察は総力を挙げて捜査を展開。翌2006年中には早くも、後に逮捕されることになる勝又拓哉受刑者(43)の名前が、捜査線上に浮かんだ。
 今市市での居住歴があって土地勘があること、明確なアリバイがないことなどが主な理由だったとみられる。目撃情報のあった白いセダン車を所有していたことや、有希ちゃんと同じ大沢小に通学していたこともあった。
 その他にも参考人の名前が多く挙がっていたとみられるが、いずれも決定打とならなかった。最大の障壁となったのが、遺体から採取された微物のDNA型と、警察が任意で採取したDNA型との不一致だった。
 さらに2009年夏、真犯人のDNA型と考えられていたものが、事件発生当時の捜査責任者の捜査一課長のDNA型だったと判明する。コンタミネーション(DNAの汚染)を防止する措置が取られていないことによる、ずさん捜査が原因だった。
 ある県警OBは、当時を振り返り、こうぼやいた。
 「勘弁してくれ、って思った。そうとも知らず(捜査を)一生懸命やってたんだからね」

吉田有希ちゃんの事件で、情報を求めるポスターのコピー

▽当初の捜査陣の見立ては
 DNAはともかく、この時点で捜査はどこまで進展していたのだろうか。事件発生当時の共同通信の報道から、捜査本部の見立てについて主だったものを拾ってみた。

・刺し傷は深く、包丁でできる傷よりも狭かった。「特殊な刃物が使われた可能性もある」(2005年12月6日)

・遺体発見現場の血痕は少量で、遺体には土砂や擦過傷、打撲のあともなかった。「室内など他の場所で殺害された後に運ばれ、遺棄されたとみられる」(12月6日)

・両手足が粘着テープで縛られた痕跡があり、口も粘着テープでふさがれた跡があった。頭の一部には傷があり、壁のような平らなものにぶつけた痕跡も。「捜査本部は、犯人が女児を連れ去った後、暴れないように拘束、無抵抗な状態にして刃物で刺し、殺害したとみている。」(12月7日)

 また、遺体は裸だったものの、司法解剖の結果、性的暴行の痕跡は見つからなかった。そのため「衝動的な犯行ではない」「殺害自体が目的だったのではないか」「知的水準が高い男では」などと関係者や有識者の見解を紹介するマスコミ報道もあった。
 しかし、後に逮捕された勝又受刑者の「自白」では、こうした当初の見立てとは大きく異なる犯行ストーリーが語られることになる。

インタビューに応じる勝又受刑者の弟の高瀬有史さん=2024年6月、東京都北区

▽疑いの目、捜査線上に再び浮上
 2013年に入ると、勝又受刑者は警察の捜査線上に再び浮上していた。
 勝又受刑者の異父弟の高瀬有史(ともふみ)さん(35)によると、受刑者の義父である高瀬誠氏(故人)が、警察に対して勝又受刑者の素行不良などについて情報提供した経緯があったのだという。義父はその後、マスコミの取材にも応じており、こう証言した。
 「(勝又受刑者は)ひきこもりのような生活を送っていた」「ナイフを集めていたようだ」
 さらに周囲からは、ロリコンという性癖や、グロテスクな動画の収集という猟奇的な趣味があることも知られていた。
 そんな勝又受刑者の経歴はこうだ。
 台湾出身で、両親ともに台湾人。母親(66)の来日後、11歳で自身も移住し、栃木県内で暮らした。有希ちゃんと同じ大沢小にも、6年生のときに通学していた。日本語がうまくできず、学校ではいじめられたという。中学卒業後はアルバイトを転々としていた。警察に通報した義父の高瀬誠氏は、母親が再婚した日本人男性だった。

拉致現場付近で事件後に置かれたとみられる看板=2024年7月、栃木県日光市

▽不都合な事実
 また捜査本部は、ナンバープレートを読み取る「Nシステム」の通行記録からも、勝又受刑者の情報を得ていた。
 読み取られていたのは、拉致現場で目撃された車と似た、勝又受刑者の白セダン車。事件当夜の2005年12月2日深夜から早朝にかけて、栃木県内の3カ所のNシステムに記録されていたのだ。
 記録によると、深夜に宇都宮市周辺から、茨城県の遺体発見現場のある東方向に走り、早朝に東方向から西方向へ戻っていた。勝又受刑者が有希ちゃんを拉致後、車で遺体発見現場へ行き、遺棄後に戻ったとしても矛盾しない経路とみられた。
 一方、逮捕を目指す警察にとって有利とは言い難い事実もあった。有希ちゃんが下校を開始する直前の12月1日13時58分に、レンタルビデオ店でコミックを借りた記録があったのだ。しかも、遺体が発見された12月2日の午後に返却記録があった。
 警察の検証では、拉致現場まで車で約35分あれば到達できるので、アリバイは成立しないとされた。だが、凶悪犯罪に手を染める直前にコミックを借りた上、犯行直後に返却する行動は、あまりに緊張感が欠けている。
 また後に、有希ちゃんの遺体からは勝又受刑者のDNA型が検出されなかったことも判明している。

有希ちゃんの遺体発見された現場と勝又受刑者の事件当日の行動をとらえたNシステムの場所

▽裁判所も違法認定
 事件発生から時間がたって強い物的証拠がない中、警察は2013年、勝又受刑者に対する内偵捜査を開始した。すると、古物商を営む母親とともに、偽ブランド品を販売していたことが判明。2014年1月29日、母親とともに商標法違反容疑で現行犯逮捕した。
 この時の逮捕について、ある県警関係者は次のように明かす。
 「完全な別件逮捕。『何か引っ張る材料がないかな、ないかな』っていうのは当然探していた」
 事実、勾留中の翌2月から、殺人容疑での取り調べが本格化する。しかし裁判所が許可したのは、あくまで商標法違反容疑での逮捕・勾留だ。この点、後に東京高裁は「任意捜査として社会通念上相当と認められる限度を超えている」と指摘し、「違法」な取り調べだったと批判している。

栃木小1女児殺害事件の控訴審判決で「不当判決」の垂れ幕を掲げる支援者=2018年8月

▽大きく異なるストーリー
 連日の取り調べの末、最終的に4通の自白調書が作成された。そこで勝又受刑者の口から語られたのは、以下のような、当初の捜査の見立てとは大きく異なるストーリーだった。

・性欲が高まり、車に乗って小学校付近で女の子を探した。一人で歩いている有希ちゃんを見つけ、声をかけて運転席ドアを開け、そのまま無理やり助手席に乗せた。脅して粘着テープを巻いた。
・夕方、栃木県鹿沼市のアパートに帰った。抱きかかえて部屋に入れ、性的暴行をした。
・遠くで解放すればばれないと思い、粘着テープを巻いて車に乗せ、茨城県へ向かった。車を止められる場所を探していたら、現場の林道に行き着いた。
・顔を見られているので殺害するしかないと思い、相手が立った状態で、右肩を押さえてバタフライナイフで胸のあたりを10回ぐらい刺し続けた。
・遺体を抱きかかえ、斜面の下に投げおろした。帰宅後、ランドセルや服ははさみで切ってゴミに出した。

 2018年の東京高裁判決でも、遺体や現場の状況と矛盾する、これらの自白内容が問題となった。とりわけ「事前に別の場所で殺害したとみられる」「性的暴行の形跡がない」という点は、事件の根幹に関わる重要なポイントだった。
 だが東京高裁は、次のように述べてこの問題を回避してしまった。
 「殺害の経緯、場所などについて(勝又受刑者が)虚構を述べた疑いは否定できない」
 つまり、自白の中に、うその供述が含まれていた可能性は否定できないということだ。それならば、一審に差し戻して事実を調べ直させることができるが、そうした手段は採られなかった。

▽奥の手を使った検察―真相は謎のまま
 そして東京高裁は、高裁段階での「訴因変更」という検察の奥の手の使用を許可した。勝又受刑者の自白に基づく殺害日時、場所が記された起訴状のままでは検察の有罪立証が困難になったとみられ、起訴状の記載を変更したのだ。
 「2005年12月2日午後4時ごろ、茨城県常陸大宮市の山林の西側林道において殺害した」(元の起訴状)
「2005年12月1日午後2時38分(有希ちゃんが失踪した時刻)から2日午後4時ごろ(遺体発見時刻)までの間に、栃木県内、茨城県内またはそれらの周辺において殺害した」(訴因変更後)
 このように、起訴状の核心部分が大きく書き換えられた。この書き換えが意味することは、正確な殺害時期も殺害場所も不明なままであるということだ。
 さらに控訴審では、遺体にあった粘着テープから、勝又受刑者や捜査関係者以外の複数の第三者のDNA型が見つかっていたことが判明。弁護側は「真犯人に由来する可能性がある」と主張していた。真相解明の手がかりとなる可能性があったが、東京高裁は捜査官らによるコンタミネーションがあったとして退けた。
 そうして東京高裁は、勝又受刑者に無期懲役判決を下した。
 その後、勝又受刑者は最高裁に上告したが、2020年に棄却。こうして刑事裁判は、真相解明を果たすことなく幕を閉じた。
 7歳だった有希ちゃんはなぜ、いつ、どこで、どのようにして命を奪われたのか。発生から20年。真実は明らかになっていないままだ。
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 後編では、勝又受刑者がどのようにして自白するに至ったのか、取り調べの様子を詳述する。
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