未解決事件ファイル
| 長岡京ワラビ採り殺人事件(1979年5月) |
1979年5月23日、京都府長岡京市内にあるスーパーマーケット「イズミヤ」でパートをしていた主婦・明石英子さん(当時43歳)と水野恵子さん(当時32歳)が、仕事終了後、近くの山の竹林にワラビ採りに行ったまま消息不明となり、2日後の25日、山頂付近で遺体となって発見された。遺体の状態から警察は殺人事件と断定、捜査が開始された。
明石さんの死因は絞殺、水野さんの死因は刺殺。2人のリュックには、それぞれ空の弁当箱、採ったワラビ、財布が入ったままだった。検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから午後2時半頃までと判明した。胃の内容物から、食後1時間以内に殺害されたことも分かった。2人はワラビを採ったあと弁当を食べ、その後すぐに襲われたと推測された。
午前6時から10時までパートをした2人は、店内で弁当を購入しそのまま自転車で河陽が丘の北北西に隣接する里山(通称「野山」)に、ワラビ採りに出かけた。スーパーから2kmちょっと離れた野山には午前11時頃に到着、ふもとにある寺院「寂照院」前の畑に自転車を停めて山に入った。明石さんはその年7回目のワラビ採りだったが、水野さんはワラビ採り自体が初めてだったという。この時、入山する2人の姿を、近くの工事現場の警備員や、登山道入り口近くの竹林で作業をしていた夫婦が目撃している。
水野さんはワラビ採りのあと、午後3時半頃に子供を保育所に迎えに行くことになっていたが、予定の時間を過ぎても現れなかった。夜になっても帰宅しなかったため、心配した水野さんの夫が野山に探しに行ったが、水野さんは見つからなかった。翌24日には明石さんの夫も捜索に加わったが、やはり2人の行方はわからなかった。夫たちは午後2時50分頃、向日町署に捜索願を出している。向日町署は30人体制で直ちに捜索を開始。夜まで捜索は続けられたが、依然として2人は発見できなかった。
翌25日はさらに人員を増やし、向日町署員、2人の家族や同僚、地元消防団など、120人体制で午前9時より捜索を開始した。警察犬3頭も捜索に参加した。午前10時30分頃、野山の山頂付近の雑木林の獣道が行き止まる地点で警察犬が反応。明石さんの遺体は、そのそばの急斜面で発見された。その場所から斜面を約10mほど登ったところの、小さく開けた場所で、水野さんの遺体もみつかった。
明石さんの衣服のポケットからはメモが見つかり、「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と書かれていた。メモは鉛筆であわてて書いたような走り書きで、勤務先のスーパーのレシートに書かれていた。荷物から鉛筆は見つからなかったが、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっている。
明石さんは全身を殴打され、肋骨が折れて肝臓に損傷がみられた。そして体内からは犯人のものと思われるO型の体液が検出された。水野さんも全身を殴打され、包丁が胸に刺さったままの状態だった。犯人のものと思われる体毛が付着しており、こちらも血液型はO型だった。
遺留品は、遺体に突き刺さっていた包丁1本のみ。しかし、包丁から指紋は検出されず、販売ルートも解明されなかった。現場は地元の人が山菜採りやピクニックなどによく訪れる場所だが、木や竹が生い茂り、昼間でも薄暗い場所が多かった。そのため、タケノコ泥棒やレイプ事件なども発生していたという。
事件の前年1978年の同じ時期には不審な男が目撃されている。ワラビを採っていたある主婦が、突然見知らぬ中年男に「奥さん、ワラビ採れますか」と声をかけられた。この中年男の手には包丁が握られており、驚いた主婦は少し離れた場所で山菜を採っていた夫と子供のところに走って逃げたという。男は身長170cmほどで、年齢は40〜45歳ぐらい。場所は、事件現場から西南約300mほどにある雑木林の中だった。事件の6日前にも、現場付近でワラビを採っていた主婦が、やはり似た男に「採れますか?」と声をかけられている。
この事件ではもう1人怪しい人物がいた。地元で有名な2人の不良が、事件当日の14時頃、野山から急ぎ足で下りて来るのを地元住人に目撃されていた。2人は建築作業員で、当時20代後半だった。ひとりは誰にでも喧嘩を売るような乱暴者で、空手ができた。この2人は事件の日以降、急に真面目に仕事に励むようになったという。2人は警察の事情聴取を受けたが、犯人であるとの確証を掴むことはできなかった。
事件から5年後の1984年5月15日午後2時50分頃、長岡京市で主婦(当時48歳)が、自宅で首や背中をメッタ刺しにされたうえ、布団に包まれた状態で火をつけられ殺害された。この女性は明石さん、水野さんとともにワラビ採りに同行していたが、午後から用事があり、1人だけ早めに帰ったために被害を免れたと噂されているが、情報元がはっきりしておらず、事件との関連性も不明。
犯人につながる有力な手掛かりを得られないまま、1994年5月24日に公訴時効が成立した。