「任天堂で遊ぼう!」と言われたらSwitchじゃなくて硯が来た──“本物の任天堂”に驚きの声
「母と姉が『任天堂で遊ぼう!』って言うから、Switchが来るのかと思ったらこれきた。」 【画像でわかる】こんな機能あったの?Nintendo Switch 2の“裏ワザ”4選 任天堂らしい遊び心にニヤリ そう投稿したのは Kako(@3y&10m) さん。添付された写真に写っていたのは、緑がかった箱に「小倉雲人書 煤滓(ばいさい)」と記された硯(すずり)のセットだった。箱の側面には確かに「任天堂」の刻印があり、投稿文の最後には「これは…紛うことなき任天堂だね…」と添えられている。 最新のゲーム機を連想させる“任天堂で遊ぼう”という言葉からのまさかの展開。SNSでは「Switchが来ると思ったら硯!」「昭和任天堂のレトロすぎる一撃」「本物の任天堂だ…」と驚きと笑いが広がった。だが、この箱に刻まれた“任天堂”は決して間違いではない。ゲーム以前の時代、同社は実際に硯や墨などの書道具を製造・販売していたのだ。
書道具を手掛けた、もうひとつの任天堂の顔
任天堂の創業は一八八九年(明治二十二年)。京都で花札を製造する会社として「任天堂骨牌(かるた)」の名でスタートした。その後、戦前から戦後にかけて、トランプや教育玩具、文具類など多岐にわたる商品を展開した。今回の硯箱は、その文具事業が活発だった昭和三十〜四十年代に生産されたものとみられる。 硯箱のラベルには「小倉雲人書」と記されていた。小倉雲人(おぐらうんじん)は昭和期に活動した書家で、教育用の書道教材や墨汁のパッケージにその名が使われていた人物だ。当時の任天堂は、学校教材市場にも力を入れており、学童用の文具セットや書道具一式を販売していた。つまり、Kako(@3y&10m)さんの母と姉が持っていた“任天堂の硯箱”は、家庭や学校で実際に使われていた正真正銘の任天堂製品なのだ。 この時代の任天堂は、すでに「遊び」と「教育」をつなぐ発想を持っていた。花札やトランプは娯楽であると同時に、図柄や数字を通じて知識や感性を育てる教材でもあった。同じように、硯や筆を扱うこともまた、手を動かし心を整える“遊び”であり“学び”だった。任天堂はその両者を、自然に結びつけていたのである。