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南の楽園で「発達障害児8年で44倍増」の衝撃 農薬による地下水汚染を疑う市民 因果関係は不明

猪瀬聖ジャーナリスト
宮古島のサトウキビ畑(筆者撮影)

子どもたちの異変に揺れる南の楽園、沖縄県宮古島。いまだ原因不明の中、多くの島民を不安に陥れているのが、島民の命綱である地下水の農薬による汚染だ。年々悪化する兆候が見られ、一部の水道水からは欧州の水質基準を上回る濃度の農薬が検出された。果たして原因は農薬なのか。

(前回の記事はこちら 南の楽園で「発達障害児8年で44倍増」の衝撃 不安募らす島民 「言われている理由では説明がつかない」

先人の教え

「みっちゃ あらいあ つかいん」

宮古島に古くから伝わる格言だ。実際に現地で年配の人たちの何人かから、この言葉を聞いた。訳すと「汚れた水は洗っても使えない」。つまり「水は大切だから汚してはいけない」という戒めだ。

農業を営む74歳の平良雅則さんは「昔はどの家でも、お椀を洗った水は捨てずに飼っている牛や馬に飲み水として与えた。私もそうやって育ったので水の大切さは今も体に染みついている」と話す。

宮古島は昔から水不足に悩まされ続けてきた。サンゴ礁由来の石灰岩の土壌は保水力に乏しく、島に降り注いだ雨は石灰岩層をほぼ素通りしてその下の粘土層まで達し地下水となる。川のない宮古島にとって、この地下水が唯一の水源となってきた。ただ、その地下水も、粘土層が場所によって傾斜しているため海に流出しやすく、島民の暮らしを支えるのに十分な量とは必ずしも言えない。

地下水の流出を少しでも防ごうと、島は1980年代から大型の地下ダムを次々と建設した。島内には地下ダムの建設技術や構造などを展示した地下ダム資料館もある。

そこまでして守らなければならない貴重な地下水は、宮古島の人たちにとってまさに「命の水」。その命の水が、実は農薬によって汚染されていることが最近、わかった。

水道水から農薬を検出

宮古島市水道部が今年5月、市内3カ所で水道水の水質を検査したところ、ネオニコチノイド系農薬の一種であるクロチアニジンとジノテフランが検出された。

ネオニコチノイド系農薬は神経毒の殺虫剤で、害虫を効果的に駆除しつつ、従来の農薬と比べて他の生物や人に安全との触れ込みで1990年代から各国で急速に普及した。

ところが、普及と同時に各地で貴重な花粉媒介昆虫であるミツバチの生息数が激減するなど想定外の生態系の異変が相次いだ。さらには、人への影響を含め予期されなかった様々なリスクが各国の研究者によって次々と報告され始めた。こうした事態を受け、欧州連合(EU)は2010年代にほぼすべてのネオニコチノイド系農薬の使用を原則禁止した。

米国でも禁止や規制強化の動きが起きている。

2023年12月、ニューヨーク州で、トウモロコシ、大豆、小麦の種子をネオニコチノイド系農薬でコーティング処理することを禁じるなど農業への使用を大幅に制限する州法が、議会での可決と知事の署名を経て成立。バーモント州でも同様の州法が成立し、今年7月から屋外での使用が禁止された。2029年からは種子のコーティング処理も禁止になる。

緩和されたサトウキビの残留基準値

日本ではこの間、逆に使用規制の緩和が進んだ。2015年5月にはサトウキビに適用されるクロチアニジンの残留基準値が従来の0.02ppmから0.5ppmへと25倍も緩められた。サトウキビは宮古島の基幹作物だ。

国内のネオニコチノイド系農薬の出荷量は2010年代半ば以降はほぼ横ばいだが、宮古島市では増加傾向にある。地下水汚染問題に取り組む市民グループ「宮古島地下水研究会」の調べによると、ネオニコチノイド系農薬の供給量は2014年には6.6トンだったが、2021年には2014年比2.68倍の17.7トンに増えた。

出荷量の増加に伴い、地下水や水道水中の濃度も上昇し続けている。地下水研究会の資料によると、検査した水道水中のクロチアニジンの平均濃度は、2022年度は1リットルあたり30ナノグラムだったが、今年は同103ナノグラムまで上昇。宮古島市水道部が今年5月に行った水質検査では、島東部の城辺保良(ぐすくべぼら)地区の水道水から同140ナノグラムのクロチアニジンが検出された。

140ナノグラムという濃度は、環境省が定める管理目標値の20万ナノグラムを大きく下回っているが、農薬規制に厳しいことで知られるEUの水質基準の100ナノグラムは優に超えている。

地下水研究会が2022年、成人の男女10人に尿検査をしたところ、全員からネオニコチノイド系農薬またはその代謝物の成分が検出された。そのうち5人からは一人あたり5種類のネオニコチノイド成分が検出された。

地下水研究会の共同代表で医師の友利直樹氏は、被験者の職業や生活状況から、尿から検出された農薬成分のほとんどは水道水を通じて摂取したものと推定。その上で、宮古島市で発達障害児が増えている一因は「ネオニコチノイド系農薬など複数の化学農薬が、母体を通じて胎児の神経の発達や腸内細菌叢の形成に影響を及ぼすためと考えられる」と述べている。

飛行機の中から見た宮古島。サトウキビ畑が広がっている様子がよくわかる(筆者撮影)
飛行機の中から見た宮古島。サトウキビ畑が広がっている様子がよくわかる(筆者撮影)

遺伝と環境要因

発達障害は遺伝だけでなく、様々な環境要因が作用して発症すると言われている。遺伝よりも環境要因の果たす役割のほうがより大きいと考える専門家もいる。有力な環境要因と指摘されているものの一つが、一部の農薬を含む化学物質だ。

ネオニコチノイド系農薬と発達障害との関連は国内外の多くの研究者が指摘してきた。

医学博士の木村―黒田純子氏はラットの発達期の培養神経細胞を使った実験で、ネオニコチノイドが人を含む哺乳類のニコチン性受容体(神経の伝達に欠かせないタンパク質)に直接作用することを突き止めた。つまり、人にも影響を及ぼす可能性があるとの指摘だ。この研究結果はEUの規制強化の決定に影響を与えたとされている。

神戸大学大学院の星信彦教授は、政府が決めた無毒性量(この量以下なら摂取しても有害な影響が出ないとされる量)以下の濃度のクロチアニジンを投与したマウスが異常行動をとることを発見し、農薬は「安全」とされるわずかな量でも人に影響を与え得ると指摘している。

2023年に宮古島を訪れている星教授は「宮古島でのネオニコチノイド系農薬の使用量増加と発達障害児の増加の間には因果関係があるのではないか」と述べ因果関係の可能性を示唆する。

ただ、今のところ両者の間の因果関係は立証されていない。宮古島市も、少なくともこれまでは、因果関係が明らかでないことや検出濃度が国の目標値を下回っていることなどを理由に、目立った対策をとってこなかった。

農薬以外が原因の可能性も

また、宮古島の中には発達障害児が増えている原因は農薬ではなく他にあるのではないかと考えている人たちもいる。

市内で学童クラブ「ティダっ子学園」を経営する大熊範彦さんは、2004年に東京から宮古島に移住して以来、子どもとかかわる仕事をしてきたが、「2018年ごろから子どもの様子が以前と違うと感じ始めた」と話す。子ども自身や保護者からも、「やる気が出ない、落ち着きがない、学級がまとまりにくい」といった話を直接聞くことが増えたという。

その原因と処方箋について大熊さんは「学校の先生たちが忙しすぎて、子どもたち一人ひとりを丁寧にフォローする余裕がなくなっている。また、昔のように生活習慣や行動をきめ細かく指導する時間もなく、結果的に子ども自身が自分で何とかせざるを得ない場面が増えている。教育の仕組みを少し変えるだけで、発達障害的と見なされる行動の半分以上は改善するはずだ」と語った。

さらに、子どもたちの生活習慣の乱れも要因として挙げる。「今は朝食を抜く子どもがとても多く、それが心身の安定や集中力に影響しているのではないか。食事や睡眠といった生活の基本ができれば、子どもの姿は大きく変わると思う」。そして「発達障害は病気ではなく、子ども一人ひとりの特性と捉えるべきだ」と強調した。

学童クラブを経営する大熊範彦さん。宮古島に移住する前は東京でバンド活動をしていた(筆者撮影)
学童クラブを経営する大熊範彦さん。宮古島に移住する前は東京でバンド活動をしていた(筆者撮影)

予防原則と市民ファースト

原因がはっきりしない中、地下水研究会など子どもたちの異変を心配する市民の多くが行政に繰り返し求めているのが、「予防原則」にのっとった対策だ。

予防原則とは、たとえ因果関係が立証されていなくても、重大な影響があるのではないかと懸念するに足る十分な根拠があれば先手を打って対策をとるべきだとする、いわば「市民ファースト」の考え方だ。

EUの環境政策や食品安全政策はこの予防原則に基づいており、ネオニコチノイド系農薬を禁止したのも予防原則にのっとった措置だ。米国も、最近の状況を見ていると予防原則をより重視するようになった印象がある。

一方、日本は、政府の政策や対策を見る限り予防原則の採用には否定的で、これが地方行政にも影響を及ぼしている。

果たして宮古島の地下水汚染問題は解決に向かうのか。

次回に続く。(お断り:大熊さんのコメントを後から修正しました)

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ありがとうございます。
ジャーナリスト

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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