江ノ島盾子にされてしまったコミュ障の悲哀【完結】   作:焼き鳥タレ派

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第3章 戦わなければ生き残れない

ちょっとだけ休憩時間を貰えた僕は、テントに戻って、ベッドに座って休んでいた。

ついでに電子生徒手帳をチェックして、現状確認。

通信簿のアプリを開くと、ずらりとみんなのアイコンが並ぶ。

……お昼ご飯の時に、少しだけお話しできた左右田君の顔をタッチしてみる。

すると、“贖罪のカケラ”が2になっていた。……ひとつ増えてる。

 

「左右田君……」

 

液晶の黒い画面に映った江ノ島盾子がつぶやく。

もしかしたら、さっきお皿を運ぶ時に、少しだけお喋りしたおかげかも知れない。

憎しみ混じりとは言え、言葉を交わして互いを知ろうとしたから。

 

左頬の痣はまだ消えてない。さっきの今だから当たり前だけど。

いろんな事があったから、ずいぶん時間が経ったように錯覚してたけど、

この島に来てまだ2時間くらいだ。これからどうしよう。

昼寝をして無駄に過ごすのはもったいない。

こんな風にみんなに話しかけて……と思った時だった。

 

うっ!とうとうこの時がやってきた。

いつかはぶち当たると知りながら、目を背けてきた問題。

やはり現実からは逃げられない。

 

「お腹痛い……」

 

お昼ご飯の牛乳でも傷んでたのかなぁ。この暑さだもんね。

僕はテントを出て、フラフラとホテルに向かった。

テントにはトイレがないからホテルの物を使うしかない。

こりゃ下手に遠出はできないな。

今後は事前にマップを確認して行き先のトイレの場所を確認しとかなきゃ。

キリキリと痛むお腹をさすりながら、トイレに駆け込む。

 

これで3回目のパンツ操作だけど、気にしてられないほど痛い。どうにか間に合った。

便座に座ると、屋台の綿あめくらい大きなツインテールが壁に当たって、

両サイドから僕の顔をふかふかしてくる。わ、柔らかくてあったかい。

 

でも、そんな幸福感を強烈な腹痛が邪魔をする。お腹を絞られるような痛み。

もう準備はできてるから、用を足せばいいんだけど……

あれ?大腸に詰まっているものが出ない。それでもお腹は捻れるほど痛い。

 

小さい方が少し出てきたけど、そっちじゃないんだよ!

今度は同じ失敗を繰り返さないよう、トイレットペーパーを巻き取って、

ええと…拭き取って、便器に捨てようとした時。

 

うわああああ!!

 

顔面蒼白。ホテル中に響き渡る悲鳴を上げた。

だって、トイレットペーパーが真っ赤な、いや、ピンク色の血で染まっていたんだから!

もう、何が見えるとか気にしてる場合じゃない。

便器を覗くと、まだ血がポタポタと滴っている。どうしよう、止まる気配がない。

 

病気?怪我?左右田君に殴られた時、内臓を傷つけたの!?

とにかくなんとかしなきゃ、このままじゃ死んじゃうよ!

個室を見回して、老人向け救急ボタンが無いか確認。ない!便器は既に血だらけ!

なんなんだよ、これ!

 

パニックになった僕は、トイレットペーパーを巻けるだけ巻き取って、

パンツの中に入れると、叩くようにセンサー式水洗スイッチをタッチした。

水の流れる音を背後に個室を飛び出し、ホテルを出て、走ってテントに戻ってきた。

それで、どうするの?僕は何をやってるんだ!?

戻ったところで、状況が改善するわけでもないのに!

 

唯一自分が自由になるスペースに救いを求めてきたのだろうか。

下着の中を見てみると、トイレットペーパーはもう、

血液を含んでただの濡れ布巾になっている。

死の恐怖、恥ずかしさ、お腹の痛みに、僕はまた大声で泣き叫んでいた。

 

「うわああん!死にたくないよう!誰か助けてー!お願いだよー!何でもするから!!」

 

ティッシュを何枚も抜いて、ひたすら流れ続ける血を拭い続けるけど、

謎の出血は全く止まる様子を見せない。

そのうち、騒ぎを聞きつけたみんながテントの前に集まってきた。

誰彼構わず、なりふり構わず、助けを求める。

 

「なんだ、江ノ島。大声を出して。みんなを騒がせ……おい、どうしたんだこれは!」

 

日向君達が床に散らばる血だらけのティッシュを見てショックを受ける。

ゴミ箱に捨てる余裕もなく、放り投げた物。

 

「お腹が痛くて血が止まらないんだ!お願い、病院に連れて行って!」

 

「なんじゃあ!クソか?血便なのか!?」

 

「弐大君!?クソのほうがマシだよ!あああ、あの、おしっこするところから血が!」

 

「ならば血尿じゃのう!こりゃ、苗木に連絡を取って……」

 

──皆さんは帰ってください。

 

集団の中から女の子が出てきて、みんなにテントから出るよう促した。

ピンクの上着にエプロンを着けたミニスカートの少女。

黒のロングヘアなんだけど、毛先が短冊みたいに切られてて、長さもまちまち。

泣きボクロが似合う可愛い娘だけど、右脚に包帯が巻かれてて、左足にも絆創膏。

どこか怪我してるのかな。

 

 

○囚人No.13・超高校級の保健委員

 

ツミキ ミカン

 

 

「しかし……大怪我をしとるようじゃぞ?」

 

「い、いいから出てってくださぁい!」

 

勇気を振り絞って内気な彼女が叫ぶ。

その姿にみんなは困惑しつつも、それぞれの場所へ戻っていく。

 

「なーんだ。ゴミカス女が蛇玉みたいに、

のたうち回って死ぬところが見られると思ったのに~」

 

「まあ、保健委員の罪木に任せておけば大丈夫じゃろうが……頼んだぞ」

 

「生きよ、江ノ島。ラグナロクが訪れるその日まで、無為に魂を散らすことは、

魔神トールの申し子たるこの俺が許さん」

 

「いいから帰ってくださいよおお!」

 

罪木さんが、両手で髪の毛を掴み上げて、必死の形相で絶叫する。

 

「わわ、悪かった。皆、散れ散れい!」

 

彼女の一喝で皆、まだ残っていたメンバーが蜘蛛の子を散らすように去っていった。

普段怒らない人が怒ると怖い説は、既に説じゃなくて事実。

あ、そんな事考えてちゃダメだ。まだ出血は止まってない。

急いで何枚もティッシュを引き抜く僕に、罪木さんが近づいてきて、

そっと僕の側に座り込んだ。

 

「うう……罪木さん、助けて…癌じゃないよね、僕助かるよね……?」

 

「心配いりません。それは、女の子は誰でも経験することですから」

 

「ほへ?」

 

間抜けた声を出すと、彼女はポケットから、

手触りのいいビニールに包まれた何かを取り出し、僕にくれた。

 

「こういうときにはそれが必要なんです。使い方を教えますね」

 

「なんなの、これ」

 

すると罪木さんは、僕の耳にひそひそと、

ポケットティッシュみたいな物について説明してくれた。

段々顔が赤くなり、聞き終わるころにはゆでダコのようになっていた。

 

「……つまり、そういうことですから、

月一の状況に備えて、マーケットで必要なものを揃えて置いてくださいね」

 

「わかりました。本当にありがとうございました」

 

どうにか固い言葉でお礼を言うのがやっとだった。

保健体育で習ったことをまるっきり忘れて大騒ぎして、

ずっと年下の女の子に下の世話を……恥ずかしい。

さっきも言ったけど、本当にウィークポイント。恥。

 

「私にできるのはこれだけですから。失礼します」

 

去っていく彼女を見て、我に返る。慌てて彼女を呼び止めた。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

背を向けたまま足を止める彼女。

 

「どうして僕を助けてくれたの?

きっと、僕じゃない江ノ島盾子は、

罪木さんにも取り返しのつかないをしたと思うのに……」

 

「自分でも……」

 

「え?」

 

「自分でもわからないんです。

私の唯一の取り柄だった、“超高校級の保健委員”としての能力に、

まだしがみついているのか、心の底から傷ついている人を助けたいのか。

そんな事を願う資格すら私にはない。

……それだけは分かりきっているのに、つい身体が動いてしまいました。

今までは同じ囚人の皆さんの手当てだけしていればよかった。

それだけは許してもらえると思っていたのに……!」

 

「罪木さん……?」

 

握った白く小さな拳が震える。やっぱり彼女も左右田君と同じように……

 

「とにかく、差し上げられるのはひとつだけですから、

早めにマーケットに行ったほうがいいです。さよなら」

 

もう一度罪木さんを呼んだけど、今度はその声を無視して去ってしまった。

その背が見えなくなっても、しばらく外を見ていたけど、

やるべきことを思い出して頭を振った。

 

「こうしちゃいられない。マーケットに行かないと!」

 

僕は彼女に習ったとおりに生理用品を替えの下着にくっつけると、それに履き直して、

汚れたものをあまり見ないようにして洗濯機に放り込み、電源を入れた。

帰ってくる頃には洗い終わって、血もきれいに落ちてると思う。多分。

 

準備ができたから、僕はホテルの敷地外に出る。

そうそう、マーケットには別の用事もあったんだ。ジャージとハサミ。

この派手な服から着替えて、長い髪を切るんだ。

少しはみんなを刺激せずに済むようになると思う。

 

電子生徒手帳を取り出して、地図アプリを開く。マーケットは……ここから南だね。

同じ島内だから迷わずに済みそう。僕は地図のナビゲーションに従って進み始めた。

ゲームより詳細になってるな。いつの間にバージョンアップしたんだろう。

 

「わー、広いな」

 

必要なものをすぐ調達できるよう考慮されたのか、

ホテルからそう遠くないところにロケットパンチマーケットがあった。

近所のダイエーより大きい。比較対象がダイエーってところが田舎者丸出しだけど、

とにかく自動ドアをくぐって中に入る。

 

ドアが開くとエアコンの冷気が吹き込んできて気持ちいい。

中も広くて、サーフボードや水着と言った海水浴を楽しむための道具や、

ウォーターサーバーのタンクみたいな巨大ボトルに入ったコーラが嫌でも目に入る。

これ、炭酸が抜ける前に飲みきれるの?

 

おっと、どうでもいいこと気にしててもしょうがない。

いつソニアさんから呼び出しメールが来るかわからない。

ちゃっちゃと買い物を済ませよう。買い物カゴを持って店内を進む。

 

まずは、ジャージ。黒は日光を吸収して暑くなるから、ダサいけどえんじ色でいいや。

ハンガーから外してカゴに入れる。次はハサミ。日用品コーナーでゲット。

あと必要なのは……さっき大騒ぎして赤っ恥をかいたことを思い出して、

また顔が赤くなる。

 

同じく日用品コーナーで生理用品を見つけた。んだけど……どれ!?

銘柄が多すぎて何を取れば良いのかわからない。

 

「ちょっと思ったんだけど、いっそ大人用紙おむつの方がいいんじゃないかな?

もっと大量のものを吸い込むんだし」

 

独り言を漏らすけど、誰も返事なんかしてくれない。

“うん、そうだね!”って声がしたら怖いけどさ。

仕方がないから、一番多く並んでて、メジャーっぽい銘柄を3つほどカゴに入れて、

買い物終了。他に用事はないから早く帰ろう。

 

さっきも言ったけど、いつまでもブラブラしてると、何をされるかわからない。

自動ドアを通ろうとしたら、後ろからよく通る声で呼び止められた。

 

「おい、金くらい置いていったらどうなんだ」

 

振り返ると、お相撲さんもびっくり。

太っちょというレベルを超越した体型の、眼鏡を掛けたインテリ系少年が立っていて、

見下ろすように僕をじっと見つめている。

 

 

○囚人No.3・超高校級の御曹司(?)

 

トガミ ビャクヤ

 

 

サイズのLがいくつ必要なのかわからない白のスーツ。

服の大きさを除けば、わりと普通の装いだけど、彼が言っている意味がわからず戸惑う。

 

「あの……どういうことかな?お金って」

 

「フン、売買契約の基礎すら知らんのか、愚民め。お前が手に持っているものは何だ?」

 

「これ?えっと、僕、この服から着替えようと思うんだ。

それと、さっき色々あって……」

 

「違う、馬鹿者!

この十神白夜の目の黒いうちは、キャンディひとつだろうと万引きは許さん!」

 

そしてビシッと僕を指差す。ううっ、ソニアさんと似たようなオーラに圧倒される……

なんとか勇気を出して疑問を投げ返す。

 

「ゲームではみんな、マーケットから好きな物を持ってきてたと思うんだけど、

それじゃだめなの?」

 

「日向の説明や生徒手帳のキーワードが理解できなかったのか?

ここはかつてコロシアイが行われた、修学旅行の舞台ではない。

元超高校級の絶望達を収監するジャバウォック刑務所だ!

お菓子やアイス食べ放題。オシャレな服も選び放題。

そんな快適な刑務所が存在すると思っているのか?それに!」

 

彼が商品棚を指差す。なに、なに?

 

「お前にはあれが見えないのか」

 

買い物に夢中で気が付かなかったけど、

よく目を凝らすと、棚に小さな紙片が貼ってある。そこには手書きで値段が。

でも単位が気になる。“~枚”。何の枚数?1円だったら嬉しいな。

 

「値札、なの?」

 

「そうだ。このジャバウォック島を刑務所として作り直すために、

皆で商品に価格を設定し、好き放題に飲み食い贅沢ができないよう、値札を作ったのだ。

ちなみに、貨幣の単位はウサミメダルだ。

現実世界では瓶ジュースの王冠を使っていたが」

 

「ウサミメダルってなあに?」

 

彼はやれやれと呆れて首を振る。餅のような二重あごが、ぷるるんと揺れる。

 

「労役をこなすと与えられる、電子マネーだ。貴様はいくら持っている」

 

「電子マネー?そんな機能があるの?」

 

「はぁ。その様子では文無しなのだろうな。何も買えん。諦めろ」

 

「そんな……」

 

細い両腕で抱えた買い物カゴを抱きしめる。悲しそうにカゴの中身に目を落とす姿は、

万引きを咎められた女子高生にしか見えないだろう。

少しの間立ち尽くしていると、また十神君がため息。

 

「……お前は何を買おうとしたんだ」

 

「これだよ」

 

そっと買い物カゴを差し出す。彼は中身をゴソゴソと探り始めた。

 

「着替えは…だめだ。ハサミ?凶器になる恐れがある。これは…フン、いいだろう。

おい、生徒手帳を出せ」

 

彼はジャージとハサミをカゴから取り出した。

 

「え、うん。わかった」

 

なぜだかわからないけど、言われるままに電子生徒手帳を見せた。

十神君も生徒手帳を取り出し、何か操作してから、僕の手帳に近づけた。すると。

 

“チャリーン!メダルを受け取りまちた!”

 

僕の生徒手帳が、サザエさんのタラちゃんみたいな声を出した。ホーム画面を見ると、

いつの間にか“ウサミメダル”というアプリがインストールされてる。

立ち上げると、諸々の機能のアイコンと、画面中央に大きくウサミの顔が彫られた銅貨、

そして“残高10枚”の文字が表示されていた。

 

「ウサミメダルは囚人の間でやり取りが可能だ。

あまりに哀れだから今回は恵んでやる。感謝しろ。

さあ、わかったらさっさとレジに行け」

 

「ありがとう、十神君!でも、ジャージとハサミはどうしてだめなのかな。

みんなを怒らせてるこの格好をやめたいんだ……」

 

「自分がここに来た目的を忘れたのか?世界中に潜む江ノ島盾子の信奉者に、

お前が何も出来ず右往左往する情けない姿を見せて、絶望の呪縛から解き放つためだ。

ただのジャージ女を痛めつけても何の意味もないのだ!わかったら行け!」

 

「来たっていうか連れて来られて…いや、なんでもない。わかった」

 

江ノ島盾子をやめることは許さない。

そう宣言されて、僕は肩を落としながらレジに向かった。

ひとつしかないレジに着いたけど、誰もいない。

セルフレジでもなさそうだし、どうすればいいんだろう。

 

“いらっちゃいまちぇー!少々お待ちくだちゃーい!”

 

さっきのタラちゃん声と共に、なにか小さな物体が落下してきた!

天井から落ちてきた“それ”は、空中で巧みにバランスを取り、着地。

奇妙な存在が話しかけてくる。

 

「ふぅ~待たせてごめんでち。はじめまして。お買い物でちよね、江ノ島さん!」

 

「やっぱり……僕のことは知ってるんだね」

 

落ちてきたものの正体はウサミ。ゲームで見た。

本当の姿は序盤と終盤でしか見られないけど。外見は大きな白いクマのぬいぐるみ。

ピンクの前掛けとたくさんフリルの付いたスカートを履いてる。

その手にはハートと翼の飾りを着けたステッキ。

ヘンテコな格好だけど、ウサミは万能の力を持ってる。僕が絶対に逆らえない力を。

 

「そう!あちしは江ノ島さんのこと、ずっと待ってたでち。

あなたが、いい子いい子、になってくれるまで、全力でお世話するのが役目でち」

 

「僕は、江ノ島盾子じゃない……!」

 

中身が減った買い物カゴを、レジのレーンにドンと少し乱暴に置いた。

 

「まだまだ道のりは遠いでちね~。とにかくお買い物を済ませるでち」

 

ウサミはカゴの商品を一つ一つスキャンした。

まぁ、3つしかないからあっという間に終わったんだけど。

 

「合計で6ウサミメダルになりま~す。

そこのスキャナーに生徒手帳をかざしてくだちゃいね」

 

黙って電子生徒手帳を楕円形の台にかざすと、またシャリンと音が鳴って、

残高が表示されて4になった。

 

「お買い上げありがとうございまーちゅ!袋に詰めるからちょっと待ってくだちゃい。

あ、これは紙袋に……」

 

「いいよ、そんなの。普通の袋で!」

 

僕は商品が入ったビニール袋をひったくると、

足早にロケットパンチマーケットから立ち去った。

とりあえず帰ったらテントを掃除しよう。

血まみれのティッシュだらけでちょっとした殺人現場になってたからね。

 

ピロロロ…

 

生徒手帳から着信音。あ、メールだ。開いてみる。

 

 

差出人:ソニア・ネヴァーマインド

件名:レッスン開始

 

わたくしの作業が終わったので、今からレッスンを始めます。

ホテル1階のロビーまで来てください。3分で。

 

 

はぁ!?いくらマーケットから近めだからって、

ここからホテルまでは走っても5分は掛かるよ!急いで返信する。

 

 

件名:RE:レッスン開始

 

今マーケットにいるんだ、10分ちょうだい!

 

 

送信!…即座に返事が帰ってくる。

 

 

差出人:ソニア・ネヴァーマインド

件名:RE:RE:レッスン開始

 

3分

 

 

そんだけ。冷てえ!全速力でダッシュする。

今日だけで、現実世界にいた頃の数年分運動したと思う。

ホテルの白い壁が見えたときには、3分なんてとっくに過ぎていた。

入り口のドアを身体で開けると、そこにはソニアさんが待っていた。

暗い怒りを込めた無表情で。

 

「はぁ…はぁ…遅れてごめん、ソニアさん。あのね、僕……」

 

「お黙りなさい!」

 

ヒュン!と、しなる何かが風を切って僕の腕を叩いた。

 

「痛あっ!」

 

彼女の手にはムチが握られている……!何考えてるんだよ!

ていうか、どこから持ってきたんだよ!

 

「叩くことないじゃないか!メールでも伝えたよね!?

マーケットにいたから3分じゃ無理って!」

 

「……わたくしの祖国では、13分前集合に遅れた者は厳罰なのです。

まずは処分を受けていただきましょう。心配なさらないで。

このムチは打たれても痕が残らない素材で作られています。

激痛しか残らないのでご安心を……」

 

ソニアさんがムチを持ってにじり寄って来る。

 

「ちっとも安心できない!こんなの横暴だ!……そうだ、これが必要だったんだよ!

君も、女性なら、わかるでしょ?」

 

彼女にさっき買ったものを袋ごと見せる。表情を変えず中身をじっと見るソニアさん。

少し黙ってから、椅子に座った。

 

「……次からは、多めに買い溜めておくように。では、レッスンを始めます」

 

助かった……!まさか、ある意味騒動の種になった“これ”に助けられるとは。

でも、まだ安心は出来なかった。

ソニアさんからお嬢様らしい振る舞いを厳しく叩き込まれた。

まずはカーテシーという、スカートの両端をつまんで、左足を後ろに下げ、

腰から頭を深く下げる西洋のお辞儀。

 

「下着が見えています!そんな下品なミニスカートを履いているからですよ!」

 

「だって、この服以外着るなって十神君に。なんでもないです、ムチは許してください」

 

「もっと背筋を伸ばして!足元がふらついています!」

 

こんな感じで、他には笑い方とか。

貴族の女性がそうするように、笑うときは右手を口元に持ってきて、控えめな声で笑う。

ドレスを来た高慢ちきな女が高笑いしてるようなあれだよ。次は歩き方。

 

「両手を前に組んで、歩調は小幅に。また背筋が曲がってます!

……そう、頭に本を乗せても落ちないくらい、美しい姿勢を維持して」

 

「あのう、これ全部守ってたら、ソニアさんの呼び出しに応じられない可能性が大で……

いったあい!!」

 

「わたくしも、プライベートの時間を削ってあなたに指導しているのです。

それを全否定されると、とっても悲しい気持ちになって、

つい手に持ったものを弾いてしまいます」

 

「せんせいごめんなさい……」

 

 

 

「……はい、今日はここまで。少しはマブいスケになれたと思います。

家に帰っても復習を忘れずに」

 

「ありがとうございました……」

 

1時間の拷問…じゃなかった、レッスンを終えると、僕はソニアさんを見送り、

姿が見えなくなった事を確認すると、ダッシュでテントに戻った。

レッスンの成果?鬼教官がいなくなったら綺麗さっぱり忘れちゃったよ!

水が欲しい。乾いた空気でもう喉がカラカラ。

 

屋外用水道と洗濯機をつないでいるホースを外し、蛇口を開いて、

流れる水をゴクゴクと飲む。ああ、生き返る!

そう言えば最後に水分を摂ったのは昼食の牛乳一瓶だったっけ。

お腹がタプタプになるまで存分に水を飲むと、ようやく気分が落ち着いた。

 

本当に僕の味方はこのテントくらいだよ。

ベッドにポスンと座って改めて我が家を見回す。

外部コンセントに接続された洗濯機と何も入ってない冷蔵庫、

パイプ椅子と簡易テーブル。

あ、洗濯物干さなきゃ。とっくに運転を終えた洗濯機から洗い物を取り出す。

パンツ一枚なら、パイプ椅子の背にでも引っ掛けとけば乾くでしょ。

 

洗うのが早かったことと、生地の色の関係で、

完全に血の色がわからなくなったパンツを手に、パイプ椅子に近づいた。

……あれ?椅子に何か置かれてる。何かの紙だ。

二つに折られたA4サイズのコピー用紙を広げてみる。

 

 

なぐつてわるかつた れすとらんで まつ そうだ かずいち

 

 

殴って悪かった。レストランで待つ。左右田和一。

思わず顔いっぱいに笑みが広がる。左右田君が、僕を受け入れてくれた。

誰も助けてくれない、世界平和の名の下に、僕を袋叩きにするだけだった人達の中で、

初めて僕を一人の人間として扱ってくれた。自然に涙が頬を伝う。

それは、手に持ったコピー用紙をポタポタと濡らす。行かなきゃ。

 

手紙を握りしめて僕は走った。ただひたすらレストランを目指して。

ホテルに逆戻りし、階段を一段飛ばしで駆け上がる。

2階のレストランには、まだ誰もいなかった。ここで左右田君を待とう。

ん?真ん中のテーブルに何か置いてある。

 

とりあえず近づいてみると、奇妙な装置が置かれていた。

なんか通販番組で見たような、黄色い洗浄機っぽいもの。

う~ん、アタッチメントの細いホースが接続されてて……

先っぽに大きくてぶ厚めの風船が取り付けられてる。

はずれないよう、何重にも紐で口を縛ってあるな。これ、なんだろう。

 

はは~ん。さては左右田君のサプライズだな。

装置の周りはコサージュで飾られてるし、メッセージカードまで置いてある。

さっきと同じA4のコピー用紙だけど。

 

 

えのしま へ

ぷれぜんと

 

 

僕宛てってことはやっぱり左右田君だ!プレゼントってなんだろう。

きっとこの装置のスイッチを入れたら、

風船が割れて色とりどりの紙吹雪がパッと広がる。

そこでどこかに隠れてる左右田君が現れる、ってところかな~!

さっそく僕は洗浄機のスイッチを入れた。

 

少々うるさい駆動音と共に、洗浄機が空気を送り込み始めた。

ホース先端の風船が空気を送られ、膨らみ始める。

超高校級のメカニックらしい、凝った演出だよね!

風船はもうパンパン。割れるのがちょっと怖いから、指で耳栓をする。

 

──身を守れ

 

その瞬間、本能的に危機を察知して、両腕で顔をガードした。同時に風船が破裂。

そして、中から飛び出してきたものは。

 

「は……?あれ…?お…おかしくない?なんで……アタシが…………?」

 

無数の短い矢のようなもの。左腕に1本。腹に1本。

テーブルや周りの床にも凶暴な威力で突き刺さっている。ろくに悲鳴も出せない。

無意識に腹の一本に手が伸びる。ゆっくり握って、力を入れて抜いていく。

 

「いっ、ぎぎっ!いがああ……」

 

今度は激痛で涙が流れる。抜いた矢がカランと床に落ちる。

風船の破裂音を聞きつけたのか、階段から何人かの足音が近づいてくる。

 

「何事じゃ!!」

 

「オイオイ、爆発か!?」

 

「厨房でガス爆発?違うよねぇ!?」

 

みんな階段を上りきると、驚いた様子で僕を見る。

腕に矢が刺さり、泣きながら腹から血を流す江ノ島盾子を。

 

「なんじゃあ!江ノ島、一体何があった!」

 

「マジかよ!!お前、刺されたのか!?とにかく、横ンなれ!」

 

「ととととにかく、誰か罪木さん探してきてよ!」

 

「るせえぞゴラァ!……おい、何が起きてやがる!?」

 

いろんな人が駆けつけたけど、僕の目にはたった一人しか映ってなかった。

黄色いツナギとニット帽。

 

「左右田君、ひどいよ……」

 

涙を悲しみの色に変えると、直後視界が暗くなり、そのまま意識を失った。

 

 

 

“お腹の出血は停止!

私がダーツを抜きますから、同時にガーゼを押し当ててください!”

 

“ちくしょう、誰がこんなことしやがった!!”

 

“落ち着かんか!誰か苗木に連絡を取れ!”

 

“既に日向が状況を伝えている。状況によってはプログラムの中止もあり得ると……”

 

“辺古山さん、なぜなんですか!

わたくし達は彼女の力を奪えば、それで良かったはず!”

 

“んなモン!こん中に「クロ」がいるからに決まってんだろうがァ!”

 

“そんな!またコロシアイが始まってしまうんですか!?”

 

“江ノ島盾子1人をターゲットにした、な……けったくそ悪りぃぜ!!”

 

“やだ……ゴミカス女、死なないよね?”

 

 

 

眠りの中、意識だけでそんな声を聞いていた。けど、そんな事どうでもいい。

僕は、裏切られたんだ。

PSPの中で、ソニアさんにぞっこんだった、お調子者のムードメーカー。

彼の仕掛けたトラップにまんまと引っかかって、矢で串刺しにされた。とんだピエロだ。

 

違う。

 

なにが?お腹や腕に矢が刺さってすごく痛い。僕、ゲームの世界に来て今が一番辛いよ。

 

戦え。

 

誰と?左右田君を殺せって言うの?僕を酷い目に遭わせてる人達に復讐しろって?

 

お前には、力がある。

 

力?僕に何ができるってのさ。みんなにいじめられることしかできない僕に。

 

真実を、照らし出せ。

 

真実?しんじつ、真実、シンジツ……

はっ!!その時、アタシの全脳細胞に神経パルスが走り、

眠っていた思考回路が超高速処理を始め、脳が知性で満たされる。

 

なるほど、今の私様(わたくしさま)なら造作もないことねェ!

そろそろ目を覚まして、外の連中に真実とやらを見せてやるとしましょう。

 

 

 

 

 

「あ、目が覚めました!皆さん、江ノ島さんが目を覚ましましたよ!」

 

罪木のキンキン声がやかましい。アタシの思考から出て行け。

視線を左右に動かすと、病室らしき場所。アタシはベッドに寝かされている。状況把握。

こんなところで時間を無駄にしてられない。更なる状況把握が必要になるんだから。

 

ベッドから下りて立ち上がる。左腕と腹に痛み。出血が止まっているなら問題ない。

痛みで死ぬことはないのだから。

 

「ダメですよ!傷は浅いですけど、お腹に矢が刺さってたんですからぁ!!」

 

この女は何を慌てているのだろう。傷が浅いのなら問題ないでしょう?

包帯女を無視して病室から出る。

廊下には名前を並べ立てるのが面倒なほどの有象無象共が集まっていた。

 

「おお、江ノ島!もう動いても大丈夫なんかぁ!?」

 

大丈夫だから動いている。当たり前のことがわからない?

 

「江ノ島……なんつーかよう」

 

左右田和一が何か話したそうにしてる。あいにく時間がない。

クロがいつ証拠を隠滅するかわからないから。

 

「現場保存は?」

 

「えっ?」

 

「アタシが風船爆弾を食らった現場は誰も触ってないか、と聞いているのだけど」

 

「あ、ああ。全員でお前を病院まで運んだから、誰も触ってねーはずだ。

狛枝以外は……つか、“アタシ”ってお前」

 

「そう。じゃあ」

 

「おい、どこ行くんだよ!」

 

「捜査に決まってる」

 

「「捜査!?」」

 

有象無象が一斉に大声を上げ、更にアタシの思考をかき乱す。いい加減にして欲しい。

蹴飛ばそうと思ったけど、相手にしている時間が惜しいから、無視して廊下を進み、

病院から出ようとした。

 

「江ノ島、待て」

 

もう振り返るのも面倒だから、背中で聞く。この声は、日向とか言うアンテナ頭ね。

 

「非常事態が起きたから、未来機関と連絡を取って、

希望更生プログラムを中止するよう要請したんだ。

でも、Ver2.01はウィルス侵入を警戒する余り、プロテクトを強固にしすぎたせいで、

遠隔操作で停止できないらしいんだ。

停止するには、システムがある現実世界のジャバウォック島に、

直接エンジニアが出向いて、シャットダウンするしかない」

 

「手短に」

 

「ああ…悪い。エンジニア到着には船で3日かかる。

それまでお前を死なせるわけにはいかない。だから、今は無理せず俺達と一緒にいろ」

 

「また、アタシを袋叩きにするために?」

 

「そうじゃない!計画は一時中止だ。お前が十分回復するまで何もしない。約束する」

 

「……“クロ”が、アタシを放っておいてくれるとは思えないけど」

 

「「はっ!」」

 

今更連中が現実を受け入れる。

仲間だと思ってる存在の中に、抜け駆けしてアタシを殺そうとしている奴がいることに。

なんか別のキャラを試したくなった。意味なんかない。

 

「もう行ってもいいかい?ボクにはやることがあるんでね。それと、左右田君」

 

「……なんだ?」

 

「君がクロじゃないことはわかってる。じゃ、アディオス」

 

「江ノ島……」

 

彼のつぶやきとほぼ同時に、わたしはドアを閉じたんだ~エヘッ!

 

 

 

 

 

電子生徒手帳のマップを見ながら島と島を結ぶ橋を渡る。

手帳のバックライトだけがアタシの顔を照らす。すっかり暗くなった。ここは第3の島。

もうすぐ中央島だから、ホテルまでは15分くらいだろうか。

 

ところで、さっきから正体不明の物体が周りを飛び跳ねているのだが、

目障りな事この上ない。キャラに飽きることにも飽きた。人生ままならない。

 

「江ノ島さーん、無理したらダメでち!病院に戻りまちょう!」

 

「なら、あんたがアタシに代わって事件を解決してくれるのかしら。その無敵の杖でさ」

 

「それは……できないんでち。

2体目のあちしの能力は、超高校級の絶望の力を抑え込むことに特化してて、

こういう不測の事態を解決する力はないでち。

それに、まさか刑務所でコロシアイが起こるなんて想定外だったから、

江ノ島さんを治してあげることも……」

 

「だったら構わないで。アタシは忙しい」

 

「しょぼん……」

 

 

 

20分程度歩いたかしら。病み上がりの身体には少し堪えるわね。

でも、ようやくホテルに辿り着いた。さあ、犯人の足跡を追いましょう。

階段を一段ずつゆっくり上り、あのレストランへ。

 

例の高圧洗浄機を利用した風船爆弾の痕跡がそのまま残ってる。

アタシは仕掛けが乗せられているテーブルに近づく。

まず目につくのは、やはり高圧洗浄機。給水タンクを調べてみると、中はカラ。

こうしておけば空気だけを風船に送れるわけね。

 

○高圧洗浄機

バッテリー式でコードが要らない高圧洗浄機。給水タンクの水は抜かれている。

 

電子生徒手帳が鳴る。New!が表示されているキーワードのアプリを開くと、

“コトダマ”というカテゴリーが追加されていて、

今調べた高圧洗浄機がそこに分類されている。どういうことかしら。

 

「モノミ」

 

「ウサミでち……」

 

「コロシアイを想定してないなら、どうしてコトダマなんて機能が存在してるのかしら」

 

「Ver1.0の名残でち。Ver2.01は急ごしらえで、

1.0のベース、例えばホテルやコテージという建物や、

マーケットの物資と言った流用可能なものはそのまま使ってまちゅし、

削除する手間が惜しい、コトダマのような無害な機能はそのまま残ってるでちゅ。

巨大なプログラムは不用意に一部を削除すると、

何がきっかけでバグが発生するかわかりまちぇんから……」

 

「バカね。まあいいわ、おかげでクロの眉間をぶち抜けそう。

他にはめぼしいものと言えば、これね」

 

○割れたゴム風船

高圧洗浄機に接続されていた、分厚いゴムで出来た大きな風船。

割れる前は、何かを入れることができただろう。

 

○ダーツ

風船爆弾の凶器となったダーツ。被害者に2本命中し、残りは周辺に刺さっている。

先端のポイント部分は2cm程度で、確実に標的を殺害するには威力が低い。

 

矢だと思っていたのはダーツだったのね。そう言えば1階ロビーにあったような……

 

“もっと背筋を伸ばして!足元がふらついています!”

 

思い出した。ソニアの無意味なレッスンを受けている時に見かけた。

念の為、後で確認する必要がある。次は厨房を調べなきゃ。

他にも犯行に何かが使われたかもしれない。

そうそう、これも一応コトダマに入れておきましょう。

 

○左右田(?)の手紙

江ノ島盾子をレストランに呼び出す内容。

 

○メッセージカード

風船爆弾のスイッチを押させるトラップ。本文は以下の通り。

 

“えのしま へ

ぷれぜんと“

 

厨房に入ると、洗い場、調理台、大型冷蔵庫。特に変わったところもない。

……いや違う。調理台に無造作に置かれたカセットコンロ。

そばにガスコンロがあるのに、どうしてわざわざ?

つまみをひねってみる。点かない。ガスがないみたい。

 

○カセットコンロ(厨房)

調理台で見つけたカセットコンロ。ガスが切れている。

 

これ以上は何もない。アタシは場所を変える。もし、予想が正しければ。

階段を下りて、1階の娯楽室を兼ねたロビーで一旦足を止める。

隅に設置されたダーツボードを調べる。やはりダーツが一本残らず抜かれている。

凶器はここにあったダーツで間違いない。

 

それがわかったら、調べる場所は残りひとつ。狛枝凪斗のお家、別館。

ドアを開けると、真っ暗な通路の先に、何かが見える。

 

「ウサミ、明かりを」

 

「はいでち!」

 

何か、を見たまま命令すると、どこから持って来たのか、

ウサミが懐中電灯を持って後ろから廊下を照らす。

 

「あのさ」

 

「なんでちか?」

 

「アタシには天井に蛍光灯があるような気がするんだけど」

 

「そうでちた!今つけまちゅ!」

 

こいつに何かを期待するのはやめにしよう。明かりが着くと、突き当りに倉庫が見えた。

中に入って白熱球を点けると、ホコリ臭いスペースに、雑多な物が並んでいる。

 

棚を調べていると、ダンボール箱にパーティーグッズがあった。

風船爆弾を飾り付けていたコサージュや風船自体は、この倉庫で調達したみたいね。

棚には怪しいものは何もない。部屋を出ようとしたら、足に何かが当たった。

 

大きなタイプライター。かなり昔の物で、結構な重量がありそう。

しゃがみこんでよく観察すると……ホコリが積もっているキーと、

最近使われたらしい、指紋が付いたキーがある。使用されたキーを調べてみる。

 

なぐつてわるかつた れすとらんで まつ そうだ かずいち

 

えのしま へ

ぷれぜんと

 

アタシに送られた手紙、風船爆弾の側にあったメッセージカードの文面。

それぞれに使われた文字と一致する。犯人はこれで偽の手紙を作った。

 

○タイプライター

大昔のタイプライター。大型で重く、持ち運びは難しい。

犯人は筆跡を隠すため、これで手紙とメッセージカードに文字を打ち込んだ。

 

倉庫を調べ終えると、手近な事務所のドアを開ける。

調査した結果、証拠になるような物は見当たらなかったけど、

さっきのタイプライターは、昔ここで使われていたと推測できる。

 

トイレを見て回る。収穫はなし。更に廊下を進んで、厨房へ。

ここにもキッチンがあるのね。やっぱり調理用の設備や器具しか…と思ったら、

ホテルの厨房と同じ、カセットコンロが目についた。

 

こっちはちゃんと棚に並べられてるし、ホテルのものと同型。

取り出してつまみを回してみる。2,3回パチパチ鳴らすと、火が点いた。

ガスが残っているかどうかくらいの違いね。

 

○カセットコンロ(別館)

別館の厨房に保管されているカセットコンロ。ガスは残っており使用可能。

 

これで十分ね。そろそろ戦いの幕が上がるわ。

ホテルに戻ろうとしたら、ホール前にあいつが立って、

渦巻くヘドロのような目でアタシを見てる。

 

「やあ!生徒手帳の警告メールを読んだよ!

晩ご飯がなかなか来ないから何があったのかと思ったけど、

とうとう、とうとう始まったんだね!!

これがボクの幸運の代償なのか、さらなる幸運なのかまだわからないけど!

そして君は遂に覚醒した!超高校級の絶望として!ああ、なんて素敵なんだろう!

偽物だったけど、超高校級の生徒達が君を倒した時に放たれる光は、

形容のできない美しさで煌めくんだろうねぇ!」

 

「よく喋る男ね。絶望だの幸運だのどうでもいいわ。

……そうだ、一応あんたにも聞いておきたいんだけど、

夕方頃変な音を聞かなかった?カタカタ何かを弾くような音」

 

「う~ん……ボクは大抵いつもこの広いホールに居るから、

小さな物音には気づけない可能性が高いな。

あと、みんなボクを避けてるけど、

物置には用事があるみたいでしょっちゅう出入りしてる。

だから特定の物音を聞き分けるのは難しいね」

 

「隣接してる廊下や厨房は?」

 

「それくらいなら聞き取れるよ。ホール前まで来る人は稀だからね」

 

「……最後の質問。倉庫で灯火程度の光が漏れたとして、

あんたのいるホールから、気づくことができると思う?」

 

「無理だよ。ホール入口から倉庫までは角で死角になってる。

それこそ防火扉を閉められたら完全に暗闇さ。

……ひょっとしてボクのこと疑ってたり?」

 

「他に犯人がいるから聞いてるの。とにかくわかった」

 

○狛枝凪斗の証言

別館に常駐している狛枝凪斗は、いつもホールで過ごしており、

その広さと物置への人の出入りの多さから、小さな物音には気づけない可能性が高い。

ただ、ホール前廊下、隣接する厨房の音は聞き取れるとのこと。

仮に倉庫で小さな明かりが灯ったとしても気づけないだろう。

 

「わかったわ。あんたも来て。面白いものが見られるわよ」

 

狛枝は、渦巻く闇のような目を歪ませ、笑みを浮かべて喜んだ。

 

「ボクを誘ってくれるのかい!?ありがとう江ノ島さん!

ボクみたいな、何の価値もない人間を、狂乱の宴に招待してくれて!」

 

「機動戦士みたいなこと言ってんじゃないわよ。アタシはアタシ。江ノ島盾子じゃない。

ついてらっしゃい」

 

こうして、狛枝を別館から連れ出すと、道すがらウサミに尋ねる。

 

「ねえウサミ。他の連中を中央島にワープさせることって、できる?」

 

「あわわ、いけまちぇーん!勝手に狛枝君を連れ出して、しかも……」

 

「できるの?できないの?」

 

「……ごめんなちゃい、くどいようだけど、あちしの能力は超高校級の」

 

「なら、全員に中央島に集まるよう手帳にメールを送って。

見つけたコトダマとその内容もね。それくらいはできるでしょ?」

 

「中央島!?それってまさか!」

 

「早く」

 

「はい……」

 

ウサミがステッキを掲げてぐるぐると回す。メールひとつで大げさね。

CCで自分で送ったほうが早かったかも。全員分のメルアドは最初から登録されてた。

 

「終わったでちゅ」

 

「アタシ達も行きましょう。狛枝の言う、狂乱の宴にね」

 

アタシ達は道すがら、狛枝に事件概要を説明したり、

気になった点をウサミに確認したりしていた。

 

「……まあ、こんなところよ。せいぜい場を引っ掻き回さないでね」

 

「もちろんだよ!江ノ島盾子の活躍を間近で見られるんだもの!

邪魔なんてしやしないさ!」

 

「どうだか。ねえウサミ、今更だけどひとつ確認。

島中の防犯カメラに犯人が映ってる可能性は?」

 

「ごめんでちゅ。今回、江ノ島さん以外は善意の協力者だから、

プライバシーの侵害に当たる監視行為は行っていまちぇん。

カメラは自動的に江ノ島さんだけを追跡するようになってるんでちゅ」

 

「ホント、都合のいい偶然ね。あら、見えてきたわ。有象無象も集まってる」

 

橋の終わりに差し掛かるり、中央島に足を踏み入れると、

ラシュモア山の大統領像のようにそびえ立つ、

4つのモノクマの顔が彫られた巨大な岩が見えてきた。

 

他のメンバーは先に到着している。

更に歩を進めると、こっちに気づいたようで、

皆一様に驚いて、口々に叫び声のような音量で呼びかけてくる。

少しは怪我人をいたわってほしいものだけど。

 

「おいおい、狛枝までいんぞ?なんでだー?」

 

「アタシが連れてきたの。わかってもらえた?終里さん」

 

「おう、わかったぜ!!」

 

「くっ!俺というものが居ながら、またしてもこのような惨劇をっ……!」

 

「10円くれただけで十分助かったから」

 

「ふえええ、やっぱりその傷で動くのは無茶ですぅ。今すぐ病院に戻りましょう!」

 

「悪いけど後にして。それに見た目ほど深くない。知ってるでしょ」

 

「どこ行ってたんだよ!急に消えちまうから、その、慌てちまったじゃねえか!」

 

「もしかして、心配してくれてるの?左右田君。あれほど殺したがってたアタシを」

 

「そりゃー、そーだけどよぉ。なんつーか……」

 

「ふふっ、冗談よ。ごめんなさい」

 

「冗談って、お前なあ……」

 

「どういうことだよ、江ノ島!

コトダマってことはまさか!?なんで狛枝と一緒なんだ!」

 

「質問は一つずつ願いたいわね。そう、あなたが思ってるように証拠品を集めてた。

狛枝君は証人のひとりだと思ってくれればいいわ。

苗木君に連絡を取ってくれないかしら。できるんでしょう?あなたの生徒手帳なら」

 

「連絡って何のために……?」

 

「決まってるじゃない。法廷の使用許可を取ってほしいの」

 

「法廷って!まさか、お前は、やるつもりなのか!?」

 

「その通り。今夜中にクロを見つけるの。“学級裁判”でね」

 

アタシと狛枝を除く全員に戦慄が走る。

パンドラの箱を足で蹴り開けようとしているアタシは、口元だけで少し笑った。

 

「な、何を考えてるんだ!みんな地獄のようなコロシアイ生活で、

思い出したくもない悲惨な経験をしたんだぞ!それを今更……」

 

「このまま犯人を野放しにして、

アタシの死亡という形で希望更生プログラムが破綻すれば、

地獄どころの話じゃなくなると思うけど?」

 

「それは……」

 

──その通りよ。ウサミ、法廷へのアクセス権をオープン状態にして。

 

電子学生手帳が、勝手に喋りだす。画面を見ると霧切響子。

緊急回線でも使ってるのか、応答ボタンをすっ飛ばしてテレビ電話が起動した。

 

「……わかったでち。あちしのステッキがあれば今すぐできまちゅ」

 

『お願いね。……それにしても、江ノ島盾子』

 

「なにかしら」

 

『どういう風の吹き回し?あれほど自分は男だ、ただの一般人だ、と言っていたのに。

本当に江ノ島盾子みたいな…というより、正体不明の女性のような態度で、

殺人未遂事件の捜査に乗り出すなんて』

 

「江ノ島になれと言ったのはあなた達でしょう。

それに犯人を放っておけば、今度こそ殺されるかもしれない。

だから学級裁判で探し出す。何か問題でも?」

 

『いえ……ウサミから聞いただろうけど、ここからは遠隔シャットダウンができない。

犯人を見つけろとは言わない。身の安全を第一に考えて』

 

「モルモットに死なれたら困るから?」

 

『……そうよ』

 

ポーカーフェイスを装いつつ、一拍置いてから彼女は答えた。

 

「ふふっ。正直な人は好きよ、アタシ。じゃ、日向君のお手並み拝見と行こうかしら」

 

彼に全てを任せるつもりはさらさらないけど。

 

『ウサミ、そろそろお願い』

 

「了解でち!マジカルステッキ・く~るく~るピロロロリン、えい!」

 

ウサミがステッキを振りながら間抜けな呪文を唱えると、

モノクマ像の左から2つ目の口から、鋼鉄で造られた設備としてはありえない動きで、

エスカレーターが飛び出してきた。あの先に、法廷に続くエレベーターが。

 

『繰り返すけど、そのモノクマ像もVer1.0の名残。気をつけて。

……あと、ひとつ聞かせて』

 

「なに?」

 

『何があなたをそこまで変えたの?』

 

「アタシ決めたの。逃げて、耐えて、終わりを待つのはもう止めた。

誰も助けてくれないなら、アタシは戦う。

戦って真実をつかみ取り、この不条理な運命を打ち砕いて見せる」

 

『そう……そうしてくれると、こちらとしては助かる。

頑張るのもいいけど無理しない程度に。理由はさっきと同じ』

 

「あなた、自分で思っている以上に表情豊かよ。じゃあね」

 

『なんですっ……』

 

最後まで聞かず、切断ボタンをタップした。そろそろ始めましょうか。

おっと、こいつも必要ね。

 

○電子生徒手帳

 

スマートフォン型多機能電子生徒手帳。

校則、キーワードの閲覧。電話、メール、電子マネー機能等、

多様なアプリを搭載している。

 

アタシは、物理法則を無視した方法で現れたエスカレーターに足をかけた。

それが、狛枝の言う狂乱の宴の始まりだった。

 

 

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