黄金の簒奪者たち:その93

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黄金の簒奪者たち:その93

 

◆「田中クラブ」を襲ったトラブル

 

 岸信介からファンド・マネーの管理権を買収した田中角栄は、2つの利殖ビジネスを始めたという。1つ目は田中に忠誠を誓った一握りの財産家と企業経営者のみを仲間に、「全国社会福祉協議会」を文京区内に設立したことで、その目的は仲間を限定株主(投資エンジェル)に見立て、「身内」の彼らが用立てる少額の資金を事業の前捌き金に活用して、そのトータルで大規模な利益を稼ぎ出すことあった。”福祉”の名称を看板に掲げて世間の耳目を逃れる「田中個人銀行」の、ごく限られた株主たちを”田中クラブのメンバー”と世間は呼んだ。

 

 この田中が発送した「個人離職機関」は莫大な利益を生んだ。しかし、このマネー・マシンの破綻が後に田中失脚の遠因になる。田中失墜の原因を世間は「ロッキード事件」にあったとか、土地を転がして貯めたカネにあったなどと決めつけたが、実はそんな「はしたガネ」で田中は失墜したわけではなかった。立花隆「田中角栄研究」児玉隆也「淋しき越山会の女王」で描かれた田中金脈問題は庶民たちからの羨望と怒りが混ざった感情を呼び起こしたものの、首相退陣の直接の引き金になったわけではないのである。

 

 1兆円で管理権を買収した田中角栄が、たかだか5億円のワイロなんて受け取らないし、一国の総理大臣を外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で逮捕すること自体が異常なのである。だが、一度創り出された世論の流れは変わらなかった。もちろんそれこそが極東CIA本部による新聞・テレビ・雑誌社に対する指示だったからで、それはケネディ暗殺に関連した「ウォーレン委員会」での話がアメリカの内部対立を引き起こし、それが日本=田中や児玉誉士夫にまで飛び火したものでもあった。もちろん確信的にであるが。

 

 1960年(昭和35年)、田中は任意団体の「全国社会福祉協議会」を準備した。会長には自民党重鎮の灘尾弘吉を充てた。協議会設立の目的は社会福祉(特別養護老人ホーム、一般老人ホーム、母子寮、病院など)の施設運営としていた。この施設運営とは田中流の土地活用経営を意味している。先見の明に富んだ田中は郵貯マネーに続いて福祉事業に目を付けたのである。土建屋である田中のお得意の商売もついて回る複合的事業である。

 

 「福祉」という言葉は口当たりがいい名称で日本人好みだ。筆者の中学1年からの友人もさる地区の福祉協議会に勤めていたが、毎年「歳末助け合い運動」と称した募金活動を通じて協議会メンバーの飲み代を溜め込んでいた(笑)。所詮はそんなレベルなのである。福祉組織の大義の下に田中は事業資金3兆8000億円を篤志家たちから集めた。ところが、このプランに乗った篤志家たち=田中クラブのメンバーとの間でとトラブルが生じてしまう。

 

全国社会福祉協議会 


  巨額資金を集めた田中は、全国社会福祉協議会とは別にもう1つの組織、「社会福祉事業団」を発足させた。これも文京支部を目白に置き、そこが協議会と事業団の司令塔になった。そして、1965年、事業団はなんと合計1980筆の国有地の払い下げ許可を政府から取り付けたのである!! 田中の福祉事業の未来は順風満帆に見えた。ところが、翌1966年、「共和製糖事件」が日本を揺るがし、国会で糾弾されたことから、政府は民間への国有地払い下げを禁止したのである。この事件は事業団の前途を打ち砕くことになった。国有地の払い下げが廃止された事業団は、篤志家たちから集めた「土地収用費」の3兆8000億円の返還を迫られたのだ。

 

 さらに、政府に払い下げ土地代として既に払った60%相当(2兆2800億円)を、政府は国庫として国家予算に組み込んで使ってしまっていた。土地代の返還要求を起こした社会福祉事業団に対して、大蔵省は土地代の代わりに利付き国庫債券だの割引興業債券(ワリコー)などを還付金として交付した。つまり、国債を使った未払金の先送り返済が始まったのである。そして1972年(昭和52年)、代金の代わりに交付された証券や国債類が満期を迎える。債権の所有者たちは大蔵省国庫課に清算(資金償還請求)を申請、昭和52年予算編成時に、返還申請は承認された。が、問題は承認の中身だった。

 

 政府は昭和53年度予算組み入れに伴う旧債券を全額、大蔵省が買い上げ、債券名義人に対しては新債券を発行して、返還に充てることを決定したのである。つまり、またまた借金返済を先送りにしたのである!! しかし、大蔵省が支払いを約束した返還債券と証券類は、なんと10年後の期日になっても償還されなかったのだ。旧債券を新債券と交換して先延ばしするこうした大蔵省の対応に強い憤りを覚えた名義人たちは、ならばと交換された国債を東京法務局に供託して大蔵省に抵抗したのである。一方の大蔵省は、名義人たちに対して、第一勧業銀行・富士銀行・三菱銀行・三井銀行を通じて、今度は別の証書や証券類を新たに発行して、これで我慢せよと応じたのである。

 

 ここまでの段階で、既に大蔵省のインチキと嘘八百には呆れるばかりだが、彼らのインチキはこれで終わらなかった。なにせ、新規に発行した債券の支払期日がきても換金できなかったからで、またまた大蔵省のまやかし作戦だと名義人たちはさらに怒った。そこで、1978年12月7日になって、衆参両院の予算委員会でこの一件が審議され、「翌1979年1月16日を支払い開始期日とする還付金の支払いを決定した」、とする保証書を財政審議会の名で名義人たちに交付した。メンバーは自民党総裁大平正芳、衆参両院議長らが保証書の書面に記名捺印して確約した。

 

  このような経緯を経ながら、1983年(昭和58年)4月4日、臨時行政調査会お答申書の趣旨を尊重するとして、政府は昭和58年度の国債償還金および利付き償還金の支払いには国債整理基金を充てることを決定、履行を名義人たちに誓約した。この時の誓約者は大蔵省銀行局長、大蔵大臣竹下登、内閣総理大臣中曽根康弘だった。こうして国債還付金の誓約書が名義人たちに発行され、了承した名義人に対して、政府は”誠意ある最終解決の証し”として第57回還付金残高確認証を大蔵大臣名で交付したのである。

 

 ところが、この「57年もの」の還付金証書(予約小切手)が、ワシントン政府の厄介事になってしまうのだ。なぜならこの証書の最終的な決済資金は「黄金ファンド」を裏付けにした資金であることが判明してしまうからだった。つまり、秘密ファンドの存在が明るみに出てしまうと、アメリカ政府は自国の納税者に説明ができない。なによりも終戦直後からこのマネーを”つまみ食い”してきた悪事が全て議会にバレてしまうのである。

 

 

 名義人たちは期限を1998年(平成10年)4月30日とした確認証の記載額面と同額の利付国債再建に転換すると明記した残高確認書を受け取り、お金は返還されるものと確認したものの、大蔵省当局は再び約束を反故にしたのである!! 呆れ返るとはこのことだ。なに国家はその債券を保証しないと翻ったのだ。怒った資金主たちは、どうにか証明書を換金すべく走り回ったが、国家が保証しない債券類の換金化は不可能だった。なにせ額面が半端な数字ではなかったからだ。

 

 資金主たちは国家に掴まされた”本物の偽物”の債券、証券、通帳、小切手を巷の金融ブローカーたちに廉価で譲って換金化に走ったのである。しかし、「ブローカーたちが銀行に持ち込んだ第57回還付金債券は偽物であり、換金に値しないニセ債券行使の罪になるから警察に連絡するように」というお達しが大蔵省から各銀行に届けられたのである。だが、国内ではダメでもアメリカでなら換金できるはずとブローカーたちは考えた。が、彼らをアメリカで待っていたのはFBIだったのである!! 政府発行の「国債」なるものの正体がお分かりだろう。こうやって財務省(旧大蔵省)はインチキをやって「国民の借金」なるものを増やし続けてきたのである。

 

 こんな長期間に渡って名義人と大蔵省が争うことになったのも、そもそもは田中角栄の「社会福祉」なる大義名分をつかった国有地の廉価での払い下げというインチキから始まったものだ。田中角栄が頼りにしていたのは「黄金ファンド」である。国債の発行には満期決済日の支払いに備えて減債基金を積み立てて計上するルールになっており、利払いのための還付金の予算を積み立てねばならない。だが、田中の事案では、償還金額がデカすぎて満期日支払いができない状態に陥ってしまった。だが、これはアメリカも同じだ。

 

 

 アメリカ政府は2025年10月1日午前0時(日本時間同午後1時)過ぎ、連邦議会で予算案が可決されなかったことを受け、約7年ぶりに閉鎖された。これにより、数十万人規模の連邦職員が自宅待機や一時解雇となる可能性があるほか、国立公園や博物館が閉鎖されるなどの影響が予想される。過去の政府閉鎖では、職員不足により、航空便の運航などに支障が生じた例もある。トランプ大統領は、民主党が重視しているとされる一部の連邦給付を削減し、大規模な解雇を行う可能性があると脅している。

 政府予算案を可決するには上院で60票が必要であり、共和党が上下両院を掌握している現状でも、政府を再開するには民主党の支持が不可欠となる。9月30日の上院では、共和党が提出した短期的な歳出案が最後まで十分な支持を得られず、民主党主導の提案も否決された。共和党主導の
「つなぎ予算案」が可決されれば、政府の予算は現行水準で一時的に維持されるはずだったが、採決の結果、賛成55、反対45で否決された。トランプ大統領はまた、合意に至らなかった場合、「政府閉鎖中に、民主党にとって取り返しのつかない、悪影響の及ぶことをできる」とも述べた。

 

 ホワイトハウスは、政府閉鎖が「重要でない」と判断された連邦職員の恒久的な解雇につながる可能性があると示唆しており、対立が長引き、無給の職員が出勤を停止した場合には、前回のトランプ政権下での政府閉鎖時と同様、交通の遅延が発生する可能性もある。アナリストらは、今回の政府閉鎖が2018年末の閉鎖よりも規模が大きくなる可能性があると予測。今回は約40%の連邦職員、すなわち80万人以上が一時的な休職に置かれる見通しだ。なにせトランプ大統領1期目には、政府閉鎖が3度発生しており、そのうち2018年に始まり2019年1月に終わった閉鎖は36日間と、史上最長となった。

 



 BBCは、
「こうした政府閉鎖は、アメリカの政治制度にほぼ特有のものであり、各政府機関が歳出計画に合意しなければ法案として成立しない仕組みに起因している」と伝えているが、それは表向きの話だ。なんでトランプが一斉に世界各国への関税率をアップしたのかといえば、アメリカは国債の利払いも償還もできないほどの莫大な借金があるからだ。アメリカの経済は好調などという嘘をずっと垂れ流し、2京円と言われる天文学的な借金の元本も利子も払えないのである。あくまでもワシントンにある株式会社アメリカという国家が、である。

 

 この元本と利払いを支えてきたのが、財務省の「特別会計」なる国会審議が不要な官僚のための予算である。この予算からアメリカの借金の返済のため、毎年30兆円〜50兆円が支出されてきたのである。さらに、このインチキな特別会計予算もまた、日本人の税収では賄えないため、「黄金ファンド」=「天皇の金塊」に頼ってきたのである。「黄金ファンド」に頼る連中はそこからカネを抜く=使うだけで、儲けることができないため、ただひたすら借金を増やし続けるだけなのである。その意味で「黄金ファンド」を使いながらもファンドのカネを増やそうとしたのは田中角栄ただ一人だったのだ。

 

 還付金を受け取る予定だった田中銀行クラブの投資家メンバーたちは、厚い利幅の収益を既に別事業から享受していた人たちだ。だが、政府による国債発行額が肥大化して国庫が準備する還付資金は減債基金が先細りとなり、国債の利払いが追いつかなくなったのである。そこで田中と大蔵省は一計を案じて、様々な名目でメンバーたちに優先的支払い保証証書や証券を渡しつつ還付返済金のジャンプを繰り返したのだ。ところが、ワシントン政府のキッシンジャーの子分、アレクサンダー・ヘイグ元国務長官はこの還付証券を入手し、1992年のブッシュ大統領訪日団に紛れ込んで来日。前首相竹下登を脅迫して換金化させたのである!!

 

上左:ヘイグ元国務長官 上右:キッシンジャー元国務長官

下:訪日したブッシュと宮沢熹一首相

 

 みなさん覚えていらっしゃる方もおいでかと思うが、この時パパ・ブッシュ大統領は迎賓館での午餐会のテーブルで貧血状態になって崩れ落ちた場面が報じられたことで大騒ぎとなった。なにせ天皇陛下の隣の大統領が崩れ落ちたのだ。脳溢血やら脳内出血なのではないかと疑われたが、そんな大統領の緊急事態などはお構い無しで、同じ時間の別の場所ではヘイグが竹下登ら日本の要人たちを恐喝していたのだ。

 

 ヘイグは竹下登に対して、日本へのバッシングを押さえるのと引き換えに、還付小切手の換金を迫ったのである。その額は500億円。「Gold Warriors」の著者シーグレーブらは、日米両政府高官たちによる恥ずべき秘密取引だと書いている。名義人たちへの返金をウヤムヤにしてしまった田中一派と大蔵省は、アメリカでFBIが取り上げた小切手を逆に日本に持ち込まれ、脅迫に屈してキャッシュで還付してしまったのである。もちろんそのカネは国民の税金で賄われたものだ。

 

 令和の現在、日本政府が国民を脅すための「国の借金額2000兆円以上」の中には、1967年(昭和42年)以来、福祉事業団の篤志家たちに返済すべき資金も、先送り処理に費やした国会審議の費用も、ヘイグに竹下が渡した500億円を超える清算金も含まれているのである。だからこそ日本の借金額というのは、国民がインチキ会計を繰り返してきた日本政府への貸付額の総和なのである。

 


 「田中銀行」とは、官邸に集まる不動産情報を仲間(田中銀行の株主)たちに渡して、権利移転を急がせて利益を得た私設の銀行だった。その仕事の手初めは、対日戦争勃発で祖国に逃れた外国人たちが都内に放棄した不動産の処理だった。これは1951年のサンフランシスコ講和条約で放棄された不動産の中の値打ち物件1861件を扱ったもので、打ち出の小槌を手にしたものと同様の利益を生み出した。返還無用になった有数の不動産物件を田中は政府に没収管理させ、それらを田中クラブの面々に優先的にかつ低額で買い取らせたのである。

 

 さらに地下の上昇を仕掛けて相場価格で不動産を売り抜けさせて得た利益総額は7兆9000億円にものぼったとされる。売買益の大半は「黄金ファンド」の元本に組み込まれた。1960年から1970年までの10年間で、田中が管理したファンドの元本総額が350億米ドルから600億米ドルに膨らんだ。日本の政治家の田中角栄は、ワシントン政府から見れば、これまで見たこともない利殖の天才に映ったのである。なにせ日本もアメリカも政治家は使う一方だったからで、人のカネを使うことしか考えない連中にとってみれば驚異の出来事だったのである。

 

 田中角栄が考え出した2つ目のビジネスモデルは「債券の発行」だった。そして田中がぶち上げた「日本列島改造論」が示すのは得意の土地開発分野に焦点を当て建設債券を発行して利殖をさらに拡大させるビジネスモデルということなのだ。その債券を発行するのに欠かせないのが大蔵省お協力であり、国庫収入つまり「黄金ファンド」の元本を増やす債券発行企画を実現するために大蔵官僚たちは献身的に協力した。特に建設債券は、一般の国民には起債元があたかも大蔵省の金券にも見えたが、実際には金券としての国会承認は受けてなかった。なぜ、田中が大蔵官僚に対する面倒見が良かったのか、その理由はここにあるのだ。

 

 

 田中角栄はファンドの元本をさらに増やして債券の現債務積立金の確保にオツムを捻り、大蔵官僚たちは国庫収入を増やす意欲に燃え、田中のために労を惜しまず奔走した。債券の大量発行の裏付けとして「秘密ファンド」=「天皇マネー」という大きな後ろ盾があったからこそできた話だが、その後ろ盾を頼りに金融界も様々な金融商品を派生商品を量産販売した。産業界も同様に「秘密ファンド」をあてに巨額の融資を受けて工場設備や自社ビルの建設、求人費用に回したのである。何も知らない世界は、戦後ニッポン経済の復興と異様な高度成長ぶりを「奇跡」と讃えた。

 

 アジア12カ国から強奪した金銀財宝のことなどを知らない人たちにとって、秘密資金を活用した経済上の砂上の楼閣は「奇跡」に見えたのである。真っ当な経済政策ではとても生み出すことなどできない経済発展という成果を田中角栄のニッポンは「天皇マネー」という他力本願で勝ち取ったのである。だが、真面目な国民は自らの勤勉な性格と努力と知恵が日本経済を飛躍的に復興させたと信じて、さらなる豊かさへの道を突き進むことになる。

 

 だが、債券の乱発は未来の国庫の負債を生み続けた。次々と増え続けた国庫の借金は後世の政府へと「先送り」された。そして、その始末は「秘密ファンド」に委ねられた。ニッポンは巨額の秘密資金を握りしめた田中角栄の登場で現世ご利益を享受しつつ、未来払いの巨額負債も抱えながら進んだ。よもや財務当局の金庫が空っぽになる日がやってくることなど誰も思わなかったのである。その現実を自民党の政治家たちが知ったのは平成19年7月の参議院選挙戦の最中のことだった。 

<つづく>

 

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