86歳で感じた「長生きする人」の素質 病気と心の関係とは
老後の健康において大切なこととは?ベストセラー作家の故・渡部昇一さんは著書『渡部昇一の快老論』にて心が健康に及ぼす影響は大きいと話します。渡部さんが骨折を経験して感じた、老後の健康を維持する方法について同書より紹介します。 ※本稿は、渡部昇一著『渡部昇一の快老論』(PHP文庫)より内容を一部抜粋・編集したものです
自分を呪っては絶対にいけない
最初に健康というものについて結論めいたことを書いてしまうと、本当に大切なことは二つあるように思う。 一つは、身体の病気についても、やはり「心」や「精神」がとても重要なる役割を果たすということ。 もう一つは、自分で健康法を試すならば、「その健康法を実践している人が長生きしているものを選ぶにかぎる」ということである。 病気をしたときに、いかに心の持ちようが重要かを痛感させられたのは、私が77歳前後のときに足の骨を折ってしまったときのことであった。 家で階段から落ちてしまったのだが、足の骨を折ってしまったために、ギプスで固定し、松葉杖で歩かなければいけなくなった。これは不便きわまりない。棚の本を取るにも、トイレに行くにも、何をするにつけても大いに苦労をした。当然、生活にも随分支障が出るので、ついつい「チクショウ」と思ってイライラしていた。 すると、そんな心持ちでいたから、免疫も落ちてしまったのだろう。帯状疱疹になってしまったのである。 帯状疱疹は、子供のころに罹った水疱瘡のウィルスが、老齢やストレスなどが原因で免疫力が落ちると再び暴れだし、発疹と鋭い痛みを伴う病気である。首より下に帯状疱疹が出るのは痛さを我慢すれば済むが、首より上に帯状疱疹が出ると危険な状態になることもあるようだ。私の場合は頭に帯状疱疹が出て、顔がひん曲がってしまった。 私の曲がった顔を見たある出版社の社長が、「普通の病院ではダメです」といって、治療できる病院にわざわざ車で連れていってくれた。その病院で西洋的な治療法と鍼治療を併用する治療を受けて、ようやく顔はもとに戻ったのだが、かすかに歪みは残った。その歪みも石原結實先生の奥さま(美容が専門だとうかがった)が温めて揉むという方法で、きれいに治して下さった。 足の骨折自体は、幸いにして折れた場所が真ん中付近だったのでよくくっついた。帯状疱疹そのものも完全に回復した。ただ、神経のバランスが悪くなったのか、それ以降、身体のバランスを崩すことが多くなった。それまで私は三点倒立はいつでもできたが、帯状疱疹になって以降はできなくなってしまった。 階段から落ちたことがきっかけで、帯状疱疹になり、そこから健康状態をかなり落としてしまったのである。 いちばん反省したのは、足の骨を折って「チクショウ」と思って、「何でこんなことになってしまったのか」と自分で自分を呪ってしまったことである。私が帯状疱疹になってしまったのは、そういう精神状態と大いに関係があったに違いない。 思い起こすのは、古代ギリシアのストア派の哲学者、エピクテトスの言葉である。 「あなたを虐待するものは、あなたを罵ったり、殴ったりする人ではなくて、そういうことをされるのが屈辱だと考える、そのあなたの考えなのだ」 やはり自分を呪ったり、自分自身で屈辱に思うことが、いちばん自分自身を傷つけるのであろう。もっと素直に受け止めて、「神様が命じたのだ」「たまにはこういうこともある。仕方がない」くらいに考えておけば、帯状疱疹になることはなかったのではないか。 70歳以降のケガは健康状態を一気に崩すことがあるので、気をつけなければならないといわれるが、それはこのような心のあり方に大いに関係しているように思えてならない。 若い健康な人なら、「どうせ治るに決まっている」と心のどこかで思っているから、精神がそこまで追い込まれることはない。しかし、歳を重ねてからの病気やケガでは、どうしても「これは危ないかもしれない」「もう元の身体には戻れないかもしれない」と思う心が芽生えてしまう。 すると、不安と焦りが知らず知らずのうちに心に押し寄せてくる。その強迫観念が必要以上に、自分の身体を痛めつけてしまうのではなかろうか。 「自分を呪うようなことは、絶対にしてはいけない」。そのことは強く心に留めておくべきであろう。