第1回病に倒れた娘、病院までは片道1時間 生活保護か車か…迫られた母

奈良美里 伊藤舞虹

 「抱っこして!」

 月曜日の朝、せがむ長女(3)を前に30代の女性は途方にくれた。胸には抱っこひもで抱えた次女(1)、手には土日にたまったおむつが入ったゴミ袋。保育園のお昼寝用布団が入ったカバンが、両肩からずり落ちる。女性はそれを背負い直し、駐車場へ向かった。

 東北地方で1~7歳の子ども4人と暮らす。

 昨年初めに離婚した。

 元夫は金遣いが荒く、未来を見通せなかった。当時は会社を育休中で、手元には1カ月分の生活費しか無かった。

 わらをもつかむ思いで自治体の生活保護窓口に駆け込んだ。車の有無を尋ねられ、保育園の送迎や日々の買い物、通勤でも車を使うことを伝えると、「会議で検討する」と言われた。

 間もなく保護費が支給された。

 「よかった、子どもたちにご飯を食べさせられる」

 しかし半年が経った昨秋、担当者から電話があった。

 「年末までに、車を処分してください」

自治体の窓口で直談判するも…

 生活保護制度では、車は「資産」とみなされ、原則処分を求められる。

 保有が認められるのは、障害がある人や公共交通機関の利用が著しく難しい地域の人が、通勤や通院のために使う場合などに限られている。

 女性の家から保育園まで、歩くと大人の足でも15分はかかる。3人分の布団や着替えも持たねばならず、急に駆け出したり立ち止まったりする子どもたちからは目を離せない。

 春には育休が明ける予定だった。家から最寄り駅までは徒歩50分の距離。車で20分の勤務先まで、バスや電車を使うと片道だけで早くても1時間20分はかかってしまう。子どもが保育園で熱を出しても、すぐに迎えにいけない。

 しかし、車があれば、育休前と同じフルタイムで働くことができ、収入も維持できる。一方で車を手放せば収入も減る。買い戻すことも難しい。

 生活保護は、国の決めた基準を世帯の収入が下回る場合、差額が支給される制度だ。

 女性は車の有無でそれぞれ支給額を計算し、自治体の窓口で直談判した。

 「車があった方が収入が増えるので、保護費の支給額は少ない」。窓口でそう訴えたが、職員の回答は「現行法で認められないので」だった。

 弁護士に相談し、今年3月、ようやく通勤用などで保有が認められた。「ほっとした」。女性は言葉少なに語った。

突然倒れた娘 見つけた病院は片道1時間

 生活保護か、車か――。重い選択を迫られ、生活保護を諦めた人もいる。

 北海道の女性(54)は2002年ごろに離婚し、娘2人と3人暮らしに。当時、幼い次女を抱え、小学生の長女を車で40分の病院に送迎していた。

 生活保護の申請で自治体の窓口に何度も足を運んだ。

 しかし、軽自動車を持っていることを理由に断られたという。通院のために必要だと訴えても、答えはいつも決まっていた。

 「決まっているものだから。皆さん同じようにされていますので」

 車があるだけで門前払いだった、と女性は振り返る。

 11年、中学生になった次女が突然倒れた。症状に対応できる病院が見つからず、ようやく探しだしたのは車で片道1時間の病院だった。

 次女は入退院を繰り返した。当時の稼ぎは月13万円ほど。児童扶養手当の支給を受けても、家賃や水道光熱費、入院費などを引くと、お金はほとんど残らなかった。

 娘たちの成人式のために、と用意していた定期預金を切り崩した。光熱費を削るため、真冬も吐息が白くなる室内で重ね着してこたつで暖を取った。

 窓口に窮状を訴えても返答は同じ。だが車は手放せない。生活保護を諦めざるを得なかった。

 何とか生活をつないだが、入院費が捻出し続けられなくなった。女性は支援団体に助けを求め、民間の福祉団体などが自治体と交渉を重ねた。生活保護の申請が受理され、車での病院への送迎が認められた時には、女性が最初に窓口を訪れてから10年以上が経過していた。

 「一人ひとりの現状を見て対応してほしかった」

 当時をそう振り返る女性は現在、生活保護を利用せずに北海道で暮らす。長女は独立し、次女は17年に20歳で亡くなった。

問われる「健康で文化的な生活」

 ひとり親を支援する認定NPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」(東京都)のもとには同じような境遇にあるひとり親からの相談が複数寄せられている。

 「車を持っていない世帯であれば、すぐに申請が受理されるような困窮状態にあるケースも多い。同じ制度なのに、それを利用できるかどうかは、交通網が発達した大都市と生活に車が必要な地方との間で大きな地域格差がある」

 取材当時、同団体の理事長だった赤石千衣子さん(現ひとり親家庭サポート団体全国協議会理事長)はそう指摘する。

 赤石さんは「生活が苦しい中でも、親たちは子どもの日常を守るために車を手放せずにいる」といい、こうも訴える。

 「子どもの権利を保障する観点からも、車の保有の要件に通院や通勤だけでなく『子育て』を加えるべきだ」

 生活保護に詳しい花園大学の吉永純(あつし)教授(公的扶助論)は、車の保有を厳しく制限する現行制度について、生活保護の利用者を固定化された「貧困」のイメージに押し込めるものだ、と指摘する。

 「買い物も、ささいなやりたいこともできない、孤立した生活が、憲法が保障する健康で文化的な生活なのかというところが問われている」

     ◇

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この記事を書いた人
奈良美里
ネットワーク報道本部
専門・関心分野
人権、福祉、障害
伊藤舞虹
名古屋報道センター
専門・関心分野
子どもの福祉、社会保障、ジェンダー
  • commentatorHeader
    BossB
    (天文物理学者・信州大准教授)
    2025年10月7日12時19分 投稿
    【視点】

    生活保護とは、本来「生きる力を奪わないための仕組み」であるべき、にもかかわらず、現状では「生きるための手段」を没収する形で運用されている点に、大きな矛盾を感じる。 確かに、東京の山手線内やその沿線であれば、車はなくても生活できる。しかし、都心を離れれば車なしでは不便だという声が、都会でも上っている。ましてや、公共交通が十分に整備されていない地方では、車は生活の必需品である。 働いて生計を立て、家庭を支える人々ほど、時間に余裕がなく、車は単なる贅沢品ではなく、生活の道具であり命綱だ。したがって、車を「資産」として没収する前に、どんな地域に住む人でも不便なく暮らせる公共交通網を整えることが先決、である。 その上で初めて、車を「贅沢品」と呼ぶかどうかを判断すべきだと思う。

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  • commentatorHeader
    杉田菜穂
    (俳人・大阪公立大学教授=社会政策)
    2025年10月7日13時9分 投稿
    【視点】

    人は様々な人とつながりながら、多様な社会集団に属しながら生きている。それへの関心は、生活保護だけでなく、福祉全般について考える上で非常に重要である。1人では自立することが難しく、人とのつながりそのものを強めながら本人が生きる力を高めていくことの大切さ、人とのつながりを失うことがもたらすものについての理解を深められる。その意味で、この連載は生活保護をめぐる議論に留まらない広がりがある。

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連載生活保護と車(全4回)

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