調印式
我が愛する義弟。それにして、忠実なる影従よ。
おまえに■■■■の封印たるを、私は望もう。
我らの時代の繁栄、黄金樹が朽ちぬ為の最後の封を、おまえの剣に宿そう。
……それが破られた時、おまえは永遠の渇きを得る。
崩れゆくファルム・アズラ 朽ちた礼拝堂
マリカの言霊より
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…
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「……今、何と?」
それは、とある日の午後の事だった。
快晴でも曇りでもない、よくある晴れの天気模様の夕暮れ時。
その西日が窓から差し込む、いつも通りのエンジェル24のバックヤード。
そこで、全くいつも通りでない呆然自失とした様子で、グラングは先程自分に向けてかけられた言葉を聞き返した。
周期的に行われつつある、賞味期限切れ寸前の弁当を余さず食べるという役目をこなしている最中だったグラング。最近になって漸く使い方を覚えた割り箸の先から半分ほど齧られたかき揚げが零れ落ち、冷やしうどんのプラ皿の中に出汁吹雪を上げて逆戻りする。
その反応に戸惑ったのは、声をかけた当人……ソラである。
「え、えぇと、だから明日、私はお店から居なくなるって……って、ごめんごめんなさい言い方、言い方が悪かったから!?そんな顔しなくて大丈夫だからね?ね!?」
改めて先程の言葉を言い始めると同時、今まさに飼い主に捨てられることを理解した子犬の様な表情で震え出したグラングを見て、慌ててソラは彼女の元に駆け寄った。
「その、明日用事があるから一時的にお店を休むだけであって、その日の夜には帰ってくるの。だから、バイトを辞めたりするわけじゃないからね」
「……そう、なのか?」
先程の言葉を補足するソラ。その言葉を聞いて、グラングは未だ震えつつもそう問いかける。それに対し、彼女は勢い良く頷いた。
その反応を見て、漸くグラングの誤解は解けたようだ。
「そうか……すまぬ、取り乱した」
「いやいや、私も言い方がダメだったし……」
何処となく安堵した様子でそう言う彼女に、ソラはパタパタと手を振った。そうして、改めて弁当を食べ進める作業へと戻ろうとしたグラングだったが、ふと何かに気がついたのか、再び箸の動きが止まる。
「ソラ。出かける、とは言うが、我も共に行けはせぬのか?」
「……あー」
前のミレニアムの時と同じ様に、一緒に出掛けられないものかと尋ねるグラング。しかし、ソラの返答は余り芳しいものとは言えなかった。
「丁度明日が人気アニメの1番ルーレットの開始日だから、お店番をお願いしたいかも。流石に、その時休業するわけにはいかないから」
「……むう」
もう、この場所でのバイトも慣れてきた頃合い。その辺りの事情もグラングはよく理解しているが、それでも尚不満……というよりは、心配そうだ。
……ソラも、何となくそれを察したらしい。
少し考え込んだ後、彼女に向けて安心させる様に笑いかけた。
「心配しなくても大丈夫だって。明日行く場所はキヴォトスでも結構治安がいい方の地区だし、行き帰りは先生と一緒だから」
「先生と……」
グラングはその単語をオウム返しに呟くと、少しばかり考え込む素振りを見せる。
……先生。
先生が、あの者がついてくれるなら、大丈夫……だろう。
それに、余りソラを困らせたくもなかった。
彼女はそうして自分を納得させると、改めてソラの方へと視線を向ける。
「……わかった。店の番は、任させてもらう」
「うん。心配ないとは思うけど、私が留守の間お願いね」
グラングの言葉に、ソラはほっと一息ついた。
……その時、相談事が一段落ついて空気が弛緩した為か、不意にグラングの脳裏に疑問が思い浮かんだ。
………
「……ソラ」
「あれ、どうしたの?」
声をかけたその時、ソラは丁度おにぎりを齧ろうとしていた所であったらしい。けれどその手を一度止め、グラングの方へと顔を向ける。
そんな彼女に向けて、グラングは思い浮かんだ疑問を投げかけた。
「その、用事……というものは、如何様なものなのだ?」
「如何様な……」
その言葉に、ソラはそう呟くと、少し難しい表情で考え込んだ。
……結局、彼女が再び口を開いたのは数十秒後のことだった。
「えっと、口で説明すると難しいんだけどね」
そう前置きすると、彼女はそれについて語りだした。
「今度、エデン条約っていう条約の調印式があるんだけどね」
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……エデン条約
楽園の名を冠するその条約は、トリニティ総合学園とゲヘナ学園という、キヴォトス有数のマンモス校同士の間で結ばれる、不可侵条約である。
古くより、この2校はキヴォトスでもごく有名である程不仲であった。何時、全面戦争が起こってもおかしくない程には。
……そしてそれは、今も変わりない。
しかし同時に、関係修復の為の動きがなかった訳では無い。その足掛かりとなるのが今回の条約である……と。
「って、感じらしい……よ?私も詳しい事は分かんないけど」
ソラは首を傾げつつそう言った。
そんな彼女は、トリニティ総合学園側の学区にある中学校に所属しているらしい。とは言うものの、その学校がゲヘナ側の学区の境界に離れている辺境にある為、余り相手側の学校に対して何か思っている訳では無いらしい。現に、ソラはこの店に客としてゲヘナ学園の生徒が来ても特に気にすることなく接客をしていた。
とはいえ……
「一応、うちの学校も関係無くはないから、会場のボランティアの募集が来ててね。一生の内あるかないかのことだし、せっかくだったら行ってみようかなって」
……ソラは、そこまで言った所で一度言葉を区切ると、何か思い出したかのように表情を変え、やがてクスリとほほ笑みを零した。
「そう言う意味でも、やっぱりグラングがいてくれて良かったかな。グラングがいなかったら私、お店の方を優先してたと思うし……」
そう言って一呼吸置くと、彼女はこちらへと真っ直ぐに視線を向ける。
「だから……ありがとね、
……そう言って彼女は、笑っていた。
その柔らかな表情が記憶の奥底の主の姿と重なって……
「…………」
「あのー、店員さん?」
「……!」
瞬間、正面から聞こえてきた少女の声でグラングの意識は現実へと引き戻された。目の前にいるのは微笑んでいるソラではなく、訝しげな表情をした紺色の髪を2つ結びにしている少女。窓の外を見ればいつもの勤務と違い、日の光が差して明るい。
……ソラは、もう行ってしまった頃合いだった。
「すいません、お客様。少しばかり放心していました」
「放心って……疲れてるようなら、きちんと休んでお仕事してくださいね。人は休み無しで動き続けられないんですから」
「……記憶しておきます」
ハキハキとした声色の少女の言葉にぼんやりと受け答えしつつ、グラングはバーコードリーダーを片手に、カウンターに置かれた商品の読み取りを始めた。
ティッシュ箱、シュガースティック、先生がいつも買っているインスタントコーヒー等々……先生の執務室に置いてある消耗品を幾つか。まるで、今は出かけている先生が帰ってきた時の為の準備をしているようだ。
因みに、グラングはキヴォトスに来て初めて触れたものの、コーヒーは普通に飲める。そもそも味に関してまともに気に留めず飲み食いしているだけであるのだが。
「……以上6点、合計1450円になります」
「ありがとう。支払いはカードで、袋は自分のがあるから大丈夫よ」
「承りました」
ごく短いやり取りを挟んだ後、グラングはレジの操作に移る。ただ勤務時間が違うだけ。普段と変わらない、日課だ。
そんな中、商品をマイバッグに丁寧に詰めていた少女の視線が、不意にグラングの胸元……名札の付いている場所を捉えた。それと同時、何かに気がついたのかその表情がハッとしたものへと変わった。
「あの、もしかして……あなたがグラングさん?」
「……?はい。われ……私が、グラングです」
少女からかけられた言葉に首を傾げつつ返答するグラング。その返答に、「やっぱり」と。少女は手を打った後、咳払いを一つすると改まった様子で彼女の事を見た。
「私、ミレニアムサイエンススクールの早瀬ユウカと言うんですけど……いつも、うちのゲーム開発部とエンジニア部がお世話になってるみたいで」
「……あぁ」
どうやら、モモイやアリス、ウタハと言った面々との知り合いだったらしい。その自己紹介で、グラングは納得がいったという様子で声を零した。
「世話、という訳でも。ただ、私は祈祷を授けているだけですので」
「いやいや、何でもない事のように言ってますけど、物凄いことですからね!?アリスちゃんが回復魔法を覚えた、何て言った時は驚いたのなんのって。それに、その、魔法の話が少しずつ学校でも広がってて、直近だと魔法学を作らないかって話が少しずつ出てきてて……」
そこまで言ったところで、その件で何かあったのか、ユウカは難しい表情でこめかみを押さえた。
彼女に何があったかはグラングはわからない。けれど、[魔法]の件で相当苦労しているようだ。
「……すいません。色々と、苦労をかけてしまって」
「あ、いやいやいいんですよ!?その、これは私の役員柄みたいなもので……と言うか、苦労の直接の原因はうちの生徒の研究熱が原因であってグラングさんのは悪くなくて……」
自分のせいで少なからず苦労をかけている事を察して頭を下げるグラング。けれど、そんな彼女にユウカは慌ててそう言うと、バツが悪そうに言い淀んだ。
……何とも微妙になってしまった場の雰囲気。それを打ち払うべくしてか、ユウカの方が話題を変えにかかった。
「って、そもそもこっちがグラングさんに迷惑をかけてたりしませんか?その、モモイ達とウタハ達はこっちでも度々騒ぎを起こしてるので」
「……迷惑」
その言葉に、グラングはぽつりとそう呟くと少しばかり考え込んだ。
……迷惑。
ミレニアムに行ったのは未だこの前の一度きりだが、あれからと言うもの、先生の手伝いついでに彼女ら……得にモモイ達がこの場所訪ねて然程珍しくはない。
その度に店内が騒がしくなり、業務が少しの間停滞する事が殆どだ。
けれど……
「迷惑とは、思っていません。寧ろ、少し心地良いです」
しばらくの間の後、グラングはそう返答した。その言葉が思いもよらなかったのか、ユウカは意外そうな表情と共に、「なら、いいんですけど……」と呟く様に言った。
「……けれど、ウタハらが何かと我に不可解な機材を取り付けようとするのは、少し困っています」
「あー、大体わかりました。こっちからもキツく言っておきます」
グラングの言で何が起こっているのか察したのか、遠い目になるユウカ。その姿には、どことなく疲労の色が滲んでいた。
「……こういった事の対処は、良く?」
「ええ、まぁ……生徒会の役員なので。色々な問題が回ってくるんですよ、色々……」
遂に、言葉尻にまで滲み始める疲労感。
どうにも、苦労を重ねているようだ。
……逆に言えば、グラングにはそれしかわからない。
けれど、だからと言って何か声をかけないのも……
「……その、頑張ってください」
「ありがとうございます……はぁ」
言葉を選んだ末、無難で簡潔なものとなったグラングの激励にユウカは力のない笑みを返すと、改めてため息を一つついた。しかし、次の瞬間、はっとしたような表情になったかと思うとあっという間に姿勢を正す。
「えと、このことは先生には内緒で……まさか、シャーレのすぐ下のお店で知り合ったばっかりの店員さんに愚痴ってたなんて言えないので」
「……?わかりました」
薄らと赤面しているユウカの言葉に首を傾げつつも、グラングはこくりと頷いた。
……幸いと言うべきか、グラングは口数が少なく、そして律義である。恋煩いをしている少女の秘密は守られたのだ。
店員からの返答に安堵の息を溢すユウカだったが、ふと何かに気が付いたのか、その顔が疑問に彩られた。
「そういえば、今日はソラちゃんじゃないんですね。モモイからグラングさんはいつも夜勤だって聞いてたんですけど……」
「……っ」
何気ないユウカの言葉が、グラングの心にチクリと刺さった。
理解して見送りこそしたものの、ソラが傍にいないという事実をグラングは未だ受け入れきれずにいた。出来る限り考えないようにしていたのだが、ふとした拍子に記憶の底から湧いてくる。
「……グラングさん?」
「……いえ、大丈夫です」
急に硬直したように会話が途切れたことを心配したのか、ユウカがグラングに向けてそう声をかける。その言葉に短く返答すると、グラングは何事もなかったかのように会話を再開した。
「ソラなら今日は休みです。エデン条約の調印式なるものに出向いています」
「エデン条約……あ、そう言われてみれば背中に羽があったし、トリニティ地区の子でも全然おかしくないわね」
端的な説明だったが、ユウカには十分通じたようだ。
彼女はこくこくと頷くと、頭上のモニター……今はエデン条約の生中継が写っているものを見上げた。
[此方、エデン条約調印式が開催される会場の正面、通功の古聖堂からお送りしております!現在の両陣営の様子なのですが……]
画面の向こう側では、華やかな紙吹雪が舞い、古聖堂の入り口から真っ直ぐに伸びる道に沿って、黒色のゲヘナの制服と白色のトリニティの制服の少女らが並んでいた。
けれど、トリニティ側の生徒らは微笑を浮かべつつも目が全く笑っておらず、ゲヘナ側に至っては敵意を隠そうともせず道の対岸を睨みつけている。
……到底、これから互いに手を取り合う平和条約を結ぶ様相とは思えない。
そんな現場の様子を、浅い褐色肌のレポーターがハキハキとした調子で伝えている。
[……相変わらずですね!私達が良く知る、何時ものゲヘナとトリニティです!]
……まぁ、初めはこんなものだ。
グラングはレポーターの言葉に、心の中でそう付け加えた。
彼女は狭間の地でも似たことを幾度か経験している。けれど、張り詰めたこの雰囲気も、案外簡単なことで弛緩してしまうものだ。
それは、戦時下にありながら確かに結ばれた永久の友情であったり、婚姻であったり……
……そう言えば、目の前の少女は、この事をどう思っているのだろうか。
不意に、グラングの脳裏にそんな疑問が思い浮かんだ。
「……お客様は、エデン条約についてはどう思われていますか?」
「え?」
不意の質問に、ユウカは驚いた様子でそう声を発した。
けれど、呆気を取られたその表情は、すぐに難しそうに考え込むものへと転じる。
「どう思われているかって……藪から棒に難しい質問ですね」
そう返答している割にしっかりと考え込んでいるあたり、ユウカも中々律儀な性格である。そして、グラングの言葉に答えるまでの間も、さほど開かなかった。
「まあ、間違いなくキヴォトスの情勢は大きく動くでしょうね。何せ、キヴォトス三大校の内の二校……それも、不俱戴天のトリニティとゲヘナが手を結ぶんですから」
そこまで口にした所でユウカは言葉を区切ると、何とも言えない表情で再びモニターを見あげる。
「……正直、始めて条約の概要を聞いたときは何かの冗談かと思いましたよ、ええ」
「しかし、平和は良いことです。何事も」
「それはそうですけど、巷では、手を結んだ二校が連邦生徒会と戦争をするつもりなんじゃないかとか言われてますけどね」
その言葉に、グラングは短く相槌を打つ。しかしそれに対し、ユウカは軽く肩を竦めると、あくまで冗談めかして、根も葉もない噂としてそんな事を言った。
……けれど、次の瞬間。その表情は何かを危惧するような不安気なものへと変わる。
「まあ、これ自体は何の根拠もないうわさなんですけど、あながち間違いとも言い切れなくて……」
「……ふむ?」
訝しげに首を傾けるグラング。
そんな彼女の表情を捉えぬまま、モニターを見上げたまま、ユウカは呟くように告げた。
「……仮に調印式が決裂して全面戦争が起こりでもしたら、その戦火はキヴォトス全土を巻き込んでも起こってもおかしくないんですから。それこそトリニティはこの前、内部でクーデターが起こったなんて噂が、それなりの信憑性を持って流れている状況ですしね」
「………」
……全くもって、不穏な言葉だった。
あくまでそれは、ユウカという1人の少女が述べる、エデン条約の調印式が辿るかもしれない1つの結末に過ぎない。
けれど、何故だがグラングは、己の心の中に巣食う不安がより重くなったような気がした。
「……ソラ」
ぽつり、と。グラングは小さく、大切な少女の名をつぶやく。
……その声は届くはずもない。
グラングはただ、包帯で隠された己の左手にあるものを強く握り締めることしか出来なかった。
[さあ、エデン条約調印式の開始時刻があと数分と迫ってまいりました!間もなく、開催です!]
調印式開始まで、残り00:01:59 58 57 ……
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トリニティ自治区古聖堂 某所
「よいしょ……っと」
小さな掛け声と共に、ソラは抱えていた幾つかのボックスを地面に降ろした。
そんな彼女の服装はいつものエンジェル24の制服ではなく、白を基調とした自身の中学校の制服。殆ど着る機会がなく棚にしまわれ続けていたその服は真新しく、仄かに防虫剤の香りがする。
ソラは、自らが運んできたそれらを見て一息をついた後、背後で別の作業をしていた高校生ぐらいの修道服の少女に視線を向けた。
「あの、すいません!頼まれた荷物運び終わりました!」
「あれ、もう終わってしまいましたか?」
ソラの言葉に少女は少し驚いた様子で反応を返すと、リストを片手に駆け寄ってきた。そして、しばらくの間手の中のそれと箱に貼られたラベルとを見比べていたがやがてこくこくと頷くと、笑顔でソラの方へと振り返った。
「問題も特にありませんね。ありがとうございます、ソラさん」
「い、いえ、バイトで同じようなことをたくさんこなしてるだけですから」
そう言ってソラは、恥ずかしそうにパタパタと手を振る。そんな彼女のことを修道服の少女は微笑ましそうに見ながら、リストを畳むと、改めて言葉を続けた。
「でも、ソラさんみたいな子がいてくれると本当に助かります。やっぱり、シスターフッドの人員で全てをこなすには限界がありますし。そもそも、ボランティア募集にも殆ど人が来ていなかったものですから」
「そう、なんですね」
たどたどしい返答を辛うじて返すソラ。
そんな彼女の視界の中に、偶々近くの窓の景色が飛び込んできた。
古聖堂というだけあり、窓ガラスすら嵌っていないそこからは、外の活気に満ちた喧騒が飛び込んでくる。
「……」
ふと、その喧騒に興味を惹かれたソラは窓辺近づくと、外の景色に目を向けた。
色とりどりの紙吹雪の舞う正面門
青い空に浮かぶ大きな飛行船
少し離れた場所に立ち並ぶ沢山のキッチンカーに、人だかり。
……そして、そんな楽し気な空気に入り混じる、敵意と緊張。
ほら、今もそこでちょっとした小競り合いが起こってる。
……嫌な気分だ。仮にも自分が行く予定の高校の、暗い一面を見ているようで。
「……本当に調印式、うまくいくのかな」
折角のお祭りのような空気感に水を差されたソラは、不満げにそう呟く。
けれどその声は外の喧騒に掻き消され、霧散していった。
「ソラさん?どうかしましたか」
「……いや、何でもないです」
急に外を見たまま黙り込んでしまったソラの様子を心配したのか、少女がそう声をかけてくる。ソラはその声に一拍遅れて返答すると、窓辺から離れた。
こんな気分になるなら、何時ものようにバイトをしていればよかったかもしれない。
それに今は、あの場所にはグラングがいてくれて……
「……グラング」
ぽつり、と。ソラは小さく、物静かで大切な後輩の名前をつぶやく。
……その声は、届くはずもないことを、わかっていながら。
……けれど、感傷に浸るも一瞬の事。ソラは頭を振ると、意識をボランティアへと切り替え直した。
「ソラさん、次の荷物で最後ですからね。そうしたらお仕事は終わりですからね」
「わかりました。それじゃあ、行って来ます」
ソラは先程の感傷を打ち払うようにはきはきと声を出すと、古びた回廊を歩き始めた。
調印式開始まで、残り00:00:12 11 10 ……
「……んえ?」
不意に、鋭い風切り音がソラの耳朶を打った。
……強風でも吹いているのだろうか?
けれど、古聖堂の大部分の窓はガラスが嵌っておらず、ソラのいる場所など風は吹き込み放題だ。そのはずなのに、強風はおろか、そよ風すら今は吹いていない。
それに、何故だろうか。風切り音が、こちらに近づいているような……
「……何だろ、これ?」
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轟音。
それが独り言をつぶやいて数秒と立たぬうちに、割れんばかりのそれが辺りに響く。
「え
炸裂音、倒壊音。己を見舞う浮遊感。
殆ど同時に襲い掛かってきたそれらにソラが呆けた声を溢すも、その声はあっという間に、彼女の身体と共に爆炎の中に包み込まれる。
……それっきり、彼女の意識はプツリと途切れた。