「……そろそろ、大丈夫かな?」
ミレニアムでの出来事から次の日のこと。
レジから時計を確認していたソラだったが、その針が一時過ぎを示したところでぽつりとつぶやく。
店内にお客さんはいない。一応廊下にちらりと出て、辺りを見回してもここを利用しようとする人はいなさそうだ。
それを確認したソラは、今のうちに手早く昼食を済ませてしまうことにした。いつも通り、特に売れ残りがちな弁当を手に取るとカウンターに戻り、その分のお金を直接レジへ入れる。その後割り箸を手に取ると、バックヤードの扉を開けた。
「グラングー。きちんと休憩してるー?」
そうは言いつつも、グラングが殆ど休憩しないのはソラとて理解している。この呼びかけはある意味様式美のようなものだ。だから今回も、裏方作業に勤しんでいる彼女がくるりとこちらに視線を向ける光景を思い描いていた。
……しかし、今回は様子が違った。
「もう、昼食の時刻か?」
「……あれ?」
そう言いながらソラの方へと振り返ったグラングは、いつも彼女が呆けたり食事をするのに使っている席にいたのだ。それに、普段仕舞っている幅広のナイフを取り出して何かしているようだ。そのことに、ソラは思わず首を傾げた。
「……何か、あったか?」
「いや、大したことじゃないの。このぐらいって商品の整理とかしてくれてたし……その、珍しいなって」
「あぁ……なるほど」
入り口で立ち止まったままの彼女の様子を疑問に思ったのか、グラングがそう尋ねる。それに対してソラが返した返答に、彼女は納得したようだった。
「……丁度良い、か」
グラングは少しばかり考えた後にそう呟くと、ナイフを置いて立ち上がった。そしてそのまま机の上から何かを取り上げると、ソラの方へ近づいて来た。
「ソラ。お主にこれを」
「へ?」
そのままグラングは、右手で何かを差し出した。
とはいえ、その上に乗っているものにソラは確かに見覚えがあった。彼女は一度弁当を横に置くと、石造りのそれを手に取る。
「これって……グラングの使ってた聖印?」
それは先日見たグラングの聖印と同じ聖印だった。何故か見覚えのある石の模様や年季の入り様が多少異なるが、殆ど瓜二つだ。そんなソラの言葉にグラングは頷いた。
「うむ。昨日、祈祷を扱えた者には、聖印を授けると言ったであろう?故に今日は聖印を作っていた」
「あ、そういうこと……」
ソラは驚きつつもそう返答すると、手の中の聖印を改めて見つめた。
昨日、ミレニアムで行われた祈祷の練習会。
最終的に祈祷を扱うことができたのはアリスと自分だけだった。覚えたのは[獣の頑健]と、獣の祈祷ではないものの、グラングが覚えているという[性急な回復]だったか。あと、結局使うことができなかったモモイがグラングにまた来てくれるよう泣きついて、彼女を困らせていたことも記憶に新しい。
ともあれ、聖印を作ってくれると聞かされていたとはいえ、これほど早く作れるとはソラは思っても見なかった。
「今は、アリスの物を作っている。あとはウタハらに……全分解される予定の物がまだだ」
「そっかぁ……その、がんばってね」
どことなく遠い目で最後の言葉を続けたグラングに、ソラもまた苦笑いを返した。
「……そういえば、聖印の材料ってどうしたの?買いに行ったわけでも無さそうだし」
さて、改めて昼食を取るべく準備をしていたソラだったが、ふと疑問が湧いたのか、グラングに何気なく問いかけた。しかし、それに対する返答は、彼女の予想だにしないことだった。
「基部は、其処らに落ちている石から、丁度良いものを見繕った」
「其処らって、そんな石でいいの!?」
全く変わらぬ調子で淡々と返答するグラング。その言葉にソラは驚愕した。妙に石の模様に見覚えがあると思ったら、その辺で適当に拾った石を使っていたらしい。
「そ、それって神様に怒られたりしないの?もっとこう、聖なる石みたいなのじゃなくって……」
「……聖印というものは、触媒さえ確かなものであれば良いのだ。信仰を思い描く手助けになるのなら、形や基部の質は然程重要ではない」
「な、なるほど……?」
何処となく屁理屈地味た言葉であるような気もするが、実際に司祭だったグラングが言うのだから問題はない……のだろう。多分。
ソラは結局、自分をそう納得させた。
けれど同時に、ある言葉が脳裏に思い浮かんだ。
何も、知らないな……
思ってみれば、自分は未だ何も知らない。
グラングの過去も、狭間の地がどんな場所かも、何も。
ふとグラングの方を見れば、質問は終わったと思ったのか、聖印を作る作業に戻ってきた。大振りなナイフの先端を器用に使って、彫刻を彫りこんでいる。石の押さえに使っている左手にはあの時から包帯がぐるぐると巻かれていて、お守りをすっぽりと覆い隠している。
どうしてグラングは、狭間の地に帰りたくないのだろう。
どうして、過去に触れる時、悲しそうにすることがあるのだろう。
あの、中心に赤黒い宝石の嵌った金色のお守りには、どのような意味があるのだろう。
……どうして、グラングはそれに触れられることを、恐れるのだろう。
……知らない方が、良いのかもしれない。けれど、知りたい。
それを知った時もう少しだけ。
あの静かな表情の傍に、寄り添える気がする。そんな気がするのだ。
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………………
………………
………
………
…
…
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ある日の夜。
グラングは普段と同じように、粛々とレジの業務に勤しんでいた。
「ハンバーグ定食弁当455円が一点、MOSSコーヒーブラック220円が一点……」
バーコードを読み取る電子音と起伏に乏しい商品を読み上げる声が、店内に響く。
今回の客はシャーレの当番で来ているらしい少女。身の丈ほどもある白い髪を無造作に流しており、ふわふわと綿毛のような印象を受けるそれとは対称的に、紫色の瞳を持つ目は鋭利だ。
……まあ、誰だからと言って店に被害を与える客でなければ、グラングの接客態度は変わらないのだが。
「ふわっとたい焼き2個入り季節限定トリニティ園芸部産ストロベリー使用スペシャルベリーミルク味332円が一点。合計1007円になります。お弁当の温め、及び袋はお入り用でしょうか?」
「……店員さん。そこまで正確に読み上げなくて大丈夫だと思うけど」
商品名を一言一句違わず機械のように読み上げるグラングに対し、少女は、少しばかり困ったようにそう言った。その言葉に、グラングは少しばかり考え込む。
「そうである……いえ、そうなのでしょうか?」
「……接客の経験はないけれど、お店でそこまで言う店員さんは中々見ないもの」
「そうなのですか」
接客マニュアルに乗っていない対応だったが故に一瞬敬語が崩れかけるグラング。
明らかに遅い訂正だったが、何とも言えない表情をしつつも少女は聞かなかったことにしてくれたようだ。
「……それはともかく、温めも袋もなくて大丈夫。どの道シャーレで泊まることになるし」
「……?」
そんな彼女の言葉に、グラングは小さく首を傾げた。
基本的に、先生のいるシャーレに生徒が泊りがけになるというのは珍しい……というより、グラングはバイトに入ってからは全く見ていない。掛けてある時計の方を見れば確かに、いつも生徒たちが帰る時間を大きく過ぎていた。
「珍しい、ですね」
「……まあね。明日も委員の仕事があるし、帰ろうとしたんだけど」
グラングの言葉に、どことなく困ったように少女が返答しようとした……その時、
ガッシャーン!!!
彼女らの声を、突如響き渡った劈くような雷鳴が掻き消した。
2人の会話が一度途切れる中、唸るような余韻の後に、先ほどからずっと鳴り響いていた切り裂くような風音と叩きつけるような雨音が再開する。
しばらくの間、暗闇から飛び出してきた雨粒が窓に叩きつけられる様子を無言で眺めていた2人だったが、やがて少女は小さくため息をついた。
「……こんな嵐が来ちゃったから、危ないから泊まって行かないかって言われちゃって、断るに断れなくて」
そこで一度言葉を区切ると、少女は上階にいるであろう先生に向けてか、天井を見上げると、目を細めてその方を見つめた。
……少女の言葉通り、現在キヴォトスは突発的な嵐に見舞われていた。いつもは商品の広告が流れている店内のテレビも、今は雨雲レーダーと防災情報が流れるばかりである。始め、グラングはテレビから聞こえてくる大雨・暴風警報をよく理解していなかったが、店内にも大きく響いている雨粒と風の音で、何となく意味を察した。
それはさておき、天井から視線を落とした少女は、改めて現在の状況にため息をつく。
「はぁ……私なら大丈夫って言ったんだけど」
「……」
確かに、少女はソラと同じぐらい小柄ではあるが、その小さな身体からは隠し切れない強者が故の威圧感が見え隠れしている。別に、この嵐の中を突っ切っても家路につくことは容易いだろう。しかし、その言葉とは裏腹に、どことなくこの状況を喜んでいるようにも見える。
そのようなことを取り留めもなく考えていたグラング。そんな彼女に向けて、商品を受け取っていた目の前の少女が、ふと気がついたように声をかけた。
「そういえば今更だけど、今日はいつもの子じゃないのね」
「いつも?……あぁ」
「いつもの子」という遠回しな表現に一瞬首を傾げたグラングだったが、すぐにその脳裏にこの地で一番よく知っている少女の姿が思い浮かんだ。自分が来る前は全ての業務をソラが一人でこなしていたと聞く。そうなれば、この店をよく利用している人物が違和感を覚えるのも当然だろう。
「我が新しくここについてから、夜間の勤務を任されているのです。ソラは裏方で休息をとっています」
「……そう、なのね」
再び放たれるグラングの不自然な敬語。
その言葉を前に、少女はここにきて何度目かの何とも言えない表情を浮かべた。けれど、その表情もすぐに変わる。
「でも、いいことね。前までは一日中徹夜しながらの業務だったもの。あのぐらいの歳だと、休憩は本当に大切」
「……ですね」
そう呟く少女の表情は、安堵に和らいでいた。
……自分の大切な存在が、案じられている。
その事実に、グラングの表情も自然とやわらぐ。やがて少女はほっと一息つくと、改めてグラングの方へ視線を向けた。
「グラング……さん、って言っほうがいいのかしらね。こんな天気だけど、あなたも夜勤、頑張ってね」
「はい。お客様もお気をつけて」
最後、互いにそう言葉を交わすと、少女は店から出て行く。グラングはその後ろ姿を確かに見送った。その姿が完全に視界から消えた後、グラングは店内へと視線を戻した。
「……さて」
誰もいないエンジェル24の中で、グラングはぽつりとつぶやいた。
先程少女とあのような会話を交わしたものの、この天気だと先生や先程の少女以外では滅多に客は来ないだろう。聖印も作り終え、他の仕事も既に終えてしまった。
……しかし、客が確実に来ないとも言い切れない。
故にグラングは、カウンターでじっと静止することにした。幸いと言うべきか、彼女はただ待つことに関して慣れていた。
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「………………」
グラングが微動だにせぬまま、時間だけが嵐の声と、時折響く雷鳴と共に過ぎてゆく。
時計の針が幾たびか周回し、遂に時刻が真夜中の24時を示そうという時だった。
相変わらず雨音も風切り音も強く、一向に止む様子はない。
グラングは店内に目を配りながらその音にぼんやりと耳を傾けていた。
……その時、
「……む」
一瞬、雨音と風切り音が強くなった。
それと同時に、それらの中に小さな機械音が混じる。
「……正面の自動扉か?」
グラングがその独り言を言い終わるのとほぼ同時、消灯していたシャーレの廊下の電灯がパッと明るくなった。
……どうやらこの時間帯、それも天気で、シャーレを訪れる人物がいたらしい。
そのことを意外に思うグラングを余所に、たった今シャーレに入ってきたらしい人物の足音が、廊下に響く。
カシャン、カシャン
「……?」
それは、静かな金属音。まるで、石畳の上を甲冑が擦れているような音だった。けれどそれ以上に、その金属音はグラングにとって聞き馴染みのあるもので……
……この音は、果たして誰のものだっただろうか。
不意に感じた懐かしさに惹かれて、グラングはエンジェル24の入口へと視線を傾ける。それと店の自動ドアが開くのは、殆ど同時だった。
「失礼する」
店内に、凛とした少女の声が響いた。
その声、その姿を認識した時、グラングの思考はあっという間に真っ白になっていた。
たった今入店してきた赤毛の少女の姿は、様々な姿の人々のいるキヴォトスにおいても異質を極めていた。濡れた衣服から除く脚は、その両方が無垢金の義足。右腕はなく、左の腕も所々腐敗し、無垢金の破片が埋め込まれている。
その古めかしい装束に似つかわしくない、何処かで拾ったらしいボロボロのリュックサックには、入り切らない
……頭上に光輪があり、最後に出会った時より幼い頃の外見になっている。背丈も記憶の中にあるその人よりかなり低い。けれどその少女の姿に、グラングは確かに見覚えがあった。
雨に打たれながら来た為、ずぶ濡れになっている少女は難しい顔をして日用品のコーナーで屈み込んでいたが、やがてタオルを1つ手に取ると、カウンターの方までやってきた。
「これを」
「……っ、あ、あぁ……直ぐに」
少女の声で漸く我に返ったグラングは、柄にもなく慌てた様子で、バーコードリーダーを手に取った。バーコードを読み取る僅かな間にグラングはちらりと少女を見る。
瞳が、潰れていない。やはり自分が知る頃より幼……
「貴公、私が気になるか?」
「!?」
その時、少女の方から唐突に声がかかった。その言葉にグラングが肩を震わせるも、相手は特に気にしているような様子はない。……どうやら、彼女の方はこちらの正体に気がついていないようだった。
「その……すいません」
「いや、いいとも。どうやらこの地では、異質なものは私の方らしいからな」
反射的に、応対マニュアルに則って謝罪を口にしたグラングに対し、少女はそう言って首を振った。
「そういう意味では、この嵐も良かったのかもしれない。日中は奇異の目で見られて仕方がなかった」
「……そう、ですか」
少女の言葉に途切れ途切れの返答をしつつも、グラングは作業を再開した。
……言うべきだろうか?
脳裏にそんな言葉が過ぎる。
彼女の名を、問うてみるべきだろうか?
けれど、もしもその名が、自分の思い描いていたものと一致したのなら……
………
「……ふんわりタオルホワイトカラー……645円、になります」
「あぁ、感謝する」
グラングの言葉に対し少女はそう言って頷くと、残っている方の腕で懐を探り、これまた服装とは似通っていない可愛らしい財布を取り出す。そんな彼女のことを、グラングはじっと見つめていた。
その視線に気がついたのか、少女は1つ咳払いをする。
「その、似合っていないのはわかっている。しかしこれは妙な兜を被った野盗共を叩きのめした時に、詫びとして受け取ったものであってだな。決して私のほうが野盗紛いの真似をしたわけでは……」
若干頬を羞恥に染めて、言い訳地味た言葉を並べる少女。その様子に、グラングは少しばかり言葉に詰まった。けれど、直ぐに意を決すると、少女に向けて、その名を告げた。
「……マレニア」
「!?」
……その反応から見るに、どうやら予想は的中したらしい。
マレニアと呼ばれた少女の表情が驚愕で彩られるも一瞬、直ぐにそれは警戒へと変わる。
「……ふむ。何の因果かこの地に迷い込んでから、私は自らの名を口にしたことは一度もないのだがな。そして同時に、貴公のような者に私は覚えがない」
そこで一度言葉を区切ると、マレニアは背負ったままのリュックサックへ……そこに入った無垢金の刀をいつでも取り出せるよう、手を近づけた。
「貴公、何者だ?」
ごく短く、静かな。それでいて鋭い殺気が籠った言葉。
けれど、グラングがそれに揺らぐことはない。ただ一つ息を付くと、店員としての敬語を崩し、静かに言葉を紡ぐ。
「一応、お主との面識はある。最も、この姿では見当がつかぬのも無理はない」
「……何が言いたい?」
その言葉に、マレニアの警戒の中に若干訝しげな表情が混じる。そんな彼女に向けて、グラングは左手の包帯に手をかけながら言葉を続ける。
「我は、お主の母の影従。それであり、[死]を封じるを任された者……ここまで言えば、分かるか?」
そういい終わると同時、グラングは包帯を薄く解いた。その奥に隠されていたものが、金に埋め込まれた赤黒く淀んだ宝石がほんの少し顕になる。
ほんの少しの間、その意味がわからずキョトンとしていたマレニアだったが、やがてその瞳が驚愕で見開かれた。
「……は?」
カシャン
その手から義手が零れ落ちて甲高い音を立てる。しかし、マレニアはグラングが告げた事実に余程驚いたのか、それを拾い上げることなく、硬直していた。
その間にグラングは手早く包帯を巻き直した。
……少女の硬直が解けたのは、それから数秒後のこと。
その唇が、ゆっくりと動かされる。
「……貴公、マリ「グラング?」!?」
その時だった。
なんの前触れもなくバックヤードの扉が開いたかと思うと、そこからひょこりとソラが顔を覗かせた。
2人が慌ててその方を向いたのは言うまでもないだろう。
何やら微妙な雰囲気に目を瞬かせるも一瞬、ソラの表情がしまった、と言いたげなものへと変わる。
「あれ、ひょっとして応対中?」
「いや、大丈夫だ。時に、ソラは何故ここに?」
「さっき金属が落ちるような音が聞こえたから……その、何かあったのかなって」
「……そうか」
……どうやら、マレニアが取り落とした義手の音が気になったようだ。ソラの返答に一拍置いて返答したグラングの声色は、何処となく安堵しているようであった。
「先に言ったように、問題はない。安心して眠ると良い」
「そ、そっか。あ、すいませんお邪魔してしまって」
「……あぁ」
去り際にマレニアに向けて軽く頭を下げると、ソラはバックヤードの奥に頭を引っ込めた。その様子を見送っていた2人だったが、扉が閉まったことを確認すると、改めて顔を合わせる。
……先に口を開いたのは、マレニアの方だった。
「今の少女は?」
……故郷を同じくする2人の語らいは、
そんな何気ない、世間話のような問いかけから始まった。