小さな天使と抜け身の剣   作:時空未知

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高評価、コメント、ここすき、誤字修正ありがとうございます!


……投稿遅れて申し訳ないです。


獣の司祭(2)

 

「……はぁ」

 

敵の意識が消えたことを視認して、グラングは小さく息をついた。

 

……危ないところだった。

 

彼女は心の中でそうひとりごつ。

もう少しあの時の反応が遅ければ、ソラが傷を負っていたかもしれない。仮にもし、そのような事があれば……

 

「ソラ。大事は、ないか?」

 

グラングは、念には念を入れて自分が守った少女へと短く問いかける。等のソラはと言うと、目の前で繰り広げられた光景に呆然としていたが、グラングの声で漸く我に返ったらしい。

 

「わ、私は大丈夫!」

 

ソラの返答は極単純なもの。けれど、精一杯張り上げたその声こそ彼女の身が無事であることを何よりも証明していた。グラングがその事に安堵している間に、ソラは彼女の元へと駆け寄ってくると改めて声をかけた。

 

「色々聞きたいことはあるんだけど……一先ず、そっちも怪我はない?」

「……問題ない」

「?」

 

しかし、ソラの言葉に対するグラングの返答は、何処か上の空気味だった。けれど、傷を隠そうと痩せ我慢している様子でもない。その故に少女は小さく首を傾げた。

しかし、そんな彼女の心情は露知らず、グラングの視線が別の方向へと向く。

 

「……グラン」

 

ソラはもう一度、グラングに向けて声を掛けるべく名を呼ぼうとした。

……けれど、その名を言い終える直前に、彼女が何を見ているのかを悟ることとなった。

 

「……!」

 

グラングの視線の先にいるのは未だ気絶しているスケバンの1人。心なしか、その視線は危険な色合いを帯びているようにソラには感じられた。そして、それは彼女がナイフを握り締めて足を踏み出したことにより確信に変わった。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

ソラは慌ててグラングの前に飛び出すと、その歩み制止する。そんなソラの行動に、グラングは虚を突かれたような表情になると、ゆっくりと立ち止まった。

 

「何、しようとしてたの?」

「……このままにすれば、またお主に危害を加えるかもしれぬ」

 

何をするか、は口にしない。けれど、言葉に無くとも、グラングがしようとしていることを察するには十分だった。

恐らく、自分が傷つけられる可能性を排除しようとしているのだ。……文字通りの意味で。

けれど、ソラは首を振る。

 

「それでもダメ。私はこの通り問題ないし、この人達もしっかりお灸は据えられたと思うから……ね?」

「……む」

 

その言葉にグラングは小さく声を発すると、迷ったように視線を巡らせる。そしてその末、ソラに向けて小さく問いかけた。

 

「……この地では、そういうもの、なのか?」

 

この地、では。

……狭間の地と呼ばれていた彼女の故郷では、これが当たり前だったのだろうか?

 

グラングの言葉に対し、不意にソラの脳裏にそんな疑問が浮かび上がる。けれど、彼女はその疑問を取り敢えず振り払った。

今、自分が言うべきは……

 

「私は狭間の地のことは良くわかんないけど……少なくともキヴォトスではそういうもの、かな……?」

 

例え、ショッピングモールの一画で銃撃戦が起こっても、町中を戦車が暴走して主砲を撃ち散らしても、建物1つが温泉開発という名目で吹っ飛んでも。誰かがこの世から消えてしまうことはなく、よくある日常の風景として片付けられる。 

……それが、キヴォトスの当たり前だ。

ソラの言葉に、しばらくの間考え込んでいたグラングだったが、やがて殺気を消すと、ゆっくりとナイフを下ろした。

 

「……そういうもの、か」

「うん、そういうもの」

 

一先ず、グラングは落ち着いてくれたようだ。

その事に安堵するソラであったが、丁度何か思いついたのか、ハッとしたように顔を上げた。

 

「あ、でも縛るぐらいはしとかないと。後で警察に突き出さないとだし」

「成る程」

 

何はともあれ、相手が営業妨害をしたことには変わりない。拘束しておくに越したことはないだろう。ソラの提案にグラングは小さく頷くと、共に改めてスケバンの方へと視線を向けた……が。

 

「あれ?」

「……む」

 

気絶していたはずのスケバンが、いつの間にやら忽然と姿を消していたのだ。その事に驚くも一瞬のこと。グラングは即座に周囲に視線を巡らせる。

 

「何処に……」

「覚えてろよー!!」

 

けれど、その答えは案外早く見つかった……というより、向こうの方からわざわざ大声を出して教えてくれた。

声の方を見れば、先に気絶させたスケバンが意識を取り戻していたのか、未だぐったりとしているもう片方をズリズリと引きずりながら道路の向こうへと消えていくところだった。

 

「……追うべきか?」

 

此方の気が抜けてしまう、如何にもな捨て台詞を残して逃げていくスケバン。ソラのみならず、つい先程まで殺気立っていたグラングも、その光景を何とも言えぬ表情で見送る。

そんな彼女の言葉に、ソラは首を振る。

 

「いや……大丈夫かな。それより今は……」

 

そう言うと、彼女は地面へと視線を向けた。

 

「取り敢えず、業者さんに電話して直してもらわなきゃね」

 

そこに広がるのは、先程の衝撃波に沿って砕けたアスファルト。しかも、かなり広範囲に渡ってその亀裂は続いている。

……少なくともこのままにしておくわけには行かないだろう。

 

「……すまぬ。怒りに任せて、[爪]を使ってしまった」

 

少し困ったようなソラの言葉に、自分が原因で迷惑をかけていると思ったのかしゅんと俯くグラング。その様子を見て、ソラは慌てて手をパタパタと振った。

 

「い、いやいや、大丈夫だよ。私のこと、守ってくれたんだから。寧ろ、私の方こそお礼を言わなきゃだし……」

「そう、か?」

 

そう言われることを予想もしていなかったのだろうか。恐る恐る、といった様子でグラングが顔を上げる。

 

「そうそう!だから、そんなに心配しないでいいからね」

「……だが」

 

けれど、そう言われて尚も彼女は言い淀む。

 

……もしかすると、こういった事に責任を感じやすい性格なのだろうか?

 

一連のグラングの反応から見て、不意にソラの脳裏に直感のようなものが駆け抜けた。仮にもしそうだとするのなら、どう声をかければ……

……その結論がソラの脳裏に浮かぶのは、意外と早かった。

 

「あ、あと!!キヴォトスって、割としょっちゅう爆発とか戦闘が起きてで色んなものが壊れるし。それこそアスファルトなんて日常茶飯事だから大丈夫だよ」

「……む、むう?」

 

結果、グラングはその言葉で、落ち込んだ表情から回復したはいいものの、代わりに何とも言い難い表情で困惑を示した。

……因みに、ソラからすればあくまでキヴォトスでの事実をありのまま伝えただけである。

沈黙が、少しばかり2人の間に降りる。

最初に口を開いたのは、何度か首を傾げてソラの言葉の意味について考え込んでいたグラングの方だった

 

「……それは、誠に大丈夫、なのか?」

「う、うーん……」

 

グラングからの問いかけに、ソラは答えに窮した。

大丈夫か大丈夫じゃないかで言えば全然大丈夫ではないのだが……と言うより、よく考えてみれば今回のこれはキヴォトスでも先ず見ないようなアスファルトの砕け方をして……

 

「……って、そう言えば!」

「む?」

 

そこまで考えた所で、ソラは今現在一番気になっていた事柄を思い出した。即ち、グラングが[爪]と呼んでいたあの衝撃波についてである。

 

「あの、衝撃波って、な「そうそう、それが一番聞きたかったの!!」へあっ?!」

 

その時。突然横合いから今にも弾けんばかりの好奇心を湛えた声が響き渡った。グラングは特に驚くこともなく声の主の方へ視線を向けたが、ソラが飛び上がらんばかりに驚いたのは言うまでもない。

ともあれ、彼女が視線を向けた先にいたのは……

 

「……モモイ、と……アリス、と言ったか?」

 

つい先程出会ったばかりの少女達。そのうちの2人だった。グラングから名を呼ばれたことで、彼女らはうれしそうな表情になった。

 

「そうそう!覚えててくれた……ってあれ、名前教えてたっけ?」

「お主らの会話の中で、名を聞き挟んだ」

「なるほど……司祭は人の名を見抜く力を持っているのですね!」

「う、うむ?」

 

微妙にズレたアリスの言葉に戸惑うグラング。けれど、彼女らとの会話はここからが本番である。

 

「まあ、それはさておいて……」

 

モモイは一旦そう言って話を区切ると、グラングの方に、アリスと共に改めて期待に満ちた視線を向けた。そして……

 

「ねえねえグラング、さっきの衝撃波って一体なんだったの?もしかしてもしかして本当に魔法だったり?!」

「司祭は回復魔法ではなく攻撃魔法が得意な珍しい司祭なのですか!?」

「あっ、わ、私もそれが聞きたくて……」

 

モモイとアリスが、何処か興奮した様子でグラングに向けて矢継ぎ早にそう問いかける。その横で、少しばかり蚊帳の外気味だったソラも彼女に向けてそう言った。

しかし、注目の的であるグラングはと言うとこの状況を全く飲み込めていなかった。

 

魔法……魔術のこと、だろうか?確かに、自分の祈祷は攻勢に重きを置いており、知名度も然程ではない。

故に、魔術と間違えられた……のか?

 

彼女が元々暮らしていた場所では、祈祷も魔術も然程特別なものでも珍しいものでもない。その為、不幸と言うべきかグラングは、キヴォトスにもこれらの術があるものだと見事に勘違いしていた。

 

「これは祈祷だ。魔術では……」

「ってことは魔法もあるの?グラングももしかして使えちゃったり!?」

「???しょ、初歩程度のものならば……」

「……!!わぁ、わぁ……!!」

 

何故か、祈祷について伝えただけで、目の前の少女2人が驚愕したかと思えば、躍り上がらんばかりに喜んでいる。

いや、確かに祈祷と魔術双方が使えるものは珍しいが……

……何故、ここまで?

 

彼女も話の噛み合わなさに違和感を覚えてきたが、余りにも祈祷という概念が常識に根付き過ぎた事柄故に、その事実にどうしても思い至れない。

 

「アリス、今の聞いたよね!?グラング、魔法が使えるって……!」

「はい!アリスも確かに聞きました!」

「??????」

 

わからない。何も、わからない。

 

その時、何やら話し合っていた少女らが、それが終わったのかくるりとこちらの方を向いた。

……何故だろう。とても嫌な予感がする。

今、彼女が辛うじて思い至ることが出来た解決策はただ1つ。

 

「あの、グラング……さん。折入って頼みたい事があって……」

「……ソラ」

「へ?」

 

展開の速さについていけず呆然としていたソラ。けれど、他ならぬグラングから発せられた呼びかけで、ハッと表情を取り戻す。

視線を向ければ、先程の重圧は何処へやら。モモイとアリスの余りの熱意に、完膚無きまでに圧されている少女が1人。

 

 

「私に魔法を教えてくれないでしょうか!?」

「アリスに魔法を教えてくれないでしょうか!?」

「助けを、頼めぬか?」

 

 

……その姿は、未知の恐怖に震える子犬のようであったという。

 

 

______________________

 

 

その後、ソラが何とかグラングの認識の齟齬を解消してくれたこと、そして何より遅れて先生やミドリ達が来たことで一先ず事態は収束した。

 

話を聞くところによると、執務室で先生の手伝いをしている最中に、モモイとアリスが偶々グラングの履歴書……

年齢と名前の欄、志望動機程しか埋まっておらず、殆どの欄が空白且つ、証明写真はガラケーの低解像度のカメラを使ってコンビニの壁を背景に撮ったもの。などという違和感の塊のようなそれを発見。

そこからモモイが、グラングの古めかしい言葉遣いも合わせて考察するに、先生と同じにキヴォトスの外から来たのではないか?と予想を立てて、勢いのままここに向かってきて、その時に偶々祈禱を目撃して……ということだったらしい。

 

そんな当の2名は尚も彼女の事を興味津々、と言った様子で見ていたが、ソラとグラングにもエンジェル24の仕事……というより、片方に至っては新人研修も出来ていない状況であること。

そして、グラングの使える祈祷は地形破壊が著しいものが多いという理由から、後日会うという約束でその場はお開きになった。

 

「じゃあ、今度はミレニアムでね!」

「司祭、その時には魔法を見せてください!」

「"私は仕事終わりに来るから、その時はよろしくね"」

 

そう思い思いの言葉を残して廊下の奥へと去ってゆく少女達と先生の姿を、グラングはソラと共にエンジェル24の前で見送っていた。

 

……ふと、彼女の脳裏に記憶が、瞬いた。

この日の始めに遡れば、全てを喪失したまま見知らぬ土地に投げ出されていた。けれど、状況に当てなく流されるうちに、この数刻程で新たな繋がりが出来つつある。

それは、自分の運が良かったか。或いは……

 

グラングの視線は、いつの間にか足元にいる少女の方へと向いていた。その時、ソラの方も彼女からの視線に気がついたのか、その方向へと顔を向けた。

ほんの一時の間、2人は静かに見つめ合う。

 

「……何か、色々あったね」

「……そうであるな」

 

それっきり、再び彼女らの間に沈黙が流れる。

……先に、沈黙と揺らがぬ視線に耐えきれず、少し頬を赤くして目を逸らしたのはソラの方だった。

 

「そ、それじゃあ戻ろっか。グラングの新人研修も全くできてないし」

「うむ」

 

少しばかり上擦った声でソラがそう言って店内に入るも、グラングは特に気にすることなくその後に続いた。

出会ったときからこういったことに全くと言っていいほど動じない彼女を、ソラは少しばかり恨めしげな表情で見ていたが、やがて何か思い出したのか、改めてグラングに向けて声をかけた。

 

「そう言えばグラング、初歩的な魔法……魔術?を使えるって言ってたよね?」

「……?あぁ。そうであるが、何か、あったのか?」

 

ソラの問いかけに、グラングは首を傾げつつもそう返答した。そんな彼女の言葉に、ソラはうんうんと頷くと、言葉を続けた。

 

「えっと、このあと品出し……商品を棚に並べる仕事をしてもらうんだけど、物を動かす魔術って使えたりって……?」

「……む」

 

魔法と聞けば、火や水を操る他にも、遠く離れた物を動かす物を一般には思いつきやすいだろう。しかし、その言葉に対するグラングの反応は余り芳しいものとは言えなかった。

 

「そういったものは重力魔術の性分なのだが、我は使えぬ」

「……じゅうりょくまじゅつ?」

 

てっきり「物を動かす魔法」など、物語であるような大雑把な名前と効果の魔法が出てくると思っていただけに、思いもよらぬ名称を聞いたソラは、思わずその単語をオウム返しに呟いた。そんな彼女の様子を見て、グラングは少し考え込んだ後に簡単に魔術について解説し始めた。

 

「狭間の地の魔術は、一般に教授されているものに限って言えば、輝石魔術、輝剣魔術、重力魔術に分けられる。我はその内、極初歩的な輝石魔術のみ機会あって習得しているが、他のものは使えぬのだ」

「な、なるほど……?」

 

わかるような、わからないような……とは言え、少なくとも、グラングは余り魔術を使えないことはソラも理解した。

グラングは言葉を続ける。

 

「そも、魔術には杖が、祈祷には聖印という触媒なくしてはどうしても扱いが難しくなる。我は杖の持ち合わせがない故、どの道魔術は難しい」

「そっか……じゃあ、祈祷の方にそんな感じのはあったり?」

「我の知り得る限りでは……ない」

「……うむむ」

 

グラングの返答にソラは唸った。魔術や祈祷で少しでも仕事の手間が省ければと思っていたが、世の中、そこまでうまい話はないようだ。

 

「すまぬ。期待に応えることが、できなかった」

「あ、いやいや、そこまで落ち込まなくても大丈夫だって。どの道今までは魔法なしで頑張ってきたわけだし」

 

落ち込むグラングにソラはそう声をかけると、先程客(?)が来たために、作業途中のまま置かれていた商品の入った籠を持ち上げると、改めて彼女に向けてにっこりと笑った。

 

「それじゃあ、今から説明するから、よく聞いててね」

「……よろしく、頼む」

 

初めて仕事仲間と言うものができたためか、心なしか弾んで聞こえるソラの言葉。その言葉に、グラングも小さな笑みをこぼすとゆっくりと頷いた。

 

 

___________________________________

 

 

 

……夜。

 

 

にぎやかな声がいなくなったシャーレの建物の中では、再び強くなり始めた雨音が響き渡っている。外は既に暗黒に包まれ、内部を照らす蛍光灯の光も少しばかり頼りない。

そんな中、一人の男性……先生が、その廊下の中をエンジェル24に向けて進んでいた。

程なくして視界にとらえた自動ドア。

そのガラスの先のカウンターでは……

 

「……」

 

今日バイトに入ったばかりの不思議な少女が、静かに佇んでいた。

昼間の出来事の後、あまり話を聞くことができていなかった為に、少しばかり心配していたのだが、それはどうも杞憂だったようだ。

先生はそのことにほっと息を吐くと、改めてエンジェル24に入店した。

扉の開閉音に気が付いたのか、自然と褪せた黄金の瞳が先生の方へと向けられる。そんな彼女に向けて、先生は軽く手を振ると声をかける。

 

「"こんばんは、グラング。バイトの方は……"」

「いらっしゃいませ」

「"……れ?"」

 

しかし、その言葉は直後に放たれた彼女の言葉にかき消されることとなった。初めてであったときの印象ではそこまで感情を表に出す性格ではなさそうに見えたが、それを差し引いても、先ほどの声は抑揚がほとんどなく淡々としていた声だった。

 

「"……グラング?"」

「お客様、何かお困りのことがおありでしょうか?」

 

恐る恐るもう一度名を読んでみるが、返ってきたのはやはり事務的で淡々とした声。RPGに出てくる定型文しか話せないNPCのようだった。

 

……何か、気に障るようなことをしてしまっただろうか?

 

不意に、先生の脳裏にそんな言葉が駆け抜けた。

 

いや、もしそれが真実だったのならば、正直…………心当たりしかないのだが。

ともあれ、この場で自分ができることは話しかけることだけだろう。

 

先生はそう思考をまとめると、改めてグラングの方へと向き直る。

彼女が先生を見つめる瞳の色は変わらず。まるで、戦場で相対した敵の出方を窺っているようだ。

 

「"えっと、何か困ったことはないかなって思って来てみたんだけど、どうかな?"」

 

先生がかけた言葉は、彼女を案ずるもの。それに対するグラングの返答は……

 

 

「…………」

 

 

……無言の長考であった。

しばらくの間、降りしきる雨音が聞こえる中でグラングと先生は見つめ合う。

そして、先生が段々とソワソワし始めた時、漸く彼女は硬直が溶けたように動き出すと、カウンターの裏へと手を伸ばしす。

そこから取り出したのは一枚のコピー用紙とホッチキスで作製された薄い冊子。その表紙に記載されていた題名は、先生からもよく読み取れた。即ち……

 

「"……接客応対マニュアル?"」

 

そんな先生のつぶやきを余所に、グラングは数ページしかない冊子をぱらぱらとめくり、その内容に目を通していたが、やがてそれを閉じると迷ったような表情を先生に向けた。

 

「すまぬ。こういった時、どう答えればいいのか知らぬのだ」

「"あー……"」

 

そう先生に告げるグラングの言葉は、先生の記憶にある彼女の口調とまったく一致していた。先ほどのことから察するに、どうもグラングは[接客対応マニュアル]をこの上ないほど律義に守っていたらしい。

……どうにも、グラングは生真面目過ぎる気来があるようだ。

 

「"そこまできっちり定型文を守らなくても大丈夫だよ。私の時ぐらい、息抜きできると思って普通に話してくれると嬉しいかな"」

「……そうか。ならば、そうさせてもらおう」

 

先生の言葉に、グラングは少しばかり考え込んだのちに小さく頷くと、改めて先程の先生の質問に返答する。

 

「この職務に関して、ソラが言うには、我はよくできているらしい。お主の言うような困りごとは、特にない」

「"なるほど。それなら安心だね"」

「……うむ」

 

そう言って、まるで自分のことのように嬉しそうに笑うその人を見て、グラングも小さく返答すると、仕事に戻ろうと視線を動かす。けれど、先生の方はまだ聞きたいことがあったようだ。

 

「"それで、これからの生活とか、何か不安はないかな?"」

「……生活?」

 

生活

 

当たり前であるはずなのに、グラングにとっては何故だか聞きなじみなく聞こえるその言葉。どことなく動揺するグラングだったが、そんな彼女の違和感を特に気が付かなかったのか、先生は何気なく言葉を続けた。

 

「"うん。キヴォトスの外から突然来ることになったって言ってたし……私も、最初のころは戸惑ったことも多かったから"」

「……む」

 

先生の言葉に、グラングは再び考え込んだ。

 

不安

 

自分にとってこの地は異質であり、この地にとってもまた、自分は異質な存在であると理解している。それ故に生まれる、決して小さくない不安……

 

 

「……何故、お主は我を受け入れた?」

 

 

気がつけば、グラングは先生に向けてそう問いかけていた。

根底に根差すのは、この場所が自身の常識と異なるが故の、どうしても拭いきれない、己の存在の不釣り合い。

 

「モモイの言葉から察するに、我は得体のしれぬ存在であったはず。ならば何故、受け入れた?」

 

……そして、偶然に見つけることのできた新たな居場所が、目の前の人物のたった一言で、泡沫のように消えてしまうかもしれないという不安。グラングの声は、僅かに震えているようにも聞こえた。

その感情を感じ取ったのだろう。先生は深く考え込んだ後、真剣な表情でゆっくりと口を開いた。

 

「"……確かに、グラングの事が何もわからないのはそうだね。キヴォトスの外から来たって言ってたけど、私の知っている[外]とは少し違う気もするし"」

「……」

 

グラングは何も言わない。ただ、先生から発せられる言葉の続きを待っている。

……けれど、そんな彼女に微笑みかけるように、先生の頬がフッと緩んだ。

 

「"でも、初めて会話した時、悪い子じゃなさそうだなって思って"」

「……!?」

 

 

……悪い子じゃなさそうだと、思ったから。感じたから。

 

 

先生が告げた理由、それはなんとも単純で、何の根拠もないものだった。その言葉に少なからず驚きを溢すグラングに向けて、先生は改めて告げる。

 

「"これが、私がグラングを受け入れた理由かな"」

「……」

 

その声に、グラングはすぐに返答を返すことができなかった。

ただ、ゆっくりと、その言葉の意味を咀嚼する。

 

 

…………

 

 

「……そう、か」

 

 

やがて、グラングはそう小さく声を溢した。

その表情には既に不安はなく、ただ、和らいでいた。

 

……キヴォトスという地に流れ着いて目を覚ました場所がこの建物であったこと、出会えた人がソラや先生であったことは、何たる幸運であっただろうか。

 

そんな思いを抱えながら、グラングは改めて先生の方へと向き直った。

 

「あの時、我の耳を触れたのには、そういう意図があったのだな」

「"え、い、いや、あれに関してはその……"」

 

あの時、グラングの耳に触れたこと。

それは恐らく、相手の人柄を確かめる意味があったのだろうと彼女は解釈していた。

 

実際そうであるのだが、先生自身はあくまで会話のきっかけを作るつもりで言っており、触ること自体はデリケートなことであるが故に、確実に断られるものと思っていた。

ところがグラングはそう言った方向に無頓着であるため、あえなく触れてしまったのである。

 

「"本当に触るのは流石に冗談だったというか、魔が差したというか……"」

「……?」

 

冷や汗を垂らしながら言い訳をする先生を見て、訳も分からず首を傾げるグラング。

……けれど、先生最大の誤算は、この会話をほかに聞いている者がいる可能性をすっかり失念していたことだろう。

 

 

「……それ、本当?」

「"……え?"」

 

 

瞬間、氷点下をまとった声が、店内とバックヤードとを繋ぐ扉から響き渡った。

その声がした方向へ、グラングは何気なく、先生は錆びついたブリキ細工のような動作で、視線を動かした。

そこにいたのは……

 

「ソラ、起きていたのか?」

「あ、いや大したことじゃなくて、やっぱりグラングは初日勤務だから心配になっちゃって……」

 

……ソラだ。

先生に向けて零下の視線を送っていた彼女だが、グラングに声をかけられたことで、先ほどのそれが嘘のように慌てて受け答えする。

 

「……って、そんなことはどうでもいいの!!!」

 

だが、それも一瞬のこと。

本来の目的を思い出したソラはそう一声発すると、グラングを守るように先生の前に立ちはだかると、目の前の大人を精一杯睨みつけた。

 

「先生……最近はちょっとだけいい人かなって思い始めてたけど。や、やっぱりいろんな学園の女の子を連れ込んでとっかえひっかえしてる噂って本当……」

「"ちょ、ちょっと待ってソラ!?これには深いわけが「うるさい!!」うひっ!?"」

 

慌ててソラの誤解(?)を解こうとした先生だが、それも彼女の一喝で即座に中断される。

ソラはそれを視認した後、グラングの方へと振り返ると右手を抱きしめるように握った。

 

「グラング、もし先生に呼び出されることがあっても絶対に一人で行っちゃだめだからね?約束だよ?」

「???う、うむ……?」

「"そ、そんなぁ、誤解だって"」

 

ソラの言葉に戸惑いながらもこくりと頷くグラング。

カウンターの先で何とも情けない声を出している先生。

 

 

……今日も、キヴォトスは平和である。

 

 

 

 

 

 

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