『西村賢太殺人事件』小林麻衣子②
西村賢太ファンを甘く見ちゃいけない、というのはこういうこと(↓)で、
要するに私など、「まともじゃねぇ」し「気に入らねぇ」し、そこに「理由なんかねえ」のだ。
こちらのポスト(↓)からも読み取れるのは、西村賢太の元彼女であれば「西村ファンな訳がない」し「文章が上手い訳がない」という前提、否、強い信念である✨
元彼女には自分と同じ西村ファンであってほしくないし、文章も下手であってほしいのである…
フィクションにせよ実話にせよ、ファンビジネスなどそれこそこの方の仰る通り「故人と読者への冒涜」だからしようと思ったこともないが、大体、ファンがこんなじゃ、できるわけがないッ
それは、元彼女の書いた物をどうでも目にしたくない、という西村ファンの気持ちも分からないではない。
何しろ、それぞれに「私の」「俺だけの」賢太が、貫多が、胸の中に在るのだ。作品世界を愛せば愛すほど、それを上書きされたくないとしても、不思議ではない。
或いは、「俺が」「私こそが」「僕だけが」ファンだと思いたい、ということもあろう…
アイドルなのだ、けんけんは。
しかし西村賢太の素顔を直に知っている私ですら、貫多は貫多で楽しめてしまうのだから、直接ご存知ない方なら全く問題ないとは思うのだが…ただ、そうは言ってもなかには繊細な方もいらっしゃろうから、こればかりは「どうぞご安心してお読みください」と太鼓判を押すこともできない。
つい先日「責了」だとかいうことになり、今日はこうして書影も出た。いまだに現実味は一つも湧かないし、生意気なようだが嬉しいという感情もないようだ。
自分の力でこんなことになったなどと1㎜も思っていない(もし私の実力で本が売れるなら表紙に西村賢太の顔写真など要らない)からだろうし、西村賢太が生きていてくれたら、決してこんなことになっていないからだ。
それは勿論、売れてほしいし売れてほしいが、並行して、この世に1冊存在するだけで既に、御の字だというような気持ちもある。
編集者の方に「どなたか、読んでほしい方は?」と訊かれて、言葉に詰まった。けんけんしか思い浮かばなかったのである。
「もしいるとすれば、西村賢太ですね」とは、気障すぎるなと思い、口にできず呑み込んだ。


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