駅の西側に移った我々は、強く冷たい風に長時間晒して凍えた身体を温めるため、満場一致でたまたま見つけたスリーエフに入店しました。このコンビニにソ連が買出しに来たら外から見つけられてしまう危険もありましたが、もう外から見えにくい場所に立つなどの工夫で乗り切ろうという結論に至りました。とにかく、少しでも暖かいところに入らないと身が持たなかったのです。
そしてコンビニで少し立ち読みしたり(もちろん全員が同時にしたわけではない)こっそりトイレで充電したりして、ひとときの休息を満喫しました。
ただ、あまり悠長なことも言っていられません。終戦の時は刻一刻と近付いて来ています。そしてその瞬間が迫れば迫るほど、ソ連国民が完全防御態勢に入ってしまう可能性は高くなります。休むのもほどほどに、我々は出発しました。
東側に較べると、西側は若干家が少ないように感じましたが、決して状況が好転したわけではありません。それまでと同様、休日のディズニーランドで誰の助けも借りずに人探しをするような、途方もない寒中徘徊が待ち受けていました。
ここでも東側と同様に、歩けども歩けどもDJの苗字が記された表札も、ハロウィンさんの特徴的な原チャリも見つかる気配がなく、それどころか電気の付いた家さえほとんどないという有様でした。
もう時刻は3時になろうとしており、体力が無くなってきたせいか吹き付ける風はますます冷たさを増したように感じられます。手は凍えてほとんど感覚を失っており、歯は意思とは無関係にガタガタと震えます。足も、動かし続けているはずなのにつま先が冷たくなってきて、刺すような痛みを止めることが出来ません。少し遠くに行き過ぎたかと思い、駅の方に近付いてもそこにあるのは既に通った家ばかりで、何度も同じ家の前を通りました。そして快適とは程遠い状態なのに込み上げてくる眠気も手伝い、どの道は既に通ってどの道はまだ通ってないかさえ、よく分からなくなってきました。一口に言って、体力の限界だったのです。打倒ソ連の志は消えなくとも、肉体がその気持ちについてこなくなっていました。そしてそうなってしまうと当然ながら気持ちも弱くなってきて、「もう完全に籠城に徹していて、一切の手掛かりを隠して電気も消してしまっているのではないか」という予感が現実味のあるものとしてのしかかってきました。
もう、このままだと体力どころか気力まで尽きてしまうという状況で、とにかく少しでも休んで今後の作戦を話し合おうということになりました。そして、目の前にあったマンションの自動ドアが開いてくれたので、とりあえずそこに入りました。
その自動ドアの数歩先にはもう一つドアがり、そこの奥には多少暖かそうなエレベーターホールがあったのですが、それを開けるには鍵が必要だったので、仕方なくドアとドアの間の微妙なスペースに腰を下ろしました。そこはガラス製の自動ドア一枚に隔てられているだけだったので風と冷気を完全に遮断することは出来なかったのですが、それでも真夏にうちわを扇ぐように、いくらか気休めにはなりました。
そこで床に腰を下ろし、作戦会議が始まりました。しかし、新しい情報が入ったわけでもなく、御嶽山駅近くのDJの別荘に潜伏しているということ以外何も分からないので、今やっていること以外に作戦の立てようがありませんでした。ソ連を落とすことはほぼ全ての国の総意でしたが、あくまでも出来ればの話であり、どこも自国の罰ゲームを回避するのが最優先なので、こんな終戦直前に裏切りに遭う危険を冒してまで辺境の地に協力に来てくれる国はありません。もう、4人でなんとか探すしかない。
これ以外の結論など出るはずもなく、作戦会議とは名ばかりなものになってしまいました。そして、皆の口数が減り、ただそこで休んでいるだけという状況になり、僕に至ってはうたた寝をしてしまい何度か意識が飛びました。
しかも、休んでいたといっても、外よりはいくらかマシになっただけで寒いことには変わりないので、そこにいても心身が疲弊していくだけでした。温かい場所で休めればよかったのですが、スリーエフでは座り込むことなど出来ませんし、かといって近くにファミレスや漫喫があるわけでもなく、まさに万事休すでした。
・・・と、ここに、我らが西ドイツ国王であるワイエスさんからの、起死回生のメーリスが届きました。これは、恐らくこの国で流れた全メーリス中で最高の名文だと思います。
「センソウを最後までやりとげましょう。裏切りも全然アリがセンソウです。故にギリシャの行為は許するに値します。聖戦です。ジハードです。負けぬぇぞ!負 けたくないぞ!籠城するなら籠城してやがれ!これから行くのは襲撃だ!!ベルリンの壁を破壊するかの如く最終爆撃だ。兵志願者はリーダーについてこい。
あきらめたらそこで試合終了ですよ。」
我々4人の士気は、これで一気に燃え上がりました。外出するわけがないとか籠城されたらどうしようもないとか手掛かりがなさすぎるとか、そんなことどうでもいい。とにかく、撃ち込まないと勝てないんだから、にっくきソ連に逆転の大爆撃をかましてやろう。理屈抜きに、そのような闘志に満ちた気分にしてくれました。カッコいい言葉です、頼りになります。「兵志願者はリーダーについてこい」、「兵志願者はリーダーについてこい」・・・
・・・でも、よく考えたら、今リーダーいないよね。あれ?なんかおかしくない?
というわけで、燃え上がった炎はガスを抜かれたコンロのように一瞬にして消え去り、我々の次なる行動は決まりました。
「とりあえず、休もう」
もう、本当に正真正銘の限界でした。体力はほぼ尽きており、凍えた身体で先も見えないなか歩き続けるだけの気力も、これ以上絞り出せそうにありませんでした。勝負を諦めたわけではありませんが、のんびり休める温かい場所に行って、短時間であってもそこですり減らされた力を充電しよう、と決めました。もう2,3時間もすれば始発が動きますし、そうすれば他のドイツ国民が来てくれるかも知れません。その時に備えて、休憩しがてら改めて打開策がないか模索することにしたのです。
今思えば、作戦会議というのはほとんど建前のようなものであり、みんな休みたくて仕方がなかったのです。とにかく、少しでもいい、温かい場所で身体を休めたい。そんなことをすればただでさえ僅かな時間がさらに減っていくことは言うまでもありませんが、かといって先の見えない捜索をこのまま続ければ、誰かが発狂するか倒れるかしてしまい兼ねませんでした。そして、ガラケーの限界に挑戦して何とか周辺のファミレス或いは漫喫の情報を探し出そうと試みました。
近くには本当に何もなく、いくら調べても何も出てこない状況が続きましたが、やがて稲中さんが、多摩川を渡って川崎に入るとデニーズがあるという情報を見つけ出しました。決して近場ではなく、歩いて3,40分はかかることが見込まれましたが、我々に迷いはありませんでした。同じ40分でも、全然標的のアジトが見つからない絶望を味わいながらの40分と、疲れ切って凍え切った身体を癒すことが出来るという希望を抱きながらの40分では天と地の差です。4人は、ガラケーの出来の悪い周辺地図を頼りに、歩き出しました。
マンションのドアを開けて外に出ると、それまでと同じように強烈な冷気を帯びた風が容赦なく吹き付けてきました。実際の気温はともかく、風のせいで体感温度が凄まじく低く、無防備な顔には薄い氷の幕が張ってるんじゃないかと思えたほどです。
しかし、希望を持った我々は、これまでとは違いました。大きな疲労を感じながらも、しっかりした足取りで歩きました。もう、この数十分間はほとんどセンソウのことなど忘れて、温かくくつろげる場所になんとか辿り着くことだけが目標となってしまったかのようでした。
実際、これは勝負の観点から見れば事実上の後退であり、我々はほとんど勝負を諦めてしまっていたのかも知れません。少なくとも私はそうでした。何とか勝ちたいとは思いつつも、理屈で考えてほぼ100%襲撃は不可能だと主張する自分の頭を闘志で黙らせることが、もう出来なくなってきていました。ただ、そう考えると休むわけにはいかなくなってくるので、極力考えないように努めました。勝負は取りあえず置いといて、一先ず休もう。きっとこの瞬間は、みんな自分たちがとてつもない窮地に追い込まれているという事実を忘れたかっただろうと思います。あるいは、やはり勝負を諦めていたか。しかし、そのことを口にする人は誰もいませんでした。
こうして、ある意味では嬉しく、ある意味ではさみしい行軍を続け、やがて多摩川に架けられた橋にたどり着きました。風は一層強く我々を襲いましたが、暗闇の中に浮かぶ多摩川は壮大で、住宅街の狭い道を延々と歩いていた我々の心に、ビタミン剤のような開放感を与えてくれる思いがしました。
14/12/23 21:55

