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「こん連」を排除するべき理由

はじめに

一部のコアなSNSユーザーの中で、「こん連」という言葉が流行っている。
「こんな連中」の略である。
説明すると長くなるが、ざっくり言うと、共産党関係者(現党員・元党員・支持者など)の中で、共産党や、特に抗議活動に対して批判的な連中のことである。

SNSで、みろくさんや鍋倉さん、ザオラルさんや剽軽奈乙燦を攻撃している連中である。
私は、現実であれSNSであれ、見かけ次第容赦なく批判するようにしている。

私は共産党員でもなければ、サポーターでもない。
ただ、反差別のために活動する一市民でしかない。
党員でもない私が、無責任であり、烏滸がましいかもしれない。
しかし、もはや現代の日本には、共産党、社民党と、一部の立憲の議員しか、頼るあてが残っていない
103年の歴史を持ち、党員の多くがあらゆる差別や不条理と戦ってきた共産党は、あらゆる側面で衰退しつつある日本の、かすかな希望である。

一緒に抗議の現場に立ってきた仲間もたくさんいるし、知人の中にも党員の方や支持者の方が少なくない。
心の底から「しっかりして欲しい」としか思わない。
だから、無礼を承知で、書く。

反差別の活動をするうえで、「こん連」の主張を聞く理由は一切なく、即刻排除するべきであるとしか思わない。
以下、私がそう思う理由を述べる。

①注意するべきこと

先に述べておきたいが、抗議者や共産党を批判しているからと言って、すぐに排除するべきである、とは私は思わない
その中には、長年にわたって共産党を支えたり、様々な社会運動に関わったりしてきた先輩方もいる。
また、共産党の党員としての活動をするうえで、「抗議活動には慎重になってほしい」「抗議活動もいいが、党としての活動にもしっかりと関わってほしい」と、至極真っ当な意見を言われる方もいる。
(だからこそ、顔や名前を晒して、また、隠してでも抗議活動に参加される党員の方には尊敬しかないのだが)

抗議活動には様々なリスクが伴う。
また、党としての支持を広めようとする活動は、抗議活動と同様にとても大事なことである。
組織の上に立つ人間や、年長者が「アドバイス」をすることは、極めて健全なことであり、全てを拒否するべきであるとは、私は思わない。

重要なことは、抗議者を批判する「目的」と、対話が成立するか否かである。

傾聴するべき意見をくださる方は、抗議者や党員の意見もしっかりと聞いたうえで、「ここは気をつけて欲しい」「これはしないで欲しい」と意見をされる方が多いと聞く。

しかし、こん連が批判する目的は、批判そのものであり、文句を言いたいだけの場合が多い。
だから、一切の反論を受け付けないし、そもそも対話や議論にならない。

これから書くのは、そのような、文句を言いたいだけで、一切意見を聞き入れようとしない、愚劣な連中のことである。

なお、言うまでもないことだが、抗議者としての活動もされている共産党員の方は、党の活動にも全力で取り組まれている方ばかりであり、十分に党への影響に留意しつつ、表現の自由の認める範囲で、全力で活動されていることは、あらかじめ断っておく。

②中学校での教員経験から

話が逸れるようだが、組織のあり方を考えるうえでとても大事なことなので、中学校で教員として働いていたころの話を述べる。

学校には制度や組織としての問題は多々あるものの、民主主義や組織のあり方を学べる場所である。
私は、会社や市民活動、そして政党での活動を考えるとき、学校時代の経験に立ち返るとよいと思っている。

私は、「頑張っている仲間を笑う、馬鹿にする」生徒がいたら、情け容赦なく問い詰め、必要であれば叱っていた。
例えば、運動会の練習期間。
クラスの応援リーダーとして頑張る生徒に向かって、誰かが「何そんなに熱くなっているんだよ」「熱血ちゃん、熱血くん」と言ったとする(そんな生徒はいなかったが……)。

私は、休み時間であれ、練習中や授業中であれ、活動中なら活動を止めて、
「今なぜ、そう言ったの?」としばらく問い詰める。

生徒によって「心にしみる」接し方は様々であるが、なぜ努力する人間を揶揄してはいけないのか語ったり、リーダーや私の思いを伝えたりした。
中には泣く生徒もいるだろうが、指導を変えたり、止めたりすることはなかった。

そして、そのような発言が出てくることは、組織としての学級集団全体の問題でもある。
腐ったミカンは他のミカンも腐らせていく。
努力する人間を揶揄する言動があるということは、組織全体に、少なからずそのような空気があるということである。
だから、努力する人間を馬鹿にしたり、笑ったりする人間の存在を許してはいけない。

行事なら行事の期間中に計画的かつ意図的に、また、日常生活の中でも、同じような発言があった場合は、学活や、帰りの会などの時間をフルに使って、話し合いをするように設定した。

そこで、リーダーの思いを語ってもらったり、言われた本人の率直な気持ちや、それを見ていた生徒の思いを語ってもらったりした。当然、揶揄した本人も、可能な限り自分の思いを語る。そして、「知らなかった」という子にも、そのような風潮をどう思うか、語ってもらう。
そうやって、「頑張る仲間を揶揄する」雰囲気そのものの根絶を図った。

組織を構成するのは、一人一人の人間である。
一人一人の意識は言動として現れ、組織全体に大きな影響を与える。
一人一人の人間の意識を変えることで、言動が変わり、組織そのものが、学習の場として機能するかが変わってくる。

直感的に「良い」と思うクラスは、授業をしていても、行事の指導をしていても、合唱をしても、朝の会や帰りの会でさえ、ほどよい緊張感と、温かさに包まれていて、とても楽しい。
不登校や、特別支援学級にも在籍する生徒も「大事なメンバー」という意識が全員にあり、常に気にかけている。
全員が何に向かっているか、また、何をするべきか、よく分かっている。
だから、誰も何も指示しなくとも、自然に身体が動く。
意識や行動に違いはあれ、最終的に全員が同じゴールへと向かっている

「良い」学級=組織とは、そのような、目的を全員で共有し、一丸となってあたる、自律した組織学習する組織のことであると、私は考えている。

※「学習する組織」については以下の書籍を参照していただきたい。

③反差別の運動はいかにあるべきか

これを反差別の運動に当てはめると、「反差別というただ一つの目的に向かって、行動や価値観に違いはあれ、全員が自分のやり方でアクションを起こし、動いている組織」こそが、私が思う「良い」組織や運動のあり方である。

抗議活動だけが正解ではない。
抗議活動には限界もある。

だからこそ、陳情や請願、ロビイングに行政組織への抗議、スタンディングやデモ、SNSでの発信など、それぞれが得意なやり方、色々なやり方を組み合わせてやっていけばよい。

先に述べた社会運動の先輩や、共産党の活動に永年携わってきた方、そして、「こん連」の中にも、そういう方がたくさんいる。
それはそれで、続けていただければいいだけである。

だが、的外れな批判に対しては反論するし、批判を超えた攻撃に対しては、情け容赦なく反撃する。
運動の足を引っ張るからである。

何かに向かって頑張ろうというときに、最も有害なのは、敵ではなく、無能な味方である。
反差別に向けた学習会や会議、活動をしているときに、そういう味方が一人いるだけでも、士気は落ちるし、調子は狂う。

そういう人間を見かけしだい、議論を仕掛け、問い詰め、必要であれば徹底的に攻撃する。
その姿勢そのものが、組織やメンバーに良い緊張感を与えるし、同時に、無能な味方を無効化することにつながる。

④「こん連」のよくある主張と反論

以下、「こん連」のよくある主張と、反論を載せておく。

・抗議は無意味(逆効果)
実態やデータに即していない。
これまでに長期間にわたって、苛烈な抗議活動が行われてきた旧在特会、N国、そして斎藤元彦一味は、いずれも活動の量や規模が落ち、支持率が下がり、壊滅的な打撃を被ったものが少なくない。
参政党ですら、支持率はまだまだ高いものの落ち続け、一部の地域では大っぴらに活動をすることができず、ステルスで活動したり、街宣などを止めたりしている(大きな選挙がない、また議員としての活動や、身内のワークショップに力を入れている、というのもあるが)。


このように、はるさんのデータでも、「抗議は無意味」「逆効果」であるという主張がいかに間違いかが分かる。
そして、共産党や社民党は、支持率を保つどころか、僅かではあるが上がっている。
最近の各地での市議選・町議選でも、共産党はしっかりと当選を果たしている

当然、支持率の上下や、選挙の結果は、各党の選挙活動や、メディアの報道、有権者の投票行動にかかる部分が大きく、「抗議があったから○○になった」という明確な因果関係はない。
短期間の抗議活動が、長期的な投票行動に与える影響は、大きくない。
しかし、データを見れば、「抗議は無意味(逆効果)」という主張は間違いであることが分かる。

・抗議は暴力的だ
確かに、初めて抗議活動を目にした方には、抗議活動の激しさが目につく場合もあるだろう。
「抗議活動を見て引く」市民がいないとは言えない。
しかし、「暴力的」という表現は、不適切である。

抗議者の多くは、よく法律や、先輩方の意見や実践に学んでいる。
世界的な社会運動の潮流も非暴力・不服従であり、抗議者はこの原理原則に従っている。
確たる組織はないが、SNSでゆるやかに繋がっており、また現場でも、年長者やベテランの方が、抗議者の行き過ぎた行動はその場で批判をされることが多い。

むしろ暴力的なのは、レイシストの方である。
そのことを「こん連」や、抗議に批判的な方に何度伝えても、聞き入れてもらえない。

抗議者は「表現の自由」の範囲内で活動しているが、最近のレイシスト(参政党や反移民デモの参加者)は、暴力や暴言により、警察に指導されたり、被害届を出されたりしている。


抗議活動の見かけを気にしすぎて、周囲の理解を求めるのはナンセンスである。

「見かけを気にするな」とは言わない。
例えば、抗議現場における周知活動がそれである。
最近は、おしらせカンパニーさんのような、抗議活動の現場における周知活動(川崎モデル?)も増えてきている。

一見すると、抗議活動の現場では、何をしているのかよく分からず、「ただ騒いでいるだけ」と捉えられるときもあるだろう。
そんなときに、礼儀正しく、しかし、激しい怒りをもって周知する活動は、多くの市民の心にも、そしてレイシストにも響いている。
ビラ配りなども同じである。

よく話題になるスモークや、日の丸に×をつけることも、私は問題ではないとしか思わないが、残念ながら、日本では他国のように、レイシストに激しい怒りをぶつけたり、怒りを表現したりすることへの理解がまだまだ足りていない。

その地域や、市民のレベルに合ったやり方を考えるときに、理詰めでヤジったり、プラカードの文言も含めて工夫したりと、「より多くの市民に分かりやすい」表現を心がけることは大切である。

しかし、過度に理解を求めて、「抗議を止めろ」というのは、愚劣極まりない主張である。


・「表現の自由」の侵害である。
抗議活動どころか、人権を全く理解していない。
確かに、ヘイトデモやヘイト街宣は「表現」ではある。
しかし、他者を傷つけ、社会全体を崩壊させるという意味で、そして犯罪行為であるという意味で「自由」ではない。
この辺りは、NoHateTVでおなじみの野間さんが主張されていることである。


抗議活動もまた、「表現の自由」の範囲で行われているものである。
抗議活動の現場には、多くの場合警察がいる。
何か問題があれば、その場で指導されるか、逮捕されるはずである。
私が知る限り、「表現の自由」から逸脱したとして逮捕されたり、指導されたりした例は聞いたことがない。

このように説明すると、「法律で良いから良いわけではない」という人間が必ずいる。
変えるべきは、差別の風潮がうっすらと広まり、また、政治的素養や社会への理解がなく、怒りの表現としての抗議活動が一般的ではない社会そのもの。

社会運動を深く理解された方であれば、それくらい分かりそうなものであるが……。

そして表現の自由とヘイトスピーチ、抗議活動については、中学校の社会科の教科書にも載っている。

「こん連」の皆さんはぜひ、教育出版の社会科の教科書を購入し、表現の自由や人権について勉強していただきたい。

⑤「こん連」に足りないもの

「こん連」に足りないものは、現状への認識と、抗議活動への理解である。

「こん連」は、今、レイシストたちの質や、ヘイトデモ・街宣の在り方が変わっていることや、反差別の運動が、もはや非暴力の戦いに移っていることを、全く理解していない。

最近のヘイトデモが分かりやすいが、もはや、一部のネトウヨや保守層に限らず、見かけは普通の市民、とくに若い男女を取り入れつつ、レイシスト側は拡大しつつある。
ヘイトデモで騒いでいる連中の主張は、一見すると「移民反対」というマイルドなものであり、自分たちが差別をしていると気がついていない。
明確な差別ではないから、政治や行政の対応も後手に回っている。
しかし、日の丸を振り、外国人に関わるデマとヘイトを叫ぶその姿は、まぎれもないレイシストである。

もはや対話は通じず、陰謀論に浸かり切っている人間も多い。
目を覚ますこと、説得することは不可能に近く、まずは「家に帰らせる」「ヘイトデモを止めさせる」ことが、被差別者のみならず、一般市民や社会全体のためである。

そして、それに対する反差別の運動は、もはや抗議と言うより、真の意味での「戦い」になってきている。
長年にわたって斎藤元彦やN国への抗議活動を行ってきた、難波さんや剽軽奈乙燦が指摘していることでもある。


戦いに必要なのは、頭数と活動量。
今、反差別側は、その2つで圧倒的に劣勢である。
何とか張り合っているのは、個々の抗議者の意識が高く、知的で活動的なだけであって、油断すれば即敗北し、レイシズムとファシズムの波に呑み込まれても不思議ではない。

私は、既に両足を突っ込んだと思っている。
抗議の現場に参加した人の多くは、「戦前のようだ」と言う。
私も強く、そう思う。

今必要なのは、路上で、SNSで、また違う現場で、反差別の声を上げる人間を増やしつつ、政治に関心がない、一般市民の中に、反差別の空気を創り出すこと。
そして、路上で、レイシストを叩きのめし、ヘイトスピーチを止めさせ、家に帰らせること。

そのためにも、一言でも何か言いたい、また、現状が多少なりとも不満・不安であるという一般市民や、知識人・政治家は、全員路上に出るべき。

「こん連」の存在は、運動ではなく戦いの足を引っ張る。
反差別のメンバーで撃ち合っている場合ではない。

レイシストたちは、能力も思考も、信念も歪み切っているが、アホだから「真面目」に活動をする。
そして、見かけや周りからの理解を気にしすぎず、ただひたすらに騒ぎ、わめく。
だから、アホに影響を与え、少しずつ輪が広がっていく。

反差別の人間は、知識や良識があるからこそ、ついつい口出ししたくなる。余計なことを考えて、活動を止めてしまう。
活動にはいろいろなやり方があってよいが、的外れな批判や攻撃などすべきではないし、している暇は0.1秒もない。

⑥「こん連」への対処法

私自身、抗議活動やSNSでの経験はまだまだ乏しく、諸先輩方の意見を聞きながら勉強している最中である。
しかし、何度か「こん連」と会い、現実でも見かけた経験から、以下、「こん連」にすると良いと思うことを書いておく。

・SNSでの批判
これはすでに行われている。
「こん連」は、Xにもたくさんいるが、Facebookでよく見かける。
Facebookは実名でハードルが高く、また、リスクやコストのわりに、利用者が他のSNSに比べて高齢で、あまりやるうまみはないが、気になる方はやってみられると良いと思う。

私は何度か「攻撃」を仕掛けたが、やはり議論にならなかった。
ぜひ現実で呼び出して「対話」をしたいし、可能であればリストアップして関係者に渡したいとすら思う。

・学習会ホイホイ
共産党関係者の方にぜひお願いしたいのだが、「抗議活動について考える」のような、「こん連」がいかにも好きそうな勉強会をぜひ開催していただきたい。
先日、ある場所で開かれた学習会にて、幸運にも「生こん連」と思われる方に会うことができ、知的で活動的な方が、真っ向から反論する場面に遭遇することができた。

「こん連」との「対話」というか、批判をする姿勢に心打たれたものである。
レイシストと同じで、「こん連」に会い次第、主張を真正面から叩き潰し、激烈に批判し、再起不能になるまで追い込むか、「一度現場を見に行こう」という気にさせるのが良いと思う(ならないが)。

私が昔ながらの学習会や、活動にも顔を出しているのは、自身の勉強に加えて、「こん連」をすり潰すためでもある。

・ブラックリストの共有と、厳格な運営
これも一部の方の間では既に行われていることであろう。
名前等の記録や、行事の様子を写真などで記録し、学習会や行事の参加者の顔(と可能であれば所属や名前)を明らかにしておき、コアメンバーや主催グループの間で共有しておく。
活動参加拒否が望ましいが、それは難しい場合が多い。

そこで、「厳格な運営」を提案したい。
例えば、学習会や街宣で、「反差別」の趣旨を明らかにしたうえで、明確なデマや、建設的でない意見に対しては、きっぱりと批判するか、発言を止めさせる。
司会者や運営が責任を持って、厳格な理念や明確な目的のもと、堂々と運営すればよいと思う。

・法的措置
「こん連」の中で私が特に許せないのは、なべくらさんやみろくさん、ザオラルさんや剽軽奈乙燦を攻撃、誹謗中傷するゴミクズ以下のカス共である。
私には、止めるだけの力や権限はないが、許せないという思いから、見かけ次第情け容赦なく批判するようにしているし、みろくさんのイベントなどに参加したときや、なべくらさんのポスターを使ったときは、できる限り発信するようにしている。

これもお願いになり、また、既にされていることだが、ぜひ、党としての厳格な措置……特に法的措置を強く、強くお願いしたい。
法的措置は本人でしかできなくとも、本部や支部のレベルで何らかの声明を出すことは可能だと思う。

共産党の高齢化や、年齢ではなく組織や精神的な意味での劣化は重々承知している。
しかし、今は、党そのものの在り方が問われているときでもある。

103年の歴史を背負い、再び間違った活動の仕方でレイシズムとファシズムの波にのまれていくか否か。
宝の山である若い党員を、使いこなせるか否か。
組織として、温かく、しなやかな「学習する組織」になれるか否か。

レイシストへの抗議以上に必要なのは、組織内部での、激烈な討議や批判と変革である。

おわりに―今すぐ路上へ出ろ

抗議活動をしている人間が偉いわけではない。
様々な事情があって路上に出てこられないという人はたくさんいるし、無理はするべきではない。

しかし、薄っすらとレイシズムが広がり、世界的な潮流に日本も呑み込まれつつある今だからこそ、路上で抗議をする人間を増やさなくてはいけないこともまた事実である。

よく、「こん連」は「抗議より対話を」という。
これは、抗議を批判する方がよく言う台詞である。

ぜひ、路上に出て「対話」をしていただきたい。
そして、社会・政治・教育の腐敗と劣化が生み出した、汚泥や屑の群れを、ぜひその目で見ていただきたい。
抗議者を殴り、蹴り、集団で囲んで笑い、威圧し、唾を吐き、「死ね」「何人?」と平然と言い、プラカードを取り上げたり、破壊したりする……
そんな集団をぜひ、自分の目で見ればいい。

そして、ヤジを飛ばしプラカードを掲げるだけではない、周知活動や、市民、そしてレイシストとも向き合おうとする、抗議活動の実際を、その目で見ればいい。

その努力すらせず、見当違いの批判を延々と浴びせ、攻撃や誹謗中傷を繰り返す「こん連」や、それに近しい連中は、全員容赦せず反撃する。

当然、共産党の中にも解決するべき問題や、組織としての課題はあるだろう。
綺麗なところばかりではなく、失敗や、改めるべきところも多々ある。
傾聴するべき意見に対しては、ぜひ取り入れて改善していただきたいし、逆に誹謗中傷に対しては、断固戦って欲しい。
これは、どんな政党や組織であれ、同じことだと思う。

今、アホの群れは増殖・増長しつつあり、反差別のメンバー同士で争っている暇はない。
「文句を言うなら現場へ来い」。
それが、私の唯一つのメッセージである。

そして、「反差別」の旗の下、同志とは党派を超えて連帯し、一緒に戦っていくことを、高市新総裁が誕生した今こそ、改めて宣言しておく。

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