デザイナー奇人 登場 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

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この・・見るからに奇怪なスタイルの男はデザイナーで、野人が会社を興した時の第一号押しかけ社員だ。

いや・・興す前に押しかけて来た。

ヤマハの退職が決まって半年間の有給休職に入り、自由になった野人はバラ色の人生を送っていた。

パンツ一枚でバイクに跨り、近くの漁港へ、防波堤を走り、「ヤッホ~~!」と海に飛び込み、沖でラッコのようにサザエやウニを食っていた頃にやって来た。


「会社辞めて来ました、よろしくお願いします」とのたまうのだ。

彼は30歳だったが、印刷会社で十数人の部下を持つ優秀なデザイン企画室長だった。

「何をよろしく頼むんだ~?」と聞けば・・

「当然、会社興すんでしょ?」・・・

「バカタレ、誰がそげんこつ言った、まったくその気ない、半年中国・・行くんじゃ、帰ってから山ごもり・・猪獲って食って平和に暮らすんじゃ シッ シッ!」・・と、手で追い払う。

住み込む山も決まっていたのだ。


話せば長くなるが、野人はこのバカタレを養う為に会社を興したようなものだ。

それに・・休職だが在籍中に彼を含む他の株主数人がよってたかって登記したので・・野人は失業保険を一円ももらえず、ヤマハから退職金がおりたのは登記の一ヶ月後だった。

失業保険は最初からいただくつもりはなかったからまあよい。

このせっかちな男がいなければこの会社は存在しなかったかも知れんな。


最初の半年間、家賃タダの倒れそうな木造倉庫の事務所にコタツを置いて泊まり込み、彼と2人ひたすら地球復元の事業構想を練った。

初年度の彼は失業保険をもらいながら会社の為に無給で働いた。

ヤマハ時代の部下で、給料払えんと言うのに後に高知から出て来た今の女性スタッフも失業保険をもらいながら1年間は無給だった。

野人は最初から赤字のこの会社を10年間支え続け、ビジョンと志を貫いた。

数年前に給料が払えなくなり、「しばらく自分で稼げ」と泣く泣く解雇したが、こうして相変わらずおかしな格好で野人の家にもたまにやって来る。

彼女同様に今もこの会社の株主でもあり、デザインパッケージを引き受けている。

また一緒にやれる時期が近づいて来たのかも知れんな。

総務課、山口六平太のような、ジャガイモのような顔だから「ジャガ原人」にしようと思ったのだが、やはり奇人がふさわしい。

雪駄に、金田一耕介のようなトランクに完成したデザインを入れて持ってきた。


むー茶、むー塩、むー漬け、むー糖・・・協生マークに意味不明のアップリケ・・

まあいいだろう、これから何種類もの茶や塩や漬物にサトウキビ製品を作る。

いちいち高尚な名前を考えていたら百人一首になって覚えられない。

ぜ~~んぶこのパッケージにして、ハンコだけ替えれば楽で良い。

わかりやすく覚えやすいのが一番だ。



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