パレスチナ自治区ガザ地区の病院で8月、イスラエル軍の「ダブルタップ」攻撃により記者5人を含む22人が殺害され、世界的な非難を浴びた。あの朝、病院で何があったのか。目撃証言などを基に経過をたどると、攻撃に対するいくつもの疑問が浮かび上がった。
時間差で2度の攻撃
「つらい出来事だった。思い出すのも苦しい」
8月25日朝、南部ハンユニスにあるナセル病院。地元ジャーナリストのタハ・ザリファさんは、病院前のテントでコーヒーを作りながら、同僚の記者と電話でこの日の取材について話し合っていた。
午前10時8分。突然、爆発音が辺りをつんざき、病院の屋上付近から煙が立ち上った。ロイター通信で働くフッサムさん(49)がいつも撮影していた場所だった。ザリファさんは、テントにいた記者たちとともに現場を撮影しながら、病院内へ駆け込んだ。救急隊や病院スタッフも階上に集まってきた。
その9分後、再び病院が揺れ、さらに2発のミサイルが撃ち込まれた。
爆発は中継されていた
2度目の攻撃はエジプトのテレビ局が生中継していた。直撃したのは、崩れかけた病院の外階段の踊り場。映像には、空爆の死傷者を救助しようと集まる大勢の人が映り、背後にはスマートフォンで撮影する記者もいた。
爆発は何の前触れもなく起き、画面に灰色の煙が広がった。中継していた記者が叫ぶ。
「いま、たったいまです。人々が殺されました。民間人を狙っています。大きな攻撃です!」
血にまみれたカメラ
同じころ、フッサムさんの兄、エッゼルディンさんも病院に駆けつけた。最初の爆発は約200メートル離れた自宅にいるときに発生。弟の仕事場が狙われたと分かり、病院の門まで走ったところで、2度目の攻撃が起きた。
目の前で救助活動中の人々が直撃を受け、周囲は煙に包まれた。慌てて中に入り、救急診療部や集中治療室を見て回ったが、弟の姿はなかった。崩れたがれきをまたぎ、階段を上がっても見つからなかった。
「みんな、もう一度攻撃があるかもしれないと考えている。だが、ガザの人たちはいつも死傷者の救助に向かう」。このときも、救助隊の一人が一緒に弟を捜してくれた。間もなく病室で遺体を発見した。最初の攻撃で死亡しており、誰かが運んできてくれたらしい。頭はつぶれ、下半身は粉々だった。
「ジャーナリストは世界に真実を伝える。だから狙われたのだ」。弟のカメラは壊れ、血が付いていた。
覆るイスラエル軍の主張
イスラエル軍は翌日、「(イスラム組織)ハマスが監視カメラを設置していた」と発表し、攻撃を正当化。6人の「テロリスト」を殺害したとも主張し、名前と顔写真を公開した。だが、事実は異なっていた。
ロイター通信は9月下旬、イスラエル軍関係者を含む数十人への取材と100件以上の動画分析を基に、検証記事を発表した。
それによると、死亡したフッサムさんは病院の屋上付近の外階段で、配信用の中継動画を撮影するのが日課だった。熱とほこりから守るため、カメラにはいつも布を巻いていた。
攻撃の数日前、軍は無人機(ドローン)でその様子を確認した結果、ハマスがカメラを隠して撮影していると誤認した。「脅威」と判断され、攻撃されることになった。当日も、ナセル病院付近を偵察用ドローンが飛行し、標的や「戦果」をリアルタイムで確認していた可能性がある。
追加攻撃はなぜ
この病院は報道陣の拠点で、多くの記者が日常的に集まっていた。電源があり、インターネットも通じるからだ。イスラエル軍もそれを知っていたはずだった。
内規では病院を攻撃する場合、事前にガザでの軍事作戦を担当する司令官の許可が必要とされる。だが、ナセル病院への攻撃は承認を得ていなかった。
軍が「殺害したテロリスト」と発表した6人のうち、少なくとも5人は病院関係者などハマスとは無関係だった。中には、別の場所で殺害された人も含まれていたという。
国際的な非難を受け、ネタニヤフ首相は「不幸な出来事で遺憾だ」と述べ、調査を約束した。だが、軍はなぜダブルタップを実施したのか、説明していない。【カイロ金子淳】