【往復書簡】神様からのいいねを集めなさい。
壇珠さんの記事へのお返事です。
壇珠さん、おはようございます!!東京に呼ばれて来たら罠で、途方に暮れている鬼(俺)です。幼少期は昆虫採集に嵌り、思春期は音楽に嵌り、大人になってからは都会の罠に嵌っております。せっかくデニムの繋ぎにブシェミのコンバットブーツと言う戦闘服で来たのに、このザマであります。祖国ジャパンはすっかり秋模様で、自己憐憫に拍車がかかります。だがしかし負けない。そんなパンチじゃあたしは倒せない。秋が好きなのは淋しいのが自分だけじゃなくなるからだとか言っている場合ではない。感傷に負けない。陰湿ないじめに屈しない。日本の湿度にへこたれない。なぜならば、俺様は風神だからな!!(雷神も可)
圭吾さん、おはようございます!! 6月の初旬から続いていた娘の夏休みがいよいよあと1週間で終わるというところまできました。9月から娘は法学部での大学生活が始まってしまうので、この三ヶ月は思いっきり娘と一緒に過ごしました。そのあいだ、すっかりブログの更新頻度が落ちてしまっていました。私にとってブログを書くことは、趣味であり、深呼吸であり、健康法であり、仕事であり、特技であり、なによりも愛であり、一身を捧げた活動と言えるものなのですが、私は娘と過ごせるとなったらその優先順位をあっさりと下げてしまいます。それで更新が遅れていたのですが、ブログを書くのはこんなにも好きなのに、書かなくても問題なくいられるというのは、心地の良いことでもありました。私はどんなものも、それがないと生きていかれないという位置に置くのが、嫌いです。
壇珠さんがおっしゃる「私はどんなものも、それがないと生きていかれないという位置に置くのが、嫌いです」の有言実行感に痺れます。押忍。あっさりと捨ててしまえるということは、愛していないからでは断じてなく、自他の境界がなくなるほどに思いを尽くしたからなのだと思います。行かないでではなく「おゆきなさい」の大解放。あなたがいなければ生きていけないではなく「あなたに出会えた喜びは一生分の喜びに匹敵する」と、失うことよりも出会えたことに焦点を絞り、I'm glad to meet youの一言に愛を凝縮させる。そして、次の愛に向かう。愛のバトンタッチ。それは、切なくて爽やかな俺たち人間のドラマ!!
圭吾さん、あたしゃね、男女の関係を含めどんな関係も、どれほど愛し合っていると思える関係だって、双方それぞれの片思いだと思うのです。自分が勝手に相手を愛しているだけだと思います。相思相愛だとしても、自分が勝手に愛している相手がいて、その相手が勝手に愛している対象が自分であるだけだと考えると、人間関係はシンプルになります。所詮は互いに片思い。相手の気持ちがどっちにどう向くのかは、こちらの管轄外です。
けれども私たちは、そうした間柄を相思相愛だと考えて、その関係に恋人という名前をつけます。そして、恋人同士という関係にある場合は、心が通じ合っていなければならず、自分も相手を理解しているはずだし、相手も自分を深く理解してくれていて、互いに大切にするべきだと考えます。そうなったら単なる片思いであるときにはできなかった要求をするようになり、相手の言動がそこから外れていると感じたときには、愛する相手を責めるようになります。こうして男と女は、互いに名前のついた関係に見合った心の状態と言動を強いて、相手の自然な状態を許さなくなり、仲が悪くなります。
キアヌだって、彼女に純粋に片思いをしているだけだったら、「元彼の家から引っ越せ」とは要求しないはずです。彼女を愛しているのは自分の勝手であって、彼女にはそれに対して応える義務などないからです。自分が勝手に愛しているだけなのに、それを理由に相手に住む場所を変えろとは言えません。けれども私たちは、自分の恋人という名前のついた関係になったとたん、相手は自分の要求に応えるべき存在になったのだと思うようになります。だからキアヌは、引っ越しを要求するわけですよね。こうなったら、誰かと関係を持っても良いことなんてないと思ってしまいます。なぜなら片思いをしてくれているときのほうが優しいからです。恋人と呼ばれる関係になったがゆえに相手の気持ちに応えることを強要されるなら、その人とは恋人になる意味がないと思うのです。ねえ、今後はあたしに片思いしていてくれない?と言いたくなります。
私も圭吾さんの言うように、女にとって、大事にしなくてはならない男なんて、要らないと思います。ただ相手を愛するなら嬉し楽しいことですが、大事にしなくちゃならないとなったら、それは仕事であり、なにかを得るためになにかをコストとして差し出さなくてはならず、そこには我慢が生じるからです。自分が女として我慢すれば、相手の男を良い気分にしてあげられるのだ、と考えてしまうと、それは広義には女が春を売っているのと同じようなことだと思います。我慢と遠慮により男を得る女は、娼婦です。女は、愛されるために自分を売ってはならない。愛も恋も友情も、仕事ではないからです。相手からの愛を、自分の我慢の対価として報酬や給料のようにして得てしまったら、心の奥に穴が空く。男も女も、自分の気持ちは純粋で勝手な片思いで、つまりは一方的なものなのだから、相手には応える義務などないと考えているほうが、ずっと粋で健全なように思います。
地球人が全員そんなふうに、どんな相手への愛も己の一方的な片思いなのだと考えるようになったら、世界は今よりずっと平和になる気がします。だから、他者から愛されたいという相談には、そんな身勝手な欲に苦しむくらいなら、潔くバックトゥーザ片思いすればいいじゃないかと思っちまう俺です。両思いより、片思い。片思いに満ちたとき、世界は今よりきっと安らかなのだと思います。
人間関係の真理が凝縮されている、半端ない名文だと思いました。私が壇珠さんのことを思う時、壇珠さんに「ああして欲しい」とか「こうして欲しい」と思いません。壇珠さんのことを勝手に心の友と思っており、風神雷神の狂人タッグを組んだ人生を棒に振るズの相方であると勝手に思っておりますが、そこには期待がありませんでした。それは、私たちに目的がないからなのかもと思いました。金のためとか、いいねのためとか、そんなことではなく「ただ一緒にやると楽しいから」だけで往復書簡を続けている、純粋な友情を感じております。そこには「ねばならない」が一切なく、娘様と過ごされたいのであれば娘様と是非とも過ごしていただきたい、その時は俺も俺の人生を勝手に充実させて壇珠さんに面白い話をできるように還元できたらいいな、と言う流れになります。間違っても「早く返信しろよ!」とか「俺よりも娘の方が大事なのか!」とは、なりません。
このような関係性を築けた人とした交友関係を続けることができなかったため、いつの間にか社会不適合者みたいな様相を呈しはじめて、期待やコントロールを感じた瞬間に「きもっ!」となっていちもくさんに逃げ出す鬼(俺)になりました。期待と同じくらい、所有の感覚も苦手でした。昔の私は青かったので、付き合うと言うことは「相手のことを恋人として所有すること」だと思っていました。そのため、相手が勝手なことをすることを許せず、自分が勝手なことをすることも許せないものですから「俺も我慢しているのだからお前も我慢しろ」と、最悪な要求をしていました。
しかし、こんな関係はまったく幸せではないし楽しくないと思ったので、世間的な常識なんてもう知らないと居直り、自分たちが心地よい時間を過ごしていこうよと思い出してから、人と一緒にいることによるストレスが雲散霧消しました。一緒にいたければ一緒にいればいいし、一緒にいたくなければ一緒にいなければいい。ただ、それだけのことでした。そこには期待もコントロールも所有も遠慮も我慢もありませんでした。こう言うことを書くと「君たちはゲリラか何かなのかね?」と言われたりしますが、そんなことはまったくなくて、結構みなさまデリカシーがあります。それは、世間的な「こう言う時にはこう言う風に言うものだ」的な道徳や良識とはまったく違って、野人には野人なりの「相手の領域を侵さない」というデリカシーがあり、そのデリカシーがある人とは、非常に気楽で心地よい関係性を築けました。
これを「自然の優しい無関心」とカミュは表現したのだと思います。一般的には相手に干渉することが愛だと思われている気がしますが、私は「ほっといてくれる優しさ」に助けられました。優しい野人は、困っている人を見ても「大丈夫?」とか「できることがあったら言ってね?」とは言いません。なぜならば、大丈夫じゃないから人は困るのであり、できることがあったら言ってねと言う人は何もやらないことを知っているからです。優しい野人は「大丈夫?」と心配する代わりに相手を見守ります。そして「できることがあったら言ってね?」と言う代わりに、相手を見守りながら、自分にできそうなことがあったら具体的にそれをやります。金が要るなら金を差し出し、食糧が要るなら食糧を差し出し、自分にはこれを用意することができるが必要かどうかを聞き、必要なら置いて行き、必要でない時は持ち帰ります。あとは、ただ、黙って友達のままでいてくれます。
言っていることよりもやっていることに痺れているため、いちいち「あたしたち友達だよね?」とか「僕のことを変わらずに愛しているよね?」などと確認する必要がありません。目と目で通じ合う。かすかに、ん、いろっぽい。それが野人の優しさであります。一緒にいたいから一緒にいる。優しくする方が上とか、優しくされる方が下とかが、ありません。優しくしたいから優しくする。優しさを受け取りたいから優しさを受け取る。そこには「優しくしたくない人には優しくしない」「受け取りたくない優しさは受け取らない」という信頼があるのだと思います。信頼があるから、心配しても過干渉にはならないのだと思います。
なにかに一生懸命になったことで社会的に成功した人物を、神と崇めるのはいい。だが、その一生懸命な行動だけを良いこととして取り上げて、やりたくもないようなことに向けろというのはおかしいんだよ!!その前に、そこにハマる過程がなきゃ、楽しい努力なんてできないんだよ!!なにかに一生懸命なやつは、そこにハマったんだよ!!松下幸之助を経営の神様と褒め称えるのはやめろ!!あいつは仕事にハマって仕事で遊んでいただけなのだから!!暇つぶしの神と讃えろよ!!
昔は、生き延びるために必死になることばかりでした。食べ物を得るのも、寝床を確保するのも、賃金を得るのも、命がけでした。それを得るためなら、無我夢中だった。だから、努力というのは、生きる手段そのものでした。けれども現代は、生きるために必要なものが揃っているどころか、なんなら生きるのに必要のない余計なものにあふれた世界になりました。余計なものとは、豪華な生活、何万人もの人からの承認、過多な情報などの、強すぎる快楽の刺激です。
そんな世界に生きる我々には、生きるためになにかを追いかける必要がなくなり、自分を蝕む快楽から逃げる必要がでてきました。快楽を追う努力が要らなくなり、快楽から逃げるための努力が必要になってしまったと言えます。快楽を断つ努力は、万人にとって非常に難易度が高いものです。しかし、この我々風神雷神の書く往復書簡の読者である君は、それを超えたくて読んでいるのだろう!!
外から与えられるドラッグのような刺激を断って、人生にハマって生きたいやつは聞け。やることは一点だ。自分の内側から刺激を得て、自分を動かして得られる悦びにハマるんだよ!!スマホや漫画やアニメやニュースやSNSなどなどの、自分を動かさずに外から得られるどんな刺激でもなく、自分を動かすことにハマる。自分の体験をドラッグにするんだよ!!自分で決めて自分で動いて自分で感じて、それにハマれば良いだけなんだよ!!自分の刺激は自分で作る。これさえできれば、俺たちはゴッドオブ暇つぶしの松下幸之助と、何ら変わりがないんだよ!!
この世には、真の努力以外に面白いことはないんだよ。真の努力ができないやつが不満を持つんだよ。他の刺激を捨てて、自分から得られる快楽を追えよ!!自分から湧くことにハマれよ!!自分の行動をドラッグにしろ!!真の努力以外のことをするなよ!!ザリガニを捕れよ!!コンビニにスルメを買いに走れよ!!
壇珠総書記、万歳!!アンサーが出ました!!みなさま!!世界の真理がここにあります!!刮目せよ!!以後、俺たちに「◯◯するためにはどうしたらいいと思いますか?」とか、金輪際聞かないこと!!壇珠さんは「外から与えられるドラッグのような刺激を断って、人生にハマって生きたいやつは聞け。やることは一点だ。自分の内側から刺激を得て、自分を動かして得られる悦びにハマるんだよ!!」って言ってんだよ!!わっかるかなぁ〜!!わっかんねえんだろぉなぁ〜!!わっかんねえから胡散臭い自己啓発団体ががっぽり儲け続けるんだろぉなぁ〜!!情けないと思わないのか!!バカ!!自分の喜びは自分で掘れ!!掘れるお前に俺は惚れたい!!掘れ!!お前を掘れ!!お前を掘って俺を掘れ!!ほぉれぇ〜!!
俺はなあ、決めたんだよ。狂人の俺は素戔嗚尊を感じない者たちには一切の関心を示さないのだ。弥生人には、申し訳ないけれど死んでいただき、縄文を感じる者たちだけに生き延びていただく。現世利益にあくせくする者たちではなく、現世利益を捨て去った者たちの晴々しさに加担する。絶滅しないように生きる者たちではなく、絶滅することを肯定する者たちの潔さに加担する。否定されることを恐れる者たちではなく、消されることを前提に言動する者たちの運命に加担する。得にもならず名誉にもならない。自分を貫き消え去った者たちの矜持。そこに、私は痺れる。憧れる。
先日私はトレヴィーゾという街に家族とともに散歩に行ったのですが、そこでレンガ造りの昔の城壁に面した公園があり、その城壁は表面が崩れてでこぼこしていて、レンガが飛び出ている部分がいくつもあるため、いかにもロッククライミングができそうな様相なのです。そこであたしゃその壁を登ってみることにして早速飛びついたのですが、人々から好奇の目で見られました。しかし私はそのとき、登るのをやめるでもなく、人々を睨みつけてやるでもなく、天を仰ぎ、神を思いました。神はどのように私を見ているのかを思いました。
私の感じたところによりますと、神は私を微笑んで見守っていました。勝手な想像なので、結局その神とは自分自身のことなのですが、まあいいのです。私はその壁を上まで登って、フィラデルフィア美術館の正面玄関階段を登り切ったロッキーのようにガッツポーズでジャンプをしました。私の想像では、神はそんな私を目を細めて愛しそうに見ていました。誰にもバレずに冷凍ブルーベリーを貪るゲームをしていた圭吾さんのことも、私の感覚では神はニッコリ微笑んで観ていただろうと思います。神は、自分の創った存在がやりたいようにやってこの世を楽しんでいることを、心から喜んで慈しみの目で観ているだろうと思います。
私はここで、われわれ風神雷神の奇行に奇異の目を向ける人々のことを、とやかく言いたいのではないのです。そうではなく、彼ら自身が「神が今の自分を観てどんな顔をするだろうか」と思ったときに、もしもあまり嬉しそうでないのなら、それは彼ら自身が嬉しくないのと同義だと言いたいのです。だから気分がシケてくる。だから他人にイライラしてくる。それでクサクサしているくらいなら、自分の中の神が微笑むように動けばいいのだと言いたいのです。誰のことも笑顔にしなくていいし、誰のことも心配しなくていいから、自分の中の神が嬉しそうにすることを選べばいいんだよ!!
きゃー!!そうだそうだ!!その通りなのだ!!いいかお前らよく見とけ!!これが狂人のやり方だ!!俺たちが孤独死をしない理由はこれだ!!神様が喜んでおられる!!神様が喜んでおられる俺たちは永遠に見捨てられることがない!!横の繋がりに四苦八苦している愚民どもよ、耳の穴をかっぽじってよく聞け!!俺たち狂人にはなあ、強靭なる縦の繋がりがあるんだよ!!横の繋がりが人間関係なら、縦の繋がりは神様との関係なんだよ!!俺たち狂人は神様とズッ友なんだよ!!シェイクスピアが「これは狂気かもしれない。だが、筋が通っている」と言っていたあれだ!!あれなんだよ!!俺たちはなあ、あれなんだよ!!
私は人と話すのが苦手なので人から好かれませんだとか、私は面倒くさがり屋なので人から信頼されませんだとか、私は気が弱いので転職することができませんだとか、私が悪い母親だから子どもが学校に行けなくなったのですだとか、ウソをつけ!!そんなものは全部が全部思い込みなんだよ!!話すのが苦手だというのを疑えよ!!あるいは話さないから好かれないんだという設定を疑えよ!!面倒くさがり屋だというのを疑えよ!!あるいは面倒くさがり屋だから信頼されないという設定を疑うんだよ!!悪い母親だというのを疑え!!あるいは悪い母親だから子どもが学校に行かないのだという、その設定を疑えって!!思い込みというのは、自分で自分にかけている呪いなんだよ!!
決めつけるな、思い込むな、信じるな!!それらを疑ったあとに出てきた別の仮定すらも疑え!!過去の自分を、今の自分を決定づける原因として扱うなよ!!いいか、お前はお前の知らない存在なんだよ!!自分を知った気になってんじゃねえよ!!自分を知った気になるから、その束縛から出たくて出たくて、自分を全開にして生きている感じがしなくて、それでフラストレーションが溜まるんだよ!!知ったかぶりはやめろ!!お前はお前を知らないんだって!!マジだって!!完全に誤解して、自分で誤解した通りの現実を生きているだけなんだって!!そこに実感がありすぎるだけ!!これを言い換えるとな、過去の自分は別人だってことなんだよ。過去の自分は他人なんだよ!!他人に憑依して、それを自分だと思っているだけ!!そういうメモリーが残っているからって、今の自分もそれと同じ人物だと思うのは盲目なんだよ!!もう一度言う。過去の自分は、文字通り他人なんだよ!!
己は未知の人物であると心得よ。その、思い込みにまみれた制限の中で思いつく程度の、くだらない期待は捨てる。そして、自分という未知の人物の発揮したいものを発揮させよ!!それによるどんな体験をも、どんと受け止めると決めるんだよ。校長先生、堅物だと思ったら実は萌えキャラ好きだったんですね!と言われたっていい。悪役プロレスラーだから乱暴者なのかと思ったら、茶の道でおもてなしの心を極めんとする人だったんですね!と言われてもいい。お堅い人間だとして見られることを捨てる。悪役のイメージを保つことを捨てる。なぜってそれは、お前じゃないから。他人だから。自分でないものを捨てないから、現状にイラつくんだって!!
以前の、あるいは現在のイメージに囚われて、自分をアップデートできないからイラつく。今まっさらに自分を解放するというのは、これまでの自分を自分ではないと認め、それを捨て去るということなんだよ!!過去を断捨離するんだよ!!気に入らない過去は捨てる!!もう自分じゃないんだから、使い道がなかったら捨てるんだよ!!
過去の自分と別れろよ!!これまでの自分を、お役御免としろよ!!そいつに、自分であることから退職してもらえよ!!過去の自分というのは、死霊なんだよ!!死霊に取り憑かれて、そいつの考えに操られているんだよ!!昔これこれこういうことをされたので、傷ついているんです。違う!!事実ベースで話せ!!正しくは、昔これこれこういうことをされたので、その時の自分は傷つきました。今の自分は、ただその時のことを覚えています。だろう!!なんで傷つき続けるんだよ!!なんでその時の自分に合わせて生きる必要があるんだよ!!
おひっ、おひっ、おひぃ〜ん!!失神寸前!!気絶しちゃう!!名文の連続に立ってられない!!暴力に次ぐ暴力!!愛の乱れ打ち!!その何もかもが、俺たちのソウルにクリティカルヒッツ!!みんなとか、普通とか、そんなことはどうでもいいんだよ!!ここまで読んできたそこのお前!!お前だ!!俺たちはお前に言っているんだよ!!認めろ!!自分は縄文人であることを認めろ!!「男の人といると言いくるめられちゃうんです」とか言ってんじゃねえよ!!弥生に負けるな!!あれだろ!!そう言うことを言う奴の顔は狡猾だろ!!正論だけど冷たさを感じるだろ!!冷たい知性に屈してんじゃねえよ!!俺たちを見ろ!!俺たちの方があったかいだろ!!これが野人の温もりなんだよ!!冷たい知性よりも、優しい野人の温もりを信じて、弥生をぶっ壊す愛を発動させろよ!!言うことを聞くなよ!!ぶっ壊せよ!!
弥生人に言いくるめられてんじゃねえよ!!縄文で壊せよ!!ロボットみたいな弥生人をもう一度人間に戻してさしあげろよ!!素戔嗚尊に「我に力を」と祈れよ!!神話を研究するなよ!!お前が神話になれよ!!なれるよ!!俺たち神話になれるんだよ!!世間を欺き、自分自身を欺く!!孤独死したっていいじゃない!!孤独にならないように生きている方が、よっぽど孤独だってことをお前は知っているはずだ!!認めろ!!己の中の縄文を認めろ!!農耕民族になるなよ!!狩猟民族になれよ!!溜め込むなよ!!出せよ!!感情に溺れてんじゃねえよ!!よろしく浸ってる場合じゃないんだよ!!感傷に浸るのは一日一時間まで!!一時間浸ったら「おひぃ〜ん」と叫んで外に出る!!戦闘服に着替える!!気持ちを切り替えて死ぬ!!俺たちの死装束は特攻服だろ!!ゆるい服ばっか着てんじゃねえよ!!戦闘服を着ろよ!!鳶職みたいな服を着て実際に飛べよ!!
花鳥風月ばかり愛してんじゃねえよ!!それは最低限なんだよ!!俺たち風神雷神は最大限を愛するんだよ!!天井知らずのポッシビリティー!!文句ばかり言ってんじゃねえよ!!不安になるなよ!!負けない!!泣かない!!嘆かない!!日本はどうなるんだろうとか仕事はどうなるんだろうとか自分はどうなるんだろうとか、嘆くな!!嘆くことをやめろ!!感情に溺れるな!!いまほど自由で恵まれた時代はないことを認めろ!!昔だったら俺たちみたいな狂人は非国民扱いされて処刑台にまっしぐらだったんだよ!!誰かに何かをしてもらおうと思うな!!学びたいことがあれば自分で学べ!!学校なんか行くなよ!!世界を学校にしろよ!!義務教育なんか放棄しろよ!!
障害者扱いされて諦めてんじゃねえよ!!違いはあっても間違いじゃないんだよ!!まともになんかなろうと思うな!!永遠にそのままで行け!!弥生の罠に嵌るな!!縄文の愛でぶっ飛ばせ!!「生まれてこなければよかった」とか「なんで自分はこうなんだろう」とか、嘆くな!!嘆くことをやめろ!!生きててよかったと思わせるために俺たちは生きているんだよ!!自分にも他人にも「生きててよかった」と思わせることができたら大成功なんだよ!!生きろよ!!とっとと生きろよ!!ちゃんとなんてやらなくてもいいから、持ち前のプリティーな脳味噌とプリティーなボディを生かして、世界を虜にしてみせろよ!!そしたら神様、微笑むよぉ〜!!ニコッと笑って喜ぶよぉ〜!!お前はいいねと褒めてくれるよぉ〜!!人間のいいねばっかり集めてんじゃねえよ!!神様からのいいねを集めろよ!!いつ死んでもいいとか言ってんじゃねえよ!!神様からのいいねをゲットして、ニッコリ笑顔で天に召されろよ!!
SNSの誹謗中傷が何だ。そんなものは、所詮人間の話だろ。拷問に比べたら屁だ。陰湿ないじめに負けるな。日本の湿度に屈するな。負けない。泣かない。嘆かない。世間を欺き、己をも欺く。運命を愛して、素戔嗚尊の精神でぶつかり合う。嫌われるほど自由になる。孤独になるほど自由になる。何もないことは悪いことじゃない。俺たちの本質は、純粋な空だ。何もない。最高じゃないか。なんでもやれる。なんにでもなれる。否定しない。全肯定。善も悪もよしとする。この運命をよしとする。この運命をよしとして、自分を破壊し続ける。ペテン師の夢は詩人であり、もののふの愛は破壊である。さあ、行こう。ピリオドの向こう側へ。絶滅しないように生きるのではなく、絶滅しちゃおう。センスオブワンダーで行こう。
文責・風神(雷神も可)〜日焼け止めを塗るなら海に入るな。海に入るなら日焼け止めを塗るな〜
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