皇帝もつらいよ
それでは、皇帝とは何だろうか? 紀元前221年に初めて中国統一を成し遂げた秦の王・嬴政は、「わが徳は三皇(伝説上の天皇・地皇・人皇)を兼ね、わが功は五帝(やはり伝説上の黄帝・顓頊・帝嚳・堯・舜)を蓋う」と宣うた。
そうして、みずからを「皇帝」と名乗ったのである。始めの皇帝なので、後の人々は「秦始皇(チンシーホアン)」(秦の始皇帝)と呼んだ。
始皇帝は帝位に就くと、泰山(山東省の神山)へ行幸し、天に泰平の世を祈る封禅の儀を執り行った。明朝と清朝では、皇帝が毎年の冬至に国家繁栄を願って、また春節に五穀豊穣を願って、天壇に参拝した。
中国社会において皇帝とは、一言で言えば、天と地を結びつける「人間代表」だった。
天は皇帝に対して、すべての土地と人民を預ける。皇帝は天命に則って、すべての土地と人民を統治する。だが信頼関係が崩れると、人民は「易姓革命」(反乱)を起こした。
臣下たちが皇帝に謁見する際には、三跪九叩頭の礼(三回跪いて九回地面に頭を擦りつける拝礼)を義務づけられた。皇帝の勅命は絶対で、もしも勅命と法律とが矛盾する場合は、勅命が優先された。つまり皇帝は、「法の上に君臨する統治者」だった。
そして、皇帝の住まいにあたる後宮では、「後宮三千人」と言われた美女たちが、皇帝一人に奉仕した。北京の故宮には、計9999もの部屋があると言われた(実際には8707部屋)。男子禁制だったので、去勢した宦官たちが、皇帝の側近となって幅を利かせた。
始皇帝から、1912年に宣統帝(愛新覚羅溥儀)が退位するまで、中国は2132年もの長きにわたって皇帝制度を貫いてきた。
中国の「百度(バイドゥ)百科」によれば、中国が輩出した歴代皇帝は計494人に上る。在位最長は清の康熙帝で61年、最短は即位後半日で暗殺された金の末帝(完顔承麟)だ。
在位50年以上60年未満が4人、40年以上50年未満が9人、30年以上40年未満が19人、20年以上30年未満が31人、10年以上20年未満が105人、10年未満が240人。
このように、皇帝の平均在位期間は、意外と短いことが分かる。始皇帝のように不老長寿を求めて薬に走り、かえって寿命を縮めた皇帝も少なくない。思えば、あの広大な中国大陸をたった一人で統治するというのは、気苦労も多かったに違いない。
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さらに〈10年で、半数の大富豪が「消えた」中国の現実…日本とは比較にならない、中国の「ハイリスク社会」〉では、中国の「ハイリスク社会」について詳しくみていきます。
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本記事の抜粋元・近藤大介『ほんとうの中国』では、中国人と日本人がなにかとすれ違う背景にある、日本人が知らない中国人特有の思考と行動原理について書かれています。ぜひお手にとってみてください。
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