なぜ中国では「絶対権力」が正当化されているのか?…日本の統治システムとの「決定的な違い」

中国人は何を考え、どう行動するのか?

講談社現代新書の新刊『ほんとうの中国 日本人が知らない思考と行動原理』では、日本を代表する中国ウォッチャーが鋭く答えています。

本記事では、〈西側諸国で広がる「中国失望論」…知られざる習近平の「3回の挫折」と儚く消えた「民主化の火」〉に引き続き、絶対権力が正当化される論理について詳しくみていきます。

※本記事は、近藤大介『ほんとうの中国 日本人が知らない思考と行動原理』(講談社現代新書)より抜粋・編集したものです。

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絶対権力が正当化される論理とは

たしかに中国大陸では、前述のように、敵が24時間365日、周囲のどこから襲ってくるかしれない。異国の騎馬民族も恐いが、国内にも敵はごまんといた。

そのような危険に満ちた環境下で、容易に土地を移動できない農耕社会を築いていくためには、絶対権力者が必要だった。敵が襲来してきたら、ボスの「鶴の一声」で、農民の兵たちが結集し、一致団結して敵に立ち向かう。もしも失敗すれば、村民は皆殺しに遭うため、有無を言わさず全員付き従わせた。

その「掟」は信賞必罰である。特に、始皇帝が全国統一を成し遂げた秦は、身分の高低によらず、戦功に応じて軍位、褒美を与えることで戦勝を重ねていった。

法家の思想を重視し、規則を破った者は「五刑」に処した。軽い罰則から順に、額に焼きごてを入れる(墨形)、鼻を削ぐ(劓刑)、片足を切り落とす(剕刑)、性器を切り落とす(宮刑)、車裂きの処刑(大辟刑)である。特に両手、両足、首を縄で5台の馬車に縛り、それぞれ別方向に馬車を走らせる車裂きの刑は、一罰百戒の意味を込めて、衆人を集めて見せしめにした。

一方、日本は周囲を海で囲まれているため、基本的に外敵は侵入しない。そのため同様に農耕社会を形成しても、村民たちが「話し合い」によって協力したほうが、収穫量が上がり、皆が豊かになった。それで「のほほんとした共同体」ができあがった。

中国では、日々のリスクの連続から「国家」なるものが生まれた。夏王朝から殷王朝へ、そして周王朝へと変遷、拡大していった。だが王朝は変わっても、一人の王が絶対権力によって全社会を統治するシステムは不変だった。そして始皇帝から後は皇帝制度が確立していった。

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