ガザから帰国した国境なき医師団の日本人 「異常だ」人道危機を語る

浪間新太

 パレスチナ自治区ガザで大規模な戦闘が始まって7日で2年となるのを前に、ガザで活動した国際NGO「国境なき医師団」の日本人スタッフ2人が3日、東京で記者会見した。現地で見た深刻な人道危機について語り、一刻も早い停戦を呼びかけた。

 看護師の中池ともみさん(42)は今年1~3月にガザ南部のナセル病院で活動した。外傷患者が集まる病棟で看護師ら150人以上を統括した。イスラエル軍の攻撃で骨折ややけどを負った患者が多数入院しており、子どもも多かったという。

 中池さんがガザに入ったのは1月19日にイスラエル軍とイスラム組織ハマスの停戦が発効してから約10日後。ガザの風景に衝撃を受けた。「あらゆる建物が崩れ落ち、かろうじて残っている建物も真っ黒に焦げていた」

 イスラエル軍が大規模な攻撃を再開した3月18日未明、宿舎で休んでいると「突然雷が鳴ったような空爆の音が聞こえてきた」。数日後にナセル病院に戻ると予想していたほどは患者は増えていなかったが、「病院に到着した時点で息を引き取っていたケースが多かった」。その後、ナセル病院もドローン(無人機)による攻撃を受けたという。

「一瞬で死んだほうがいい」

 地元のパレスチナ人スタッフの精神的、肉体的な疲労も深刻だった。何度も強制的な転居を余儀なくされたスタッフが「大きい爆弾が落ちていっそのこと一瞬で死んだ方がいい」と語ったことが印象に残っている。「自分たちは国際社会から見捨てられたのではないか」と話すスタッフもいた。

 中池さんは3月下旬に日本に帰国。「日本では桜がきれいな時期だった。安全なところに帰ってきてしまったと罪悪感を感じた。一刻も早く停戦してほしい」と語った。

 同じく会見した松田隆行さん(40)は、今年7~8月にガザで物資調達や仮設病院の建設を担うチームのリーダーとして活動した。大規模な戦闘が始まる前の2023年2~7月にもガザで活動した経験があったが、「全く違う場所に来たという印象だった。建物が全体的に破壊され、避難民のテントがひしめきあっていた。毎日のように空爆があった」と語る。

ガザに安全な場所は…

 あらゆる物資が不足していた。食料、特に粉ミルクや液体ミルクが足りなかった。子どもと妊婦の栄養失調が大きな問題だった。医薬品では抗炎症剤や鎮痛剤が不足し、仮設病院の建設に必要な資材や燃料も不十分だった。

 松田さんはウクライナやイエメン、エチオピアなどの紛争地での活動を経験してきたが、「ガザほど一般市民に被害が及んでいる状況は初めて見た。異常だと思う。ガザに安全な場所はない。市民は疲弊しきっている。1分1秒でも早い停戦を強く望む」と語った。

 国境なき医師団は、イスラエル軍の攻撃激化を受けて9月26日にガザ北部のガザ市での医療活動の停止を発表した。2023年10月以降、イスラエル軍の攻撃でスタッフ14人が死亡したという。国境なき医師団日本の村田慎二郎事務局長(48)は「国境なき医師団は、ガザでイスラエルによるジェノサイド(集団殺害)を目撃している。医療は限界を超えている。医師にジェノサイドは止められない。止められるのは世界の指導者だけだ」と訴えた。

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この記事を書いた人
浪間新太
国際報道部
専門・関心分野
ロシア政治・外交、ウクライナ情勢、国際法
イスラエル・パレスチナ問題

イスラエル・パレスチナ問題

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