そしてその年の6月4日の未明、歴史的な悲劇が起きました。天安門広場を中心に民主化運動を展開する若者たちに対し、中国共産党政権は戦車部隊まで出動させて血の鎮圧を行ったのです。多くの若者たちが無惨に殺されました。民主化への私たちの夢は粉々に打ち砕かれたのです。
前日の晩からテレビの前にくぎづけになり、事態の推移を見守っていた私は、北京で展開されている血の鎮圧の地獄絵を目の当たりにして、悲痛と絶望のどん底に突き落とされました。そして、この時、中国共産党政権と自分の出身国である中国に、徹底的に幻滅しました。
このとんでもない国に、私は心からの決別を告げました。「中国はもはや自分の国ではなくなった」と。自分自身の内面においては、「中国人」であることをやめました。
そして、まさにその瞬間から、私は脱中国となった自分のアイデンティティを再構築しながら、自分の帰属すべき民族共同体を求めるための長い旅を歩むこととなったのです。
…つづく<あまりにもアッサリしすぎている…中国から「日本国政進出」を遂げた帰化人が拍子抜けした「日本国籍取得」のハードルの低さ>では、帰化手続きにおける、あまりにも簡素な日本の体制について言及します。